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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第3章 黄昏のノクターン  2022/12
  21話 黒の薬師

 第四層。かつてベータテストの頃には枯れ谷が縦横に走るマップデザインに即し、主街区や村までも寂れて埃っぽい印象が際立っていた。これまでの主街区で同様に見られたレストランや宿といった施設も、辛気臭くてサービス面も満足し難い内容のものばかりであったと記憶している。まだベータ時代であれば、宿なんてものは大多数のプレイヤーからすれば《落ちる際のセーブポイント》程度の役割しかなくて、次回のログインまでのアバターの仮置き場としての意味しか無かった。当の俺でさえ、物件の内装にある程度の追及があったとはいえ、ベッドの寝心地や風呂の良し悪しまで気に掛けたことはない。あくまでも《旅をする感覚》を念頭に置いたロールプレイングであったと言えるだろう。

 しかし、自発的ログアウトが叶わない現在、衣食住の全てをアインクラッドで確保せねばならない状況である。生死の懸ったデスゲームである以上、休息の質を高める意味でもこれらを疎かには出来ない。――――正確には、俺はある程度耐えられるが、相棒(ヒヨリ)仲間(ティルネル)の2人を考慮すれば致し方無い。ヒヨリはSAOの環境に順応しつつあるものの、本来はデスゲームという殺伐とした舞台には無縁の女の子だ。目立って弱音を表にこそ出さないが、だからこそケアが必要なのだと考える。ティルネルに至ってはもはやこの浮遊城こそが現実であり、衣食住を必要としないプレイヤーのエゴを押し付けて不自由を強要するのも申し訳が立たない。故に、息抜きは非常に重要なファクターとなるのである。だからこそ、第四層主街区《ロービア》へ進む際に僅かならぬ逡巡があった。これまで通り、そこに拠点を構えるか否かについてだ。

 いざとなれば第三層主街区である《ズムフト》での滞在を延長することも視野に入れるべきだが、受領したい隠しクエストには、条件として《クエストを受領するプレイヤー自身のロービアでの滞在》が条件となるものがある。俺だけが滞在してヒヨリを招くというのは不可能――――厳密には、クエスト失敗のトリガーになる――――なのである。滞在自体はたった一日で問題ないのだが、悲しいかな賃貸契約は掛け持ちが出来ないのである。
 たった一日だけの為にズムフトでの賃貸契約を破棄すれば、その間に他のプレイヤーに入れ替わられる公算が極めて高い。ヒヨリの要望を極めて高い水準で叶えていたあの物件は、それこそ価格が《第二層以下から登ってきたばかりのプレイヤー》には値が張るとはいえ、第三層でのクエストを達成できるだけの力量があれば、敷居の高さは我慢できないほどではないのだ。だからこそ、あの物件はそれなりに人気のあるものであった。目を離せばあの拠点に戻れなくなるくらいは考えて然るべきだろう。そして、先に進むにしても、より良い物件に巡り会わねば隠しクエストを諦めねばならない。

 そんな折、アルゴからの受信したボス攻略の進捗を記したメールがアクションを起こすきっかけとなったのだ。慌てて返信し、アルゴから迷宮区のマップデータを受け取ると、ヒヨリとティルネルに声を掛け、現在地であり既に攻略の終わった隠しダンジョン《緑の古社》を後にする。森を抜け、間もなく見える迷宮区に突入。道中でメール受信を報せるサウンドが鳴るのを聞きつつ、マップを確認してモンスターを潜り抜け、脱兎の勢いでボス部屋へ進入。プレイヤーがダイスロールで一喜一憂する横を抜け、加速度の乗った跳躍で進路上の毬栗頭を飛び越える、背後から「なんやおのれら!?ちょお待てぃ!」と呼び止める叫びが聞こえたが無視。そのまま往還階段を駆け上る。そして、ついに終点である往還階段の終着点、第四層の扉にまで到達。一旦足を止めて門扉のレリーフを凝視する。


「船なんかに乗ってるな。このレリーフの旅人」
「燐ちゃん、私もお船に乗りたい!」
「良いですよね。自分だけの船って、なんだか憧れちゃいます………」


 砂だらけの枯れ谷で船。記憶に焼き付いているマップデザインと、それと真っ向から対立する船のレリーフ。俺にはこの意味を解するだけの感受性も理解力も要求ステータスに達していないらしいが、女性陣は今日も自由奔放だ。不覚にも少しだけ安心してしまった。それより、これは何かの暗喩(メタファー)なのだろうか。ベータ時代のダンジョン攻略に見向きもしなかった過去も手伝って筋読みが全く出来ないが、まだ悩むには早い。


