ウラギリモノの英雄譚
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ソウグウ――仮面ノ怪人
『次のニュースです。
仮面の怪人に、またヒーローが一人、やられました』
道場の隅に置かれたテレビ。無造作に流していたニュース番組の中で、最近巷を騒がせている怪人のニュースが話に上がった。
また仮面の怪人が現れたらしい。
「またこの怪人のニュースか……」
つい数カ月前から姿を見せるようになった怪人だ。
全身を黒いマントに包み、顔には真っ白な表情の無いお面を付けていることから、これは仮面の怪人と呼ばれている。
非常に強力な怪人だ。今回を含めて八人のヒーローがこの怪人に敗北し、病院送りとなっている。
「相変わらず、プロのヒーローしか襲わないんだなぁ」
今回、仮面の怪人が出現した現場は、人通りの多い街の商店街だ。当然、一般人も多くいただろうが、負傷したヒーロー以外に怪我人がいることは報道されていなかった。
不思議なことにこの怪人は人を襲わない。物を壊さない。
この怪人はプロのヒーローのみを襲う。
本来、出現すれば見境なしに破壊活動を続けるはずの怪人だが、この仮面の怪人はその特性故に、被害が著しく少なかった。
幸いやられたヒーローの中にも重傷者はいない。
ただ、この怪人が出没している地域が、要の住む街の近所であるため、少しばかり、この怪人が気にはなっていた。
「着替えたー。じゃあ、帰るねー」
カジュアルな私服に着替えた里里が柔道場に戻ってくる。
「ああ、お疲れ様でしたー」
「うん、おつかれー。うわ、真っ暗じゃん」
「もうすっかり日が短くなりましたね。……送りましょうか?」
「え?」
里里が目をパチクリさせる。
「要がそんなことを言うなんて珍しいね。どういう風の吹き回し?」
「いえ、まぁ……なんとなくですけど……」
「でも、お構い無くー。私が相手なら、不審者も返り討ちだぜ」
「それはそうですけど……」
プロのヒーローのみを襲う怪人。果たして、資格だけを持ってる里里は、プロヒーローの枠組みに入るのだろうか。
直前にニュースを見たせいか、どうしてもそのこと気になった。
「やっぱり送っていきますよ」
「そう? じゃあ、帰りに駅前でクレープ食べよう」
「あそこの店は先月からクレープをやめました」
「え!? 美味しかったのに何で!?」
「ケーキとサンドイッチだけでも十分流行っているからじゃないですか」
「ぐぁー。私の高校時代の思い出クレープがぁー」
二人で道場を出る。
クレープが二度と食べられなくなったことで、すっかり意気消沈してしまった里里は、帰路の最中終始静かだった。
電車に乗って瓦町の駅で降り、暫く進むと里里のアパートがある。
駅前には、『第27回ヒーロー認定試験 最終試験』のポスターが貼られていた。
ヒーローの最終試験は、変身後の審査員と変身後の志願者が実践形式で戦う試験だ。ヒーローの超人的な力のぶつかり合いが観れる機会は多くはない。この最終試験は、一般客にも有料公開されるちょっとしたお祭りだった。
本年度の試験は要の地元で行われるということで、県の方でも幾らかのPRをしているらしい。
「そういえば今年は大串半島ですね」
「ねぇー。私の時は北海道まで行ったのに……」
「…………」
今回の試験の応募締め切りは、今週の末だった。
「……ほら、行こう行こう」
思わずポスターをじっと眺めてしまった要の背中を、里里が押した。
里里の家まではすぐに着いた。
「上がって麦茶でも飲んでいく? 沸かしてから八日目だけど」
「お構い無く」
里里の誘いを断って、要が来た道を引き返す。
地方の電車は本数も少ない。瓦町駅から再び最寄り駅へ戻る頃には、すっかり人も少なくなってしまった。
歩道のない川沿いの道路を歩いて行く。
車も通らないのは珍しかった。
ふと、目の前を何かが横切った。
