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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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31話

「海だ……」
 誰かの呟きが耳朶を打った。
 煌めく―――というよりぎらつく熱射の太陽の光に肌が焼かれる感触など、眼前に広がる広大な水たまりの前では些末なことでしかなかった。
 リゾート用のコテージの前に広がる白い砂浜に、碧く広がるマリンブルーの海。海を眺望すれば、点在する小さな島には青々とした木々が茂っている。
 クレイ・ハイデガーはコロニー育ちの人間だった。そうして、海洋コロニーは訪れたことがない―――つまり、海という存在者を五感で感じたのはこれが初めてだった。精々が知識の上で知っていたにすぎない。声こそ出さなかったが、砂浜から望む巨大な水塊には絶句するしかなかった。でけぇ水たまりである。
「見ろよ。空まで海だぜ」
 ヴィセンテが空を仰ぎ、目を白黒させる。つられて空を見上げてみれば、薄く張った白い雲の向こうは青かった。コロニーでは、空の向こうには街があるのが常識である。あるいは、地球の大地から眺める空はこのようであるかもしれない―――ところどころ島があるのには目を伏せよう。
「っしゃあ! これから目一杯リゾートを満喫しようぜ!」
 威勢よくヴィルケイは吠えたヴィルケイは、そのまま視界一面に広がるヴィヴィットカラーの海の中へと飛び込んでいった―――。

(ってなるだろフツー!?)
 ヘッドセットの向こうからがなり立てる声が鼓膜を叩く。通信ウィンドウの向こうでは、珍しく顔を険しくしたヴィルケイが喚いていた。
「しょうがないでしょう、そもそも主目的は耐環境試験なわけですから……」
 呆れながらも眉を下げたクレイは、まぁそうなるよな、と全天周囲モニターに映る下界に視線を移した。
 サイド3への遠征は、そもそも教導だけが目的ではない。サイド4跡地―――というか跡宙域?―――での新生サイド4建設計画に先んじ、当該宙域に残された旧サイド5コロニー群の残骸を占拠する所謂宙賊の討伐任務に向けての前準備という意味合いもある。そして、リゾンテでの《リゼル》及びN-B.R.Dの耐環境任務もまた、そうした目的の中の1つだった。現在こそ観光コロニーということで民間に開放されているが、元々リゾンテは軍用のコロニーだ。未だ現存する軍事施設群を有効活用し、未だデータの蓄積に勤しむ《リゼル》とN-B.R.Dの試験を実施する―――と、連邦上層部には通達してある。実際は教導開けの休暇でしかないからこそ、ヴィルケイの憤慨も無暗なものだとは理解しなかった。そもそも耐環境試験など、ハワイでもやればいいのである。それに耐環境試験といっても、未解体の大仰なベースの上で、稼働状態で何もせず棒立ちしているだけというのだから苦行だった。
(わかるか、リゾートだぞリゾート!? この満天の青い空の下、ビーチとオーシャンビューといや、あとはなんだ?)
「―――さぁ?」
(水着だろうが! 露わになった柔肌を拝めないなんてナンセンス極まりねぇ!)
 がたがたと通信ウィンドウが揺れる。コクピットの中で暴れたせいで機内カメラが揺さぶられているのだろうか。
 ヴィルケイにとって水着は―――正確には女はそんなに甚大な価値を持つのだろうか。持つのだろう。アイルランド系とはいえ、ヴィルケイにはイタリアの血が流れているのだ。戦争するのは下手くそだが、パスタを茹でることと女に全身全霊を賭ける長靴の血筋がそうさせているに違いない。
(ヴィルケイ、いいモノがある)
 ウィンドウの中で攸人がにやりを笑みを浮かべる。何事か攸人が操作すると、不意に多目的ディスプレイに別にウィンドウが立ち上がる。
(こ、こいつは……!?)
