異界の王女と人狼の騎士
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第五十八話
「う、うん。じゃあ、俺が二人を担いで帰るか」
「馬鹿なこと言わないで。どうしてそんな乗り心地の悪い乗り物で帰らないといけないの。おまけにお前もあの男も猛烈に臭い。吐きそうだわ。そんな臭い連中と体が触れあっているなんて耐えられるわけがないわ。それは認めない」
確かに、俺も血まみれ体液まみれになってたから、かなり生臭いんだろうなあ。自分の血もかなりまき散らしたし、蛭町やその仲間の血や肉片を結構浴びちゃってるからなあ。漆多の事を臭いなんて言ってられる立場じゃない。その異臭を感じないのは、俺が無意識にその異臭について遮断しているからなんだろうな。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ。そんな異臭のする男二人と王女の取り合わせなんて、めちゃめちゃ目立つぞ。とてもじゃないけどタクシーなんて呼べない。やっぱり歩いて帰るのが一番目立たないよ。俺におんぶされて帰るのが嫌なら歩いて帰るしかないよ。漆多はあの怪我だからとてもじゃないけどあの距離は歩けないからね」
「歩くなんてごめんだわ」
「じゃあ一体」
「簡単じゃない、お前の妹に連絡すれば済むことでしょう? お前のためなら、あの子は何とかしてくれるはずよ」
と、あっさりという。
そんな簡単なわけないんだけど。ほんの少し前に、まったく同じような状況で亜須葉を呼んでいる。あの時、あいつはかなり切れかかっていたよなあ。それがまた同じ状況に陥ってるなんて知ったら今度こそただじゃ済みそうにない。
でも、仕方ないな。今頼れるのはアイツしかいないんだから。
俺は仕方なく携帯を取り出すと、亜須葉の携帯を呼び出す。
要件を言うと何か大騒ぎしてたけど、着替え2人分を持ってくることと場所を伝えると、アイツが言うことは無視して電話を切った。
来たら来たで大変な修羅場になるかもしれないけど、仕方ないや。
「とりあえず、車で迎えに来るってさ」
「だったらしばらく時間がかかるんでしょうね」
そういうと、王女は地面に座り込んだ。体育座りになると顎を膝に載せて目を閉じた。
やっぱりかなり疲れているんだろうな。
俺は立ったまま辺りを見回す。
特に異常はない。
月明かりが俺たちを碧い光で照らす。
ほとんど無音の中、少し冷たい風が吹いている。
空を見上げると満天の星空だ。街の中では見られない綺麗な夜空だ。こんな状態じゃないならもっとロマンチックな言葉を口にするんだろうけど、相手もいないしそういう状況でもないんだなあ。
「うん、うううん」
呻くような声がした。
漆多が意識を取り戻したようだ。
俺は急いで彼の側に駆け寄る。
「漆多大丈夫か? 」
俺の問いかけにしばらく反応できないままだったが、やがて瞳の焦点が合い、俺を認識したようだ。
怯えたような嫌悪するような視線を俺に向ける。
「月人か……。俺は無事だったんだな」
「怪我をしているけど、命に別状はないよ。……しばらくしたら迎えが来るから、横になっていたほうがいい」
俺に言われ、彼は体を動かす。
途端に悲鳴を上げる。
殴られたりした体も痛いだろうが、臀部に受けた寄生根のトゲによる怪我が一番酷かった。ピンポン球くらいの大きさで抉られていたんだから。ちょっとでも動いたら想像できない激痛を感じるだろう。
俺とは違って、漆多は普通の人間。怪我が直ぐに回復することなんてありえない。
「だから無理をするなって。じっとしていたほうがいい。時期に迎えが来るから」
そういってさしだした手を漆多は振り払った。
無言で起き上がる。
相当な激痛を感じたのだろう、漏れそうになる悲鳴を歯を食いしばって耐えているのが俺にも分かる。
安定していた傷口が開いたのだろうか、彼の尻から液体がにじみ出し、足下へと伝い落ちていくのが分かった。
「漆多、無理をするな。お前は重傷なんだぞ」
「う、うるさい。お前の指図なんて受けないよ。俺は自分で帰る」
「何を無茶なことを言っているんだ。ここは町からどんだけ離れていると思ってるんだ。歩いてなんて帰られないぞ」
俺の言葉を無視して、足を引きずり時折倒れそうになりながらも必死で歩いていく。
来るときは気づかなかったけど、少し離れた施設の自転車置き場だった場所があり、そこにはバイクが数台止まっていた。
蛭町とその仲間連中のバイクなんだろう。
漆多はぜえぜえ息を切らせながら一台のバイクにたどり着くと、たどたどしい手つきでポケットに手を突っ込み、キーを取りだした。
フルカウルのレーサーレプリカのバイクだ。
「無茶だ。そんな怪我でバイクなんか乗ったら危ない。しかもレーサーレプリカなんて」
俺は駆け寄る。
同時にセル音が聞こえると彼のバイクのエンジンが点火される。
2ストロークの甲高いサウンドが響き渡る。
「待てよ、漆多。なんで待てないんだ」
「五月蠅い。お前の世話になんか死んでもなるか。助けてくれたのは感謝するけど、それでお前の罪が消える訳じゃないんだぜ」
「そんなつもりじゃない」
「フン、……偽善者め。俺はお前を許さない」
吐き捨てるように呟く。痛みを必死でこらえているのが分かる。
