月下に咲く薔薇
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月下に咲く薔薇 22.
前書き
2014年3月10日に脱稿。2015年12月13日に修正版が完成。
冬の恵みたる陽光を背負いつつ、こうも暖かさや清潔感と無縁な人物画を仕立て上げられる男も珍しい。アイムの作り笑顔が、室内に差し込む光と反発しあっているではないか。
廃墟や汚れた町並みでも、日の光が照らすと少しは見栄えがする。見る者が、そこに始まるもの、再生されてゆくものを感じ取ろうとするからなのだろう。たとえ光量の少ない真冬の斜光でも、陽光の効果は変わらない。
しかしこの男は、自ら光の恵みを拒絶し、死と破壊をもたらす者である事を表情に出していた。左の口端を微妙に歪め、敢えてそのまま取り繕わずにいる。顔の右半分が完璧に成形された澄まし顔なだけに、配慮を欠くたった1カ所の歪みはクロウ達に強烈な不快感をもたらした。
「昨日の今日だ。疲労困憊が顔に出てるぜ。アイム」
言いながら、背後にいるロックオンに部屋を出るよう左手首を軽く翻す。
今、応援を頼まずしていつ頼むのか、という高レベルの緊急事態だ。隻眼の男が未だ背後にいるので、不思議に思いながらも仕種で念を押す。
「残念でしたね。ロックオン・ストラトスは、光に目を射貫かれてすぐには動けないようですよ」
感情の沸騰と共に、クロウの背筋を悪寒が貫いた。
アイムは、サーシェスの操るガンダムスローネツヴァイとZEXISの戦闘を近くから全て見届けている。その為、デュナメスの受けたダメージがガンダムマイスターにも及んでいた事、それがロックオンから何を奪い去ってしまったのかを知っているのだ。
「さては狙ってやがったのか!?」
思わず激高するクロウの肩を、後ろからロックオンが掴んだ。
「落ち着け。奴のペースに飲まれるな」クロウの肩をぐっと後ろに引いたかと思いきや、彼の右手が離れる。実物を捉える視野の差はどうあれ、今のロックオンの方が感情の抑制がきいているのは間違いない。「で、まんまと誘いに乗っちまった俺達だが、ここで騒いで人を呼んだっていいんだぜ。俺達ZEXISは、事態を打開する方法に目途をつけた。わかるか? てめぇなんざ用無しなんだよ!」
「ほう…」口の描く線は変える事なく、アイムの声音だけが怒気を孕む。「大した自信ですね。ランカ・リーの歌とνガンダムの併用コンタクト。なかなか斬新な発想ではあるようですが、私がそれについて知らないとでも思っていたのですか?」
流石に、クロウばかりかロックオンまでもが同時に絶句した。
何故、アイムに筒抜けなのだ。今朝、ジェフリーが提案し大塚が了承したばかりの計画ではないか。
内通者はあり得ない。ホランド達は、既にインペリウムと合流しているのだから。
「おや。揺れていますね。気になるのでしょう? 私がどのように情報を取得したのかが」
「ああ。興味は大有りさ」振幅の大きさを敢えて否定せず、クロウは光の中に立つ敵を睨みつけた。「Dフォルトの変質に俺達がどう対抗するか、てめぇには関係ないし話すつもりもねぇ。ただ、もし接触の効果を否定するなら、俺は肯定してやる。こうしてわざわざ否定しに来た分もな。…段々わかってきたぜ。ランカちゃんとνガンダムにいい仕事をされちゃ都合が悪いんだな? え? そうなんだろ!?」
微かに眉根が寄り、アイムの表情がきつくなった。
図星を刺されたが故の反応かと思いきや、「愚かな…」と呟くその表情は不自然な程、無知に対する憤りで満ち溢れている。
相手にするものかという決意のもとで、違和感が首を擡げた。偽りの下にある真実を突かれ迂闊にも硬化した昨夜のアイムとは、些か印象が異なる。
何故だ。
何かを言いかけようとする直前、左手に冷たく硬質なものが触れ、慌てて飲み込む。