 ――――――水着、だった。
 もちろんデパートに陳列されている誰のモノでもない水着ではない。その水着には持ち主が―――つまり、水着を着た何人かの女の子たちがキャッキャウフフしながらビーチバレーに興じている映像だった。というか、同じ部隊の同僚たちの水着姿が映し出されていた。
 ビキニにタンキニに、あるいは競泳水着のようなデザインの連邦軍女性用水着など多種多様な水着に彩られた柔肌がぴょんぴょん跳んだり跳ねたりしている様を食い入るように見つめるヴィルケイは、おそらくこれがどうやって撮られているのか聞くようには思えない。むしろそんなことは問題とすら思うまい。
「これ、誰が撮ってんだ?」
 クレイもまた、人生が豊かになりそうな映像からは目を離さず、攸人に無線を入れる。
(オーウェンだよ。 何もすることないって言ってたからちょいとね)
 ははぁ、と納得の溜息を吐いた。
 《FAZZ》は既に実証済みの機体故に、オーウェンにとって耐環境試験は全く無関係な話なのだ。それにしてもわざわざこんな頼みを聞き入れるのか―――茫洋とオーウェンの顔を思い浮かべる。任務上あまり一緒になることもなければ、寡黙な人物らしいオーウェンは未だによくわからない人だった。
 ―――圧巻なのはジゼルだった。ビキニなのに本気になってボールを追いかけているから、胸の上部に溜まった脂肪と夢と希望の塊がばるんばるんと躍動する様はもはや詩的(ポエティッシュ)とすら呼べよう。痛そうだな、とも。
 うーむと唸る―――誤解しないように敢えて叙述するが、決して瑞々しい形而上学肉体の蠱惑に屈しているわけではなかった。もちろんそれも重要なのだが。何よりクレイの気にかかったのは、エレアが居ないことだった。あの銀髪の少女はそれだけで目立つ存在である。ただ映っていないだけかと眉に力を込めてみたが、やはりエレアの姿は見られなかった。
 よくよく見てみれば、フェニクスの姿も無い。エレアのフィジカル・データの詳細は隊長であるフェニクスが管理している。もちろん、オーガスタ研から派遣されて来ている専属の医師が抜本的な体調管理に携わっているのだが、実務的にそれを執り行っているのはフェニクスなのだ。
 2人とも居ない―――恐らく、フィジカルの関係でちょっと不都合があって安静にしているエレアの付き添いでもしているのだろうと見当づけた。それか、階級が上の人間としてせっせと仕事に励んでいるかのどちらか―――モニターの向こうではクセノフォンが女の子の群れの中で何故かビーチバレーに励んでいるからそれは無いか。羨ましいとは思っていない。
 エレアの水着かぁ、と背中をシートにつけ、漫然と思案する。アルプス山脈から溶け出した雪解けの流水―――エレアの印象を、クレイ風に小賢しく表現するとそんな感じである。かんかんと照りつける太陽の光の下にいるエレアというイメージは、なんだか奇妙だった。
(かー! あいつは今この光景を生で見てるのかよ! 許せねぇ。許せねぇが許すぞ! グッジョブ!)
「―――とかなんとか言って、こっちはこっちで楽しみがあるんじゃないですか?」
 デジタル映像の中のヴィルケイが白い歯を見せる。
 棒立ちする2機の《リゼル》と《ガンダムMk-V》。その3機からやや距離を置いて、平行に位置ぶ3機のMSの姿があった。
 わざわざデータベースにアクセスするまでもなく、その3機のMSは理解できた。RGZ-93EMP《ズィートライ》改め《リゼル》は、《ガンダムMk-V》の隣で憤然と佇む《リゼル》の同型機だったからだ。正確には、ブロック40―――ゲシュペンストで使用しているものを更新した機体だ。ブロックの更新、という割に、メインカメラの概観が大きく異なっているのが目を引く。所謂ゴーグルタイプのカメラアイを備えており、全規模量産モデルとなるのだろう。ブロック35に比べてどれほど性能が上がっているのかは、興味深いところだ。
 もちろんヴィルケイが大いに関心を寄せるのはそんな無機質で澄まし顔をしている《リゼル》などではない。注意の志向は、その巨人の足元にあった。
 ビーチの健気な映像を映すウィンドウの隣にまた別ウィンウが立ち上がり、デジタルムービーを流し始めた。
 携帯用のドリンクに口を付けていたクレイは思わず吹き出した。。
 熱射が照り付けるアスファルトの上でも、やはり水着を着こんだ成人女性たちが3人並び、その周囲をカメラマンが忙しなく動き回っていた。
 スリングショットにマイクロビキニ。とにかく布面積が少ない水着を身にまとった3人が、エロティシズムに満ち満ちた色気を振りまいていたのだ――――――1人はなんだか嫌そうだが。
(いやーこれが見られるのが救いだね)
 ご満悦そうにほっこりするヴィルケイ。わざわざここれに合わせて、今回の耐環境試験のスケジュール変更を強行し、そして変更させてしまったのだから恐ろしい。極めて官僚的な連邦政府の体質からして、組み上がったスケジュールを変更させるのはよっぽどのことがなければ不可能なのだが―――イタリア魂は伊達じゃないのである。
「あれ広報のスチール撮影ですよね? しかも民間に公開する奴の」
 しかも《リゼル》の正式配備間近を控えての特集として、である。一方、3人の美女たちをフレームに収めてはシャッターを切るカメラマンは、きわどい角度の撮影に執心しているようだった。
(《リゼル》のメインテストパイロットのインタビューとかがあるんだろ)
 攸人が言う。納得していいのか微妙な心持ちになりながら、データベースから試験部隊のデータをサーチする。
 スリー・アローズ―――なるほどゲシュペンストに負けず劣らずの業物だった。何が、とは言わないが。
(俺の予想だがな)
 ヴィルケイの顔が淫猥に歪む。
(お前、あのちょっと大人しそうなぽっちゃりガールが好みだろ?)
