月下に咲く薔薇
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月下に咲く薔薇 20.
前書き
2014年2月14日に脱稿。2015年11月29日に修正版が完成。
緊張を強いられた会議からようやく解放され、クロウとロックオンはただ人である事を満喫する為にサーバーの無料コーヒーで一息ついた。
いつもより砂糖が少なめなのは、脳に回してやる量があれば十分という判断から。最前線のパイロットである事に感謝をしつつ、間引いた言葉を交わし合い指揮官達の困惑を反芻する。
つくづく、会議や交渉の場を主戦場にする人間にはなりたくないと考える。というより、全く以て自分には不向きだ。
フリーランスとして隊の多方面対応時には所属先を自由に選べる身分だが、それでもZEXISの一員。敵鎮圧の方針は上に決めて貰いたいというのが下が抱く本音だ。言葉の世界だの意志決定だのは、一パイロットの立場や欲する自由からは最も遠く、発砲とは別次元の重さがある。
湯気の立つこの1杯の飲み物を境に、己の世界へと戻る事ができる有り難さ。そんな小さな幸せに、クロウは感謝した。
「それじゃあ俺達は滑走路に行きます。まだまだ人手が要りそうだから」
レントンとエウレカは、2人揃ってそのまま屋外に向かった。怪植物片捜索に加わりたいと、休憩もせずに歩いて消える。
地味な作業に勤しむ勝平達ザンボット・チームの姿から、同年代として何かを感じ取ったのかもしれない。ニルヴァーシュの側に戻る事はせず、敢えてケンジの指揮下に入るつもりだ。
一方、ミシェルの足はそのままサロンに向かった。大山やミヅキがそこにいる、と踏んでの行動と思われる。
どのようなものであれ、何かの役割を担っている時間は辛いものが幾らか吹き飛ぶものだ。昨日の再現行動も、相当数のZEXISメンバーにかかる心的負担を軽減する事は間違いなかった。
「昨日の2人の行動か…」湯気の手前で、クロウは独りごちる。クランとは過ごしている時間が長かった為、彼女を中心にその行動を追跡してみる事にする。「最初からって言ったら、あれだよな」
「打ち合わせ前の2人か」と、ロックオンもコーヒー片手に回想に加わった。
朝、バラの花を持ったクランと遭遇したところから始め、会議が始まる前の混乱やロジャー達の飛び入り参加までをトレースする。
しかし、朝の段階で頓挫した。スメラギが求める抜けのない追跡行には程遠いものがある。
「まずい。絶対に何か見落としてるよな」
カップから口を離し、ロックオンが項垂れた。
休憩がてらにやるものではない、という事だ。
「行くか? 俺達も」
「ああ。ここで寛ぎながら考えるより、みんなの話を訊くが易し、だろ」
男の性分として、女性の言動をいちいち記憶に留めながら過ごしてはいない。ミシェルや青山の話を切っ掛けにできればと、クロウはロックオンと共にサロンに向かう。
会議室を出てから、優に20分は経っていた。
そろそろ対象になる全員に話が浸透した頃かと思いきや、既に大きな紙が広げられている。手際のいい者が、時系列の行動表を作るところにまで進めていた。
元々、借りた車やケーキの材料などを心に留めている女性中心の集まりだ。自分達が出来る事についての行動は迅速で、人の集まりも悪くはない。
グランナイツ、21世紀警備保障にルナマリアと、昨日出掛けた女性達はドロシーを除く全員がサロンに顔を揃えていた。一方の男性陣は、青山にデュオ、アレルヤ、刹那、ティエリア、そしてミシェルと、意外にも半分以下に留まっている。
「男の数が少なめでしょ」と、琉菜が肩を竦めた。
