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SNOW ROSE

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間章Ⅱ
  想いに咲く花


「どうしても、行くと言うのかね…?」
 初老の男のが難しい顔をして、前に立つ若い男に問った。
「はい。彼女を救えるのであれば、どんな危険な場所へでも行きます。」
 若い男の瞳には、偽りの色は無い。
 初老の男は浅く溜め息を洩らし、椅子に深く腰掛けた。
「クレープス。娘のためとは言え、君を女神の島へ行かせるというのは…。」
「ヤコブおじさん。僕はチェチーリアのためだったら、この身がどうなろうとも構いません。だから…行かせて下さい。」
 クレープスと呼ばれた若い男は、ヤコブと呼んだ初老の男をじっと見つめている。
 言葉に詰まるヤコブだったが、観念したのか再び深い溜め息を吐いて、目の前に立つクレープスを見上げた。
「分かった…。しかし、一人で行かせるわけにはいかん。君に万が一のことでもあれば、私は娘に会わせる顔がない。フィリップを連れて行け。」
 クレープスはその返答を聞き、ヤコブに一礼した。
「ありがとうございます。」
 だが、ヤコブは続けて言葉を付け足してきた。
「しかし…だ。娘の病に、それが本当に効くかどうかは定かではない。危険を感じたならば、即座に引き返すのだぞ?荷物はこちらで用意させる。明日には出発出来る様にしよう。」
 ヤコブはそう言うと、クレープスの手を握り、「宜しく頼む。」と言ったのであった。

 ヤコブの娘チェチーリアは、三月程前より奇妙な病に冒されていた。
 薬師に見せてはみたが首を捻るばかりで、今までにない病だと言うのである。
 そこで大きな街の医師に頼んで来てもらったのであるが、これも結果は同じであり、治療法は全く分からなかった。
 ヤコブはほとほと困り果て、チェチーリアを教会へ連れて行ったのであった。最早…神に縋る他ないと思ったのである。
 教会で神父は、連れてこられたチェチーリアの症状を見て驚いた。聖文書に書かれていた女神の病に、あまりにも酷似していたからである。
「ヤコブさん、この病は…恐らくは聖文書に書かれている病だと思われます。しかしながら…原因は判っておりません。ただ、女神の白薔薇の花弁を煎じて飲めば治る…そう言われてはおりますが…。」
 神父は何とも言えぬ表情でヤコブへと言った。
 しかし、そこで引き下がっては娘を救えぬと、ヤコブは神父に食い下がった。
「その女神の白薔薇は、一体どこへ行けばありましょうか?」
 あまりにも真っ直ぐな目で聞いてくるので、神父は仕方無しと重い口を開いた。
「現在それがあるのは、北に浮かぶ女神の島以外には知りません。あまり確実であるとは言えませんが…。」
 この神父の話しが切っ掛けとなり、女神の島に渡るという話しになったのであった。
 だが、この旅にはかなりの危険が伴うのである。
 この女神の島付近の広い海域には、海の精霊とも魔獣とも言われるクラーケンが住み着いているのである。
 それはクレープスも知っていたが、それを恐れることもなく、島へ渡ることを彼は即決したのであった。

