神聖銀河帝国・雑多な設定メイン
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設定7
前書き
一応 大和皇国設定も載せておきます。
豊臣政権が続いているという設定です。
神聖大和皇国
総人口 3億3800万人
首都 摂津大坂
首都人口 400万人 国内総生産 2250兆円
国家予算 12兆60億5042万円
建国記念日 紀元前660年2月11日 国章 五七桐
国教 神道
政治体系 立憲君主制
皇帝 後光格皇帝
皇后 同皇后
関白 豊臣秀家大公爵(21)
皇国宰相 為眞護道公爵(55)
大将軍 為眞護道兼務
1600年、関ヶ原合戦において徳川家康が、上田合戦にて徳川秀忠が討死し、お家騒動に。豊臣朝臣羽柴左近衛中将結城秀康が徳川宗家を継いだものの、徳川家は関八州250万余石からお家騒動・惣武事令違反・私的婚姻違反などで駿河・遠江二ヶ国50万石へ大減封。
ちなみに関ヶ原で池田輝政・織田長益・福島正則・細川忠興・藤堂高虎・井伊直政・松平忠吉・本多忠勝が、上田合戦で榊原康政・最上家親・本多正信・大久保忠隣がそれぞれ討死している。
福島家は豊臣一門であることから罪を減じられて正則の子忠勝に尾張清州10万石の相続が許された(後に尾張一国と美濃半国65万石に増石)。
また、積極的に東軍に組したとして最上家・南部家・伊達家・堀家・山内家・秋月家などが改易され、当主は3親等処刑された。次いで東軍に寝返りを画策していた脇坂家・朽木家・小川家・赤座家・小早川家・吉川家・増田家も改易。小早川秀秋は高野山に追放され若年死する。毛利家も吉川広家以下数十名の賜死者を出し、吉川・小早川領を公儀に収公されて大きく石高を落としたが本家は総大将を務めたこともあって、秀元に別家が認められ、上州高崎に40万石が与えられた。
これによって豊臣政権は盤石となり、2100年、地球規模の地殻変動によりその命脈を絶たれるまで500年以上の政権を維持することとなる。
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