機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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68話
宇宙を征くのは、白い神話であった。
大きく突き出た両肩には各々にジェネレーターが積まれており、その機体の外見上の剛健さが単なるハリボテではないことをありありと見せつけていた。
スタビライザーが翼の如く展開し、尾長鳥が空を羽搏くように閃光のリボンを引いたガンダム。2機の《リックディアス》が並走し、やや離れた位置にレーダードームを背負った《ゼータプラス》が追従していく。
宇宙の中で、輪郭を失ってしまうような灰色に身を窶した無骨な体躯たるやまさに戦争の兵器然とした《リックディアス》に対し、ホワイト・ドールとすら形容し得るほどに純白のそのガンダムは異様であった。
至高の芸術品。
そんな想起も、きっと間違いではない。実際、そのガンダムは未だに紡がれ続ける18mのアーキテクチャの系譜の中に在って、今をもってなお一つの到達点であり続ける機体なのだ。そしてそうであるが故に、無味乾燥な量産品を是とする畜群から外れた師玉。だからこそであろう、兵器でありながら、美しい―――牢乎さではなく、白鳥が湖で優雅に謳う美しさ、そのアウラを羽撃きに乗せて身を躍動させる様は、いかなる人物であれ、感歎以外の感情を惹起させることに疚しさを覚えさせるであろう。
(コマンドポストよりエクシードY01、予定座標に到達後、装備の試験を開始せよ)
「エクシードY01、りょうかい」
少女は、今日で何度目かの搭乗になる愛機の感触を身体に馴染ませていた。
宇宙ゴミの中を潜り抜けていく―――。
まだ、固い。
完全に組み上がったのがつい2月ほど前。それから新しいサイコミュシステムの移植やら適応テストやら。加えて、元々設計になかった素材と特殊戦装備の実装と、ネガティヴな要素が多い機体だ。2月という時間も、大分急ピッチでスケジュールを消化した末の時間なのだ。
だからこそ、数度乗った程度では未だにこの機体は彼女にとって異物だった。主機の出力が高すぎることから生じる挙動不安は、少女の技量をもってしても―――否、技量を持つが故に、些末な違和感がどんどんと身体中で肥大化していくようだった。
それから十数分間ほど機体を遊ばせた後、予定座標に到着したことを知らせる計器音がコクピットの中に鳴り響いた。
スラストリバースによる機体の急制動、それに伴い前方から叩き付ける巨大な玄翁じみた衝撃に対して顔色一つ変えずに受け止めた少女は、真黒の空間の中で自分の機体がぴたりと静止したのをいつも通りの仕草で確認した。
全天周囲モニターの向こうでは、デュアルアイを宿した《シルヴァ・バレト》は、予定の座標より少しだけずれた位置で静止していた。
「こちらエクシードY01、WSプラン406・407の運用試験を開始します」
(コマンドポスト了解)
無線の終了と共に、少女は己の機体の右腕に装備された武装を展開した。
まるでトンファーのように腕に装備されていた上下2枚のフィンで構成されるそれが一度上にせり上がり、そうしてゆっくりと前方へと展開していく。
ぽかーんと口を開けた鰐。その武装―――WSプラン406「アームドアーマーBS」に対する彼女の印象は、そんなようなものだった。
前方にもう1機の《リックディアス》がターゲットとなる装甲板を設置し、素早くアームドアーマーBSの予測攻撃範囲から離脱していく―――。
少女は、その小さい手でスティックのトリガーを押しやった。
2枚のフィン型ビーム偏向機を介し、通常のそれよりも遥かに圧縮されたメガ粒子の閃光が昏い世界を両断していった。比喩でもなんでもなく、長時間に及び照射されたビームは偏向機により鞭さながらにぐにゃりと歪み、ターゲットの脇を逸れていったかと思った次の瞬間には、厚さ数10cmの装甲板を真横に切り裂いたのだ。
情報通り―――少女は、己の所業にさして関心も無く、エネルギーリチャージと次のターゲットのセッティングまでの時間を、ぼーっと過ごすことにした。
一応、規定通りに武装に不備がないかを素早くチェックし、機体の方にも異常がないことを認めた後に、桿から手を離して、両手で手を組んでぐいっと上に伸びをした。そうして今度は足元のサイドポーチからプラスチックのパックを手に取る。
強化グリーンティー―――少女が良く飲む飲み物だった。バイザーを開けながら白いキャップをくるくると回して口に含む。
きゅっとパックを握って内容物を中から押し出す。苦さを甘ったるさでもって全力で殴りつけるようなその液体を嬉々として流し込む。それを美味しい、と思える自分の味覚について思うところは無い。
