黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇
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4部分:第四章
第四章
「全くな」
「そういえばニューヨークのお婆さんも」
「妹の国籍は何じゃったかな」
「アメリカ人よ」
沙耶香が答えたのだった。
「確かね。系列は」
「日本人かのう」
「いえ、確か」
その目に微かだが思案の色を混ぜた。そうしてその色をブラックルビーの目に浮かべたまま述べるのであった。
「ギリシア系になっていたかしら」
「そうかい、それは面白いのう」
老婆はそれを聞いてまた笑った。
「あ奴がギリシア系とはな」
「滅茶苦茶だと思うわ」
沙耶香は苦笑いを浮かべた。うっすらとだがそれは確かに自分の顔に浮かべていた。
「あれでギリシア系だなんて」
「では日本人に見えるかのう」
老婆はまた沙耶香に楽しそうに聞いてきた。
「そこはどうじゃ?」
「正直それはわからないわね」
沙耶香は苦笑いと共に首を微かに傾けさせた。傾げさせていたのだ。
「あの顔だと」
「そういうことや。歳を取れば肌の色が極端でない限り何処の人間かはわからぬさ」
「そういうものなのね」
「その通り。主は何処の人間かわかるがな」
「アジア系だといつも言われるわ」
沙耶香は首を元に戻して言葉を返した。
「肌は白くてもね。この顔立ちで」
「ふむ、それが心地よいようじゃな」
「別に。これで男にも女にも困っていないから」
またそう述べる。
「むしろこの顔がいいのよ」
「アジア系の顔がか」
「私にとってはね」
笑ってまた述べる。しかしその笑みは目を細め唇の形を変えている。そうして妖艶なものを漂わせた笑みになっていたのであった。
「この顔が一番いいわ」
「生まれ持った顔がか」
「どの国でもこれで苦労したことはないから」
それだけ多くの男女、とりわけ美女を篭絡してきたということである。沙耶香にとって美女の花を手に取ることはこの上ない快楽なのであるから。
「だから、これでいいのよ」
「そうなのかえ。一昔はな」
「人の美しさはそれぞれよ」
また妖しい笑みを浮かべるのだった。
「アジア系にはアジア系の美しさがあり」
「ヨーロッパ系にはヨーロッパ系のか」
「アフリカ系にはアフリカ系のね」
沙耶香はこうも述べた。
「それぞれあるものよ」
「好きよのう、主も」
「博愛主義者なのよ」
うそぶいた言葉であった。
「私はね」
「ではこの街の娘ももう」
「一人ね」
紫麗のことであるのは言うまでもない。
「楽しい一夜だったわ」
「ほほう、流石じゃのう」
「中国の美女も好きよ」
「主は誰でもじゃろうが」
老婆はすぐに突っ込みを入れた。その通りだからだ。
「全く。誰でも彼でも」
「違うわ、それは」
しかし沙耶香はそうではないと言うのだ。
「誰でも彼でもじゃないわよ、私は」
「では何なのじゃ?」
「気に入った相手ならよ」
今度は目だけで笑ってみせた。妖しい笑みを。
「そうでなければ。誰でも彼でもではないわ」
「同じじゃと思うがな」
「摘み取る花は選ぶわ」
沙耶香はこう表現した。
「愛でる蝶もね」
「左様か。それにしても女子が多いのう」
「たまたまよ」
沙耶香にとってはそうである。
「たまたまね」
「ふむ、たまたまか」
「気に入った男がいればいいのよ」
沙耶香は言う。
「けれど。どうにも」
「ふむ。今はやはり女子がよいのじゃな」
「言い寄ってきたらまた別よ」
それで拒む沙耶香ではない。言い寄って来たならば男でも女でも拒むことはしない。だがそもそも彼女に声をかけてくる相手が非常に少ないのであった。
「いないのよね」
「主は声をかけにくいのじゃ」
老婆はそう沙耶香に答えた。
「どうにもこうにもな」
「そうね。自覚はあるわ」
当然ながらそれは自覚している。しかし。
「寂しいけれど」
「主に女子の服はどうじゃろうな」
「ドレスは着たことはないわ」
沙耶香はいつもこの黒いスーツにズボンだ。ドレスとは縁のない女なのだ。
「興味もないし」
「ジョルジュ=サンドか」
フランスの女流詩人である。ショパンとのロマンスが有名な男装の麗人である。
「それだと」
「嫌いではないわ」
うっすらと笑っての言葉であった。
「あの詩人はね。詩も人生も」
「左様か。予想通りじゃな」
それを聞いても驚きもしない。予想通りといった感じであった。
「ふむ。しかしサンドは男じゃったが」
「私は主として女ね。けれどそれでもいいわ」
「男が少なくともか」
「ええ。女には女の楽しみがあるから」
またあの妖しい笑みにしての言葉である。やはり沙耶香は女の肌も何もかもを心より愛しているのであった。その味を知っているからこそ。
「それでいいわ」
「では上海でも同じじゃな」
「そうね。何処でも変わりはないわ」
自分でもそれを言う。
「そこに美女がいれば」
「ふむ。して今度の話は」
顔が真面目なものになる。その顔で沙耶香に語ってきた。
「その女子が相手じゃ」
「何か。悪婦と聞いているわ」
沙耶香の目がクールなものになる。そうして表情もそれに準じさせていた。
「相当なね」
「そうじゃな。あれこそまさに悪婦じゃな」
老婆も沙耶香のその言葉に頷く。その通りだと言わんばかりであった。
「あそこまでやれば」
「毒殺が得意らしいわね」
「それで今に至る」
また沙耶香に語る。
「この上海の暗黒街の話は知っておるな」
「東京でもね」
自分が今いる街を出した。ニューヨークや上海と並んで、いや下手をすればこの二つの街よりもまだ退廃という濃厚な美貌に支配された街である。そこを出してきたのであった。
「よく聞いているわ、上海については」
「確かにこの街は繁栄しておる」
老婆はそれをまず言う。
「しかしじゃ」
「それと共に退廃もあるのね」
「その通り。してその裏は」
「何処までも深い闇の中にある」
沙耶香は呟く。
「そう言いたいのね」
「わかっておるな。流石じゃ」
「繁栄の裏には必ず闇があるものよ」
その闇に深く関わっているからこその言葉であった。
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