馴染んだ感触から、ZEXIS全員に配布されている携帯端末の外見を思い描いた。アイムに悟られぬようロックオンが自分の端末を握り、密かに会話の送信を始めている事を伝えようとしているのだ。
機転に感心すると同時に、間もなく応援が到着し侵入者を包囲してくれるものと確信した。
ならば、対峙している者が担うべき役割は、1つ。時間稼ぎしかない。
「俺達の事を無知って言いたいのか。まぁ、確かに今はそうかもしれねぇ」折角なので、クロウは脳内の引き出しに手をかけた。入っているのは、謎の敵に対する疑問の数々だ。「だったらその無知な生徒にご教授願おうじゃないか。100。昨夜俺は、敵から直接話を聞いた。連中が自分達を指すのに使うあの100って数字は何だ?」
唐突な質問から何かを感じ取った部分もあるのだろうに、アイムがゆっくりと室内を歩き始める。靴音が響く中、「いいでしょう」と応え、並列に整えられたデスクの正面に回った。昨日、打ち合わせの進行役として大山が立った場所と同じ位置にあたる。
「100は、単なる例えです。しかし、植物の株数はそれなりに揃っているので、3桁というのは、あながち嘘でもありません。連中はこの多元世界と異界を自由に行き来ができるように見えますが、実は昨夜まで大きな制限を加えられていました。その数字が、5」
「5…?」
繰り返すクロウの後で、ロックオンが自制ぎみに冷やかす。
「何だよ、そりゃ。随分と半端な数じゃねぇか」
「ええ。半端だった力の大きさが災いし、得られる数字まで小さくなっていたようです」教師気取りのアイムが、殊更過去形である事を強調した。「あの者達は、6以上の個体を同時にこちらに寄越す事ができなかったのです。20年前から出現と強制送還を繰り返し、ある時ようやく5という制限に辿り着いたのでしょう。気にはなりませんでしたか? クロウ・ブルースト。昨夜、あなたの踏みつけた花が消えてなくなっていた事が」
「あ…、ああ」耳を傾けてはいけないとの警告と、続きが聞きたいという衝動がクロウの中でせめぎ合う。しかし、最後の最後に怒濤の押しで圧勝をもぎ取ったのは後者だった。「昨日の朝、ロックオンの手元からも1本のバラが突然消えた。あれも同じ現象なんだな?」
「おや、そんな事が起きていたのですか」
ロックオンに背を小突かれ、クロウは明かしすぎた事を悟る。後悔の念は湧いたが、それよりも遙かに大きな好奇心が軽く凌駕し自身の大半を占めていった。
何とも癪だが、辻褄が合っている事を認めずにはいられない。
「ああ。昨夜俺には、何株も現れてあの次元獣もどきが造られていくように見えた。だが実際には、1株がバカみてぇに枝分かれしてる瞬間だったって事か。5の枠を超えないようにする為に」
3に1を足した結果が、4。
あの怪植物が出現した時点で、敵は5という限られた枠の全てを使いきってしまった事になる。3本のバラと1匹の次元獣もどき。残る1つは、昨夜の出撃前からクロウの体内に存在している。
目前の男がバトルキャンプ上空にいた昨夜、その5の枠全てが埋まっていた事をアイムは未だ知らずにいた。話しぶりからも伝わってくるし、クロウに対する歪んだ執着から察しても、追い回している対象に敵が異物を仕込んだと知って無関心を装える性格ではなかろう。
珍しい事もあるものだ。クロウの心の振幅にはひどく敏感な男が、異物に対する不安を抱えたままの心中をこうも覗いてこないとは。
「その通りです」
微笑するアイムに、クロウは一瞬ぎくりとした。
「ライノダモンを取り込んだ事で、試験体が生命力を増したのでしょう。現在、このバトルキャンプに残されている敵の個体は幾つですか?」
答えかけようとするクロウを、「よせっ!!!」とロックオンが制する。「こいつは罠だ。自分から共犯者になりたいのか!?」
あからさまに目つきを悪くするアイムが、沈黙した。舌打ちが一つ聞こえたのは、あながち幻聴ではなさそうだ。
