藤崎京之介怪異譚
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case.3 「歩道橋の女」
Ⅲ 同日 am10:43
旅館を後にした俺達は、そのまま例の歩道橋へと向かった。
暫くして歩道橋に着いてみると、そこには事件を聞き付けてか小さな人だかりがあり、とても調べられる状況ではなかった。
「どうしますか?」
田邊が人だかりを見て嫌そうな顔をして俺に言ったので、俺は少し考えて答えた。
「仕方ない。一先ずは、佐藤神父が直前に立ち寄った経路を辿るとしよう。田邊君、タクシーを呼んでくれ。」
俺がそう田邊に言うと、横の松山さんが目を丸くした。
「おいおい、俺はそんな時間ないぞ?」
そう言った松山さんを見て、俺達は顔を見合せて苦笑いしたのだった。
「別に一緒じゃなくても大丈夫ですよ。松山さんには署の方で、ここで亡くなったという女性を詳しく調べて頂きたいので。」
俺がこう言うと、松山さんは「分かった!」と返事をし、そのまま身を翻して署へと戻ってしまった。ほんと、一体何しに来たんだか…。
一方の俺達は、到着したタクシーに乗り込んで、佐藤神父が訪れた五ヶ所の一つである破間橋へと向かった。
「先生。目撃者がいたとは言え、今更僕達が行ったところで何が見つかると言うんですか?それも破間橋は、佐藤神父が四番目に訪れた場所ですし…。」
田邊は不服そうに申し立てたが、俺は「まぁ、行ってみれば分かるさ。」と言って、田邊の言葉を受け流したのだった。
破間とかいて“アブルマ”と読む。川の名前がそのまま橋の名になったのだが、この破間の由来は昔、この川がかなりの暴れ川だったことが挙げられている。一部の歴史研究家は、この“アブルマ”という発音は、アイヌ語が訛ったものではないかという説も立ててはいるが…。
何にせよ、俺達は秋晴れの爽やかな空の下、佐藤神父が死の直前に訪れた五ヶ所の一つ、破間橋へと到着した。
何の変哲もないコンクリートの橋。こんな場所で佐藤神父は、一体何をやっていたのか…?
それを探すべく、俺達はタクシーを待たせ辺りを別々に調べ始めた。
暫くして橋の中央付近まで来た時、反対側を調べていた田邊が声を上げた。
「先生、ここに何かあります!」
俺は直ぐに道路を横切って田邊の所へと駆け寄り、彼が指差す先に視線を向けた。
そこには不思議な模様の様なものが描かれていた。円の中に五芒星と、何か文字らしきものが書かれており、まるで魔法陣の様にも見える。
「先生、この文字って…ヘブライ文字なんじゃ…?」
「そうみたいだな…。」
ヘブライ文字はかなり古い言語に属する。有名なのは旧約聖書だが、この巻末に納められた“マラキ書”は、紀元前443年頃のものだ。旧ヘブライ文字になると母音表記はなく、子音のみが記入されているため、実際どのように発音されたかは分からないのだ。現在では解読はほぼ完成しているが、幾つかの単語については学者の意見が別れていることも否めない。
とは言っても、しかし…。
「なんでヘブライ文字なんだ?ラテン語で充分な筈だが…。」
「そうですよね…。大半の魔法陣はラテン語ですからね。先生、でもこれって魔除けに似てませんか?」
田邊の言葉に、俺は首を捻った。
確かに、五芒星には魔除けや護守の役割も与えられているのは知られているが、それは“守る”というものであって結界のようには…。
「そうか!だからヘブライ文字にしたのか!」
俺がいきなり声を上げたので、田邊が驚いて目を瞬かせた。
「先生、何か分かったんですか!?」
「まぁな。じゃ、残る四ヶ所も回るとしよう。必ずこれと同じ文字違いのものが見つかる筈だ。」
俺はそう言うと、田邊を引っ張ってタクシーへと戻った。
残りの四ヶ所を時計回りに近代美術館、薔薇園、市民公園、天光寺の順に回った。そこには予想通りのものがあり、俺の考えを裏付ける証拠となったが、ただ一つ、予期しなかったことがあった。
「先生…、これって…。」
「そうだな…。この一角がこれによって崩れたため、佐藤神父は…。」
ここは天光寺に続く石段だ。その一つに例の印が書かれていたが、誰の仕業かそこに煙草を押し付けて消した後が残っていたのだ。
「しかし、先生はこの手のものは使いませんよね?なぜ結界だなんて思ったんですか?」
田邊がそうに聞いてきたので、俺は溜め息を吐いて答えた。
「以前に同じようなことがあったからな…。」
俺はそう言うと、「飯食いに行こうか。」と言って話を切り上げたのだった。田邊も「そうですね。」と答えただけで、後は黙ったままだった。
俺が以前に目撃したものはラテン語だった。しかし、使用目的が全く違ったのだ。
それは“呪い”のために使用されていたもので、それに巻き込まれた俺の知人が死んでしまった…。。
その事件の時の頃に、あの相模英二と知り合ったのだが、この話はまた別の機会に語るとしよう。
タクシーで街中まで戻ると、俺達は遅い昼食を済ませ、もう一度あの歩道橋へと向かうことにした。場所も近くなため、今度は徒歩での移動になった。
「あ、田邊君。みんなは明日には入れるか?」