「フィルッ!船を出してくれそうな船乗りはいたか?」
 遠くから駆けてきたフィリップにクレープスが問った。
 ここは海辺の街ヴィス。女神の島へ渡るには、この街からが最短距離なのである。しかし、誰一人として船を出したがらないため、彼らは四苦八苦していた。
「クレープスさん、やはりダメです。この街でもクラーケンに三人拐われているそうで、船は出してくれそうにありませんよ。」
 フィリップは随分と駆け回ってくれたよう、汗だくで言ってきた。
 そんな彼の労力も、終始無駄に終わっていたのであった。
 この街に着いて、もう七日経とうとしている。かなり大きな街なので、最初は直ぐに見つかるものと考えていた二人は、自らの甘さを痛感させられていたのであった。
 仕方なく、二人は近くにあった木箱を椅子がわりに腰を下ろし、少し休憩することにした。
 暫くすると、そんな彼らの前に一人の青年が姿を現した。
「なぁ、あんた方が女神の島に渡りたいっていう旅の人かい?」
 よく焼けた小麦色の肌、鍛練された体つき。二人は目の前の青年が船乗りであるのだと、その姿を見て直ぐに分かった。
「ああ、その通りだが…。君は?」
 クレープスは青年を見上げ、そう問いかけた。
「俺はこの辺の船乗りで、名前はリト。あんた方が船を探してるって聞いてね、気になって来てみたんだよ。」
 リトはそう言うと、自分も木箱を持ってきて彼らの傍に座った。
「この辺りじゃ、魔物が住む海域なんぞに船出す船乗りはいない。そんなことも知らないで着たのか?」
 二人は苦笑いするしかなかった。全くその通りなのだから。
 しかし、この青年は何が目的で訪ねてきたのか…。クレープスは気になっていたが、考えても仕様のないことでもあり、思い切って青年に話を持ち掛けた。
「ここで会ったのも何かの縁だろう。私の名はクレープス。そして、こちらはフィリップだ。良かったら力を貸してほしい。私達は、この辺のことには疎くてね…。」
 クレープスがそう頼むと、リトは意外なほど簡潔に答えてくれたのであった。
「俺が船を出してやる。」
 予期せぬ答えに、クレープスもフィリップも目を丸くしてリトを見た。
 名のある船乗り達ですら怖気づいたと言うのに、この青年は自ら船を出すと言うのだ。
 二人はこの青年を信頼して良いものかと顔を見合わせたが、他に良い手立てがあるわけでもなく、目の前の青年に頼むことにした。
「それでは頼みたい。かなりの危険を伴うのは百も承知だ。君に対しての報酬は、どれ程支払えば良いものだろうか?」
 クレープスは支払いの交渉に入ろうとしたが、リトは首を横に振ってそれを制した。
「金はいらない。」
 リトの言葉に、二人は困惑した。魔の海域に船を出すと言うのに…金を要らないと言うのは、逆に不信を抱かずにはいられないのが道理だろう…。
 そこでフィリップが真意を確めるべく、リトと名乗った青年へと問い掛けた。
「では…何か望みでもあるのか?代価無しに乗せてもらうわけには行かないだろう?」
 それを聞くや、リトは可笑しげに笑ったのである。
 それには流石にクレープスもフィリップも困惑してしまい、ただ呆然と彼を見ていたが、すぐにリトは理由を話してくれたのであった。
「金がいらないってのは、ものはついでと言うやつだ。俺もあの島に用があって、明日にでも船を出す予定だったんだ。そこへあんた方の噂を聞いて探しだしたってだけなんだよ。」
 何とも不可思議な話しであった。
 一体…如何なる理由であの女神の島を訪れようというのか知りたくなったクレープスは、リトにそれとなく問い掛けてみた。
 クレープスに問われたリトは、ニッと白い歯を見せて直ぐに返した。
「好きな人が住む場所へ、行かぬ男はいないだろ?」
 行くのが当たり前だと言わんばかりに、リトは彼らにそう言い切ったのである。
 それを聞いたクレープスらは、リトを信用に足ると確信したのであった。
「ところで、あんた方は何しに行こうというんだ?」
 今度は逆に問われたので、クレープスは今までの経緯をリトに語った。
 クレープスの話を聞くと、リトは顔を曇らせて言ったのである。
「確かに、あの島にゃ白薔薇が咲いてる。だがよ、そう簡単にゃ踏み込めねぇ深い谷間にあるんだぜ?それでも行くってのかい?」
 リトの話を聞いても、クレープスの決意は揺らぐことは無かった。無論、フィリップも同様である。
「それでも構わない。是が非でも連れていってほしい。」
 隣ではフィリップも頷いて意思表示をしている。
 二人の意思の固さを確認すると、リトは微笑んで力強く言ったのであった。
「ああ、任せろ。」

