異界の王女と人狼の騎士
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第五十九話
俺と王女はなんとか街へ帰ることができた。
予定と違ったのは、亜須葉がいなかったことだった。
王女は妹をからかってやろうと楽しみにしていたようで、車から十さんしか降りてこなかったことに結構驚いていた。
「あのブラコンの女はどうしたんだ」と十さんにしつこく尋ねていた。
十さんは困った顔をしていたけど、
「亜須葉様は、柊様が無事であることが分かったので、後は私に任せると仰っておりました。少し最近食欲とかが落ちていて今ひとつ状態が優れないのです。夜風に当たるのもあまり良くはないと医師より言われているようです。ですので、今回は私のみが来てしまい、申し訳ございません」
「いやいや、十さんが謝ることなんて何も無いんだから。全部俺が非常識なだけだからね。夜中にこんな場所に迎えに来いって言ったんだから。非常識だったけど、ちょっとトラブルに巻き込まれていたんで、タクシーを呼ぶわけに行かなかったからね」
「……それについては何もお聞きしません。ただ、お困りになった時はいつでもお言いつけください。少々のトラブルでしたらなんとかいたしますので」
少々といってもかなりの事でも解決してくれそうなんだけどね。十さんの場合。
「なあ十よ、お前は何者なの? 前から気になっていたけど、お前からは普通の人間とは違う臭いがする。シュウや亜須葉とは違う臭いがな。良かったら教えてくれない? 」
王女がズケズケと聞く。
「ご勘弁ください、姫様。若い頃、ちょっとやんちゃだっただけです。今ではただの厳つい外見のおっさんでしかありませんからね」
そう言って笑う。
「そうなのか。まあ言いたくないなら、聞かない。しかし、ひとつだけ確認させて。……お前は、シュウの味方であることは間違いないのよね」
「……私は亜須葉様に仕える身。主が大切にするものは、何よりも最優先でお守りします」
「じゃあ信用してもいいわね。亜須葉はシュウのことが好きみたいだから。自分の兄だからブサイクに慣れていて気にならないのかもしれないけど、物好きだわ」
その言葉には苦笑いのみで十さんは答えた。
否定してくれよ、と俺は少し思った。
十さんは基本的に無口で、必要でないことは昔から話さなかった記憶がある。なんかハードボイルド小説の主人公みたいに渋い感じだし、ちっちゃい頃は怖いけど格好いいなって思っていた。あこがれだったけど、直ぐにどう考えても俺には無理だと気付いてしまったけど。
俺の思考を無視するかのように、王女は後部座席から身を乗り出して十さんに話かけ続ける。
「お前は何故、亜須葉の世話をするようになったの? シュウの親父の命令なのか」
「そうですね。亜須葉様が小学校に入学される頃にお世話をすることを命じられましたね」
「ガキの相手は大変だったろう? 」
ガキは王女だろ? 俺は思わず噴き出してしまう。
王女から殺気を感じたが俺は無視した。安全圏まで離れているからね。
「亜須葉様は小さいころから姫様のように驚くほど美しかったです。そして本当に素直なお子様でした。わがままなんていうこともなく、手がかかることなんて全くありませんでした。小さいのに良く気がつく子で、むしろ私が癒されることが多かったと思いますよ。天使とは亜須葉様のような人の事をいうのでは無いでしょうか」
そういって懐かしそうに遠くを見る。
「うんうん。亜須葉は今でこそ偉そうな事を言うようになったけど、いつもお兄ちゃんお兄ちゃんってなついてくれてたなあ。兄貴としても自慢の妹だったよ。同じくらいの女の子でもずいぶん違うんだよなあ」
そういって王女を見る。
王女の眼に殺気が宿ったが、俺が彼女の間合いに入っていないと悟って軽くため息をついた。
