銀河英雄伝説~美しい夢~
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第十八話 陥穽
宇宙暦796年 1月18日 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ドワイト・グリーンヒル
同盟軍はドーソン司令長官の指示のもと艦隊を二分すると帝国軍に向けて進撃を始めた。もっとも進撃はスムーズに行われたわけではない。艦隊の配置を無視して中央の第二艦隊を別働隊にしたのだ、当然だが多少混乱した。
ドーソン司令長官は第二艦隊に時計回りの方向に迂回行動をするようにと命じた。という事は第二艦隊は左翼の第九艦隊の目の前を突っ切って迂回行動をすることになる。突っ切れれば良いが一つ間違えると第二艦隊の横っ腹に第九艦隊が突っ込む事になりかねない。
第二艦隊を亭止させ、第七、第九艦隊を先行させるというやり方もある。両翼を先行させ合流させ第二艦隊はその背後から迂回行動を行う。その後司令長官の直率部隊は先行する第七、第九艦隊の後ろに着く……。或いは第二艦隊を先行させても良い、だがどちらを選択しても時間はかかるだろう。つまり帝国軍にそれだけ時間を与えてしまう。
それを避けるのであれば移動しつつ第二、第九艦隊のどちらかを上昇、或いは下降させるしかない。しかし左翼の第九艦隊と右翼の第七艦隊で本隊を組みなおすという作業もある。となれば当然だが第二艦隊を上下どちらかに移動させ第九、第七艦隊を中央に移動させた方が艦隊編成の効率が良い。そして司令長官の直率部隊を再編された本隊の後方に置く。
移動しながら行うとなれば各艦隊の速度、更に第二艦隊の上昇、或いは下降の角度の調整をしなければ衝突事故を起こしかねない。しかもその調整は指示を出した総司令部が行わざるを得ない。それに気付いた時のドーソン司令長官の苛立ちは酷いものだった。訳もなく周囲の人間に当たり散らした。
結局のところそんな面倒な事をするなら別働隊を第九艦隊に変更するか、全艦隊を一旦停止させ第二艦隊を先に移動させた方が良いとドーソン司令長官が判断した。実際には戦闘前に衝突事故を起こせば指示を総司令部が出した以上自分の責任問題になりかねないと思ったようだ。
艦隊行動の迅速さを優先するなら別働隊を第九艦隊にすべきだった。だが司令長官は別働隊を第二艦隊にする事にこだわった。万一帝国軍に攻撃されても第二艦隊ならある程度の時間は耐えられる、その間に本隊が救援できるという理由だった。
一理あるのは確かだが本心は一旦出した自分の命令を取り消したくなかったのだろう。沽券にかかわるとでも思ったのかもしれない。馬鹿げている、結局全艦隊を停止させ第二艦隊を先行させる事になった。一体何をやっているのか……。一連の騒ぎの中、司令部の参謀達は白けた様な無表情で怒鳴り散らすドーソン司令長官を見ていた……。
艦隊を二分して既に一週間が過ぎている。当初同盟軍の本隊はゆっくりと進撃し、別働隊である第二艦隊は速度を上げて進撃した。帝国軍が同盟軍本隊の移動速度に合わせて撤退するなら挟撃が可能、出来るものなら帝国軍を挟撃したいというドーソン司令長官の指示によるものだ。正直気が進まなかった。第二艦隊があまり先行し過ぎると帝国軍が各個撃破に出る危険性が生じる。
司令長官にはその事を改めて指摘したが第二艦隊には十分に注意するように指示してある。本隊も近づいているのだから救援は可能、心配はいらない。場合によっては第二艦隊を攻撃する帝国軍を挟撃できる可能性も発生するだろうと言って撥ね付けられた。
頬を震わせ甲高い声で自分の意見を押し通そうとする。正しさではなく権威で相手を押さえつけようとする。自由惑星同盟はとんでもない暴君を宇宙艦隊司令長官に持ってしまった。敵よりも厄介な相手だ。
ドーソン司令長官は戦果を欲しがっている。押し込むだけで良しとしながらもその本心は帝国軍の撃破に有る。嫌な感じがした、或いは第二艦隊を利用して帝国軍を誘引するつもりではないか、そんな疑いを持たざるを得なかった。