 海は穏やかな様に見えた。
 遠くには、うっすらと女神の島の影が浮かび上がっているが、まだまだ到着までには掛かりそうだった。
 空は青く、その中に海鳥が飛び交い、太陽の輝きが海面に乱反射していた。
 リトは手馴れたように舵を操作し、まるで風を操っている様にさえ感じる。
「後どのくらいで着くんだ?」
 フィリップがリトに尋ねた。
「後二、三時間…と言ったとこだろう。」
 リトの船は小型だ。せいぜい七・八人程度が乗り込める程の大きさしかない。
 だが、帆の扱いが巧いのか、スピードはかなり速かった。
「今日は風が出てくれて、思ったよりも早く着きそうだ。」
 リトは一人呟いた。それは近くにいたフィリップには聞こえたが、そのリトの言葉に、フィリップはふと思った。
 彼は、もう幾度も女神の島へ渡っている様であるが、クラーケンのことについては何一つ話してはいない。
 勿論、彼を信用していないわけではないが、時に不安になるというものである。
 それを払拭すべく、フィリップはリトに尋ねてみた。
「なぁ、君はクラーケンを見たことはあるのか?」
 フィリップがそうリトに聞くや否や、突然海が荒れ出したので、フィリップは船体にしがみついた。
「お出ましのようだな。」
 リトは何ともないと言う風に呟いた。
 後方にいたクレープスは船体に掴まりながら、船の前方へと歩み寄り、リトの傍まで着て言った。
「何事なのだ?空は快晴にも関わらず、こんなに海が荒れるとは!?」
 リトはただ苦笑いしている。どうやら例のクラーケンの仕業らしい。
 しかし、クレープスとフィリップにはどうして良いやら分からず、兎に角、振り落とされぬ様に船にしがみついているしかなかった。
 だが、リトは何としたこともなく、一人平然と船の上に立っていたのであった。
「姿を見せよ!」
 リトは一言、荒れる波間に向かって言い放った。
 そうするや、如何なることか波は穏やかになり、船にしがみついていた二人は、漸くして立ち上がることが出来たのである。
「こ、これは一体…!?」
 立ち上がって海を見ると、そこにはクラゲともイカともつかぬ巨大な生物が、海の中に数十匹程群れで漂っていたのである。
 中の一匹はこの船よりも大きいものだったので、その姿に二人は恐れを抱いた。いつ襲ってくるかも知れぬ生き物である。危機感を抱くのも止むを得まい。
 そのような生き物に対し、リトは凛と言い放った。
「我妻を奉る島の海域で、何故に人を襲うか!汝らは深海に在るべきもの。ここは汝らの領域に在らず!」
 何を言っているのか、クレープスらは理解に苦しんだ。それだけならいざ知らず、今度はクラーケンが言葉を発して答えたのである。
「時の王よ!我らが住処は人の血で汚されたのだ!遠き彼方より流れ着き、我らはここまで安らげる場を求めて来たのだ!」
 時の王…。クレープスはその名に聞き覚えがあった。大地の女神エフィーリアの夫にして、時を司る力を持つ男神である。
 しかし、なぜここでその名が出てきたのであろうか?クラーケンはリトに向かって何故か…その名で呼んでいるのだ。フィリップは隣で唖然としている。
「汝らが住むべき海を、我が与えよう。しかし、その代価として人を助けることになる。」
 この言葉に、クラーケンは動揺していた。
「なぜだ!?我らは人に追われたというに、何故に人を助けねばならぬのだ!?」
 かなり人間を憎んでいる様子が窺えたが、次に告げられた言葉に、クラーケンは口を閉ざしてしまったのであった。
「人の心が汝らを創り出したのだ。本来、汝らは人に仕えるべき存在である。」
 これにはクレープスもフィリップも驚きを禁じ得なかった。この目の前に浮かぶ奇怪な生物を、人が創り出したと言うのだ。
 二人は思考を纏めようとしたが、何をどうして良いらや分からなかった。
 そんな二人にリトは振り返り、彼らに言った。
「またせたな。この姿ではなんだ、本来の姿をお見せしよう。」
 そう言うなり眩い光でリトが包まれたかと思うと、次の瞬間…そこには背の高い黒きマントを羽織った男性が現れた。その手には美しく装飾された長剣を持っている。
「我は時を司る者、生と死を見守る者、神を讃えし者である。」
 彼こそが、時の王リグレットその方である。
 伝承に寄れば、時の王は青年のみならず、少女、老人などにも姿を変えて現れると言われている。
 なぜその様に現れるかは記されておらず、大地の女神エフィーリアとは異なり、人前に本来の姿を現すことは稀である。
 しかしながら、今のクレープスらはそのようなことは知らない。ただただ、恐れおののいて平伏すのがやっとであった。
「我にひれ伏して拝んではならない。原初の神にひれ伏すがよい。」
 時の王はクレープスらにそう言うと、再びクラーケンに向かって言葉を発した。
「我、神の代行として命ず。汝らは北方の海を住処とすべし。そこにある火の水を北方の民にもたらし、共に北方の海を守護すべし。」
 時の王がそう命ずると、クラーケン達は静かにその姿を海中深くに消して行き、二度とその姿を現わすことは無かった。
 ここで言われた“火の水”とは、今も何を指して言ったのかは定かではない。それは、北方にある大陸に渡ることが、事実上困難なためであることに他ならない。
 さて、クラーケンのことを片付けた時の王は、再びクレープスらに向かった。
「わざわざこのようなことに付き合わせ悪く思う。代わりと言ってはなんだが、我妻の花を与えよう。」
 そう告げられた刹那、クレープスの手の中に白き薔薇があった。
 それに驚いた二人は時の王を見上げると姿はなく、そこは最早…海の上ですらなかったのであった。
 二人が気付いた時には既に、故郷の村へ戻って着ていたのである。
「人よ聞け。汝らの強い想いが、その奇跡をもたらしたのだ。原初の神が汝らを憐れみ、我を汝らのもとへ遣わしたのだ。その花は、汝らの想いが咲かせた花。その想いこそ、汝らの愛する者を救うのだ。さぁ、行くがよい。」
 その声は、そう告げるともう響くことはなく、後にはクレープスとフィリップだけが残されていた。
 二人は神に感謝の祈りを捧げ、急ぎ彼女の家へと向かったのであった。


 この話しには、女神は一度も現れてはいない。その代わり、時の王リグレットが登場しているのである。
 これが時の王リグレットを奉ずるリーテ教の聖典に由来していることも関係しているのであろうが、詳しいことは分かってはいない。
 殆どの街や村の名は記されておらず、この奇跡を立証すべきものは見つかってはいない。
 だが、一つだけ言えることがある。
 それは、真実なる想いは奇跡をもたらすと言うことである。
 嘘か真か…。それを決めるのは、読み手であるあなた方に委ねよう。



   「想いに咲く花」

          完



 
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