「何を偉そうに言ってるの? このブサイク。誰のおかげで今お前がそんな偉そうな口をきけると思っているの。シュウが助けてくれなかったらお前なんてフルチンのまま殺されていたんでしょう? 命の恩人にそんな偉そうな口をきけるなんてどんな神経をしてるのかしら? 」
「五月蠅い、糞チビ。ガキのくせに偉そうな事言うんじゃねえ。犯すぞ」
「愚かな奴。どうせお前は亜須葉が来ると思って逃げるんでしょ? お前の今のあまりにも不格好な姿を見られたくないからよね。気持ち悪いブサイク。そのスケベ根性だけはシュウ以上にタフだって褒めてあげるわ。全く、何を色気づいているの、フルチンお漏らし男が」
漆多の顔から血の気が引いていくのがハッキリと分かった。完全に切れかかっている。
「て、てめえ」
慌てて俺は王女と漆多の間に入る。
それを見て、冷静になったのか。バイクから降りようとするのをやめた。
「まあいい。ガキの言うことに腹を立てても仕方がないからな」
必死に自分に言い聞かせているようだ。大きく深呼吸をする。
「月人、もうお前は親友でも何でもない。俺にとっては寧々の仇だ。彼女を見殺しにした卑怯者の男でしかない。絶対に許しはしない。必ず報いを受けてもらうからな。どんな手を使っても俺は復讐をしてやる」
その眼にはあまりにもどす黒く深い憎しみが宿っていて俺は寒気を感じてしまった。
「口先だけの男はさっさと消えなさいよ。早くしないと亜須葉が来るわよ。ケツを掘られた変態ブサイクを見たらあの子はどう感じるんでしょうね」
また王女が横から出てきて挑発する。
「やめろって、姫」
「やめないわよ。この卑怯者は相手がお前だからこんなに偉そうに言ってるのがわからないの。何が許さないよ? シュウは命がけでお前を護った。寧々だって必死で護ろうとしたのよ。なのになんで逆恨みするの? 感謝こそしても恨んだり憎んだりするなんてあり得ないでしょう? お前は自分の怒りのもって行き先が無いからシュウにその矛先を向けているだけ。シュウなら怒らないし反撃しないって知っているから。さっきの馬鹿連中や化け物に向かっていったってやられるだけだからね。お前こそ本当の卑怯者でしかない。本当に闘うべき者からは逃げ、しっぽを振り、助けてくれた護ってくれたシュウを敵に見立てて自分を満足させているくそったれの卑怯者のマスターベーション包茎早漏チキン童貞野郎だわ」
言い終わると笑い出した。
王女ほどの美少女があり得ないほど汚い言葉で罵り嘲笑するとどれほどのダメージを相手に与えるんだろう?
完全にこれはぶち切れたか。
俺は慌てて漆多を見た。
顔が本当にどす黒くなっている。全身を振るわせ、歯を食いしばり、ぎょろつくほど見開いた目で王女を睨み付ける。今にも飛びかかりそうな勢いだ。
少し身構える。万一に備えて。
漆多の全身にみなぎった力が不意に抜けていくのが分かった。
軽く息を吐くと、ニヤリと笑った。
「ふふん。もういいよ。子供相手に怒るなんて大人げないからな」
急に悟りきったような口調で話す。
王女はあまりにも急激な漆多の変化に拍子抜けしている。
アクセルを数回ふかす。
ライトが点灯し、俺たちを照らした。
「おい、漆多」
俺は駆け寄り彼の肩に手をかけた。
「月人、今日助けてくれたことは一応感謝はしている。お前は本当に強い。あり得ないほど強い。……それが一番悔しいよ」
俺は彼の言うことの意味が分からない。
「それほど強いのに、なんで寧々が殺されそうになった時に護ってくれなかったんだ? 」
「そ、それは……」
言い終わるより早く、バイクが加速した。
甲高いエグゾーストノートの残し、漆多は去っていった。
言いたいことだけ言って、帰ってしまった。
「お尻の怪我は本当に酷いのに、良く平気で乗れるわね、お前の親友は」
少し驚いたような口調で王女は話している。
「姫はあまりに挑発しすぎだよ。あんなに言われたら誰だった怒る。あいつは怪我人なんだから」
「あんなむかつく奴に優しくする必要はないわ。シュウは馬鹿なのか、優しすぎる。あの手の奴は対等なんて扱いをしたらつけあがるだけよ。犬と接するようにしなさい。主従をしっかりと力で分からせてやらないと。言葉だけでは絶対に理解させられないタイプよ。私はあの男は受け付けない」
あまりに酷い評価だな。王女の漆多評は。
「いやアイツはいい奴だよ。ちょっと気が弱いところがあるけど、ずっと友達だったからね。良いところはいっぱいある。ちょっと辛すぎることが多すぎたから、ああなってるけけど、俺の親友であることは変わらないよ。だから、姫もアイツのことをそんなに言わないでくれないかな。可愛い子からあんなに言われたらどんな奴だってショックを受けるよ」
「お前は甘いな。……まあその馬鹿さ加減がお前の長所でもあるんだろうけど。仕方ないわ。これ以上は言うのをやめてあげる」
「そういってもらえるとありがたいよ」
そうこうしている間に、遠くに車のヘッドライトが見えてきた。
遠目にもそれが純白のメルセデスであることが俺と王女には分かる。
十さんの車だな。
とりあえずは無事に帰れそうだ。
俺の長い夜は、とりあえず終わる。
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