IS インフィニット・ストラトス~普通と平和を目指した果てに…………~
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number-32
「ふう、ようやく行きましたか」
そう、一息ついたのは、セシリアのメイドで親友でもあるチェルシー・ブランケットだった。イギリスからセシリアと付き添ってきて、荷物を寮の方に置いてから戻ると一夏がいて他愛もない世間話に興じて、つい先ほど二人並んで学園の方に向かっていったところだった。
息を吐くように女を口説くのもどうかと思ったが、どうやらあれは無意識のうちにやっていることなのだからたちが悪い。そのうえあのルックスなのだからコロッと行ってしまう女性がいてもしょうがないことなのかもしれない。別に私は興味ありませんが、と、心の中でぼやきつつ、イギリスに戻るため空港に戻ろうとここまで乗ってきた車に向かってあるこうとしたところだった。
ポケットに入れていた携帯が震えていることに気付き、取り出すとメールが来ていた。今の時代、スマートフォンなる新世代機が登場しているようだが、一介のメイドにすぎないチェルシーは携帯電話のままだった。
メールの差出人の名前を確認すると、一瞬にして彼女の表情が変わる。先程までの誰にでも受けるような微笑から全くの無表情に切り替わった。ディスプレイに表示されている名前は、亡国機業。
「命令……?」
そう呟いてメールの中身を確認する。少しして中身を確認した彼女は、一旦瞠目して、誰もが怯えそうな冷笑を浮かべた。
「……そう、もうそんなところまで来たのね。セシリアとも一緒にいられなくなるのね……早いような、短いような……どちらにせよ、もうあんな我が儘聴かなくていいのは清々するわ」
彼女のつぶやきは、周りに誰もいないため聞いた者は誰もいなかった。そして、チェルシーは長年連れ添った主に対しても大して傷心することもなく、いつか来る別れが分かっていたのか、セシリアがチェルシーに対して抱いている愛情や友情をチェルシー自身は一片も持ち合わせていなかった。
「さて早く戻って、いつでも消えられるように準備でもしておきましょうか」
誰かに伝える訳でもなく、自分で確認するために声に出してこれからのことを確認して、何が起こるか分からない未来に思いを馳せた。
◯
「束の家はこのあたりなのか?」
「うん、ほら、あそこに見える山がそうだよ。あそこに私の家……篠ノ之神社があるんだ」
「駐車場はあるのか?」
「……確か、麓のあたりに小さいけどあったはず。けど、もうないかも」
蓮と束は信号が青になったのを確認して、バイクを動かす。
目的地である篠ノ之神社まであと数分のところまで来ていた。辺りは閑静な住宅街で、こんなところに山が丸々一つ残っているのも不思議だが、辺りを見る限り公園のようなものは見当たらないから、この近くに住む子供たちの遊び場所にもなっているのだろう。
山の麓近くまで来ると駐車場を見つけ、そこにバイクを止める。バイクから降りて束からヘルメット受け取ると自分もヘルメットを脱いでバイクのハンドルにかける。キーを抜いて蓮が束の方を見ると彼女はすでにつばの広い麦わら帽子をかぶっていた。
束は篠ノ之神社のある山を見て、まだ気持ちの整理がついていないのが瞳が不安に揺れていた。わなわなと震える唇に開いたり閉じたりする手が今の彼女の心情を素直に表していた。
「ほら、行くぞ」
「あっ……」
この暑い日差しが容赦なく降り注ぐ中を蓮は束の手を取って神社へと向かっていく。
蓮に引っ張られるように後ろをついていく束。その視線は彼に握られている手に向いていた。自分と同じくらいに白い手。それでいて自分よりも一回り以上は大きい手に握られて、彼女の心は高鳴っていた。
