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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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77話

 男は息を吐きながら、操縦桿を握る力を緩めた。ディスプレイに映る前方をフォーカスした映像には、崩壊しかけたビルの中で蹲るようにするダークブルーの《ゲルググ》と、僚機の《ジェスタ》の姿があった。
 シールドと右腕の喪失は、たかが《ゲルググ》如きという侮りへの報いである。全く予定外に出現した敵機の存在が《ゲルググ》という外見を纏っていたことに惑わされた。《リックディアス》4機を相手にそれを撃破するという技量を見せつけられて、警戒はした。だが、己の乗る機体性能の優位さを過信した―――。
 それがどうだろう。侮りこそあれ、不要な油断など持ち込まなかったうえで、味方の《ジェスタ》は戦闘不能に追い込まれたのだ。
 男は単に周囲を警戒していただけなのだ。援護し、仲間の危機を救えたのは偶然以上の何物でもない。コロニー内であるのにビーム砲を使ってしまうほどに、あの黒い《ゲルググ》の存在の圧迫感は異様だった。
 ―――広義の意味で、男は自分がテロルの行使者であるという自覚を持っていた。大義があれば人殺しだって出来る、という命題に、極めて説得力のない論理の飛躍があることを知っている。それは己の我儘のためのデパートで泣きわめく子どもと同位の存在でしかない。男にとっては安売りされた陳腐な免罪符に満足することなど、正義に悖るものを正義と騙ることであり至極不愉快なだけだし、己が全くもって擁護不能な秩序の破壊者であることをありありと理解していた。外道を以て道を説くことは、その道を外道に堕とすことに他ならない。外道は何をしても外道。それ以下のものではあり得ても、それ以上の存在にはなり得ない。
 それでも男がトリガーを引いたのは、己が為さねばならぬ義務のためだった。人は存在論的に人間であるが故に、己の場所からの要請に応えなければならない時がある。己の立つ場所―――それは生まれであったり、関係性の間柄であったり、時代であったり―――が、時に個人の内なる人の感情を超え、言葉無き理性の呼びかけを行う。男はその外的コントロールに自律的に従っただけだった。己を外道畜生道の身に窶すことなど、元より承知している。
 鼻で笑った。
 嫌に感傷的だ―――それだけ大事を行っている、と自分に呼びかけ、操縦桿を握りなおした時だった。
 (ハンター02!)周囲を警戒していた他の仲間の声が耳朶を叩く。その逼迫した声に思わず瀑声のように問い返した時には、手遅れだった。
 味方機を示すブリップが消失する。同時に、ディスプレイにロックオン警報が立ち上がり、甲高い警告音が鼓膜を叩いた。
 敵機の方向―――上。シールドを構えながら空を振り仰いだ男は、見た。
 雪の降る漆黒の空。
 人工の月影が微かに雲間から刺し、純白の光を受けて照り返る。
 人型の何かが宙に浮かんでいた。月光を受け、黒天の中で翼を織りなす白無垢の存在。燃え盛る焔を背にし、大翼を広げる姿は―――。
 熾天使。そうとしか理解できないほどにその機体は美しく、そして畏ろしかった。
機体のデータベースに照合は無い。それでも理性に頭を切り替えた男は、それが天使でもなんでもなく、MSなのだと判断した。
 このタイミングで来る敵。逡巡などなく、《ジェスタ》はアサルトカービンの切っ先を掲げると同時にトリガーを引いた。
 迸った亜光速の光軸は、減衰していようがMS1機など容易に破壊し得る。その殺戮の光を前にしてもなおその敵機は身動ぎ一つなく、そうしてメガ粒子の光軸が―――。
 弾けた。敵機に直撃する遥か手前、何の前触れもなく発生した何かが、その天使に触れることを拒絶した。
 男は、見た。
 宙に浮かぶ幾何学的な形の何か―――結界。三角形のそのビームバリアが、アサルトカービンの三連射など何の苦も無く受け止めたのだ。
 ゆっくりと、さも《ジェスタ》など居ないかのようにその敵が地上に降り立つ。大通りの向こう、悠然と大地に立ったその機体は、何の感慨も含蓄も無い電子の瞳を《ジェスタ》に向けた。
 機体ライブラリが敵機を照合する。
 RX-93N2《νガンダム》。そのあまりに超越的な双眸が《ジェスタ》の装甲を貫き、男の形相をまざまざと観る。
 人間理解など遥かに超越した存在者―――その瞳が言う。
 お前は断罪されるのだ。
 そして私はその罰を下すものだ。
 ただそれだけの事実を告げて、焔を熾らせた『ガンダム』が翼から光耀く聖剣を引き抜く。