馬鹿げているとしか思えない、相手はそんな戦果欲しさに戦って良い様な生易しい相手ではないのだ。その事がまるで分かっていない。唯一の救いは帝国軍が後退を始めてくれた事だ。
同盟軍が前進を始めると帝国軍は後退を始めた。帝国軍のワルキューレが何度か索敵を目的としてこちらに接触している。その度にスパルタニアンに命じて追い払っているがそれでもワルキューレは接触してくる。
こちらも索敵を目的としてスパルタニアンを送り込んでいるが同じようにワルキューレに追い払われている。かなり妨害が激しい。兵力が劣る以上当然ではあるが帝国軍は神経質なほどにこちらを警戒している。ドーソン司令長官にもブラウンシュバイク公の用心深さを見習わせたいほどだ。
おかげで索敵部隊からは断片的にしか報告は入って来ない。それによれば帝国軍は五千隻ほどの艦隊に最後尾を任せ本隊は先行して撤退したようだ。帝国軍最後尾の部隊はこちらの索敵部隊を排除しつつ整然と撤退しているらしい、おそらくその五千隻は遠征軍の中でも精鋭中の精鋭のはずだ、油断はできない。或いはブラウンシュバイク公本人が率いている可能性もあるだろう。
先行する帝国軍本隊を巡ってまた議論が起きた。或いはヴァンフリート星系に潜み我々をやり過ごした後、後背から襲うのではないかと言うものだ。ヤン准将が指摘したのだが十分にあり得る事だった。ドーソン司令長官も渋々だがその危険性は認めざるを得なかった。
ヴァンフリート星系を通り過ぎる時は奇襲を恐れ艦隊はピリピリとした緊張感に包まれた。結果的に奇襲は無かったが念のためヴァンフリート星系には哨戒部隊を幾つか残している。敵を発見すれば直ぐに報せが届く。現時点で報せが無いという事は帝国軍本隊はイゼルローン回廊方面に急いでいるのだろう。
ブラウンシュバイク公はこちらの意図に気付いているようだ。後退を始めて一週間以上になるがこちらを挑発する様なそぶりは欠片も見せない。帝国軍は撤退に専念している。おかげで同盟軍本隊も進撃の速度を上げた。第二艦隊との距離も危険なほどには離れていない。その点に関してだけはホッとしている。
両軍の距離は帝国軍が撤退を留まればほぼ一日程度で追い付く距離だ。だが帝国軍はもう間もなくイゼルローン回廊の入り口に到着する、本隊は既に回廊内に入ったかもしれない。つまり同盟軍が帝国軍を補足する事は出来ない、当然だが挟撃も不可能だ、回廊内に押し込むので精一杯だろう。
ドーソン司令長官は不機嫌そうな表情で指揮官席に座っている。そして時折小刻みに身体を揺らす様な仕草をする。帝国軍を挟撃できない事が不満なのだろう。何度か大声で“帝国軍もだらしがない、逃げるだけか”と吐き捨てている。或いはそうやって自分を大きく見せようとしているのかもしれない。周囲はそんな敵以上に厄介な司令長官に出来るだけ関わらないようにしている……。
宇宙暦796年 1月19日 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ドーソン
「帝国軍もだらしがない、逃げるだけではないか」
詰らん、誰も俺の言葉に反応しない。ただ黙って仕事をしている。追撃中なのだ、大した仕事など無い筈だ。それなのに誰も反応しない。だれも俺を宇宙艦隊司令長官とは思っていないのだろう。
思わず“フン”と鼻を鳴らしてしまった。一事が万事だ、皆が俺の事をどう思っているか、これほどはっきりと分かる事は無い。ドーソンは宇宙艦隊司令長官としては頼りない、適任に有らず、そう思っているのだ。そして直ぐ更迭されるだろうと見ている。だから誰も俺を親身に補佐しようとはしない。ただ黙って見ている……。
グリーンヒルもヤンも口を開けば慎重にとしか言わない。やたらと敵のブラウンシュバイク公を恐れ、戦うのを避けようとしている。戦争なのだ、勝たなければならない。そして今回は勝てる戦いのはずだ。味方は四万六千隻、帝国軍は二万隻、倍以上の戦力差が有る。正面から押し切って勝てるのだ、これで勝てなければおかしいだろう。それなのに戦いを避けようとしている。
