機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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80話
(ヘッドクォーターより全部隊に告ぐ、『アカデメイア』は事を為した。繰り返す、『アカデメイア』は事を為した)
通信ウィンドウが立ち上がり、マクスウェルは鼓膜に触れたその情報の意味を即座に理解した。
単純に考えれば、たかだか2個大隊規模で1つのサイド―――如何に建設されたばかりとはいえ―――を攻撃するなどあり得ないことだ。それどころか今のネオ・ジオンにそれを為す力は無い。
ネオ・ジオンの役割は、一重に陽動と露払いだ。『アカデメイア』のターゲットを確保し脱出するまでにコロニー守備隊を釘づけにしておく―――自分たちは体の良い囮だった。
『アカデメイア』。その組織に対し、マクスウェルが知っていることはあまりに乏しい。ただ上の人間から『アカデメイア』に協力するように下知があっただけなのだ。
ネオ・ジオンのスポンサー、そんなところなのだろう。そのスポンサーの意向のために前線の将兵が命を賭しているという構図を思い浮かべて、マクスウェルは不愉快そうに眉を顰めた。
マクスウェルとて元特殊部隊の一員だ。戦闘の裏、水面下、水深で何が行われているかはその眼で見てきた。政治的な裏取引を醜悪とし、血を流している前線の自分たちはその犠牲者という対岸構造を形成するほどに、マクスウェルの認識能力は稚拙ではなかった。たとえどのような理由があれども、銃を取り人間に対してその黒々した銃口向けた瞬間に、その人間に道徳的尊厳などありはしない。正義を掲げた戦争など惨めで酷いだけだ。諸権力同士の戦略の絡み合い、その《結び目=表出点》が戦場であるというだけのことであり、戦場は騎士たちが誉れを競った場から、ただ醜悪なものが醜悪であることを再認識する場へと変質した。それ以上の意味付与が出来るほどにマクスウェルは大人でもなかったし子どもでもなかった。達観もしていなかったし、現実を見る気も無かった。諦念などありもしなかった。
「小隊各機、聞いたな? 作戦は第3フェイズに移行する。『アカデメイア』が荷物を持ち帰るまで敵を惹き付ける。貴族どもの遠足が楽しい思い出になるようにしっかり引率してやるぞ」
(03、了解!)
(02了解。行きはよいよい帰りは恐いって言いますからね。いっそのこと事故ればいいと思いますケド)
顰めもせずに笑顔で言うエイリィ。理性的判断を持つことと不審を抱くことは別問題だなと思ったマクスウェルは微かに苦笑いを浮かべた。
不信を抱いているのは自分だ。『あの一見』以来、ただでさえ正体のわからない『アカデメイア』に信用を置いていない。
マクスウェルは機内カメラに映るプルート・シュティルナーの顔に視線を移した。
勝気そうな顔立ちの少女。まだ18にもならない少女を戦場に引っ張り出している―――。
「俺も権力の手先、か」
(え? 隊長、何?)
「いや、なんでもない。独り言だ」
ふーん、と素気のない風にプルートが呟く。
余計な思案だった。前線の兵士が裏で起きている出来事に全く無関心なのは問題だが、
かといってまさに前線で目の前と異なる出来事を考えていては命がいくつあっても足りはしない。安堵を覚えるのは作戦が終わってからだ。
(こちらローゼマリー、第162MS中隊出撃準備せよ。繰り返す、第162MS中隊出撃準備せよ)
「こちらヴォルフ01了解。出撃する」
微かな振動音と共に視界がスライドしていく。通常の艦と違い、ザンジバルⅡ級『ローゼマリー』のカタパルトはMS1機がようやく潜れるほどの『小窓』まで主脚歩行を行い、艦の両側に設置されたレバーを片手で保持し、カタパルトに片足だけを乗せるという他の艦艇のカタパルトとはやや異なった方式をとる。マクスウェルもそれに従い《リゲルグ》の左腕にレバーを掴ませ、左脚部をカタパルトに固定させた。
宇宙に瞬く光。ヒト種が何ゆえか所有する知への意思の最果て。
「ヴォルフ01、出るぞ」
(大尉、ご武運を!)