「トレーニング中か?」善意の解釈をするクロウに、「まさか」と半眼の彼女が呆れぎみに首を横に振った。「赤木さんや斗牙達は、みんなダイグレンに行ってるみたい。例の月。あれがお目当てなの。さっき、ドロシーが呼びに行ってくれたわ」
クロウ達は、ほぼ同時に乾いた笑みを発する。奇しくも、いぶきや琉菜を振り回す彼女達の苦労を共有した気分だ。
壁掛けの時計が、見覚えのある時刻を針で示した。昨日、正にこの時刻に買い出し隊の集合が行われていたのか。使っている部屋は違うものの、窓から入る低めの陽光は昨日の出発前を嫌でも想起させる。
「あ、いいところに来たわ」ようやく上体を起こしたミヅキが、持っていたペンを置くと立ったまま手書きの行動表を垂直に指す。「ロックオン達も、足らないところにどんどん書き加えて。結構一緒にいたでしょ。特にクランと」
「ああ」
一体、どれだけの内容が記入されているのだろう。2人で行動表を覗き込むと、紙のサイズに不似合いな程、2色に分けられた文字域が各項目を埋めつつ表を縦に貫いている事がわかった。
クランの行動は赤いペンで、中原の行動は緑のペンで、様々な字体が30分単位の枠内に踊っている。多人数の記憶を寄せ集めた結果は、たった20分で一つの形を成し始めていた。
印象深い行動さえ取りこぼしていたクロウ達とは大違いだ。
ガンダムマイスターの接近に気づき、表に見入っていたミシェルが顔を上げる。
「俺が思い出したところは全部書き込んでおいた。もし、他にも思い当たる事があったら、どんどん自分で入れてくれ」
幸い、ミシェルの表情には覇気が戻っていた。未だ無理をしている部分も少なくないのだろうに、眉間の皺は取れ、脳が高回転で記憶の再生に集中している様子が伝わってくる。
当然、ショッピング・モール内での密談やクロウ達の部屋で行ったやりとりについても、既に彼が書き込んでいた。
「後、何かあったか?」
思わずロックオンに訊きたくなる程、雑談レベルの洗い出しまで済んでいる。
雑談レベル。
クロウとロックオンは、同時にミシェルを見つめた。
当人も、その意味を悟ったのか小さく頷く。
「ちょっと気になる時間帯があったんだ。まず1カ所」
ミシェルがクランの欄、ロックオンが中原の欄でそれに相当する記述を同時に指し示す。
「ここだ!」
「打ち合わせ終了直後の第4会議室。中原さんが花の為に花瓶を用意した時。ここに花との重なりがあるのか!?」
「打ち合わせ直後の第4会議室…」エィナも、同じ言葉を繰り返した。
なるほどと納得するクロウ達に、女性達の視線が集中する。
「これで、役割分担は決まったわね」
仕切るミヅキが、女性達全員の納得を引き出した。
「ま、仕方ないな。確かにあの時、俺もクロウもミシェルも2人とは一緒だった。そこでの言動を思い出すのは、俺達の役割だ」
「そうじゃないのよ。やるのは、あなた達2人だけ」優しく微笑む大山が、ロックオンの人選を一部修正する。「ミシェルには、外で起きた事を中心に思い出してもらうわ」
「どうして?」とクロウは尋ね返した。「正確さを追求するなら、ミシェルの話だって必要だろ」
「生憎、俺の記憶は今一つ曖昧なんだ。あの時の事が細部までは思い出せない」
眼鏡の少年スナイパーが、さも残念そうに肩を落とした。やりきれないものが大きいのか、瞳の奥で無念の感情が苛立ちの炎を纏う。
クランとミシェルの口論を思い起こし、クロウは「そうか」と言うに留めた。
あの時のミシェルは、確かにいつもの彼ではなかったように覚えている。それが記憶を曖昧にさせているのだとしたら、彼の分まで思い出すのが自分とロックオンの役割だという判断は決して間違っていない。
「それと、もう一つ」大山が、外出の叶わない2人を視線で指名した。「もう一度アテナの話を聞いて欲しいの。あのホワイト・アウトの瞬間、何か見聞きしていないか、とか。…報告を躊躇うような些細な事の発掘こそ、今は重要な気がするのよ」