『では、私が代わって答えよう。アイム・ライアード』
突如、クロウの腰の辺りから声がする。発信主は、このバトルキャンプの最高責任者である大塚長官、その人だ。
『バラの花なら、3本。昨日の午前に1本がその会議室に移され、夜までに更に2本が追加された。…なるほど。1株のバラであの大きさが形成できれば、ZEXISやインペリウムへの攻撃も可能になる、と。考えたものだな。5の枠は余りにも小さい。ショッピング・モールで花を1本回収し、ぎりぎりのところで敵は出現数を維持していた訳だ』
大塚も考えたもので、痕跡全てに関する情報を欲したアイムに、あくまで花の数だけ提供し答えた事にしてしまった。
「バラの花なら、ですか」大塚の思惑を理解し、食い足らないアイムの声が不満の為に渋くなる。
携帯端末を握り直したロックオンが、端末を敢えてアイムの目の高さにまで上げた。機械を通して2人は互いを見、視覚的な意味でもアイム対大塚という構図が出来上がる。
『そうだ。本来、ZEXISとインペリウムは敵対関係にある。ましてや、歌とνガンダムの併用を阻止しようとする者にそれ以上の情報を提供するつもりはない』
「おや。それでは本当に、歌を聞かせるリスクというものに無関心なのですね」
『リスクなど存在しない。する筈がない。何故なら、歌が危険な武器であると言うのと同じだからだ』
ふっ、とアイムが目を細め口の形を整えたまま微笑した。
浮かべた薄笑いをどのように解釈したらよいのだろう。
無知に対する憐憫と共に、それを歓迎する喜びが垣間見えやしないか。指揮官達が決めた再接触は失敗すると、この男は本気で思っているのかもしれない。
もし、大塚に対する反応自体を巧みに偽っているのでなければ。
「ソーラーアクエリオンが持つ神話的能力の一部を掠め取り、敵は5という頸木から解放されました。今では、どれだけの個体をこちらの世界に同時に送り込めるのか。私でも把握する事はできません」
「それが嫌なら、何であの時、奴への攻撃を躊躇った?」ジェフリーが昨夜問いかけた疑問を、改めてクロウも正面からぶつける。「てめぇのアリエティスなら、Dフォルトなんて無いも同然なんだろ? 黙って見てないで、切り刻んどきゃ良かったんだ。てめぇ自身の為にもな」
「あなたを困らせてみたかったのですよ。『揺れる天秤』」
紳士気取りな態度のまま、宿敵が臆面もなく打ち返した。
「それで、てめぇの生気まで吸われてりゃ世話ないぜ。あれか? 利口バカの類か」
クロウは、アイムが一番触れて欲しくないと信じる部分を突いてみた。プライドが高く異界の敵を嫌悪する素振りまで見せるこの男が、敵に自分のものを奪われたと指摘され、更には考えが浅いと一蹴され平素の顔を維持できる筈がない。
案の定、はっきりとわかる程左の目尻が形を歪めた。
「そもそも、歌の話を何処で知った?」
時間稼ぎの中、先程生まれたばかりの疑問を投げつける。
話の流れから察するに、バトルキャンプの中をうろつき聞き囓ったのではないようだ。もし、この会議室に侵入する前に情報収集を行っていれば、少なくともクロウの体内にある異物の噂は掴んでしまうだろう。
ドアの外から、幾人もの乱れた足音が聞こえてきた。
突然の変化は、窓外にも現れる。
バトロイドに変形したアルトのメサイアが、カトルのサンドロックと共に実剣を構えた。
バトロイドの手に握られているのはアサルトナイフ、サンドロックはヒートショーテルで、発光していない事からいずれも攻撃力は最小に抑えてある。建物と中にいる人間に最大限の配慮をしつつも、侵入者を確実に牽制しようとの意図が見て取れる。
更にその外側で、ZEXIS機は囲みを作り始めていた。桂のオーガスとアテナのナイキック、キタンとヨーコのガンメンにゲイナーのキングゲイナー、ロランの∀ガンダム、ウイッツのエアマスターバーストが地上と上空に待機している。