いつもなら自分からはこんなことをしない蓮が、今日は自分からやってくれたことが束にとっては嬉しかった。自分を気遣ってくれることが嬉しい。
今だけはこのうっとおしい暑さも忘れられた。
時折僅かに吹く風が周りの木々の葉を揺らしてかさかさと音を立てる。それをかき消すようにセミの鳴き声が辺りに木霊しながら響く。神社へ続く参道は階段になっていて、辺りの木々が覆うように枝葉を広げて、日陰になっていた。
蓮は視線を上に向けると、階段の切れた先が白く見える。そこには建物が見え隠れしていた。
階段をほとんど上って神社が視界に入ってくると、束に力が入るのを繋いでいる手越しに感じられた。
ちらっと束を見てみれば、初めて会った人が分かるほど緊張しているのが分かる。
「束」
「……っ! ……何?」
蓮が声をかけると明らかにびくっとしてどこか怯えたような表情を見せて、捨てられた子犬のような瞳を蓮に向ける。その際に上の段にいる蓮を見上げようとしてずり落ちそうになった麦わら帽子を手で抑える。
蓮は束と同じ段まで降りるとなんの合図も躊躇いもなく、束を抱きしめた。
「……えっ? にゃっ、にゃにをっ! いきな――――」
「大丈夫だから。もし行った先に親戚や家族や両親がいて、束のことを否定しても、俺だけは束の味方であり続けるから。だから、大丈夫」
「…………ありがと。ちょっと、元気出た」
驚く束の声を途中で遮って、蓮は自分が心の中で思っていることをありのままに口にした。抱きしめた時にくしゃっとなってしまった麦わら帽子を気にすることなく、抱きしめた。
束は確実に自分の顔が赤くなっていることを自覚しながら、押し当てられた彼の胸から早い鼓動が聞こえて、自分の不安定だった心が落ち着くのを実感していた。でも、名残惜しいけど麦わら帽子をぐしゃぐしゃにしたくないから離してもらう。
頬を赤く染める彼の顔を見て、嬉しくなって彼の手を引っ張って残りの階段を一息に上り切った。
――――。
さっきまで感じていた高鳴りが潜めた。
神社特有のどこか神聖な厳かな雰囲気の中に懐かしさを感じる。もう二度と帰ってくることの無いと思っていた自分の家に帰ってきた。それだけで何かこみ上げるものがある。
隣の蓮も真面目は表情をしてまっすぐ前を見ていた。
帰ってきた。
あと一度だけでもここに戻ってきたい。そう思って九年、十年。それぐらい時間を使った。また家の土を踏めた。感慨深いものを感じながらゆっくり神社に向かって歩みを進める。
「……あら? もしかして、束ちゃん?」
「!! ……雪子叔母さん」
「やっぱり! 久しぶりねえ、元気にしてた? ずいぶん大きくなって……」
「……お父さんと、お母さんは、いるの?」
「……いいえ、いないわ。伝言はあるけど……聞く? あなたにとってはつらいモノよ。それでもいいの?」
神社の境内に姿を現したのは、四十代後半のおっとりとした雰囲気を持つ女性だった。束の様子から見て親戚のようで、それも随分と気にかけてくれたいい人のようだった。今はまだ束の隣にいる蓮のことに気付いていないようだが、気づいたらそのあたりの関係をぐいぐいと聞いてきそうな人でもあった。
そんなことを考えている蓮とは裏腹に束は、両親の伝言を聞く覚悟を決めて、視線で先を促した。
「……そう、じゃあ言うわよ? 『お前なんてもううちの子じゃない、絶縁だ。赤の他人のお前は二度と私たちの前に顔を見せるな』よ。実の娘にここまでいうなんて……ひどいわ」
「……っ」
予想は、していた。覚悟も決めていた。それでも自分を産んでくれた親なのだ。その実の親から否定されたことに、計り知れないほどの衝撃を受けた。どうでもいいと思っていたのに、どうして?