「そいつは、女の勘ってやつか?」
会議中の事を思い出し、クロウも勘を仄めかしてみた。
「どうかしら。こういうきちんとした表を作っているから、自然と些細な事一つ一つに目が行くだけよ」
「引き受けた。アテナからの聞き取りだな」
「ええ。その間に私達は、もう一度昨日の再現をしながらショッピング・モールまで往復してみるわ」
「気をつけろよ、みんな」とロックオンが、移動を始める仲間達に手を挙げる。「昨日の今日だからな」
「そっちもね」一度振り返る谷川が、「こっちはきっと大丈夫」と付け加えた。「斗牙君達にソレスタルビーイング、キラ君達も一緒でしょ。ボディガードは頼りになる人達ばっかりなんだから」
「おいおい! どうして俺が、その頼りから外れるんだよ」途端にデュオが、顔を歪めて不平を唱える。「目の前にもいんだろ! もう1人。こうして付き合いはいいし、気もきいて、やたら使える優秀な人間が」
「えーっ」女性達が笑いながら、わざと煙に巻く。
「そろそろ時間ね。行くわよ、みんな」
「はい!」
ミヅキの言葉を合図に、集団がぞろぞろと移動を開始した。手書きの表は折りたたみ、谷川が持って行く。
最後尾のミシェルが目配せして去ると、サロンは急に静かになった。
端から端まで靴音が通る空間は、先程までとは別物だ。室内の見通しもきくので、あちこちの席に未だまばらな人影がある事に今更気づかされる。
その中でも、特に背格好の小さな俯せの少年に目が行った。日の当たる窓際の席だ。
2つ折りにしている体の上半分が、やや億劫そうにむくりと起き上がる。
癖のある明るい色の短髪と痩せ気味の体格。アポロのものか。
「なんか無理してるよな。…それでも笑えるんなら、まだ大丈夫だ。俺達は」
小さな袋から粒を取り出すとカリッと噛み砕く音をさせ、真冬でも生腕を晒している少年が見送った仲間の感想を話す。
気怠そうな口の動かし方が、気力に満ちあふれた普段の様子からは程遠かった。遊び疲れた子犬というより、自由のきかない病み上がりに近い。
大事をとって午前中はここから動くなときつく言い聞かせるシルヴィアの顔が、クロウの目にも浮かぶ。
「そんなお前は、大丈夫なのか?」
ロックオンがその背に声をかけつつ、小さなテーブルの端に回り込む。
ついてゆくクロウは、ロックオンの立ち位置におやと思った。もしや、さりげなく直射日光を避けてはいまいか。
「当ったり前だろ!? 自分の腕がもげた訳じゃねぇ。このアポロ様は、今日も戦えるぜ! …マシンが直ればな」
「そうか。お前が元気で何よりだ」
話の内容と落ちくぼんだ両目の落差が、少年の見栄を如実に語っている。それ以上昨日の戦闘について触れるのは避け、クロウは窓寄りを選んでロックオンの隣に近づいた。
「あ…?」
スナイパーが嫌な顔をしたのかと思いきや、反応しているのは座ったままのアポロの方だった。
高く顔を上げ、盛んに鼻をひくつかせる。顔が行き来し、臭いの主を探す鼻先は最終的にクロウを指して止まった。
「どうした? 小銭の臭いでも嗅ぎつけたか?」
そんな性癖があるのはお前だけだとロックオンが目線で批判する中、アポロは何も聞こえていないのか、一旦呼吸を整えた後再び犬の仕種ですんと嗅ぐ。
「…何だ?」
ようやくクロウは、アポロが何を探っているのかを理解した。
何とアポロは、臭いで相手の本質を見抜く。やんちゃな顔つきが示す通り野性的な気質の少年だが、その実、人や獣から最も離れた神話的存在の生まれ変わりと言われている。
クロウの中にあるクロウでない物。それが、今頃になって疲労感の残る少年の嗅覚を刺激し始めたのかもしれない。
鼻を鳴らす顔がついとクロウから離れ、今度はサロンの出入り口を指した。
