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藤崎京之介怪異譚

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case.4 「静謐の檻」
  Ⅴ 同日 PM3:16


 予期していた最悪のシナリオ…それが目の前で始まった。悲鳴は惨劇開幕の合図だったのだ…。
 俺達が本館へと入ると、悲鳴が上がった場所を探すまでもなく、一人の仲居が山之内氏の元へ駆け寄って言った。
「女将さん、大変です!吉岡さんが…吉岡さんが…!」
「中本さん落ち着いて!一体何があったの?」
 山之内氏が聞くと、中本と呼ばれた仲居は青い顔をしたまま言った。
「休憩室で…吉岡さんが血を吐いて倒れたんです!そのまま息もしてないし、私、どうしていいのか…!」
 俺達は顔を見合せ、直ぐに休憩室へと急いだ。
 そこには騒ぎを聞き付け、数人の従業員がいたが、その誰もが真っ青な顔をして一点を見据えていたのだった。
 そこには…この旅館には全く不釣り合いな光景が広がっていた。それを見るや、相模は直ぐに山之内氏へと言った。
「山之内さん、直ぐに警察を。」
「は…はい!」
 半ば放心状態だった山之内氏は、何とか気力を振り絞って事務所へと駆け出した。その後、相模はその光景を指して俺に問った。
「京…これは人間の仕業だろ?」
「いや、霊の仕業だと断言するよ…。」
 その光景は、あまりに不自然と言えた。仲居の話では、吉岡さんは吐血して倒れたと言っていたが…吐血量が異常なのだ。まるでどこか切り裂かれたかのような血の海…吐血でここまでになるのか?
 否。人が皺になってしまうほどに吐血するなんてあり得ない。吉岡さんの表情は、まるで恐ろしいものでも見たかのように歪み、その顔は水分を抜いたように皺になっていた。
「相模。死ぬほどの吐血をさせる毒物ってなんだ?それも、これほど…。普通はここまで吐血するはずはないだろ?その前に死に至ってしまうから…。」
「そりゃ…そうだが…。ま、警察の検死解剖で何か分かると思うが…。」
「出る…とは思うが、常識の範囲外だと思うよ?その前に、次の犠牲者が出ないようにしなくちゃな…。」
「おい…京。まだこんなことが起こるってのか…?」
 周囲の人達は、この状況で話をしている俺達を見て怪訝な顔をしていた。いや、気持ち悪いと思っていたのだろうな。
 俺も相模も、もう死体には慣れてる。だが、旅館の従業員にそれを求める訳にはいかないから…仕方無い。
「こりゃ見世物じゃねぇんだ。従業員は警察が来るまで発見者以外は仕事してろ。部屋には絶対入るなよ。」
 野次馬で見にきた従業員に、相模はそう言って持ち場へと戻した。この後の客の応対に、恐らく従業員は天手古舞になるに違いないからな…。
 暫くすると、パトカーのサイレンが遠く聞こえ、その後直ぐに山之内氏と警察の人達が姿を見せたのだった。だが、その中の男性を見て、俺達は驚いて叫んだ。
「佐野さん!?」
 俺達の声を聞くや、その男性も驚いたように目を丸くして言ったのだった。
「君達、何でこんなとこへいるんだ!?」
 そう言って、彼は俺達のところへと歩み寄ってきた。
「いやぁ、懐かしいなぁ。」
「佐野さんは変わりませんねぇ。今はこちらへ?」
「ああ。今は警部に昇進したがな。」
「ええっ!?凄い出世したんですね。山桜事件の時は、あれだけ松山さんに怒鳴られてたのに…。」
 俺にそう言われると、佐野さんは頭を掻きながら苦笑したのだった。
「そう言われると弱いがな…。いや、そんな昔話をしに来たんじゃないな。相模君がここへいると言うことは、何か事件性があるのかい?」
 後ろにいた相模に佐野さんが問うと、相模は困ったような顔をし、俺を指差して言ったのだった。
「佐野さん…こいつが一緒ってこと、忘れちゃならないぜ?」
 この相模の言葉に、佐野さんはその表情を露骨に変えた。
「まさか…それはないよな?」
 そう佐野さんが言うと、既に調査を開始していた警官が佐野さんの元へとやってきた。
「警部。亡くなった女性は、やはり女将の話通り、この旅館で住み込みで働いていた吉岡薫子とみて間違いありません。吐血以外目立った外傷もなく、恐らくは内部から出血したものと考えらますが…。検死で詳細は分かると思いますが、死因は出血によるショックかと。」
 警官の報告を聞き、佐野さんはいよいよ顔を青ざめさせ、俺達を振り返って言った。
「君達…明朝にでも署へ来てくれ…。一応…事情聴取するから…。」
 そうか細い声で言うや、直ぐに警官へと振り返って指示を出し、後も振り向かずにその場を後にしたのだった。
「あいつ逃げたな…。」
「ああ…逃げたね…。」
 そう俺達が呟いている間にも、周囲の警官は手早く仕事をしていた。検死官は既に仕事を終えた様で、遺体を運び出すよう指示していた。他の警察官は、別室で関係者に事情聴取をしているようで、周囲にいた野次馬達の姿も見えなくなっていた。
 俺達が隅でそんな光景を見ていると、遺体を運び出すところで異変が起こった。
「痛っ!」
 遺体を運び出そうと担架に移す時だった。一人が、どうやら何かで怪我をしたらしい。だが、遺体には怪我をする様なものなどない…。あれば検死官が気付いている筈だ。怪我をした警官も首を傾げて不思議そうにしていたが、直ぐ何で怪我をしたかが分かったようだ。
「おい…これ見てみろよ…。この遺体の手…。」
 そう言われたもう一人の警官は、言われるままに遺体の手に視線をやると、その眉間に皺を寄せて言った。
「これ…針金か…?何でこんなもんが手から突き出てんだ?検死官はちゃんと見たのか!?」
 その二人の警官は首を傾げながらも、遺体を慎重にタンカーに担架に乗せて運び出して行ったのだった。
「京…針金って…。」
「まぁ…前例がないわけじゃないよ。血管に無数の縫い針が入っていた遺体もあったって話だしな。」
「ゾッとするなぁ…。だが、何でそうなるんだ?」
「不明だよ。まるで始めからそこに在るかのように、どこから入ったかは分からないんだ。霊の力なら…それは可能と言えるかもだけど…。」
 俺がそう答えると、相模は「有り得ねぇ世界だな…。」とボソリ呟いて、一人その場を立ち去ったのだった。
 亡くなった吉岡さんには悪いが、俺は彼女の死で終わってほしいと願った。

 しかし…そう甘いものではなかったのだった。



 
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