分かっている、二人は俺に功績を立てさせないようにと考えているのだ。グリーンヒルもヤンもシトレ統合作戦本部長と親しい。本部長が宇宙艦隊司令長官になりたがっている事は俺も知っている。二人はシトレ本部長の意を受けてここにいるのだろう。
倍の兵力を持ちながら敵に対して何も出来なかった。そうなれば当然俺に対して非難が起きるに違いない。どれほど敵が危険だと言っても、どれほど参謀達がそれを勧めたと言っても軍人の仕事は敵に勝つことであり決断するのは指揮官である俺だ。俺の責任になるのだ。俺を更迭する事に誰も躊躇いを感じないはずだ。
今回の戦い、敵に打撃を与える事は出来ない。同盟全土で俺に対して非難が起きるだろう。だからこそ攻勢を執る必要が有る。こちらは敵との決戦を望んだ、だが敵がそれを望まず撤退した。損害を与えることは出来なかったが同盟軍は帝国軍を撤退に追い込みイゼルローン回廊まで追撃した……。そう言えるだけの実績が必要なのだ……。
それならば少なくとも無能だとは言われずに済むだろう。それなのに……、艦橋には白々とした雰囲気が流れている。グリーンヒルを始め参謀の殆どは俺と視線を合わせようとしない。そしてヤン・ウェンリーは居眠りをしている。そして誰もそれを注意しない。……味方の中にも敵がいるようなものだ。誰も信じられない。
「索敵部隊から報告です。帝国軍、イゼルローン回廊の入り口付近にて発見!」
オペレータが声を上げた。皆の視線がそちらに向く。ヤン・ウェンリーも目を覚ました、あるいは寝たふりをしていたのか……。グリーンヒルが緊張した面持ちでオペレータに問い掛けた。
「兵力はどの程度だ」
「約二万隻」
先行して撤退した部隊と最後尾を務めた部隊が合流したか。
「参謀長、あとどの程度でイゼルローン回廊に着く」
「約四時間といったところでしょうか」
四時間か……、グリーンヒルが俺を見ている。何処となく不安そうな表情をしている、失礼な奴だ。
「帝国軍の狙いは?」
少し間が開いたが俺の問いかけにフォーク中佐が自信に溢れた様子で答えた
「帝国軍が回廊の入り口付近にいる、考えられる事は二つあります。一つは駐留艦隊が援軍として来るのではないかという事です」
「しかし駐留艦隊が来援したとしても敵の総数は四万隻に満たない。我々が有利だ。そうではないか、フォーク中佐」
「その通りです、参謀長。となると駐留艦隊が増援として来る可能性は少ない。残る可能性は帝国軍が我々を回廊内に引き摺り込み、要塞攻略戦に持ち込もうとしているのではないかという事です。要塞攻略戦なら兵力の差をカバーできる、ブラウンシュバイク公がそう考えたとしてもおかしくは有りません」
なるほど、要塞攻略戦か……。中佐の言うとおり、要塞攻略戦なら多少の兵力差はカバーできる。ブラウンシュバイク公が勝とうと思えば確かにそれしかないだろう……。
「我が軍はどうすべきだと思うかね」
皆が顔を見合わせていたが、グリーンヒルが口を開いた。
「先ず早急に第二艦隊と合流する事を優先すべきと考えます。それとイゼルローン回廊内に入るのは得策とは言えません、現状では要塞攻略戦は避けるべきです。帝国軍は我々を挑発し回廊内へ後退するかもしれませんが我が軍は回廊の外で応戦すべきです」
やはりそうなるか……。要塞攻略戦は出来ない以上止むを得んが口惜しい事だ。ここまで帝国軍を押し込んだ、それで満足すべきだろう。それにしても不愉快だ、艦橋に居る参謀達全てが不安そうな表情をしている。グリーンヒルもだ、俺がこのまま要塞攻略戦に突入するとでも思ったらしい。俺は勝ちたいのだ、戦いたいのではない。何故負ける戦いをしなければならない……。
「良いだろう。帝国軍が攻撃してきてもこちらは回廊の入り口で応戦、回廊内には入らない事とする。第二艦隊との合流を急げ」
「はっ」
グリーンヒルが僅かにほっとした表情を見せた、失礼な奴だ……。
宇宙暦796年 1月19日 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー
同盟軍と帝国軍がイゼルローン回廊の入り口で向かい合っている。同盟軍は第二艦隊が合流し兵力は四万六千隻に戻った。一方の帝国軍は二万隻と兵力に変わりは無い。当初、両軍は射程距離外で睨みあうだけだったが先に帝国軍が動いた。
僅かに射程距離内に入り攻撃を仕掛ける、そして素早く後退する。こちらが踏み込んで攻撃しようとするとさらに後退する。もう四時間近く続けているが明らかにこちらを回廊内に引き摺り込もうとしている。
ドーソン司令長官は苛立っているがそれでもイゼルローン回廊内への突入は踏み止まっている。回廊内に入ってしまえばどこで戦闘を打ち切るかが難しくなる。回廊の外で対峙するのが賢明だ。ブラウンシュバイク公もいつまでも対峙していられるわけではない。何時かは撤退する。
大兵力をもって持久戦で相手を撤退させる。いささか消極的だが明らかに見え見えな挑発に乗る必要は無い。このまま根競べで対応すれば良い。……妙だな、帝国軍の動きがおかしい、不自然だ。どういう事だ。……まさか……。
「司令長官閣下!」
「……何だね、ヤン准将」
ドーソン司令長官が私を不機嫌そうに見ている。私と話などしたくない、その想いが露骨に態度に出ている。うんざりしたが、それ以上に帝国軍が気にかかった。もしかするとしてやられたか……。
「帝国軍の動きが不自然です」
「不自然?」
「先程から我々を挑発するのは五千隻程度の艦隊でしかありません」
「だからなんだね」
ドーソン司令長官の表情を見て分かった。嫌がらせでは無い、本当に疑問に感じていないのだ。じれったい思いで言葉を続けた。
「我々を回廊内へ引き摺り込もうとするなら二万隻全てを使って行った方が効果的な筈です」
「……」
「にもかかわらず一部の艦隊しか挑発行動を行っていません。指揮系統が違う可能性が有ります」
グリーンヒル参謀長が慌てた様子でオペレータに何かを命じた。多分、艦艇の識別を命じたのだろう。フォーク中佐も顔を強張らせている。
「どういう事だ、指揮系統が違う? 一体何を言っている」
「あの動きの無い艦隊はイゼルローン要塞の駐留艦隊かもしれないと言っています」
「!」
ドーソン司令長官が愕然としている。そして艦橋内は参謀達の声でざわめいていた。気付くのが遅い! いや遅かったのは私も同じだ……。帝国軍が執拗に同盟軍を挑発したのは同盟軍をイゼルローン回廊に引き寄せるためだったのだろう。
考えてみれば公にとって同盟軍が艦隊を二分するか否かは分からなかった。つまり各個撃破が出来るかどうか分からなかったのだ。そんなあやふやな事を前提に作戦を立てるわけが無い……。
要塞攻略戦も同様だ。同盟側が攻略戦を行う可能性は低かった。回廊付近でこちらを挑発し続けたのは回廊内へ引きずり込むためじゃない、同盟軍の目を自分達に引き寄せるためだ。おそらくはその陰で帝国軍本隊が動く……。
ブラウンシュバイク公の狙いは要塞攻略戦ではない、イゼルローン駐留艦隊との挟撃だ……。同盟軍が挑発に乗り回廊内に入っても入らなくてもどちらでも良かった。回廊付近に引き寄せるだけで良かったのだ……。
「遠征軍の本隊は我々の後方にいる可能性が有ります。すぐさま撤退するべきです。これ以上ここに留まるのは危険です」
「……撤退しろと言うのか。しかし確証がないだろう」
ドーソン司令長官は何処か納得しかねる表情をしている。未だ状況が飲みこめずにいるのか……。
「では一個艦隊を前線から引き抜き後方を警戒させてください」
「……」
「閣下!」
駄目だ、納得していない……。それ以上に私を信用していない。信用が有れば多少の無理は聞いてもらえただろう。しかし、その信用が無い……。
「左後方に敵艦隊! 多数、一万隻を越えます!」
悲鳴のようなオペレータの声だ。そして別なオペレータが同じような声を上げた。微かに震えている。
「前方の艦隊に戦艦グルヴェイグを発見! あれは駐留艦隊旗艦です!」
艦橋の彼方此方で悲鳴のような声が上がった。皆顔を引き攣らせている。遅かった……、勝敗は決まった……。
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