「ん?」
「え…?」
見逃す訳にはゆかない反応に、クロウとロックオンは咄嗟に身構え鼻の指す方向を睨む。
そこには、既知の男が1人立っていた。
黒の騎士団に所属している藤堂だ。
ゲッターチームの隼人を思わせる鍛え上げられた長身だが、彼の場合、厳格な組織を選んだ生き方を着続けている軍服で現している。無愛想な顔と長身は、ZEXISで剣の教えを請う者には厳しくも優しい。
愛機は、千葉達四聖剣と同様、占領下の日本製KMF、月下。但し、4機を率いる指揮官機として頭部に赤い房状の飾りを付けている。
藤堂はサロンに入室こそしたものの歩み寄る気配がなく、窓際のクロウ達3人をじっと見つめていた。傍観者には相応しからぬ熱い眼差しで。
何故、アポロがあの男に鼻を向けたのか。1つの疑問が、クロウの中で全ての先に立った。
踵を返し、藤堂がサロンを後にする。
途端に、アポロの関心も失せた。
背筋が粟立つ。一瞬とはいえ藤堂に対し示した少年の奇妙な行動が、クロウの神経をざらりとした手で撫で回す。
まさか、藤堂にも敵からの贈り物が? そう考えずにはいられなかった。
バラの花か。或いは体内に仕込むものか。いずれにしても、クロウに対するものと似た反応ならば相応の対応は必要だ。
クロウと深く繋がっている異物は、現在2つ存在する。
1つは、『揺れる天秤』とアイムやアサキムが呼ぶスフィアなるもの。そしてもう1つは、敵がクロウの体内に仕込んだ件の代物である。
スフィア保持者の臭いをアポロがどのように受け止めているか。生憎と聞く機会には恵まれなかったが、少なくともアポロと出会ってから、クロウの臭いについて彼が関心を示した事は一度もなかった。
アポロはZEUTHのオリジナル・メンバーで、かつて『悲しみの乙女』、『傷だらけの獅子』のスフィア保持者と共に戦っていたという。当然、スフィアに選ばれた者については、臭いの変化込みで体験済みという事になる。
スフィアに対する反応と見るには無理があった。ならば、アイムが『残された者共』と呼ぶ何者かの痕跡と見た方が自然ではないか。
何しろその敵は、何者にも察知されず自由にバトルキャンプを出入りできるのだから。
「なぁアポロ。今そこに、藤堂の旦那がいたろ。俺と同じ臭いでもしたか?」
いつもより早口で、クロウは話題にのめり込む。
「ちょっと違うな。でも、似た臭いだ」痩身の少年が、改めてクロウに鼻を寄せる。「ああ。クロウの程、次元獣臭くねぇ。それに、もっともっと薄くて弱い。移り香みてぇだ」
次元獣臭く。突き刺さる言葉にテンションを下げられつつも、今は大事と、自力でどうにか立て直す。
「その移り香。他の誰かから感じた事はあるか? 例えば、ミシェルやアテナとか。さっきここに沢山いただろ? あの中の誰かから感じたり、食堂や格納庫で昨日とか今日に嗅いだ事はないか?」
テーブルに手をつき盛んにまくしたてる。その気力が伝染したのか、少年からは次第に気怠さが抜け落ちてゆく。
「アポロ。そいつは敵の臭いだ」
「ああ、わかるぜ。次元獣もどきの臭いもバラの臭いもしてらぁ」座ったままの少年が、前のめりになっているクロウをきっと見上げた。「でも、何種類かある。クロウ。お前からする臭いは、昨日の次元獣もどきやアテナのと似てる。だけど、ミシェルとニルヴァーシュとさっきのおっさんは、ちょっとだけ別な臭いだ」
「おいおいおい…」
「大きく分けて2種類あるって事か?」
悪寒を堪えきれず、クロウとロックオンは同時に顔をしかめた。
アポロが感じ取っている違いは、おそらくZEXISに助けを求めた者と敵対する者が及ぼす力の混在の度合いだ。もしかしたら、仕込んだ相手によって臭いに違いが出ているのかもしれない。
