Illogical exstence
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第1話
前書き
誰か、助けて
やめて。傷つけないで
友を、家族を。
奪わないで・・・ワたシを―――
だ、メ。
逃、げて。は、ヤク――!
7月初旬。
昨日まで一週間振り続けていた雨は嘘のように晴れ渡り、明るい太陽が地上を照らしている。
湿度は前日までの天気からお察しレベル。さらに、久々に顔を出した太陽は張り切りすぎだとツッコミを入れたくなるような陽気を放っている。
そんな、室内で作業をするにはエアコンは必須であろう状況の中。おれは先月同行した調査の報告書をまとめていた。
窓を全開にして。
「それにしても、あちーな」
蒸し暑さからそんな言葉が漏れる。
長期間の雨と入れ替わるようにやってきた梅雨の中休みは真夏並みの熱気を引き連れてきた。その結果、雨からは解放されたものの、今日という日は今季で最も高い不快度指数が叩き出しているのであった。
ここは大学にある部室塔の一室。オカルト研究部の部室だ。その名前からも部屋の様子は推測ができるだろう。
棚には過去の報告書や事件の資料の山。また、おれにはよく分からないがオカルト的価値をもっているのであろう本や置物もいたるところに保管されている。
そのため、部屋自体は片付いていてもどこか不気味な雰囲気がでてしまうのはやはり仕方のないことか。
などと部屋の片隅を見ながら考えていると、ふと声をかけられた。
「あら亮介。報告書は終わったの?」
「まぁ、なんとかね」
背中からの声にこたえ、部屋の真ん中へ視線を戻す。
オカ研の部室のほぼ中央にある木製の机。その真上に彼女は浮いていた。
彼女の名前は新島夕。
透き通るような白い肌に、墨を垂らしたかのような黒く澄んだ瞳。伸ばされた黒髪は彼女が振り返るたびにさらさらと流れる。
また、彼女の着ている淡い藍色の和服は彼女の美しさを一層際立たせている。
見ているものがいれば、その者たちを例外なく釘付けにしてしまうだろう。
「それにしても、2年生の初っ端からあんな事件に巻き込まれるとは思ってもなかった」
おれもその一人なわけで、気まずい沈黙が訪れる前に話題を提供することにした。
「そうね。新年度から素晴らしいスタートダッシュを決めたわよね」
どうも墓穴を掘ることになりそうだが。
「その言い方はやめてくれよ。また面倒事が増えそうだ」
「ふふ、面白そうじゃない」
「他人事だと思っているだろ?」
「あら、心外ね。こう見えてもわたし、あなたにはとても感謝しているのよ?」
そういいながらふわりと体を下ろし、机の高さから上目づかいでおれを見上げてきた。
普段の立ち振る舞いでさえ見惚れてしまうのに、それを超えるものを見せられるとこちらとしては反応に困る。
「わかったから。頼むからその顔はやめてくれ」
「まったく。純真ね、あなたという人は」
大人しそうな外見とは裏腹にこうやっておれを手玉に取り、楽しむことが彼女の日課になりつつある今日この頃。
「またそうやって、からかう」
今のおれではこの返しで精一杯だ。
もう少しうまい返しができればいいんだけだどなぁ。
「あら。だれか廊下を歩いて来るわよ」
人の気配を感じ取った夕がそう教えてくれる。
「あぁ。ありがと」
ここで一旦、夕との話は終わりだな。
誰かに聞かれると色々と面倒くさいことになるだろうから。
◇
「お、ここにいたか」
2回、ノック音がする。
扉が開きひょっこり顔を出したのは同じ高校に通っていた赤城誠だった。
「どうした?」
虫の知らせというやつか。何か嫌な予感がする。
「足並地区の住民からオカ研宛てに正式に調査の依頼が来たんだ。調査時期は夏休みに入って最初の土曜日からだから、8月の一週目だな」
「足並・・・。おいおい。それってまさか」
足並地区ではつい最近、かなり猟奇的な事件が起きていたはず。
それは今から約2週間前に始まり、現在も続いている。
最初は誰かが鬱憤を晴らすために、近くにいた動物に当たっているのだと思われていた。
標的になっていたのは主に野生の鳥や人間に買われていた動物たち。
ケガの多くは凍傷。それも比較的軽いもので治療をしなくても後遺症が残らない程度のものだった。
しかし、1週間後。この事件はより一層血生臭いものへと変貌する。
この時被害にあったのは、当時捜査に当たっていた地元の警察官。
遺体で発見された彼の下半身は氷漬けになり、背中には巨大な切り傷が3つ、胸には鋭い刃物が突き刺 さったような跡があったらしい。
そして、この胸の傷は心臓を貫いており、この傷が致命傷となって絶命したと報道されている。
その後、人間に対する被害は出ていないものの骨だけになったカラスや、内臓を撒き散らかされた野良猫、首だけ取り残された鶏というように以前より残虐性を増した骸が発見されるようになった。
その骸に共通して言えることは肉のほとんどがなくなっているということ。
そう。まるで食いちぎられたかのように――
「あぁ」
たしか現場の惨状からつけられた名前が・・・
「今話題になっている食い散らかしの件だな」
誠の口からは聞きたくない単語がでてきた。
「やっぱりそうか。で、なんでおれに白羽の矢が立ったんだ?オカルトに関しては霊感以外にこれといったものはないと思うんだが」
というか、今回の件はどう見ても人間の所業でないことは誰が見ても明らかだ。魔術しか使うことのできないおれに出る幕はないはず。
