White Clover
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放浪剣士
魔女を愛した男Ⅴ
集落が近づくにつれ、嫌な予感は現実味を帯びてくる。
焼けた草木と肉の匂い。
風下に向かいそれは私の鼻を嫌というほど刺激する。
やがて、道端には異端審問官と異端者の骸が入り乱れ始め、悲惨な光景が広がった。
阿鼻叫喚。
まだ戦いは続いている。
私は馬を乗り捨て、集落へと走った。
あの時とは違う。
戦えるものもそうではないものも、皆等しく大地へとその身を伏せて逝く。
ベルモンドッ―――。
私は彼の名前を叫びながら集落を駆け回る。
襲い来る異端者を斬り捨て、骸の山を越えて。
やがて、たどり着いたのは集落の一番奥にある、簡易的に作られた教会だった。
息を切らせながら、ゆっくりとその扉を開く。
神の家は鮮血に染まっていた。
その一番奥には、鮮血にまみれ地獄の鬼とも言える姿をしたベルモンドの姿。
ベルモンド―――。
私と認識し、ベルモンドは剣を構えぬままゆらりゆらりと近付く。
その左腕には深い傷痕が刻まれていた。
「なぜここへ来た…」
息も絶え絶えに、私の体を杖とするようにこの身に手を置く。
魔女はどうなった―――。
私は心配だった。
無論、魔女の事ではなく、ベルモンドが支えを失い真の鬼と化していないかが。
「彼女は逃がした…」
それを聞き、私は良かったと胸を撫で下ろすとベルモンドへ逃げるように促す。
だが。
「それは出来ない…」
ベルモンドは私を突き放し、教会を出ようとする。
何故だ―――。
満身創痍のその身体。
それは外にいる異端審問官全員を相手にするには余りにも無謀。
「私は…もう誰も見捨てぬ。約束したのだ…」
約束?そんなもので命を散らすと言うのかっ―――。
だが、ベルモンドは言う。
約束だからこの身を散らすのだ、と。
「罪はもうぬぐいきれない。だから、この身を散らして、一人でも多くの罪なき者の命を救って贖罪としなければならないのだ」
馬鹿な―――。
そんなそんな贖罪があるものかと、私はベルモンドの肩を掴み力付くで引き寄せる。
「邪魔をするなッ」
ベルモンドの鋭い一閃。
私はかろうじてそれを剣で受け止めるが、満身創痍の男の一撃とは思えぬ重圧な一太刀にこの身がよろける。
「私は…もはや異端審問官ではない……」
止めたければ、そういってベルモンドは私に剣を向ける。
やめろ、私は敵ではない。
「情けは…無用だ」
私の声などもう届かないと、そう言われた気がした。
最強の男の…かつての師の一撃は重く、まともに受けることをゆるされない。
私はすべての神経をただ彼の一撃に集中させ、一閃一閃を刃に滑らせ受け流す。
左腕の深傷はやがて、彼の攻撃を止めさせる。
それを待つしかないのだ。
なぜ生きる道を選ばないっ―――。
逃がした魔女の為にも生き延びようとは思わないのか―――。
彼の隙を縫い、左手に持つ剣を弾き飛ばす。
だが、彼の目からは戦意は消えない。
「見捨てておめおめと逃げ延びた罪人を誰が受け入れるっ」
不覚だった。
たった一本彼の剣を弾き飛ばした油断か、私は彼の一撃に武器を折られ地面へとつき倒される。
「この身はこの地で幕を閉じる…一人でも多く道連れにして……」
剣を高々と振り上げるベルモンド。
死ぬのか。
そう直感した瞬間だった。
私の手の届くそこには、弾き飛ばした異端者殺しの剣。
「出来るならば…お前にベルモンドを継がせたかった」
降り下ろされる刃。
ベルモンドッ―――。
生存本能から、私はその剣を手に取り真っ直ぐと突きだしていた。
「ぬ…ぐ……」
その刃はベルモンドの腹部を貫き、彼の口から、腹部から、おびただしい血を地面へと落とす。
すまない―――。
私は剣を放し、よろりと立ち上がる。
対し、力なく一歩二歩と後退るベルモンド。
彼は、渾身の力で自らに突き刺さった剣を引き抜くと、それを私へと差し出した。
「とどめを刺してくれ…」
もはや、立っているのも不思議なその身体で、ベルモンドはしっかりと大地を踏みしめ私に懇願する。
「粛清も…お前にされるならば本望だ……」
私は、彼の差し出すその剣をそっと手に取る。
はじめからそのつもりか―――。
私の言葉に首を降ると、吐血しながらも言葉を絞り出す。
「幸運だった。お前が来てくれたのは…本当に」
がくんと膝をつくベルモンド。
もう、彼の限界は近かった。
「こんな罪人にも…神は救済を施してくれるものなのだな」
私は無言で剣を振り上げる。
これは、彼の忌の願い。
「彼女に会ったならば伝えてほしい…君のお陰で……愚かな人生にも救いがあった……と」
わかった―――。
私はその一言の後、剣を降り下ろした。
飛び散る鮮血。
そして、異端者殺しの剣で斬り裂かれたベルモンドはその激痛に苦しみ、息耐えた。
洗礼武器は、その犯した罪だけ斬られた者の苦しみを増す。
数えきれない異端者を殺し、数えきれない異端審問官を粛清してきた彼の痛みは想像を絶するものであっただろう。
私はそっと、見開かれたベルモンドの瞳を閉じた。
「終わったか」
それは、アルバの声だった。
アルバは笑みを浮かべながら、ベルモンドの死体を蹴ると、その傍らの異端者殺しの剣を奪う。
貴様―――。
「私も弟子だったのだから、もらう権利はあるだろう?次期ベルモンドの継承祝いとしてもな」
私は今にもアルバを斬り捨てたかった。
師を売った、師から奪ったこの男を。
「悪いが、この男を殺したのは私ということにさせてもらう。…困るだろう?この男と共謀して反逆者になっていたなどと告げ口されては?」
アルバにはまだ駒として私が必要だったのだろう。
熱望していたベルモンドの地位を手にいれ、まだ高みを望むというのだろうか。
好きにしろ、と私はその場を去る。
私は、まだ殺されるわけにはいかなかった。
ベルモンドとの約束。
彼の愛した魔女に彼の忌の言葉を伝えるまでは。
そして、アルバを確実に殺すまでは。
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