共にバラの花を贈られた筈のミシェルとアテナが、やや性質の違う贈り物を受け取ったのだとしたら。バラの花もまた、同じに見えながら実は2種類あるという事になる。
しかも、だ。先程の会議を振り返る限り、藤堂は未だ何一つ上に報告していない。黒の騎士団を束ねるゼロにさえ。
それでもミシェルと同じ移り香をさせているなら。アポロが嗅ぎ取ったものをこちらがどう受け止めるべきかは、本人に直接会って確かめるより他にないではないか。
先程の目線。藤堂は間違いなく、アポロかクロウとの会話を欲している。
「だけど、違いったって、ほんの少しだ。どれからも次元獣の臭いはするし、どれもあんまりいい感じはしねぇ」
2人の前で親指と人差し指を僅かに開き、その差が微々たるものである事を彼は強調した。
「他には?」
ぽりぽりとアポロが自分の頬を掻く。そして、余りにも熱心なクロウに憐憫の眼差しを向けた。
「芽、出ないといいな。鼻や口から」
「…ありがとうな。助かったぜ」
クロウは協力と気遣いの両方に礼を告げ、ナッツの袋を買い足してやると少年の前にそっと置いた。
ロックオンと共にテーブルから離れる。一刻の早く藤堂を問い詰めたいが為に。
急いで立ち去るつもりだったが、「いや、もう一つある」と隻眼のスナイパーが突然取って返した。「なぁアポロ。昨夜のホワイト・アウトの瞬間、何か聞いたか? 音とか声とか」
考え事の為にしかめ面をした少年が、一拍置いた後「全然。って、何かあったのか?」と逆に問い返す。
「情報収集だ。なるべく多くの証言が欲しい。些細な事でもいいんだ。多分、何も聞いていないって連中の方が多い筈なんだが。もし何か思い出したら、俺達に教えてくれ。他のエレメント操者にも、そう伝えてくれないか?」
「ああ。話しとく」
サロンを後にするクロウが一度だけ室内を顧みると、する事がなくなったアポロは再びテーブルに伏せそれきり動かなくなった。さっそく肩が、規則正しい上下動を始めている。
ベクター・マシンのパイロットが受ける負荷は、外観と深刻度が一致しないという。見た目は怪我もなく元気そうだが、一夜明けても尚、野生児の活動衝動が体力と連結しないとは余程の大ダメージだ。
機体の修理はすぐに終わる。ZEXISのスタッフは優秀な者ばかりだし、ここはバトルキャンプでいよいよとなったらクラッシャー隊のスタッフの力を借りる事もできるのだから。
但し今の様子を見る限り、次の出撃時、アポロは母艦で仲間達の応援に回る可能性の方が高かった。
アクエリオンへの合体適性を持っているメンバーは、ZEUTHに7人もいる。怪植物にエネルギーを吸われた仲間にばかり無理な戦闘はさせない筈だ。
案の定、その仲間の様子を案じたつぐみと麗花が、クロウ達とすれ違い透明なサロンのドアに張りついた。2人共アポロと同じエレメント操者で、つぐみは背が低くも膨よかな内向的少女。麗花は、痩せた長身の格闘少女だ。
つぐみの「いたいた」は、勿論アポロを指している。「でも寝てる」
「ベッドから起きて食事に行けるだけでも凄いわよ」
仲間の消耗を気遣う2人は、クロウから見えなくなるまでその場を動かなかった。
仲間思いの光景は、見ている者にも暖かいものが湧く。
次の戦闘でクロウと共闘するのは、月のアクエリオンか。それとも星のアクエリオンか。別の操者による太陽のアクエリオンという事もないではない。
「月…か」
緑を基調にしたアクエリオンルナの勇姿を思い出してから、クロウはふと符丁めいたものを感じて立ち止まった。
昨夜から、月絡みの話とよく出会う。
「まさか、な」
詩的な世界も、幻想ファンタジーも、借金に追われている自分とは縁遠いものだ。単なる偶然に決まっている。