「ロリコン連中の話はそれぐらいでやめておきなさい。気持ち悪いわ。ロリコン親父とシスコンの童貞野郎の与太話はそれくらいにしましょう。お前達の話を聞いていると気持ち悪くなるわ」
相変わらず厳しい事をズケズケというなあ、この子は。
俺は王女を見つめる。少し気の強うそうな眼がこちらを見返す。
亜須葉はもうちょっと優しい瞳をしていた。可愛さでいえば甲乙つけがたいかな。身内びいきで妹のほうが可愛いかも。亜須葉は王女みたいに偉そうじゃないし、優しかったぞ。それに王女くらいの歳になっても俺にべったりだったなあ。王女が猫なら亜須葉は犬タイプだな。あの頃までは。今は亜須葉も結構厳しいこと言うからなあ。ああ、あの思い出の日々に戻りたい。
そんな想いが錯綜する。
「おええ」
と、王女。
「どうしたんだ、なんか変なもんでも喰ったのか」
「違う、今、お前は私の事を妹に対するのと同じ嫌らしい目で見ていただろう。卑猥な妄想に私を取り込んだだろう? ああ、寒気がする」
「そんなこと考えてなんかいないよ。亜須葉にも王女くらいの頃があって、可愛い時もあったなあって懐かしんでいただけじゃないか。なんでそこで卑猥な妄想ってなるんだよ」
「お前は”それ”しか考えていないのじゃないの? 」
「王女の中では俺ってどんな人間として評価されているの? 」
「わかりきっていること、ただの変態ロリコンでしょう? 幼児性愛者と言った方がいい? 」
がっくり。命がけで護ったりしたのに、変態扱いかよ……。
なんだかむなしくなった。
「それは酷いよ。俺は姫を必死で護ったんだよ。なのに変態だなんて……あんまりだ。そんな目で見られていたなんて、心外だ」
と言って拗ねてみる。
実際、王女の毒舌には慣れているつもりだったけど、俺は何の他意も無く、ただ王女を護りたかったから闘ったんだ。死にかけたけど、彼女を救うことができるなら死んでも良かったんだ。これ以上、目の前で誰かを死なすなんて絶対に耐えられないからね。それだけは事実なんだから。貸しを作って王女をどうこうしようなんて全く考えるわけがない。
……それ以前に、根本的な話になるけど、俺はロリコンではない。
論理のスタート地点から王女の考えは間違っているんだ!!
俺がロリコンじゃないのは自明の理。よって、王女くらいの年齢の女の子になど欲情しない。するわけがない。ありえない。天地神明に誓える。ガキに欲情してど〜すんのって。よって王女の俺に対する評価は明らかな間違いであるんだ。
「俺は自分の命に替えても姫を護るつもりだったんだ。それは誓って言える。もう誰も死なせたくはなかったんだ。ぼろくそに言っても構わないけど、それだけは分かってくれ」
「はいはい。ギャーギャー喚かない。お前が喋っていることも、考えていることも全部聞こえてくるんだから。だから嘘は無駄よ」
「そんなことないよ、まじで」
「ホントにそうなの? 」
そういっていきなり王女は俺の直ぐ側に顔を近づけてくる。
透き通りそうなくらい白い肌をしている……当たり前だけど、つるつるですごい綺麗。どこからか、すごくいい香りが漂ってくるし。なんなんだろう、この香り。顔はまだまだガキっぽいけど、それでも年齢以上の色気を漂わせてくるし……。
じっと大きな瞳で俺を見つめている。誘うような、見つめていると引き込まれそうな魅惑的な瞳。
王女は俺の襟首を掴んでさらに引き寄せる。
唇が触れそうになるくらいまで接近している。王女の吐息が俺の肌をなでてなんとも言えない気持ちになってしまう。
あ、キスしちゃうかも。
でもそれはそれでいいかも。
「ほら、やっぱり」
その声に思わず我に返った。
「ふふふん、今お前は邪な思考をしただろう? 」
「そんなことないもん」
明らかな動揺。それは嫌らしい妄想を指摘されたことではなく、キスをしそうになったことで動揺してたんだけど。