「猫?」
黒い子猫だ。
要はその猫の動きを目で追って、道の先へ視線を向けた。
そこに、――仮面の怪人が立っていた。
「…………」
あれは何時からあそこに立っていたのだろうか。
仮面の怪人――顔の全面を覆う白い無個性な仮面、フード付きの白いマントで全身を覆っており、あれが男か女かは分からない。
ニュースで見聞きした仮面の怪人と全く合致する人物が、目の前に立っていた。
「仮面の……怪人?」
要が身構える。
仮面の怪人、仮面の向こうの瞳は確かに要を見ていた。
ニュースに触発された悪ふざけの偽物か、それとも本物の仮面の怪人か。
どちらにせよ焦る必要はないと、要は思った。
偽物であれば、恐れる必要はない。一般人の愉快犯に負ける要ではないからだ。
仮に本物であったとしても、要はヒーローではない。ヒーローしか襲わないこの怪人が要を襲うことは無いはずだ。
要に危険はない。
後ずさりながらスマートフォンを取り出す。
パスコードでロックを解除したところで、緊急電話はロック解除が必要なかったことを思い出す。
落ち着け。言い聞かせて電話アプリを起動した。要がスマートフォンを耳に当てる。
怪人のマントが僅かにめくれ上がったように見えた。
突如、今まで感じたことがない悪寒に全身が包まれ、要は本能的に身を縮めた。
身を縮めた要の頭を掠め、真っ黒な触手が突き抜けていった。
この触手はどこから飛んできた?
要は仮面の怪人に目を向ける。
仮面の怪人までの距離はゆうに三十メートル。めくれ上がったマントの下から、ペットボトル程の太さの触手が一直線に伸びていた。
怪人と目が合う。
めくれ上がったマントの下には、無数の触手が蠢いていた。
危険はないなどという安易な考えを払拭する。
本物の怪人を目にするのは、これが二度目だ。そこに在るだけで何かを壊す、怪人独特のプレッシャーを肌がヒシヒシと感じていた。
その時、伸びた触手が首に巻き付いてきた。
咄嗟に手で首を庇う。
「っ……しまったっ」
庇った拍子にスマートフォンを落としてしまった。
だが、そんなことに気を取られている場合ではない。
巻き付いてきた触手が首を締めあげてくる。
すさまじい力だった。
何とか振り払おうと腕に力を込めたところで、要の体がふわりと浮いた。
「嘘だろ……くそっ!」
怪人の触手は、要の体をいとも簡単に持ち上げ、川の中へと投げ飛ばした。
殆ど水底がむき出しの浅い川に投げ込まれ、水底の小石で肌を切った。
全身が鈍い痛みを訴えたが、ここで寝ていては格好の的だ。
要は即座に立ち上がった。
怪人が川の中に飛び込んでくる。
干上がった川で両者が対峙する。
まるで試合をするかの如く、怪人と要が見合っていた。
「ヒーローしか襲わないんじゃなかったのか?」
怪人は人間の言葉を解したりはしない。
現在、要と怪人の距離は僅か十メートルも無い。
仮面の怪人のリーチは少なくとも三十メートル以上、一目散に逃げ出しても、背中から攻撃されるのがオチだろう。
目はそらせない。
だが、相手の触手を目で追えないことはない。
「一発一発を躱しつつ、後退……」
(大丈夫、それぐらいなら出来る)
要は自分に言い聞かせ、戦う意志を示すように構えた。
しかし。
仮面の怪人のマントの下から、無数の触手がその姿を現した。
「嘘だろ……一本じゃないのかよ」
その一本一本は長く太い。あれだけの触手がどうやってあのマントの中に隠れていたのか。
暴力の質量が露わにされ、要は自分の浅慮を戒める。
相手はプロのヒーローを何人も病院送りにしている怪人だ。ヒーローにすらなれない自分が対処できるような相手ではなかった。
――どうすればいい?
思考は無価値だった。
要は、悲鳴を上げる間も無く、無数の触手に絡め取られて消えていった。
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