黒魔術師松本沙耶香 紅雪篇
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22部分:第二十二章
第二十二章
「顔立ちは幼かったけれどね」
「ほほほ」
老婆はその言葉を聞いてまた笑う。それから言葉を再開する。
「それでもよかったじゃろう」
「私は御馳走しか口にしないのよ」
また笑って述べた。
「普段からね」
「よいことじゃ。いい匂いじゃな」
「少女の?」
「うむ。今の雪と同じ匂いじゃ」
「雪と」
それを聞いた沙耶香の表情が止まった。そしてそこであるものが確信に変わった。
「そういうことね」
そのうえで老婆に問う。
「つまりこの雪を止めるには」
「わかったのう。赤は血の色」
「ええ」
その言葉にこくりと頷いて答える。
「そういうことじゃ。後はわかるのう」
「ええ。もう充分よ」
口元に笑みを戻して述べた。
「これでね」
「相変わらず飲み込みが早いのう」
「そうでなくては魔術師にはなれないわ」
戻した笑みのままで言う。
「違うかしら」4
「主はそれ以上じゃがな」
「そうかしら」
「そうじゃ。わしが知る中でもな。主程の者はそうはおらんかった」
「どうかしら。上には上がいるものよ」
笑ったうえでの言葉である。だがそれ以上に何かがあった。それは自信であろうか。沙耶香もこれまで幾多の戦いを潜り抜けてきている。だからこそ自信がないわけではないのだ。むしろそれはかなりのものであると言ってもいい。
「私よりもね」
「謙遜は似合わぬぞ」
「謙遜ではないわ」
老婆に応えて言葉を続ける。
「現実にそうなのだから。けれど」
沙耶香の言葉はここからが本音であった。それまでは遊戯とまではいかないにしろやや遊びがあったのは事実である。
「普通の魔術師ではないわね」
「ほほほ、ではその普通ではない魔術師の力また見せてもらうぞ」
「ええ。見ていていいわ」
そう述べて姿を消す。その日沙耶香は人の前に姿を現わさなかった。だが次の日に彼女はまた上野に姿を現わしていた。だが今度は白鬚橋ではなく不忍池のほとりにいた。蓮に覆われたこの池も今は紅の雪に覆われてしまっていた。
この池は元々琵琶湖の見立てたものである。中の島は実は竹生島の代わりなのだ。そして祀っているのは弁天堂である。そうした独特な池なのである。
この池の弁天堂の周辺には多くの石碑が立ち並んでいる。ざっとあげるだけでめがね碑にかなりや碑、長唄碑、ふぐ供養碑、スッポン感謝塔といったふうにである。動物の石碑が多い。そうした奇妙に神秘的な場所に今沙耶香はいた。そこの岸辺で一人雪の中立っていた。
彼女は動きはしない。ただそこにいるだけだ。だが時折時計を見る。それで時間を確かめているようであった。
「ふん」
懐から出した銀の懐中時計を見て声を出す。時計の針は九時を指し示していた。
「そろそろだと思うけれど」
雪はさらに深くなり人の足を遠ざけるようになっていた。交通への差し障りも出て来ていた。そんな中で彼女は周りに誰も見えはしない池のほとりに立っているのであった。紅の世界に。
そこで誰かを待っているようであった。実は彼女は今日ふらりとここに来たのである。そして立っているだけであった。
だがそこに彼女は来た。流れるような動きで。ゆうるりと沙耶香の前に姿を現わしたのであった。
「誰かと思ったけれど」
「私の妖気に誘われたのかしら」
「ええ」
雪女は沙耶香の言葉に頷いてきた。沙耶香は身体は池の方に向けているが顔は自分の左手にいる彼女に向けてその妖艶な笑みを浮かべていた。
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