配置を指示したのがスメラギならば、今のクロウからは確認する事が困難な死角部分にも必要な措置を全て施している筈だ。
ドアが開くと、武装したパイロット達を従えロジャーとドロシーが入ってきた。
「こうして顔を合わせるのは久し振りだな、アイム・ライアード」
「これはこれは。元気そうで何よりです。ロジャー・スミス」
「携帯端末を通し、話は全て聞かせてもらった。なかなかに興味深い内容だったので、私も参加させてもらいに来た。いいな?」
更に奥へと進み入るネゴシエイターとドロシーを、武装したパイロットがすぐさま追い抜いた。片手で拳銃を握るヒイロ、トロワ、五飛、キリコの4人が半円を描いて壁を背にしたアイムを包囲する。
クロウとアイムの間にはキリコが割り込み、最早今の位置からは敵の表情を直接伺う事ができなくなった。わざとだ。キリコは、敢えてそれを狙っている。
「アイム。先程君は、非常に興味深い数字を口にした」
「5の事ですか?」
眉を上げるアイムに、ロジャーが失意の溜息を吐く。
「わかっていながらはぐらかすのか。20年前、確かにそう言った筈だ。この多元世界で20年前と言ったら、大時空震動が起きた年にあたる」
「ブレイク・ザ・ワールド…」
言い換えるように、アイムがそう呟いた。
ネゴシエイターが硬直する。
いや、そんな生やさしいものではない。硬直して完璧な人形になった、と表現した方が正しいくらいだ。
隣に立つアンドロイドと同じに映る、呼吸の有無さえ定かでない不動ぶり。瞬き一つしなくなったので、クロウには、彼がドロシーよりも人形めいた冷たい存在へと変貌してしまったように感じられた。
先程の会議を、ふと思い出す。敢えて考える事を避けていたのだが、ZEXISとZEUTHはよく似ている。部隊の構成だけでなく、大きく重い過去を背負っていると思われる部分まで。
「そう。始まりは正しく、あの悲劇です。20年前、ブリタニア・ユニオンのとある辺境で一組の親子と敷地に育てていた植物たちが次元の歪曲に飲み込まれました。しかし、多元世界誕生からは零れ落ち、異世界に閉じ込められてしまったのです」
『それがあの声の主だと、お前は言いたいのか?』氷りついたままのロジャーに代わって、大塚が尋ねた。『何故、その親子だとわかる? 証拠はあるまい』
「ええ。確証はありません」とアイムは、あっさり認めた。「ただ、広い敷地にはバラばかりが植えられ大変見目のよい庭園が、かつては存在した、と。そういう記録と遭遇しただけです。家族構成は、両親に兄と妹。あなた方が手に入れた情報とも合致するのではありませんか?」
「そうだ」とも「違う」とも言いたくならず、クロウはキリコの背に守られたまま沈黙した。何処かに嘘がある。内容としては、そう決めつけていい怪しさを十分に含んでいるのがわかる。
なのに、「彼」を兄、ZEXISに助力を求めた声の主を妹と置き換えるだけで、妙に腑に落ちるものがあった。少なくともアイムは、2人の関係を家族なのだとクロウ達に思い込ませたいらしい。
「既に一度接触しているのでしたら、あの植物を操る者共に人間の思考や感情が残っている事には気づいているのでしょう? あなた方が好む、世界平和の為です」虚言家が、いつもの澄まし顔に戻った。そして、至極穏やかに残酷な話へと切り替える。「殺してしまいなさい。最早、人間の振りしかできない者など。『あれは人間なのだ』という想像の中でもがきながら」
「ちっ! わざわざ、それを言いに来やがったのか!? カスが!!」
アイムに掴みかかろうとするクロウを、背後からロックオンが制止し、前ではキリコが「よせ」と堰き止める。再び虚言家と目が合う中、最後まで話を聞いてしまった自分の愚行に激しい怒りを覚え抑えがきかない。