(エクシードY01、ターゲットのセッティングを完了した。WSプラン406の発射タイミングはそちらに任せる)
「エクシードY01、了解。次弾発射までカウント50。カウント、開始50、49、48―――」
※
ノーマルスーツを着ること自体はそう多くは無い。
マーサ・ビスト・カーバインはそもそも現場に赴いてあれこれと五月蠅く指図をするような質でもないし、そもそもそういう煩瑣な指図は部下に任せればいい。上の人間が現場に出たところで、現場に対して余計なプレッシャーを与えるだけだ。程よいプレッシャーなら良い。だが、強度の重圧は個人のパフォーマンスに悪影響しか与えないのである。
それでも尚、彼女がこの格納庫に訪れている理由こそは目の前の機体にあった。
未だ空気が満たされておらず、無重力の中ではぷかぷかと浮かんでいる整備兵の姿が視界を流れていく。
MSA-0011X《Sガンダム》。全身を白亜に染めたガンダムは、その偉容に反してまるで神仏の御姿の写し身の如き静けさでガントリーに身を佇ませていた。
その右腕にはWSプラン406「アームドアーマーBS」、そして左腕にはWS407「アームドアーマーVN」が装備されていた。
視界の中であれこれと指示を出していた整備兵の視線がつとマーサに向く。
「いらしていたのですか?」
「ええ、そろそろ休暇も終わりですから―――最後に見ておこうと思ってね」
なるほど、と納得したように肯いた整備兵―――モニカは、ふと何かに気が付いたらしく、ヘルメットに手をかけた。もうこの区画には酸素が十分に満ちているのだろう。モニカはそのまま気兼ねなどなくヘルメットを脱ぐと、2、3度首を振って首元に絡まった黒髪を広げた。
セミロングの髪を後ろで1つにまとめるモニカの姿を見ながら、マーサも鬱陶しげにヘルメットを脱いだ。
無重力中の中では長髪はふわふわとあちらこちらに広がっていく。
《Sガンダム》の胸部ユニット―――コクピットハッチが開き、中に整備兵数人が滑り込んでいく。代わるように無重力を泳いで這い出した《Sガンダム》のパイロットは、せり出したコクピットハッチの縁に手をかけて身体の移動を止めると、ハッチの裏を蹴って20mを垂直に降りていく。
スタッフがパイロットの元に近づいていく。並んだところで、そのパイロットが酷く小さいことに気が付いた。
ドリンクやらタオルやらを手渡したスタッフに比べて、2まわりは小さい。それこそ150cmをちょっと超えたくらいしかないのではないか。背後に黙然と佇立する巨大な体躯を操るその小柄なパイロットの顔を思い出していると、そのパイロットがヘルメットに手をかけた。
ヘルメットを脱いで、頭をすっぽりと覆うヘアカバーに手をかける。頭から外すとすぐにゴムが縮まって、青竹色の布がアルマジロのようにくるり身を丸める。つられ、銀色の髪が無重力中を夢のように広がっていく。ノーマルスーツの胸元から取り出した黒いリボンを口にくわえながら両の手で一つの纏め、馬の尻尾のように髪を縛り上げていく―――。
少女。そうとしか思えない幼い顔と彼女はスタッフと少しだけ言葉を交わした後、その紅い眼差しがこちらを向く。
正確には、マーサの隣にいたモニカに視線を向けたのだろう。モニカが手をひらひらと降ると、パイロットも表情に柔らかさを浮かべて、ぶんぶんと手を振った。
脳裏に浮かんだのはタペストリーだった。いつ作られたのかも、誰が作ったのかも不明な6枚の連作。赤い下地に無数の草花が咲き誇り、一角獣と獅子に守られるようにして一人佇む白い貴婦人―――。
一人顔を顰める。見当違いな想像だ。彼女はあくまで貴婦人ではなく、一角獣か獅子のどちらかの存在であろうのだから―――。
知らず、床を蹴っていた。スタッフがマーサに気づき、身を強張らせる。少女はモニカを視界に入れても特に身じろぎもせず―――というより、ぽかんとした表情のままモニカを眺めていた
「ご苦労様、フランドール中尉」
「あ、はい。ありがとーございます」
両手を太股において、ぺこりと頭を下げる。なんだかその仕草と先ほど抱いた感情があまりにも乖離していて、己の幼稚さをありありと見せつけられているようだった。小さく笑う。今まで何十年と様々な位相の世界で生きていたが、このような少女に教えられることもあろうとは―――。
「おばさん、だーれ?」
ぶは、と噴き出した男のスタッフは、すぐに顔をひきつらせてマーサに視線をやった。
「おばさん?」
うん、と肯く。整備兵の数人も聞き届けたらしく、マーサの視界の端で息を殺してこちらを見ていた。
「―――スポンサーみたいなものよ」
ふーん、と彼女は興味なさげに首をかしげるばかりだ。
―――まぁ、別に良い。気にしないことにしよう。マーサは、特に考えないようにした。