「それは分からないさ。指名したのは結城部長だからな。ついでに言っておくと今回の調査メンバーは結城部長、白石副部長、おれ。それと翔太の4人らしい」
「たいそうなメンバーだな。部長、副部長が二人とも調査に参加とはな」
「そういじけるな。お前は相手が人間だった場合は最終兵器になるんだから」
「いじけているわけじゃないさ。ただ、オカルトに対して非力な自分が恨めしいだけだ」
「似たようなものだと思うけど・・・。まぁいいか。そんな翔太に朗報だ」
「朗報?」
「そうだ」
ニヤリと口元を吊り上げた誠は、少しの間をおいて再び口を開いた。
◇
昼間は高い湿度に7月とは思えない気温が相まって、非常に過ごしにくい日となった。
とはいえ、この時間にもなると昼間の蒸し暑さが嘘のように冷涼な風が道行く人々の肌をなでるようになる。
時は夕暮れ。時刻は午後6時。
山の向こうに沈みゆく太陽が空の半分を赤く燃やす一方、存在感を増した月が「早くおやすみなさい」とばかりに深い闇といくつかの星々を引き連れて東の空を駆け上る。
普段から何気なくある光景だがそれは美しく、壮大で見るものを圧倒する。
堅苦しい名前の建物から出てきたおれを迎えたのは、そんな心惹かれる自然たちであった。
その建物というのは、大学内にある図書館のことだ。
誠と別れた後、おれは講義で課されたレポートを仕上げるため、ここに籠っていた。
しかし、それも終わり右手の手提げに借りた本を何冊か放り込み、帰路につこうと図書館から出ると聞き慣れた声が聞こえた。
「あ、ようやく出てきたようね」
周りに人がいないかだけを確かめて、正面の花壇に浮いている夕に返事をする。
「待たせて悪いな」
「そんなことないわ。気にしないで」
歩き出すと夕はおれの右隣をふわふわと浮遊するようについてくる。
「何か手がかりはなかった?」
「そうね。少なくともここの文献には参考になりそうなものはなかったわね。一通りの資料は見て回ったのだけれど」
「そっか。ありがと」
「いえ、たいした作業ではないから気にしないで」
学園の図書館は私立なだけあって資料の数は膨大だ。おそらく県立の図書館レベルをあっさりと上回る蔵書数を誇っているだろう。
ここには書籍化されたものだけではなく、過去に起きた事件の資料や概要をまとめたものまで保管されている。今までのオカ研の先輩たちも調査の依頼を受けた時は、ここから資料を探し出し、調査の参考にしていたそうだ。
そんなわけで、彼女に頼んでいた作業とは足並地区の事件に関しての資料探しだ。似たような事件が過去に起きていれば、それを手がかりに身の守り方を考えられると思ったが、そう甘くもないようだ。
「あとは、先輩の指導に任せるだけ。か」
「そうね。どんな特訓か楽しみだわ。有名な寺の娘さんなのでしょう?彼女」
実は、昼間に誠が持ってきたいい話とは結城先輩がおれにオカルトに対抗する術を直々に指南してくれるというものだった。
「あぁ。かなり名の通った名家らしいな。あくまで噂だけど、先輩の実家は警察だけで解決できなかった事件のいくつかを寺の人間だけで片付けてしまうことがあるらしい」
「まぁ。そんな噂が・・・」
「火のない所に煙は立たないっていうから、近いことはやってるんだとは思うんだけど」
「結城望さん、ねぇ。彼女すごいわね。生まれは地元の名家でオカルトには精通していて、魔術の成績は学年でもトップクラス。それに加えて学内のミスコンでは勝手に応募されて最終審査まで残った容姿の持ち主らしいじゃない」
学内のミスコン、ねぇ。あれ?それってまだ今年やってないよな
「最後のなんで知ってんの?」
「以前ちょっと、小耳に挟んだのよ」
自分から聞いておいて帰ってきた答えに納得する。夕がこの学園に出入りするようになったのはここ最近のこと。それ以前の学園内のことは他の誰かから情報を調達したというのはごく自然なことだろう。
「ほんと、トンデモ規格の持ち主だよな」
「あなた、自分のことを棚に上げていない?人のことは言えないわよ、亮介」
「それ、そっくりそのまま夕にも返してやるよ」
「あら、私のどこがトンデモ規格だというのかしら」
「しらばっくれて」
「へぇ。あなた私のことをそういうふうに見ていたの?」
「ちょっと待て!どういう意味だ!?」
急変した夕の雰囲気に圧倒されてしまう。
飄々としたいつもの夕はいつの間にか、妖しさを醸し出す何者かへと瞬時に化ける。
なんというか、このギャップには毎回ついていけない。
いや、ただ遊ばれているだけなのだろうけれども。
「さぁね?そういう意味ではないかしら?」
クスクスとおかしそうに笑う彼女からは先ほどの妖しさはすでに消え失せていた。
「そうそう、今日は買い物に行かなくてはならないのではなかったかしら?冷蔵庫の中身は空っぽだったはずよ」
「えぇい、話を逸らしおって。しょうがない。大人しく食糧調達にでも行きますか」
今回もおれの負けで勝負がついたわけだ。
最後に強がりを言ってはみたけど、そこからさらに追撃を受けることはなかった。
「そうしましょう」
そういっていつの間にかおれの正面にあった体をおれの右横に再び寄せてきた。
後書き
沈みゆく夕日に背を向けて、街へと繰り出す。
地に落ちた影はたった一つ。
しかし、その背中には寂しさというものは微塵もなかった。
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