つくづく自分の甘さを思い知る。ロジャーの様子を見れば、一目瞭然だ。最後に足した言葉は、ZEUTHの心にひびを入れる為、アイムが狙って使ったものの筈。
何故、最後まで言わせてしまったのか。ZEUTHは、ZEXISと同じ痛みを抱えていると気づいていたのに。
「想像など必要ない」よく通るヒイロの声が、アイムを拒絶する。「この世界の脅威となるなら、何者であろうと排除する。俺達に必要なのは、任務を遂行する為に必要な決意と覚悟。それだけだ」
一切の迷いを感じさせない少年の口調が、アイムの支配から場を解放する。
そんなヒイロに触発されたのか、ロジャーがようやく自分を取り戻した。肩が軽く上下し、瞬きと共に「いかんな」と独りごちる。
更に、トロワが淡々と付け加えた。
「ZEUTHの過去に何があったのか。俺達は問題にしないし、防ぎきれなかった大惨事に思うところがあるのはZEXISも同じだ。烙印の意味も、大方の見当はついている。だから、戦え。しかし、ZEUTHだけで戦うな」
「その通りだ。…まさか、君に諭されるとは」と、ロジャーが頭を垂れる代わりに敗北した大人の顔をトロワに向ける。
誰もが薄々察している通り、アイムが触れたのは、おそらくZEUTHにとって存在や特殊性の根幹に関わる過去だ。同じものが先程の会議にも顔を覗かせ、ZEXISメンバーの神経をちりちりと刺激し出席者全員の記憶に残った。一体誰が忘れよう。
明かす事を異様に避けるその様子に戸惑いも覚えるが、クロウ達は待っている。彼等が自らその件に触れ全てを明かしてくれる時を。嫌ならばそれでも構わないが、いずれ重い過去に決着をつけるべき時が訪れる点はZEUTHもZEXISも同じなのだ。
「おや、立て直してしまいましたか」肩を落とし、アイムが軽く息をつく。
「残念だったな。ZEXISとZEUTH渾身の計画に水を差すつもりだったんだろうが、そうは問屋が卸さねぇ。こいつが、てめぇの口八丁の限界だ!!」
思いの全てを代弁してくれた少年達のおかげで、クロウの中にも火が点る。
「歌や呼びかけなどに成果を期待するのは無駄だと思いますが、仕方ないですね」遂にアイムが、言葉の上では作戦の妨害を諦める。「もし、どうしても接触試行を行うというのでしたら、私もここで見届けましょう」
どよめきが起こる中、アイムが室内にいる全員をざっと眺め回した。
「ランカ・リーのスケジュールに、少しばかり細工を施しました。あなた方が押さえた2日後の午前ではなく、明日の午後、彼女はマネージャーを伴いこのバトルキャンプを訪れる筈です」
「はぁ…?」
クロウのみならず会議室でのやりとりに関心を持つ全員が、ここでようやく合点した。アイムはこの話をしたいが為、バトルキャンプに侵入したのだ。
再接触に立ち会いたいだの、ランカのスケジュールをZEXISの為に変更した、だの。一刀のもとに両断するには躊躇いが湧く話が飛び出し、クロウのテンションには水が差された。
ZEUTHを追い詰める為に現れただけなら、どれ程気楽に振る舞えるだろう。
キリコ達に囲まれているこの男が、ZEXISと謎の敵との接触計画を既に掴んでいる事は先程知った。そもそもそれ自体、大いに都合が悪い。
その上、ランカの来訪スケジュールに手を加えたとうそぶいているのだから、計画の立案時に顔を揃えていたクロウやロックオン、大塚にとっては、最悪の知らせ以外の何物でもなかった。
アイムは、歌の効果など爪の先程も信じてはいない。その男が水面下でZEXISの背を押していたとなると、裏があるのは当然ではないか。
「でたらめな事を言ってんじゃねぇぞ、アイム」衝動的に、抵抗の言葉がクロウの口を突いて溢れ出る。「ZEXISには、ランカちゃんとのパイプを持っている奴が何人もいるんだ。てめぇがいくら適当な事をほざいても、すぐに暴いてやる!」
「では、確認してみては如何ですか? あなた方が持つあらゆる手を尽くして下さい」