少女の紅い瞳がひたとマーサを見据える。その純度の高い混ざり気のない瞳は、無垢であるが故にアプリオリに人を把持する―――。
「―――寒いの?」
「え?」
少女は不思議そうに首を傾げる。そうして彼女は、もう一度ぺこりと頭を下げると、向こうへと行ってしまった。特に引き止める理由も無い。話しかけたのも気まぐれだったから、マーサは遠ざかっていく少女の背中を取り留めも無く追うことにした。
「ねえ貴方」
「は、はい!?」
一瞥すらくれずにその硬直していた男に色のない声をかける。
「スペリオルの次の試験はいつかしら?」
「えっと―――確か1週間後です。今度は完全武装状態での試験ですから身長にならないと―――」
「そう、ありがとう」
男が言い終わらぬうちに、マーサは床を蹴った。
立ち会うことはできない。だが予定通りに事は進んでいる―――。
マーサは、自分を年寄り扱いする少女たちの姿を思い浮かべて、彼女らしからぬ笑みを見せた。
兄以上の政治・経営手腕を持つ彼女は、常に戦場に在った。その戦場の武装は金と言説、男たちの理論が幅を利かせる中で常に戦い続けてきた彼女にとって、表情もまた武器なのだ。それを、今の一瞬だけは緩めた。地球圏を支配する者としての彼女は決してそのような油断はしない、つまり今の束の間の瞬間だけは、彼女は私的な存在だったのである。
だがそれも刹那の出来事。彼女にとって、『私』はずっと奥に仕舞いこまれたものなのである。
格納庫のドアをくぐったマーサの顔は、いつも通りの険峻な顔つきに戻っていた。
―――――それにしても、とマーサは隔壁がゆっくりと開いていく様を眺めながら、思う。
あの言葉は、一体、何だったのだろう?
※
ガスパール・コクトーは、退出していった姿を目で追うようにドアを眺めながら、ゆっくりと席に着いた。
元々ニューエドワーズは彼の所属する基地ではない。彼はコンペイトウ・ウォースパイト機動打撃群に所属するMSのパイロットだ。ガスパール自身の執務室は、もちろんコンペイトウに存在している。今彼が居る執務室は、海外遠征部隊の高級士官向けに司令部に作られたものだった。
いや『それ』も違うか―――ガスパールはオフィスチェアを回転させ、背後の棚からグラスを取り出し、わざわざ持ち込んだワインセラーから赤ワインのボトルを一本抜き出す。
ソムリエナイフでボトルのカバーに切れ目を入れ、刃を手前にくいと引っ張る。ぺりっという音と共にカバーをきちんと切り取る。コルクにびっしりと付着した黴をタオルでふき取り、スクリューをコルクの真ん中にぶすりと突き刺す。ぐりぐりと捩じりながらコルクを貫通させ、ぐいと引っこ抜く。途中からは素手に持ち替え、ようやくボトルが口を開けた。
ラベルが見えるようにボトルを掴んでしまうのは癖だった。ボトルとワイングラスの縁がぶつかる密やかな音の後、滔々と赤黒い液体が透明なグラスに満ちていく。
ガスパールは、デスクに出しっぱなしにされた資料を再び手に取った。
事前に依頼してあった調査の結果を記した資料だった。
グラスの半分ほどを満たすワインを口に入れる。分不相応なワインだからだろうか、飲む人間が飲めばこのアルコールの液体に大地の豊饒を感じるのだろう。別に不味いとは思わなかったが、好き好んでこれに高級車より高い金を払う気持ちは、ガスパールにはさっぱりだった。
勝利の栄光を―――そう言って、あの男は自分にこれを渡したのだ。それだけ、彼も焦りを感じているということなのだろう。ゆらゆらと振ってみれば、ボトルの中で液体がゆらゆらと波打った。
資料のページを繰る。といっても、彼の思考は別なところにあった。
目を瞑る。
―――大翼をはためかせ、誉れ高い猛禽の旗印を誇りと共に心に掲げた。あの誇りの日から早くも歳月は10年を刻もうとしている。
10年―――ガスパールは己の顔に触れた。人生の倦怠をすっかり吸い込んだスポンジは、くたびれたようにやつれた顔をしていることであろう。
だが、雌伏の刻は終わりを迎えようとしている。新たな同胞を、世界を担うべき仲間を得て、あとは道を征くのみ。
「――――――のために……」
ぽつり口にする。持ち上げたグラスの中で、人工灯を孕んだ赤ワインが澄んだ色彩をガスパールの瞳に刻んだ。そのグラスに応えるグラスは、今は―――無い。
感傷的になっている。己の素振りに、ガスパールは自虐的な笑みを浮かべた―――躊躇いなどあるはずも無いのだが。それだけ、大きな事をしようとしているのだろう。グラスに残った液体を飲み干そうと、縁に口を付けた時だった。
部屋のドアをノックする音が耳朶に触れた。
「コクトー中佐―――神裂攸人少尉です」
ガスパールが顔を上げるのと、その声が部屋の中に響いたのは、同時だった。
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