「さて、と」とクロウは、ロックオンに呼びかけた。今から藤堂を追いかけようにも、タイミングを逃してしまった感がある。「何から始めるか? アテナを捜すか、急いで藤堂の旦那を捜すか。それとも、第4会議室の前で昨日の事を俺達なりに思い出してみるか?」
「ま。何にせよ当てずっぽうで人捜しは、この広いバトルキャンプの中だと結構空しいだろ。俺はハロをトレミーに戻しておきたいし、屋外に出るついでにダイグレンを覗いてみようぜ。ナイキックも黒の騎士団のKMFも、収容先はダイグレンだ。上手くいけば、どっちとも会えるって寸法さ」
「それが一番だな」
2人の相部屋に立ち寄り、ロックオンが相棒の球型ロボットを右の小脇に抱える。
生憎アテナは、自室にいなかった。ナイキックの点検に行ったのだとラグが教えてくれたので、2人で屋外に出、母艦群を目指す。
ところが途中、思わぬ事が起きた。左目を庇い、ロックオンが立ち止まったのだ。
昨夜の対アリエティス戦に少ない睡眠時間。失った利き目の分まで酷使し、当然相応の疲労が蓄積されたまま朝を迎えている。
陽光を遠ざけようと顔を背け目を閉じているスナイパーの姿は、クロウの身に突き刺さる鈍い痛感を与えた。
「ロックオン、ロックオン」
「大丈夫だ。すぐに良くなる」
小さな相棒に対し気丈に振る舞っては見せたが、その後も3分は同じ姿勢のまま息を整えていた。
真冬の日差しは弱いものの岬の突端という立地故、屋外に出た者は容赦なく海からの照り返しに晒される。日が高くなる程、バトルキャンプ全域は他の平野部分よりも光量が増すのだ。
城田がサングラスを持ち歩く理由もその辺りにあるのか、とクロウは改めて理解した。
「一旦戻るか?」ガンダムマイスターの背に手を当てるクロウに、「もう外なんだ。どっちに向かっても同じだろ」とダイグレンに立ち寄る決意を露わにする。
クロウは寒気を承知で、愛用の軍用コートを脱ぐとロックオンの頭にそっとかけた。丈の長いコートなので、頭どころかスナイパーの上半身をコートがすっぽりと覆う。
「気に入らないなら、ダイグレンで外してくれ。でも今は、掛けておいた方がいい」
「クロウ…」
彼の事だ、気遣いは面白くないのだろう。
が、太陽を拒絶し続ける仲間を見、言葉だけをかけて背を押す人間になれる自分ではない。強い口調で高圧的に攻める。
「いい仕事がしたいんだろ?」
無言のロックオンが、ようやく歩き始めた。不承不詳コート姿に納得し、滑走路のあちこちで慎重に動く人影を横に見ながら、まずトレミーに立ち寄る。
ハロを自室に戻した後、ロックオンは10分程自室で横になって目を閉じた。
その間、藤堂を捜して回りたい衝動がクロウの中で更に萎えてゆく。
急ぎたいのは山々だが、昨日から散々付き合ってくれた彼をこのまま残し1人で行動するなど余り強行したくはない。
そもそも藤堂は、クロウと同じバトルキャンプへの居残り組だ。特に何の工夫をせずとも数時間以内には会える筈、と考えを改める。
隻眼の男が起き上がった。
手にしたコートを差し出しかけ、クロウはやめる。今度こそ怒鳴られるかもしれないからだ。
まだ無理をしている印象はあるが、幾らか顔色の良くなったロックオンが首の仕種でダイグレンを指し示す。
「心配かけたな。行くぞ」
もう一度被せる事を諦め、クロウは2人で最も縦長な母艦に向かった。
「昨日から、これで3回目だろ。ダイグレン入りは」努めて明るくクロウは振る舞う。
昨日の午前は扇を捜していたロックオンが、今日はアテナと藤堂を捜しにダイグレンの中へと足を踏み入れる。残りの1回は、当然昨夜の一件絡みだ。
「大所帯なんだ、ZEXISは。どの艦ともしょっちゅう縁があるさ」
そこで2人は無言になった。唯一、敵の痕跡が残された母艦ダイグレン。しかも2人揃って、縁づけてしまった瞬間に立ち会っている。