澄ました態度のアイムに、キリコ、五飛、トロワ、ヒイロ、そしてロジャーの髪や手が僅かに動く。
「確かめてはみよう」間を置いてから、ロジャーが毅然と言い放つ。「しかし、たとえランカ嬢の来訪が早まったとしても、それはあくまで我々の側の事情だ。勿論、アイム。お前をコンタクトの場に立ち会わせるつもりはない」
「良いのですか?」アイムが笑った。薄笑いよりも頬の歪みに目が行くその表情が、サンドロックの作り出す影の下で異様に浮き上がる。「敵のDフォルトを突破する為に、私とアリエティスが力を貸そうというのですよ」
「暴発の阻止? それは違うな」
語気を強め、ロジャーは相手の目を見て否定する。
「では何と」
「アリエティスとアイム、お前の存在は、無駄に敵の食欲を刺激してしまう。昨夜の光景がそれを証明していると言ってもいい。襲われたお前自身も、自覚はしている筈だ。また食われたいのか?」
「いえ。今尚、アリエティスの攻撃は有効です。それに、敵を刺激するという意味では、クロウ・ブルーストも同じではありませんか?」妙に穏やかなアイムの視線が、クロウを指した。「覚醒の度合いの差こそあれ、私と彼の性質には何一つ違いなどありません。ならば、『揺れる天秤』のスフィア所持者である彼もまた、残された者共の標的という事です。νガンダムのサイコミュを使い人であった者共と接触する際、危険な乾きを膨張させないと誰に証明できるでしょう」
「その為の歌でもある。心の奥底を震わせる歌は、最悪の事態を未然に防ぐ役割をも果たすと私は聞いている」
この場合の「聞いている」は、「信じている」と同意だろう。
ロジャーは、饒舌だった。そつなく受け流し、返すものはきっちりと返す。しかし相手に対する不快感を一切隠さずにいる分、ネゴシエイトは崩壊していた。
「しかも、先程から少々気になっているのですが。今のZEXISとZEUTHに、あのDフォルトを突破する為の策はあるのですか?」
嘲笑の混じったアイムの声音に、得も言われぬ迫力がまとわりついた。窓を塞ぎ室内を牽制しているサンドロックの影に入りながら、男の目元が激しく歪む。
クロウには、それが獣の気迫と映った。右の青眼と左の紫眼が、知性をも飲み込む感情の奔流を伺わせる。
無いと敢えて答える者はなく、沈黙がアイムを更に苛立たせた。
「クロウ・ブルーストに何かあっては、私が困るのです」
生憎、何かは既に起きてしまった。それを仲間達も知っている。
当然誰もが明かす筈はないのだが、室内を満たす沈黙の色は幾分変わってしまった。
無意識のうちに、クロウの右手が自身の胸の上で止まる。
「何を隠そうとしているのです?」
呼びかけにぎょっとし、クロウとロックオンは無視もできずに驚愕する敵と見つめ合う。
悟られた。それは確信だ。
「…何という事でしょう。仕込まれたのですね、あの者共に」
アイムが打ちのめされている。
滲み出てくる感情は、失意の念。そして、まさかの同情か。
『アイム・ライアードに、まさかの読み違いが起きたようだな』ロックオンの手にする携帯端末で、発信者の交代が行われる。大塚に代わり声だけの参加を始めたのは、歌を信奉する世界からの来訪者だ。『お前は今、「仕込む」と言ったな。見えないが、間違いなくそこにある物。あれの正体に、幾らかの心当たりがあるのだな。クロウの体内から取り出す方法を知っているのか?』
アイムは、すぐには答えなかった。小さな声でぶつぶつと何がしかを唱え必死に頭を回転させている。但し、熟考している姿には程遠く、むしろ知識と感情の渦に飲み込まれもみくちゃにされている状態に近かった。
「おい。何か言えって」
クロウが返答を求めると、ようやく謎の呪詛がやんだ。
「仕込まれたのは、いつですか?」
「待てよ。質問に質問を返すな」
「大切な事だと言っておきましょう」
恐ろしい程の真顔が、クロウに返答を要求する。