「まあ、見てみれば分かるか」


 しかし、思考に割く時間も惜しい。さっきのボス攻略に参加したプレイヤー達の中にキリトの姿は見当たらなかった。迷宮区の入口からボス部屋前までで擦れ違ってもいない。つまりはこの先に向かったと考えて然るべきだろう。彼もまたベータテスター。プレイヤーのいない第四層は独壇場であろうし、或いは律儀に転移門のアクティベートを済ませるかも知れない。下の層からプレイヤーが雪崩れ込めば、それこそ事だ。早急に主街区に到達して、利用に堪える拠点を誰よりも先に奪取しなければ隠しクエストを諦めざるを得なくなる。報酬が優秀だっただけに諦めたくないというのが本音だが、ヒヨリやティルネルに不便な思いをさせたくもない。諦めるにしたって、それに足る確証を以て納得したい。
 とにかく今は前に進もうと扉を開く。午後の眩しい光が視界を白く染めるなか、聴覚野では想定していなかった音に若干困惑する。そして視界に色彩が戻り、俺はやや圧倒される。


「………おっきい川だね」


 扉の向こうを見つめながら、ヒヨリが呟いた。
 かつての乾いた砂礫の大地はどこへやら、苔むした地表に覆われた小高い丘は想像だにしない潤いの象徴だ。そして何より、この層の劣悪な生活環境の象徴にもなっていた膨大の砂は完全に姿を消し、いまや豊かな水量を湛える谷の底へと追いやられていたのだ。
 暗喩どころの騒ぎではない。扉のレリーフは直喩(シニル)ですらなく、もはや答えを表してしまっていたのである。しかし、想定出来なかった事態を前に困惑する。これまで移動可能エリアであった砂地が水没し、残された陸となっている領域は、ベータテストの時代において誰も到達できなかった。砂礫が脆く、崖の壁面を駆け上がればたちまち崩れ、その落下ダメージで挑戦者は悉く黒鉄宮に死に戻りさせられたらしい。現在こそ水の張られた谷によって、水面から崖までは三十メートル程度といったところか。それでも、崖を登るという行為を肯定する理由にはならないのだが。


「ねえ燐ちゃん、ここから街までは泳いでいくの?」
「馬鹿言え。そんな事してたら溺れるぞ」


 ヒヨリの言う通り、まともな移動手段は遠泳くらいのものだが、SAOにおける水泳は《顔が水面に沈めば酸素ゲージを消費し、そのうちHPが減少する》という危険極まりない仕様なのである。素人には難しく、経験があったところで危険性を取り除くことが出来ない博打なんて、おいそれと挑戦出来ないし、二人にはさせるわけにもいかない。


「あれ、燐ちゃん泳げなかったの?」
「俺はリアルでは泳げるけど………」
「リンさん、私が教えましょうか?」


 ………しかし、女性陣は俺の懸念も知らぬとばかりに好き勝手言う始末だ。


「溺れるの俺前提か!? ヒヨリ、お前の事だ!」
「溺れないもん! 泳げないけどちゃんと浮けるもん!!」
「いいから話を聞け!」


 それから幾度の応酬を経てヒヨリを黙らせ、両名に水泳という行為の危険性を諭す。
 可能な限りシステム的な説明を省略し、ティルネルにも理解可能な表現を織り交ぜ、説明すること三分。


「――――という訳で、無策に泳いで主街区を目指すような真似は避けたいんだよ」
「そうだよね、危ないんだもんね」
「でも、人族の街へ安全に向かう手段も現状存在しない、ということですよね?」
「それについては先に来たヤツがここにいないって時点で察しがつく。恐らく何か仕掛けがあるはずだ」


 状況判断とはいえ、ティルネルの懸念は解決することができると思う。しかし、ベータテスト時には俺は第四層の往還階段周辺に立ち寄った経験がないので、馬鹿正直な探索に頼るより他ない。
 やむなく周囲を見渡すと、現在の立ち位置である往還階段からの扉を囲うように建てられた四阿と、北側にカラフルな実をつけた広葉樹が一本。あとは苔の生い茂る平坦な小島の様相である。何かしらのギミックを疑うというのであれば、可能性は広葉樹に絞られてしまうのだが。