フットペダルを踏み込むと同時に電光掲示板の数字が0をカウントし、リニアカタパルトの作動に合わせるように前面から負荷Gがのしかかる。一度鈍い振動が身体を打ち、真空に投げ出されるや身体を奇妙な浮遊感が包む。
全天周囲モニターに包まれた世界は、まるで真空の中に身一つで投げ出されるかのようですらある。
背後から追従してくる2機。ディスプレイに表示された背後の映像と通信ウィンドウに映る2人の顔を重ねたマクスウェルは、何も言葉を発さず、口から洩れかかる言葉をかみ殺すように黙然としながら、視界の先に広がる常闇を睨めつけた。
※
(こちら『アクロポリス』、ラケス応答せよ。繰り返す、ラケス応答せよ)
聞き知った女性のオペレーターの声は任務中ということもあって冷静さを纏わせていたが、レーザー通信越しの彼女の声色には普段の高い声が混じっていた。
「こちらラケス、『銀の弾丸』『白雪姫』は確保した。これよりアクロポリスへ帰投する」
(本当ですか!?)言って、無線の向こうで沈黙が流れた。そうして一度咳払いをしてから、(アクロポリス了解。これより貴官の着艦指示に入る、待機されたし)という畏まった声が返ってきた。
別に喜んだっていいじゃないか、と思う。折角作戦が成功に至ったのだから喜ぶべき時は喜ぶべきだ。
もちろんこの作戦で喪失した人員がいるのも確かだ。だが、だからこそ死んでいった人間たちのためにも楽しい、という感情を捨てることは出来ないのではないか―――。
ガスパールは、ふと奇妙な違和感を覚えた。昔は『こういう風』だっただろうか―――? だが『こういう風』とは何のことだろう? 結局身体中に鬱積するこの微かな感覚が何なのか理解できず、ガスパールはその違和感を、長丁場が感じさせた疲労と解した。
正面のディスプレイに、すぐ後ろに追従する漆黒の《ゼータプラス》の映像が立ち上がる。
無線通信の回線は開いていないが、データリンクから彼女の意識はほとんどないことは知っていた。
サイコミュシステム―――サイコ・インテグラルシステムを強制作動させると同時に、多種薬物と後催眠暗示の複合使用することでガスパールのコントロール下に置く。最悪エレア・フランドールは廃人と化すだろうが、ガスパールには至極どうでもいいことのように、思った。死なれては問題だが、必要なのは肉体の方だ。心は生きていようがいまいが大して重大ではない―――。
ずきりと何かが軋んだ。鈍い疼痛が後頭部と前頭葉に広がり、呻いたガスパールは脱力しながらシートに身を預け、ノーマルスーツのバイザーを上げた。
違う、と身体が絶叫する。お前のすべきこと、お前の理想はこんなものなのか、と詰問調の怒号が頭の中で反響し、ガスパールは臓腑から急激に這い上がってきた嘔吐感に思わず口を抑えた。
そんな感情は知らない。抱いたことも無い。己はただ、この作戦を成功させるために在る筈なのだ―――。
消化器官が不定に蠢動する奇妙な嘔吐感を何とか堪え、喘ぎながら息を吸い込んだガスパールは、射るような視線を虚空に投げた。
(―――同志? 聞こえていますか? 同志!)
ハッとして、ガスパールはディスプレイに映るオペレーターの顔を見返した。通信ディスプレイに映る女のオペレーターは不安げに眉を寄せていた。
「すまない……私も大分疲労が溜まっているようだ」
(無理もありませんよ。さぁ、早く艦の中でお休みください。貴方は私たちにとって大事な人ですから)
オペレーターが柔らかな笑みを浮かべる。いつもは闊達そうだが、その微笑はどこか母性的な揺籃の感覚を思わせた。
視界の向こうでガイド用のビーコンがコロンブス級の格納庫から伸びていく。管制を始めたオペレーターの声に従いながら、ガスパールは己の裡から思い出したように奇妙な感覚が惹起したのを感じた。
今生真面目な声を出して己に管制を行うこの女を無茶苦茶に強姦してやりたい、と思った。特に理由も無く、ただこの女を己で満たしてやりたいと―――。
操縦桿を握りしめた。
確かに疲れている。空虚な妄想を想像して、そんな理由で己を強張らせるくらいには疲労している。
足元の収納スペースから青く古臭いタオルを取り出し、バイザーを開けて顔を拭う。じっとりとした汗が拭きとられ、微かばかりはマシな気分になったような気がした。
(―――『白雪姫』、着艦確認。『銀の弾丸』、着艦開始します。I have control)
「了解。You have control」
艦内で佇立する《ゼータプラス》に目をやったガスパールは、漠とした奇妙な不安を、舞台裏から何か黒いものが覗いているような奇妙な不安を覚えながら、《デルタカイ》を人型へと変形させた。
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