White Clover
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放浪剣士
魔女を愛した男Ⅰ
酷い一日だった―――。
私は宿の柔らかいベッドへと倒れ込んだ。
宿代を払わされ、この世で一番会いたくない人間に出会ってしまい、何度も死を間近に感じさせられ…。
これを酷い一日と言わずになんと言えば良いか、私にはわからない。
私の精神は限界に近かった。
このまま眠ってしまおう―――。
もはや、寝支度をする気力すら残されていない。
瞳を閉じると、目蓋の裏側の暗闇にまで浮かび上がるベルモンドの顔。
奴の顔を思い出すと、あの男の事も思い出してしまう。
寝たいのに眠れないというのはなかなか酷なものだ。
そんなときに、いつもの調子でノックもなくアーシェが扉を開け放つ。
「ちょっと、ベルモンドの事を教えなさい」
入るやいなや高圧的な態度だ。
礼儀というものを少しで良いから学んで欲しい。
敵に内情を教えるほど落ちぶれていない―――。
今は一人になりたい。
そんな気持ちもあり、私はその一言の後、彼女に出ていくように促した。
「命を助けた借りを返してくれても良いんじゃない?」
あの化物の時の話しか?
それとこれとは、と言いかけたところで私の口は彼女の人差し指で塞がれる。
「大事な事なの。教えて、先代のベルモンドの事を」
先代のベルモンド。
それを聞き、つい彼女に動揺を見せてしまう。
「彼の事、知っているのね」
知っていたとして、何故それを話す義理がある―――?
我ながら強気な態度だったと思う。
おそらく、彼女と旅をはじめてから今日まで、彼女の申し出をここまで拒否したのは初めてのことだ。
だが、それでも彼女は食い下がる。
「今日のあの男は私の知っているベルモンドじゃない。彼はどうしたの?…何があったのか教えて」
彼女の眼は、敵の情報を探ろうとしている者の眼ではなかった。
まるで、愛するものを心配するかのような、そんな眼だ。
それを聞いてどうする―――。
私の問いかけに、彼女は何かを考えるかのようにうつむくと、再び私を真っ直ぐ見据えた。
「分からない。でも、今はただ知りたいの…大事な…人だったから」
やはりか。
奇妙な話だ。殺し合う間柄である異端審問官が大事な人とは。
目の前の彼女は魔女としてではなく、一人の女性として話を聞きたがっている。
それならば、私は彼女に残酷な事実を告げなくてはならない。
先代ベルモンドと彼女とがどういった関係かなど知りはしないが…。
それは、彼女にとって受け入れがたいことに違いはないだろう。
しかし。
まず、始めに言っておく―――。
私は彼女に告げることにした。
異端審問官としてではなく、真実を知る一人の人間として。
先代ベルモンドはもう生きてはいない―――。
その一言に、彼女の顔から血の気が引き、真っ青に色を変える。
そして―――。
これを言ったとき、彼女はどんな反応をするのだろうか?
怒りか、悲しみか。
だが、彼の話をするならば、言わなければならない。
それを話したあと、私が殺されることになろうとも。
先代ベルモンドは―――。
彼女には、その権利が有るのだから。
私が殺した―――。
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