草原の狼
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3部分:第三章
第三章
「まさか。俺を」
彼にはそれはとても信じられないことだった。
「狼が助けたのか。俺を」
そして続いて馬も見た。狼達は彼の馬も囲んで丸くなっていたのだ。
「そして馬も。俺の足を」
やはり狼達は言葉では答えない。ただ彼の言葉にその黒い狼が頷くだけだ。たったそれだけだった。
しかし彼にはわかった。狼により助けられたのだと。そのことはわかったのだった。
「狼が俺を助けたのか」
彼はこのことを頭の中で悟った。
「まさかとは思うが」
狼達はやがて立ち上がった。そうして一匹また一匹と彼から去るとやがてそのうちの一匹が何かを持ってきた。それは肉の切れ端だった。
「これは」
兎の肉だった。その色と形でわかった。モンゴル人は確かに羊が主食だが他の肉も食べる。狩猟によって捕らえたならば何でも食べる。当然兎もなのだ。
「食えと言うのか」
やはり答えはしない。そのかわり頷くだけだった。狼達は彼を囲んでじっとその様子を見守っているかのようだった。
「そうか。わかった」
ここで狼の心がわかった。やはり彼に食えというのだ。
「食う。それでいいんだな」
狼のうちのあの黒い狼がまた彼に対して頷いてきた。
彼はその頷きを見て確信した。そうしてその肉を手に取り食べはじめた。肉は凍っていたがそれでも食べられるものだった。馬はその間に雪を舐めてそれを水としその下にある微かに残っている草を食べてそれで飢えを凌いでいた。彼もまた生きようとしていた。
ジャムカはこうして何とか食べ物も食べることができた。しかし狼達はまだ去らない。去らないがやがて彼の前の方に集まりだした。そうしてまた黒い狼が彼に顔を向けてきた。
「今度は何だ?」
何かと思いながら見ていた。するとその狼は首を彼の方から前に向けた。そのうえで先に進み出したのである。
ジャムカはそれを見てまた察した。彼が何を言いたいのかを。それを察するとすぐに馬を立たせた。そうして馬に乗ったうえで手綱を握って言うのだった。
「狼達について行くぞ」
馬は彼の言葉がわかったのか顔を彼に向けてきた。そうして問いたげな目をしていたがそれでも彼は馬に対してまた言うのだった。
「大丈夫だ。狼達を信じろ」
彼を助けてくれてそのうえ食べ物までくれた。ここまでされては信じない方がどうかしていた。
彼は実際に馬を先に進めた。そのまま狼の進む先を。目印というべきものは雪の中に完全に隠れてしまっていた。しかし狼達はその中をただひたすら進み彼はそれについて馬を進めていった。そうして遂に見覚えのある懐かしい色のゲオに出会ったのだった。
「あれは。まさか」
「そこにいるのはジャムカか」
ここでそのゲオの前に立っていた人影が彼に言ってきた。
「ジャムカか?」
「親父か」
「そうだ、御前よく無事だったな」
無論今彼等がいる場所も見渡す限り銀世界である。他には何も見えはしない。周りにある筈のゲオですら雪の中に消えて見てしまっていた。
「あの吹雪の中で」
「助けてもらった」
彼はこう父に答えた。
「それでここまで戻ってこれた」
「助けてもらった!?」
父は今の彼の言葉を聞いて目をしばたかせた。まだ距離はあったがそれでもジャムカの目にはそれがよく見えたのである。
「一体誰にだ?」
「狼にだ」
こう父に答えながら自分のゲオに向かって馬を進める。そうしながら遂にそのゲオの前まで辿り着いたのだった。その彼を父が迎えた。
「助けられてここまで来られた」
「狼にか」
「そうだ。あいつ等は」
「あそこにいるぞ」
父はこう言ってジャムカの背中の方を指差した。そこにあの狼達がいた。その黒い姿が雪の中にはっきりとあった。
「あれか?」
「ああ、あの狼達だ」
ジャムカもその狼達を見て父に答えた。
「あいつ等に助けられて戻ってこれた」
「どうやって助けてもらったんだ?」
「吹雪の中で眠ってしまったところを周りを覆われてな」
「それでか」
「肉も貰った」
そのことも話すのだった。
「兎のな。それで案内もしてもらってここまで戻って来られた」
「何から何まで助けてもらったわけか」
「そうだ。さもなければとっくの昔に死んでいた」
父に対して話を続ける。
「狼達がいなかったらな」
「そうだな。御前は狼に助けられたんだ」
父は息子の言葉を疑っていなかった。完全に信じていた。
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