「露骨に怪しいのはあの木だよな」
「あれは《フルスの木》ですね」
「へぇー、あの木ってそんな名前………なに?」


 ティルネルが木の名前を教えてくれたことで、木の実のほうは《フルスの実》というアイテムなのか、などと推測していると意外な疑問が浮き彫りになる。


「ティルネル、あの木を知ってるのか?」
「知っているも何も、私は薬師(くすし)ですから。薬の原材料になる植物の名前は大抵わかりますよ?」


 自慢気に胸を張るティルネルを視界の端に捉えつつ、そう言えばそうだったと思い出す。ティルネルのモンスターとしての固有名は《Tilnel:Dark Elven Pharmacist》。ダンジョンでは弓と剣――――クーネの影響かは定かではないが、とにかく片手剣を扱えるという事でドロップ品を持たせた――――を駆使してポジションを問わぬ活躍を見せる黒エルフのお姉さんは、本来は黒エルフ族に連綿と継承されている神秘のお薬の調合や処方を生業とする職種なのだ。正直、本人の口から語られるこの瞬間までその設定を忘れていたが、これについては彼女の名誉のために口を噤むこととしておこう。


「ということでリンさん、フルスの実を落として下さいますか?」
「え………あ、はい?」


 言われるがまま、手近な石ころを一つ摘まんで投げる。投剣スキル単発技《シングルシュート》のモーションで放った礫は直線的な軌道でピンク色の実を落とす。よく見ると平たく中央に穴の開いたリング状の実をティルネルは満足そうに回収して、それを今度はヒヨリに渡す。デザインが琴線に触れたらしく「燐ちゃん、コレすごい可愛い!」と騒ぎ出すのをティルネルがそれとなく宥め、話を再開する。


「では、今度はヒヨリさん。この《へた》を咥えて息を強く吹いてみて下さい」
「こ、こうかな………ふみゅッ!?」


 そして、言われるがままに従ったヒヨリは、突然弾むような音と共に膨張したフルスの実に顔を埋める形で静止。女の子としては避けたいであろう哀れな姿を晒す。そしてそのあまりに衝撃的な光景は言わずもがな、端から見ている俺をも驚かせた。ティルネルは一人だけ何故か自慢気な表情で悦に入っているが。


「………おお、膨らんだ」
「びっくりして死んじゃうかと思ったよ………」
「このようにフルスの実には、(がく)に生物の息に含まれる成分が一定量触れることで、果肉が成熟して膨らむ特性があるんです。主に鳥が実を咥えて移動する際に果実を遠くに落とさせる手段だったり、そのまま水流に浮いて自ら流れて移動することも想定された形ですよね。私は昔、よくこの実を使って姉様と水遊びをしてました」
「なるほど、生息圏を拡大するために独自の進化をしたわけだな?」
「リンさん、模範回答です!」


 何故か褒められ、突如始まったティルネル先生の理科の体験授業はこれにて閉講。しかし、意外なかたちではあるがギミック――――木の根元にキリトが残したであろう置手紙に浮き輪云々と書き残されていたが、見ないフリをさせていただこう――――は解明された。キリトは恐らくこれを用いて谷に繰り出したのだろう。ティルネル先生の話を聞く限り、これは浮き輪よろしく水に浮くらしい。実の空洞部分に胴を通せば顔を水没させて溺死するような事態にはならないはずだ。これには素直にティルネルが薬師であったことに感謝だ。
 ともあれ、全員分の浮き輪用――――加えて、ティルネルの申し出で調薬の材料用――――のフルスの実を調達。着衣泳に違和感のある女性陣はそれぞれ薄着になり、それに対して俺は防御面での不安から装備を変更せずにビート板――――何やら奇形らしいまな板状のフルスの実――――を小脇に抱えて入水。女性陣のように装備重量を減らすというのも、水濡れエフェクトを最大限押さえることで敏捷ステータスの低減を抑制する効果があるのだが、やはり馴染んだ装備を外すのは心許ない。おまけに、水中での移動速度は筋力値も参照されるので、多少は無理が効くだろう。それでも川の水流の速さを見れば、上陸ポイントから流されてしまいかねないとも考えられなくもないが、その点においては既に策を講じてあるので問題はないはずだ。
 隠しクエスト受領のため、新たな拠点に為り得る物件を探し当てるべく、キリトの後を追い縋る形で主街区を目指す。

――――編隊を組んだ浮き輪PTが、全力のバタ足でフカヒレから逃走する光景を他のプレイヤーに見られなかっただけ良しとしよう。 
 

 
後書き
第四層、到達回。



フルス。ドイツ語で《川・流れ》を意味する単語らしいです。薬師という設定だったティルネルさんが説明するということで、医療関係ではよく使うドイツ語から浮き輪の実を勝手に命名。これを足掛かりに薬師としてのキャラの確立を企てていきたいと思います。プレイヤーにギミックを教えるテイムモンスターがいてもいいんです!


という感じで、今回の章はかなりほのぼのさせるつもりです。やっぱり平和が一番かな?


………オリジナル要素もあまりないので、後書きも少なめです。


ではまたノシ 
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