銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール
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第1部 沐雨篇
001 プロローグ
肥大化し腐敗しきった銀河連邦からゴールデンバウム王朝が生まれ、それを脱したアーレ・ハイネセンが自由惑星同盟を建国して100余年。宇宙は人の営みを超越したように、誰も予想のし得ない歴史を紡ぎ出していた。宇宙にその生活圏を見出した人間は、その卑小さをその本能によって刻み込み、愚にも付かない戦争を繰り返している。大量のエネルギーと大量の労力、そして大量の死者を生み出す戦争は、永遠と続くかと思われた。
宇宙暦766年、自由惑星同盟首都星ハイネセン、第二都市デンホフという街でその男は生まれた。
フロル・リシャール。
宇宙における時の流れの中では、それもまた儚く散り行く一つの命に過ぎないだろう。だがこの男の存在は、自由惑星同盟という国家において大きな意味を持つことになるのである。
かのヤン・ウェンリーの養子にして、若き英雄として名を馳せたユリアン・ミンツ氏は、のちに自伝においてこのフロル・リシャールという男について、こう述べている。
「彼はまるで突然現れた旅人であった。彼は何かに達観したような眼差しと、その非凡な能力、そして何よりその人柄によって多くの人を魅了し、それは私も、そしてヤン提督も例外とはなりえなかったのである」
彼は16歳まで、デンホフの親元で過ごし、そして志願してハイネセン同盟士官学校に入学した。当時、彼の人となりを知る友人は、みな不思議がった。彼らの弁を借りれば、
——フロルほど国家や大義を嫌う男もいなかった。
というのだ。であるから、両親を含めその進路は青天の霹靂と言えるものであった。幼少期の悪友、ボリフ・コーネフはこう言う。
「フロルの阿呆が士官学校なんざに入学するって聞いた時は、耳を疑ったね。俺は聞いたさ、『どうした、気が狂ったか?』ってな。あいつはこう言ったよ。『俺が馬鹿をしたがる阿呆じゃないとでも思ったか? それにまぁ、俺にだって大望ってのがあるんだよ』なんのことだよって、思ったさ。生粋のフェザーン人の俺には、理解不能ってやつさ」
士官学校に入学したフロルは、そこで一つ下の後輩に、あのヤン・ウェンリーを持った。ヤン一派としてその後一角を担うダスティ・アッテンボローとも、先輩後輩の壁を越えた友人関係を結ぶのである。三つ下の後輩であるアッテンボロー氏は、彼との初遭遇を強烈に覚えていた。
「フロル先輩は不思議な人でしたよ。何がって、私とのファースト・コンタクトからして普通じゃなかったですからね。私は堅苦しい入学式を終えて、体育館から出てきたところで先輩に捕まったんです。『よう、後輩。おまえさん暇か?』ってね。隣には、嫌そうな顔をしたヤン先輩もいましたっけ。それから私たちはバーに直行ですよ。昼間っからね。でもまぁ、いい先輩であったのは確かです。士官学校だってのに、後輩にも威張らない男で、先輩にも受けが良くってね。頭の固い奴には嫌われていましたけどね、自然と人が周りに人が集まる人でした。サボりの常習犯だったんですけどね」
士官学校時代において、よくも悪くもフロル・リシャールは奇人変人の類とされていた。才の片鱗を見せてはいたが、それにしても些細なものだった。当時の評価は、その後彼が手にしていく名声や地位に比べ、遥かに過少というべきであったろう。
だが、不敗の魔術師ことヤン・ウェンリーだけは、こう言葉を残している。
「フロル・リシャールは天才ではなかったが要領は良く、無能ではなかったが怠惰であった。つまり社会一般的な意味で決して特別視されうる士官候補生ではなかったのである。だが彼が類い稀な男であるということは、以下の一点によって証明できる。それは私にとっては決して忘れることのない大先輩であり、そしてその後ずっと私の友人であり続けた、ということだ」
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