「興味がないはずの子供にキスされそうになって、それはそれでありかもって思っただろう? お前の思考は読まなくても丸わかりなんだから。いい加減認めたら? 自分が変態なんだって事を。私の僕である者が変態であることは屈辱ではあるけれども、事実を事実として受け入れられる度量も必要。あえてその異常な精神構造をしたお前をあえて受け入れてやろう。……ただしその悪癖は修正されねばならないけれども」
不敵な笑みを浮かべながら、ボキリボキリと指を鳴らす少女。
その美しさとはあまりに不似合いと思える暴力的な発言、そして邪悪な笑み。
「俺は変態じゃないから修正なんてされる理由がないよ」
俺はじわじわと後退しながら、声を絞り出す。
「その判断は主が行うもの。下僕であるお前が判断するものじゃないわ。覚悟しなさい」
軽くステップを踏んだと思うと、一気に王女は加速した。そして高く飛び上がる。
長いスカートの裾から下着が一瞬見えた。何故か俺はそれに目を奪われてしまう。
攻撃態勢に入っていた王女は、自らの下着が露出し、俺に見られたことに気付き、慌てて裾を押さえようとする。当然、姿勢を乱すことになり、そのまま俺にぶつかってきた。
慌てて俺は彼女を助けようと両手を広げる。
王女は丸まった体勢のまま、俺にぶつかる。彼女を地面に落とさないように俺は彼女を抱きかかえる。
そのまま俺たちは地面へと倒れ込んだ。
鈍い音がしたと思うと、俺は地面で後頭部を痛打していた。
火花が散ったような気がしたと思うと、視界が真っ暗になった。
———しばしの間。
地面に打ち付けた頭が少し痛い。気を失ってしまったのか? あたりは相変わらずの暗闇だ。どうしたんだろう?
これは夢なのだろうか? まさに夢の中にいるような気分だ。
俺が今いる場所も、そしてなぜ暗闇なのかも理解できない。
しかし、……なぜかなんの不安もない。
それにしてもと考える。王女と契約する前だったら、失神しているだろうと思えるほどの衝撃だった。確かに小学生高学年くらいの重さの女の子を抱きかかえたまま、地面に倒れ込んだんだからかなりの衝撃だったんだろう。
彼女を抱きかかえるのに精一杯で受け身なんか取らなかったから。
うん、やはり、夢の中かもしれない。そしてまだ王女を抱きかかえているような気がする。うん、多分そうなんだろう。
まあ、圧倒的な回復力でこんな怪我なんてすぐ回復するさ。考えるのは面倒くさくなっている。
不意に、俺は自分が何かを抱きしめているのを感じる。なんか暖かくて、いい匂いがする。くんくん。それはもごもごって動いたりするんだ。
はて、何だっけ。なんだか柔らかくて気持ちいい感じ。俺は心地よさに、思わずぎゅっぎゅっぎゅっと。その何か柔らかいものを抱きしめた。うーん。なんだか気持ちいい。動物か何かなのかなと思う。
いやがって逃げようとするんで「だめだめ」とかいいながら強く抱きしめる。
ちゅっちゅっ。ちゅっちゅ。
愛情をこめて口付けするんだ。
生き物? が動くたびになんだか良い匂いが漂うから、ついついまた抱きしめてちゅっちゅしてしまうのさ。
それをしばらく続けてしまう。ある程度繰り返すと、満足した。生き物? もあきらめたようで抵抗をやめている。
さて、王女は無事なんだろうか? そう思って俺は思わず閉じた目を開ける。
……そして再び驚くことになる。
顔の直ぐ側には王女の顔があり、俺と彼女の唇はくっついたままで、俺は王女を抱きしめていたんだから。
俺は自分がやったことに驚くき、思わず抱きしめた手を離してしまった。
やっと束縛から逃れることができた王女は、その美しい顔を怒りに満たせ俺を睨みつけると、大きく右腕を振りかぶった。
「この下種野郎がっ!! 」
衝撃を感じたときには俺は再び意識を失っていたのだった。
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