 数十mほどの距離など、あってないようなものだった。アサルトカービンの弾丸はシールドで受け止め、サーベルを引き抜きかけた瞬間に《νガンダム》の頭部の機関砲が左腕の掌を破砕した。
 下から掬い上げるように振るわれたビームサーベルが右腕を切り裂く。《ジェスタ》の頭部機関砲の斉射の瞬間に、限界まで膝を曲げて―――まるで人間さながらの挙動で躱した『ガンダム』は、間髪入れずにビームサーベルを横なぎに振るった。
 ビームサーベルの光は《ジェスタ》自体にほとんど損傷させなかった。数万度に達する灼熱の刃は胴体部を撫で斬りにし、そのパイロットだけを綺麗に蒸発させていった。
 ※
 黒い敵機のゴーグルカメラに驚愕の念が灯る。恐怖に突き動かされるように身を反転し迎撃しようとしたが、その動作は酷く緩慢に見えた。
 連邦の機体にしては、その敵機は頑強な外観をしていた。だが、横殴りに―――ただの暴力としか言えないほどの衝撃を伴って襲い掛かったその青い機体と比較すれば、ただのやせっぽちにしか見えなかった。
 敵機の襲来を察知した黒い敵機はスラスターを焚いて一気に離脱する。その軌跡をなぞるように猪突をかけた青い機体―――ゴーグルカメラの奥で単眼をぎらつかせた重鈍な巨躯は、その外見に似合わぬ俊敏でもって肉迫した。
 ビームサーベルを発振したその巨体は、3合とも剣戟を重ねる間もなく敵を沈黙させていた。一太刀で左腕を切り裂き、体当たりと同時に最小の出力にしたサーベルをコクピットへ突き立てた。コクピットだけを焼き尽くされた漆黒の機体は、ビルに追突しながら死んだようにゴーグルカメラの光を喪い、亡骸と化していた。
 息が荒い。肺が痛い。呼吸をするたびに、肺の中にぬるぬるした赤い液が流入していくようだ。
 手が震える。咽喉はカラカラだ。じわりと目尻と目頭から流れた液が咽喉元へと流れていった。異様な嘔吐感がせり上がりかけ、咳き込んだ。どうやら自分がまだ生きているらしい、という事実を、呆然と眺めていた。
 ディスプレイに通信の表示ウィンドウが立ち上がる。半ば無意識的にそれを開けば、その通信を行う機体の機内カメラがパイロットの顔を映し出していた。
(こちらレギンレイヴ、そこの《ゲルググ》、聞こえている?)
 鼓膜に響いた音は、聞き覚えのある声だった。顔も、見知った顔だった。
(ハロー、ハイデガー君。ダイジョーブ?)
 カメラの向こうで、その女性がにかっと笑みを見せる。その顔が何故か懐かしくて、何故か胸がぎちぎちと締め上げられているようだった。
(そっか、わかった。コロニーの中の掃除は私たちでやるから、君は格納庫のある方に戻ると良いよ)
 その言葉と共に、道の向こうに佇立する白亜の天使が翼をはためかせる。宙に舞った天使を守るようにしてスラスターを焚いた青い機体が追従していく―――。
 その内の1機の姿が、何故か網膜に焼き付いた。こちらに一瞥もくれずに去っていく青い愚鈍そうな機体。何故それを注視したのか、よくわからなかった。
 ※
 ケネス・スレッグは後方を一瞥した。
 機体ステータスからしてあの《ゲルググ》はまだ生きている筈だ。後は自力で格納庫へ戻るだろう―――。
 FD-03《グスタフ・カール》。良い機体だな、とケネスは操縦桿を軽く握りなおした。性能と引き換えにピーキーな性能の《ジェスタ》などとは兵器としての完成度が違う。もちろん乗りなれた機体だからその分愛着もわくのだろうが。まぁ、依怙贔屓するくらい良いだろう。テロリストからなるべく無傷に《ジェスタ》を取り返したのだから、《ジェスタ》の開発者から文句を言われる筋合いもあるまい。
(良かったのですか?)
 みさきの声が耳朶を打つ。機内カメラに映る
 上官は―――グラム01のコールサインの隊長は、それに何も答えなかった。
 自分たちの任務は確かにあのジオン出身の人間とその計画の影響のもとにある人間の護衛である以前に、この出来事を制圧することが任務だ。そこに私情を挟む余地がミリメートルも無いことは理解しているけれど―――。せめて声くらいかけてあげてもいいのではないか。
 そんな葛藤を滲ませた顔だった。
 若いな、と思う。自分が軍に入ったばかりのころは、同じような葛藤を抱いていたものだ―――。
 ケネスは自嘲気味に笑った。彼女が若いのではない。それ以上に、自分が年寄りになってしまったのだろう。まるで人生の経験者のように思案しているが、ケネスは女房の1人御するのも難儀している男なのである。
 そんなボケた思案も、《グスタフ・カール》が急かすようにビープ音を鳴らすまでだった。
 レーダーが捉える―――数6。《リックディアス》。
(グラム01より小隊各機、端から狩るぞ)
 隊長の声が鼓膜を叩く。気持ちを切り替えるように鼻から勢いよく息を吐き出したケネスは、ゆっくりとスロットルを開放していった。 
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