あんな両親なんて見限って当然なんだという思いと、両親に捨てられたという悲しみが心の中を半分ずつ占めていた。
「……束、ちゃん?」
「……だい、じょうぶ。悲しいし、つらいけど、私はそれだけのことをしたんだから」
強がっていることが蓮から見ても雪子から見ても明らかだった。けれども、そこを指摘するようなまねはしない。これは彼女の問題なのだから。
だから、話題を逸らす。
「ところで束ちゃん。隣にいる素敵な男の子は……もしかして?」
「えっ? あ、うん。ちょっと違うけど、私の大切な人だよ」
「あら~? あらあら、まさか束ちゃんが先になるとはねえ……これは予想してなかったわ」
微笑ましそうに束を見る雪子。先程の自分の発言に束は若干頬を赤くしていた。同じように蓮も赤くしていたが、そんなに動揺はしていないようだった。
と、ここで雪子は二人を神社の中に招く。暑い日差しの中、いつまでも外にいさせるのは悪いと思ったのかもしれない。
境内を歩いて奥に案内される。どうやら箒も帰ってきているみたいだが、束は顔を合わせたくなかった。つい先ほど、両親からの伝言で相当なショックを受けているところに、おそらく箒は、畳み掛けるように罵声を浴びせかけるのだろう。彼女は、元々姉である束のことが苦手であるうえに、両親のお気に入りでもあったため、一家離散の原因を作った姉のことを心のどこかで許せずにいるのだ。
そうなってしまえば、家族全員から否定されたことになってしまう。それだけのことをしたという自覚はあるのだが、さすがに今はまだ、妹のことも精神的な支えにしておきたい。
そうでないと、とうとう本格的に蓮に依存してしまいそうだ。まだ自分のことは自分で考えてやっていきたい。
そんな束の心情を読み取ったのか、雪子は箒がいることを告げるが、なるべく合わない様に別室に通してくれた。
箒は今夜の祭りで神楽舞を舞うらしいが、束は誘いを断る。自分も舞えなくはないが、どうしても箒と比べると見劣りする。それに彼女と顔を合わせたくない。雪子は自分のミスを悟ったのか、気まずい顔をして笑っていた。
◯
夏祭り。二人の装いはほとんど変わらない。蓮は、ジーパンに半袖の白Tシャツ。束は白のひざ下まであるワンピースで薄手の緑色のカーディガンは脱いで。腰についた白い大きなリボンで、つばの広い麦わら帽子は粒子化してしまった。
雪子から浴衣に袖を通すことを提案されていたが、夏祭りが終わったらすぐに学園に戻らないといけないため、遠慮した。
周りにはタコ焼き、フランクフルト、焼きそば。射的にくじ引き、お面、綿あめ。色んな屋台が並んでいる。束の手には綿あめが握られていて、心持嬉しそうに蓮の少し前を歩いている。
いつの間にか髪型が変わっていて、ツーサイドアップテール……要するにツインテールにしていた。白いワンピースと薄紫色の長い髪が合わさってどことなく神秘的な雰囲気を出していた。
「おい、見ろよ」
「なんだ……うおっ、やば、あの人めっちゃレベルたっけえ!!」
「…………痛っ、何すんだよ」
「別にっ、なんでもないっ」
束は浴衣を着ていないためか周りから浮いて目立ち、その上容姿で目立っていた。しかし、それを気にする彼女ではない。ISの発明者をばれないものかと不思議に思わなくもないが、思い出してみると、発明者としての彼女は、アリスのような服装に機械的なウサミミをつけているため、そっちの方がインパクトが強いのかもしれない。
束も目立っているが、蓮も表だって騒がれていないが、かなり見られていた。
蓮は視線を感じて周囲を見渡すが、誰が見ているのか人ごみで分からない。その代わりに、一夏と箒が二人並んで歩いているのがちらっと見えた。こっちに歩いてきているのを確認すると束の隣まで歩いて手を取る。
「ふえっ?」
「あの二人が来てる。移動しよう」