俺は歩きながら聞くと、田邊は手帳を取り出して答えた。
「そうですねぇ…。コーラスは明日の午後到着予定ですが、オケは明後日になりますね。どうしてですか?」
田邊がそう聞くのも無理ないな。主催者である佐藤神父が亡くなってしまった今、演奏会どころか街の楽団の指揮の話もお流れだしな…。
だが、一つだけやらなければならないことがある。
「佐藤神父の葬儀と追悼演奏会をする。勿論、追悼演奏会にはこの街の楽団を採用して壮大に行うつもりだ。」
それを聞いた田邊は、いきなり立ち止まって俺に言った。
「無茶ですよ!いくらなんでもこんな短期で何を演奏するんですか!?」
ま、噛み付かれるとは思ったが、ここまで想像通りだと笑えるな。さすがは“ヴォルフ君"だよ…。
「葬儀ではバッハのモテットをやる。追悼演奏会では前半にカンタータ第146番と第106番、後半にモーツァルトのレクイエムだ。レクイエムにはこの街の楽団を使う。レクイエムの通奏低音にオルガンを使うが、それを君に任せる。」
「は…?」
何とも間の抜けた返答だ。俺は少し苦笑し、再度言葉を掛けた。
「俺は指揮に専念するから、君はオルガンで俺をサポートしてほしいんだ。任せられるのは君しかいないからな。」
「は、はい!」
多少ぎこちないが、今度はしっかりした返答が返ってきた。
正直な話、不慣れ楽団を指揮するのはかなりのプレッシャーだ。その中での通奏低音は重大な意味を持ち、俺の考え方を知っているヤツじゃないと務まらない。
「じゃ、頼んだからな…と。」
俺が喋っている途中、ポケットに入れていたケータイが鳴ったので、俺はそいつを取り出した。
「もしもし?」
「藤崎君か?松山だが、君に頼まれてた件、当時の資料が見つかったぞ。」
相手は言わずと知れた松山さんだった。別れ際に頼んだことを調べてくれたようで、これで少しは真実に近付けるようだ。
「で、どういう事件だったんですか?例のサイトでは確か他殺説で話が書かれてましたけど…。」
「まぁ、そう慌てるなって。」
松山さんはそう言って咳払いを一つしてから話始めた。
それは今から十三年ほど前の話で、歩道橋が完成した年のことだという。
その年の秋、性格には九月十四日の明け方に、一人の女性が例の歩道橋から転落して死んだ。目撃者はなく、争った形跡もないことから事故死と断定されたのだというのだ。
だがこの女性、毎日の様に歩道橋に来ては、ずっと誰かを待っていたのだとか。その相手は不明とのことだ。
女性の名は田子倉 美咲で、職業は…オルガニストだった。
しかし、俺はここまで聞いて疑問を抱いた。
「松山さん。その田子倉って女性、階段から転落したんですか?」
「いや、中央付近から転落して緩衝帯に作られた花壇に落下していたんだ。運悪く、そこにあった石に頭をぶつけたんだそうだ。」
「では、なぜ自殺じゃなく事故死扱いに?」
松山さんは俺の問いに、少し唸ってから答えてくれた。電話口の向こうでは、紙の擦れる音がしている。
「何だかよく分からん調査資料なんだ。理由としては所持品と共に落下していること、仰向けに倒れていたことが挙げられているが…。」
妙だ。事故死と断定するには、あまりにも調査されなさすぎている様に感じる。仮に事故だとしたら、なんで歩道橋の手摺を乗り越えて落下したのかを検証したのだろうか?
そんなことを考えつつ、俺は気付いたことを一つ松山さんに問った。
「松山さん。他殺としては全く調査されなかったんですか?」
「ああ、それは俺も不思議に思ったんだが…全く記録がない。自殺と事故死でしか調査はされなかったようだ。」
やはり…この調書はおかしい…。松山さんに聞いた限りでは、まるで小学生が書いた出来の悪い自由研究のような酷い出来だ…。
そうして俺は、松山さんにこう質問したのだった。
「例えば…ですよ?そこに相手がいて突き落とした場合、どうなると予想出来ますか?それもわざと殺す目的で…。」
電話の向こうで松山さんは、その口を閉ざして何も言わなくなってしまった。
それもそうだろう。もし仮に、この事件を自殺ないし事故死にしてしまいたいと思うのなら、それを出来たのは警察関係者…それも調査した本人にしか出来ないことになる。
そうでないと不自然だからだ。
田子倉という女性の亡くなり方は、あまりにも他殺と認められる点が多過ぎるのだから…。
「松山さん。私達はこれからまた、あの歩道橋へと行こうかと思っています。松山さんも来られますか?」
「ああ、直ぐに向かう…。」
そうして松山さんとの会話は終了した。
俺がポケットにケータイを仕舞うと、黙ったまま話を聞いていた田邊が口を開いた。
「先生、どういうことですか?十数年も前に殺された女性は、事故死ではなく他殺だと?」
「恐らく…な。」
俺は田邊の問いにそう答えると、先を急ぐべく歩き出した。
「あ、先生!待ってくださいよ!」
足早に先を急ぐ俺に置いて行かれないよう、田邊も早足で俺の後ろを追い掛けてきたのだった。
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