 わざわざご丁寧に3人のうちの1人―――『ぽっちゃりガール』に映像をフォーカスさせる。大人しそうな見た目に反して一番布面積が少ない水着なのは、おそらくイジられてた末路だろう。心の中で十字を切った。
(うーん正鵠を射ているようですが……)
(なんだよ、文句あんのか?)
(確かにあれも良さ気です……が、多分あの眼鏡の隊長だと思うね。クレイはロリコンですけど包容力のありそうなおねーさんも好きなんだ)
(へー流石に仲が良いだけあるな……って、それ単なる女好きなんじゃねーか?)
 人の性癖に華を咲かせる2人に何を言っても無駄だということは十分思い知らされている。憮然とした顔をしながらも、聞くとはなしにスルーしたクレイは、もう一度ビーチバレーの映像に目をやった。
 エレアの水着姿が見たいなぁ―――。
(―――あ! 野郎、副隊長なんて映してるんじゃねえよ! おい! おぉい!?)
 眼前のディスプレイを握り拳で叩きはじめるヴィルケイ。
 画面の向こう、響く黄色い悲鳴と共に、黒光りする筋肉達磨が、華麗なジャンプと共に苛烈なスパイクをコートに叩き込んだ。      
                      ※
「―――そうか、わかった。下がっていい」
 一礼した男が踵を返す。執務室のカーペットの上を音も無く歩いていく男の身振りには隙が無い―――と思う。デスクから眺める男は軍属でもなければ武の修練もない。記憶を辿れば、ハイスクールでクリケットに打ち込んだのが最後のスポーツの記憶だった。それも、もう何十年も前のことだと思うと随分年をとったものだなぁ、と思案した男は思わず苦笑いが漏れた。
「失礼しました」
 もう一度一礼し、無駄に大きなドアが重々しい音を立てた。
 静かに溜息を吐いた。部屋には誰もいないし、”洗浄”済みの部屋で気を配ることもないのだが―――それでも事が事だと思うと、気を抜くことはイコール自分の失墜に繋がるという心臓の蠢動を感じてしまう。むしろ良い兆候、と捉えたい。程よい緊張感はむしろプラスになるはずだ―――。
 『イレギュラー』も当面は敵ではない。まさか彼らが動いているとは思わなかったが―――だがなるほどと思うところがある。貧乏人(ネオジオン)どもがどうやってあのクラブ・ワークスのアーティスティックかつプラトニカルな設計図を現実に昇華させるのかと思ったが、『彼ら』が金を出すというのなら理想は形になり得よう。
 しかしそうなると『彼ら』の要求は何だ? 技術力の収集―――それでは釣り合い取れない。《クシャトリヤ》だけならともかく、《スタイン》の強化モジュール一式の資金まで出すとなると―――。
 デスクの上のPC画面に目をやる。東アジア・カトマンズ基地に潜ませたインフォーマーからの報告だった。
「―――悪いが、財団と本格的に矛を交える気はないのでな」
 男は液晶画面から目を離し、PCの電源を落とした。最高級のスーツを着こなす男は立ち上がると、緩慢な動作で窓際に立った。
 フォン・ブラウンの市街を眺める。宇宙でも絶え間ない発展を続けた数少ない街。ここが月の大地の下にある街である、という情報にはもはや新鮮味を感じない。男にとって、この月都市は第2の故郷であった。
 街の遠くに佇む建築物が目につく。アナハイム・エレクトロニクスが出資して設立された専門学校だ。
 微笑した。苦笑いだったかもしれない。男の細やかな楽しみが、あの建物にあるのだ。野心などというのではない、もっと健気な楽しみが。
 将来、どれだけアナハイムに貢献することになるかは未知数だ。だが、きっとあの男ならアナハイム・エレクトロニクス社の未来を確固たるものにしてくれるだろう。
 窓に映った男の顔は、ほんの少しの間だけ穏やかさを滲ませていた。 
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