「う、うん」
人ごみの中をはぐれないように手を繋ぎながら歩く。あいつらはゆっくり歩いているようですぐに距離は離れた。
その姿を見ていたのは、五反田蘭とその友達でもある彼女たちが通う生徒会のメンバーたちだった。
五反田蘭は、一夏の親友である五反田弾の妹でかなり優秀なのだが、猫をかぶっているといったような人だった。
「か、会長。あの二人すごくないですか?」
「え、どれ? ……わっ、本当だ」
彼女たちはあのすれ違った二人の容姿も然ることながら、纏う雰囲気に不思議なものを感じていた。
立ち止まってあの一組の男女が去っていった方を見ていたら、蘭は一夏と出会う。勿論、隣には箒もいたが、一夏と出会えたことに舞い上がっている蘭の目には入っていない。
と、ようやく落ち着いた蘭は、一夏の隣にいる箒を見て首を傾げた。
「む、なんだ。私の顔に何かついているのか?」
「い、いや、そうじゃないんですけど……さっきすれ違った女の人に雰囲気似てるなって思って」
「何、それはどんな人だったのだ?」
「顔は見たわけじゃないんですけど、髪が薄紫色っていうんですか? そんな感じの色の長い髪の人で腰に白い大きなリボンをつけてて、隣に一夏さんよりも背の高いカッコいい男の人がいました」
「そ、そうなのか……」
箒と一夏は顔を見合わせた。男の方は分からないが、女の方には何か覚えのあるような気がしてならないのだ。しかも、身内で。もしも、二人が思っている人であれば、必然的に隣にいる男は決まってくる。
箒は、夏祭りの明るい雰囲気とは逆に少し気持ちが落ち込んだ。
――――願うことなら、絶対にその二人と合わせないでくれ、神様。
そう心の中で祈った。
それから幾分か時間が過ぎて、この夏祭り最大の目玉である花火がそろそろ上がろうとしていた。
一夏と箒は先に弾に捕まって帰ってしまった蘭を送ってから、二人の穴場である山にある高台へと登っていた。町が一望できる高台。眺めがいいのだが、少し登ることと、元々人気がない所ということも相まって全く人が来ない穴場のようなものになっていた。
そんな最高のシチュエーションの中でひそかに一人の乙女が決意している頃、束と蓮の二人は、山の高台から離れた山の中、木がなくちょっとした広場になっているところを見つけて、レジャーシートを出して敷いた上に並んで座っていた。山の斜面にあるこの場所もやはり穴場というもので、街の光は木々に隠れて見え隠れしているが、空は遮るものがなかった。
――ヒュウウウゥゥ…………ド―――――ン!!
「お、上がったよれんくん!」
「ああ。……綺麗だな」
この花火大会は百連発が有名らしいのだ。確かに有名なだけあって、赤、青、黄色、緑などと色鮮やかに黒いキャンパスの上を彩っている。花火が瞬くたびに二人の影を暗い森の中にまで伸ばす。
束は目を輝かせて花火を見ていた。子供のようにはしゃぐ彼女を見ていた蓮は、小さく笑った。
「む、今笑ったでしょ」
「笑ってない」
「笑った」
「笑った……かもしれないな」
「むううっ!! やっぱり笑ったんじゃん!!」
ポカポカポカと叩いてくる。それを受けていると、二人はおかしくなったのか同時に笑った。一通り笑うと、まだ打ち上げられている花火に向かって座る。今度は、束が蓮の右腕に手を絡めて肩に頭を乗せながら花火を見ている。
五分もたたないうちに束が蓮に問いかける。
「れんくん」
「……何だ」
「今、幸せ?」
「どうだろうな。……幸せなのかもしれないな。束は?」
「私? 私はねー……」
突然右頬に感じる柔らかく温かい感触。驚いて束の方に顔を向けると、彼女は悪戯が成功したような笑顔を浮かべていた。
「ものすごく、幸せだよっ」
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