藤崎京之介怪異譚
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case.3 「歩道橋の女」
~ epilogue ~
「先生!本当に心配したんですからね!!」
ベッドへ横になっている俺に向かって、田邊は今にも泣きそうな顔をして怒鳴った…。
今は冬も押し迫る十一月の半ば。あの夜、俺は奇跡的に瓦礫の中から救出された。だが、かなり危険な状態であったようで、今まで昏睡状態が続いていたのだ。
聞けば、両手足の骨折は勿論のこと、肋骨を三本骨折し頭蓋骨にも罅が入り、内臓も損傷していたと言う。医者から言わせれば、これでなぜ死ななかったのか解らないとまで言われた…。
「田邊君…。心配かけて…すまなかったね…。」
田邊にそう言うと、彼の背後から別の人物の声がした。
「藤崎君、我々もずっと心配していたんだがねぇ。」
そう言って顔を見せたのは、天宮氏と宮下教授だった。
「全く…、あれから大変だったんだぞ?いくら我々でも、あれを無かったことにするには無理があったからな。表向きは、地盤沈下による倒壊ということになったが、住民まで誤魔化すことは出来んからな。」
「そうじゃ。全くお前ときたら、もう少し穏やかに出来んもんかのぅ。この老いぼれに重労働させおって!」
二人とも言葉は荒いが、怒っている風ではなかった。ここにいると言うことは、いつも見舞いに来てくれていたのだろう。
「申し訳ありません。何分、想像以上だったものでして…。」
俺は横になったまま頭を下げた。
「ま、なってしもうたもんは仕方ないわな。お前はまだ少し養生することじゃ。残りもわしと天宮とで全て終らせておく。なに、心配はいらんよ。のぅ、天宮?」
「先生、私一人で充分と申したはずです。私はもう学生ではなりませんよ?」
「何を言っとるか!お前とてわしから見れば、まだまだ子供じゃ。」
「勘弁して下さい、先生!」
あの天宮氏が完全に負かされているなんて…。もしかして天宮氏の音楽の師って…、この宮下教授だったのか…?
兎に角、俺は歩道橋倒壊以降のことを何も知らない。やはり気になって田邊に話を聞くと、彼は解りやすく掻い摘まんで話してくれた。
まず、歩道橋が倒壊して直後、天宮氏が全てを取り仕切って俺の救出を最優先で行ったという。その後、この一件を市長に話して、表向きの理由をつけたのだとか。この時、警察からは松山さんが同席していて、警察上層部へは話をつけてくれたらしい。
松山さんと言えば、俺が眠っている間に田子倉の事故死を再調査していたようだ。その結果、事故死でも自殺でもなく…やはり他殺と断定され、証拠隠滅と殺人容疑で一人の警察官を逮捕したそうだ。
宮下教授も張り切っていたそうで、僕とこの街の二つの楽団まとめあげ、市立劇場と三つの教会で演奏会を開いた。それも曲目は、あの夜に五つの場所で演奏したものだ。ついでにマタイ受難曲もやったそうだけど…。
その後も天宮氏と宮下教授で組んで次々と演奏会を行ったそうだが、そのどれもが満席だったというから驚きだ。
「宮下教授はバロック音楽の権威ですからね。スポンサーに天宮さんが加わってるのなら、まず空席が出るなんてことはないですから。」
田邊は苦笑いしながらそう言った。ま、その通りだがな。
「それで先生。行脚姫の祠ですが、草織神社には無かったんですよ。」
「道路中央の花壇の下から出てきたんだろ?」
「え?知ってたんですか!?」
「気付かない方がおかしいだろ?あの歩道橋から転落死した全員があの花壇に落ちている。あの意味のない花壇の上に…。」
あれは意味というよりはカムフラージュだったんだろう。あんな道のど真ん中に花壇を作るなんて、通常は有り得ないからなぁ…。
「それで、その見つかった祠はどうしたんだ?」
「あ…はい。祠は草織神社の神主が祝詞を上げ、丁重に神社へと移して御神体にしたそうです。」
「そうか…。やっと帰る場所が出来たんだな…。」
俺はそう呟くと、また深い眠りへと落ちたのだった…。
今回の一件も、例によって天宮氏が闇へと消した。この現代社会において、霊による大惨事が起きるなんて誰も考えちゃないからな。
しかし、全てを無視して旧きものを破壊し、他人の心を踏みにじり続ければ、その結果は散々たるものであり、またその代償も計り知れなくなる…。
人間とは、とても弱い生き物だ。しかし、その心は時として、強く時代の中に生き続ける。だから、俺はあの場所であの曲を選択したんだ。
バッハ作曲、カンタータ第五十四番「罪と戦え」を。
時々思うことがある。いつの時代も、人間は罪と云うものに抗い続けなくてはならないのかと…。
愛と哀しみが表裏一体であるように、善と悪もまた、光と陰のようなものかも知れない。光がなくては陰はなく、陰がある故に光は一層の美しさを認識させる。
どちらが良いとは言わない。
結局それを選ぶのもまた…人それぞれだからな…。
case.3 end
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