どちらからともなく、足は自然と格納庫の一角を目指していた。
「って、何やってるんだ…?」
胸周りの大きい銀色の機体、ニルヴァーシュの足下近くに大きな人垣が生まれている。
外周で背伸びをしつつちらちらと上から覗き込もうとしているのは、竹尾ゼネラルカンパニーの木下か。彼が場所を変える度に、キタンやヨーコと思われる後ろ姿やバランスの取れた高校生年齢の後ろ姿が現れる。
転写された月の陰影は、やはり立派な見世物と化していた。昨日ショッピング・モールに出掛けたメンバーとは入れ違いになっているらしく、既にこの場にはいない。
滑走路にケンジや勝平、レントン達。午前のパトロールには、オズマ少佐のメサイア他、5機が割り当てられている。
そのいずれの役割からも外れた面々が、己の中にある好奇心に従い、敵が残した痕跡の近くに集っていた。甲児とさやかにジュリィ、竜馬や隼人、チームDの姿もある。
アテナと藤堂は?
いた。アテナの黒い長髪が見える。
「随分とお揃いのようだが、そんなに近づかない方がいいぞ」やや呆れ気味に、ロックオンが警告する。「何しろ、敵さんが残した土産だからな」
「パイロットたる者、何でも自分の目で確かめておきたいものだろう」隼人の声がし、それまで人垣の奥で跪いていた男が立ち上がった。「現象自体が、実にユニークだ。直接見に来ておいて良かった。敵の全貌がわからないなら、余計にそう思うものだろう?」
「ご尤も」
クロウはそう答えるしかなく、皮膚感覚で敵の力を捉えようとする仲間達を少し離れたところから見守っていた。
密談に加わっていた隼人はともかく、あの人垣の中で、現れては消える敵の情報とその脅威を深部まで合致させている者はそう多くはない。彼等は、クロウ達以上に何もわからぬまま昨夜の怪植物と遭遇し、アイムが襲われる場面に出会していた。
何かが起きる度に、各自の携帯端末宛に状況と経過を伝えるメールは届く。それでも、クロウが発芽を不安視した事など伝えないものはあり、零れ落ちた情報はガロードが拡散させたように全てが口伝えで広まった。
自分が誰と、いや何と戦っているのか。クロウ達もよくはわからないが、彼等はクロウ達以上に知らない事がある。トリガーに指をかけ、守りたいものの為に恐るべき力を振るうと決めた者達だからこそ、それを知るヒントとなる敵の痕跡一つづつが大切になってくる。
桁外れな力を持つ敵と戦うしかないのなら、その覚悟を養うきっかけが欲しいのだ。些細なものでもいい。皆がそれを一斉伝達の情報に加え、更に自身を研ぎ澄ます。
情報によって安心を得たいのとは違う。常人を打ちのめす程の残酷な内容でも、彼等は巧みに自身を変えてゆく。何者にならなければいけないのか、という戦士の底の部分を。
ZEXISの中で、教えられて覚悟の養い方を身につけた者はまずいない。クロウとロックオンが簡単に引き下がる理由も、そこにある。
「クロウ、昨日は色々あったんだってな」体を捻る竜馬がにやにやと笑って立ち上がり、「詳しく聞かせろよ」と体験談を要求する。
「あ、俺も聞きたい!」と甲児が目を輝かせれば、葵も「昨日から、メールの状況報告ばっかりなのよね。実感が湧かないから、ちゃんと聞かせてちょうだい」と不満顔をする。
「ああ。本当に興味をそそられるね」と輪の中から、桂の声がした。
声を合図に、人垣が割れた。
アテナの隣に、桂がいる。口調は穏やかなものだが、目が全く笑っていない。
硬い表情をしたアテナの側に、桂が寄り添っている。その視線は、明らかに静かな怒りを含んでいた。
- 21.に続く -
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