ふぅと、クロウは肩を落とした。
「ゆうべだ。てめぇらが次元獣をここに送り込んでくる前」
「ブラスタで変質したDフォルトを撃って、はいませんね。その結果を現段階で知る事ができないのが残念です」
「ブラスタの異変という形で、アリエティスが感知してはいないのか?」
やはり真顔のロジャーへ、アイムが素直に「いえ、何も」と残念そうに返す。「もし異界の物体がクロウ・ブルーストの体内に入っているとするなら、歪曲という形でブラスタの性能に影響が出るでしょう。それそのものではなく、何かで包み込んでいるのかもしれません。ですから、別な形に見えるのではなく、見えなくなるのです」
「つまり、見えないってのは狙いがあっての事じゃないのか」
疑心暗鬼の中で、ロックオンも納得と疑惑の狭間に立つ。それは不快感の伴うものだった。親友の左目の目尻が歪む。
「ええ。勿論、推測の域は出ませんが」
追加されたアイムの言葉で、一帯の空気に不安定さが増す。事実とはいえ、これは面白くない。
「ええいっ!! 何の話をしても足場が悪い」苛立ちが限界に到達しつつあるのか、五飛がアイムの頭部に狙いを変える。「聞こえるか? ジェフリー・ワイルダー。いつまで俺達をこのままにしている!? 御託の続きなら、確保の後で聞きたい者が聞けばいい!!」
「俺も賛成だ」
ぼそりと賛同するヒイロも、上の決断を促す。
クロウ達2人だけでこの会議室に突入した時から、おそらく20分近くは経過している。本来ならば、のこのこ現れたインペリウムの幹部と問答を繰り返すなどおかしな光景だが、飛びかからずにいる理由というものも当然存在する。
実は、命令が無いからではない。五飛とヒイロも意欲こそ伺わせているが、踏み出しきれない彼等なりの理由を抱えていた。
武装した4人のうちの誰かが1歩でも前に出ただけで、アイムは消えるようにいなくなるのでは。そういう疑念に囚われているのだ。
アイムとて人間の枠の中にいる。この包囲網と体術に長けた戦士達が相手をすれば、天才の力を発揮する前に身柄を確保できるだろう。
もし。虚言家の愛機アリエティスが、操縦者を転移させなければ。
機体から降りているアイムが、突然建物からいなくなる。いぶきと青山はその現場を目撃こそしなかったが、そうとしか説明のつかない怪奇現象を知っているという。
忌々しい事に、他ならぬクロウ自身にも同様の怪体験があった。WLFのアジトに潜入し、囚われたマリナ・イスマイール姫とリリーナ・ドーリアンを救出した時にだ。
散々からかわれ最悪の気分であの男に背を向け走り出した後、クロウは一度だけ振り返っている。男の姿は見えなくなっていたが、当時は気にも留めなかった。あの辺りには、ドアの開いた監禁室がある。そこに入ったのだろうと考えれば辻褄が合ったからだ。
スフィア所持者と愛機の関係には、確かに不可解な点が存在する。クロウのブラスタがある瞬間を境に高出力領域をもう一段階引き上げた現象も、同じ範囲内の出来事として括る事ができるのかもしれない。
もしそれがスフィアなる人知を越えた代物が干渉した結果なら、アイムが突然この部屋から消えたところで驚くにはあたらない。ZEXISの皆が、アイムの不可解さを知るが故に同じ警戒をしているのだ。
「私を捕らえる? あなた方が? それも無駄な努力です。もしZEXISの為に私の知識を利用したいのなら、私に行動の自由を与えるのです。今日、そして明日の作戦時に」
クロウ達には無理な事を承知の上で、アイムが悪条件を突きつけた。
困惑による沈黙が室内を満たす中、誰一人何かを返す事ができずにいる。
「クロウ・ブルーストから異物を取り出す。いいでしょう。私とアリエティスで見事やり遂げて差し上げましょう」
- 23.に続く -
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