ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 夜霧のラプソディ 2022/11
16話 実像の影
アルゴと燐ちゃんが情報収集に発ってから数十分。
室内に残されたヒヨリとティルネルの両名は、テーブルを挟んで向き合う格好でソファに着いていた。ヒヨリが頷きつつも話を聞く構図は、先のティルネルの落ち込み様からは想像し難い変化だった。
「――――あの人は昔から腕っぷしだけなんです。普段なんか男勝りでガサツで、たまに考えなしで、ずぅーーっと剣の修練ばっかりで、あんなんじゃいつまで経っても嫁の貰い手なんて来ませんよ!」
「でも、自分の力で頑張れる女の人ってカッコイイと思うよ?」
「自立していると言えなくもないでしょうけど、………でも、せめて女性的な柔らかさって必要だと思うんです! もっと恥じらいを持つとか、たおやかに振舞うとか………!」
くどくどと、その場にはいない姉の小言を述べ立てる。落ち込むティルネルを前に、ヒヨリが直感的に行き着いた話題。恐らくは誰しもに共通するであろう《家族》というワードは、なかなかに効果があった。
本人はただ自分の事を知ってもらう為に、ふと話題を切り出しただけなのだったが、仕事で家を空ける事が多い上に放任的なヒヨリの両親の話に、ティルネルは厳律に則る両親の愚痴を零し、ヒヨリが愛する飼い猫の話にティルネルが目を輝かせ、そこから突如として燐ちゃんのこれまでの活躍に話題が飛び、さらにヒヨリからもだらしなく見える姉の話題に移り、聞き入っては語り込む二人の話は大いに盛り、今に至る。
「ティルネルさんは、お姉さん思いなんだね」
「それは………!? …………そう言われれば、そうなのかも知れないです。………どんな時でも傍にいてくれた、私の大切な家族ですから」
だから、この戦いが終わったら、女性として幸せになってほしい。と、黒エルフの女性は恥ずかしそうに笑って言う。部屋を後にした2名ではまともに受け止められないような台詞にすら、ヒヨリは嬉しそうにその夢を肯定する。真正面から向き合い、同情も建前も排して、心の底から共有する。彼女の相棒が評価した《真摯》な姿勢こそが、傷心のティルネルと共に留守を任されたヒヨリの真の理由なのだろう。決して、情報収集の邪魔になるからではないと信じたい。
「………あ、そう言えば、ずっとその服装なの?」
ティルネルの心にも余裕が現れ始めたころ、ヒヨリはずっと目に映っていたティルネルの装いに話題を転換する。
黒のチュニックとタイツの上から装着された、防御箇所を急所に定めて狭めたような金属製のプロテクターに、腰のベルトから右太腿にかけて幾つもの小さな試験管が納められた革製のホルダーを備えた腰布のような装具。後者は本来の《ダークエルヴン・シューター》にはないものだが、この場にて言及する者はいない。ただ、穏やかな印象のティルネルがいつまでも武装している姿が、ヒヨリには違和感となった運びだ。グラフィックとして設定されてしまったからどうしようもないという無機質な理由はヒヨリには通用しないのである。
「えっと、そうですね。………他にないというのも理由ですけれど、姉が誂えてくれたものですから、これを身に付けている時は何だか守られているようで安心するんです」
「じゃあ、お姉さんからのプレゼントなんだね!」
「はい。………でも、これをくれた時の姉の顔は、どこか悲しそうな気がしました。きっと、騎士として戦場に永く身を置いていたが故に予覚していたんでしょう。………私の所属していた隊は、カレス・オーの鷹使いの部隊に背後から急襲されてしまったんです」
「だ、大丈夫だったの!?」
ティルネルの表情に僅かずつ影が差す。怪我やら何やらを頻りに心配するヒヨリに笑みを向けつつ無事を伝えるように頭を振り、そのまま当時の仔細を語る。
「情けない話ですが、部隊が瞬く間に壊滅していく光景に怖気づいてしまって、いつの間にか逃げ出してしまっていたんです。幸い、追手は差し向けられなかったのですが、森は私の姿を見ていたんでしょうね。野営地に掛けられた《森沈みのまじない》に晦まされてしまって、もう自力では仲間の下へ戻る事も出来ません。仮に叶ったところで、私は敵前逃亡の罪人です。その場で処刑されるのが関の山でしょうし、おめおめと戻れば騎士たる姉の勲功に瑕を付けてしまいます」
「そんな事なんてない! きっとみんな心配してくれてるよ! ティルネルさんだって、お姉さんのこと好きなんでしょ? だったら諦めちゃダメだよ!」
「ありがとうございます………でも、もういいんです。野営地に戻れなくなってからも、私は別の部隊を探して森を彷徨いましたが、結局はリュースラの同胞一人とも会えない有り様です。私は、既にエルフとは異なる存在に為っているのかも知れませんね………――――けれど、私は自分を不幸だなんて思ってなんかないですよ?」
「………どうして?」
「姉が守ってくれた、そんな気がするからです。カレス・オーの部隊からの急襲を生き延びたのも、リンさんに助けて頂いたのも………全部、森の断罪から姉が庇ってくれたような気がするのです。――――あ、でも、ヒヨリさんやリンさんやアルゴさんに逢えたのはやっぱり私の運の良さです! 私の行いの良さですからね! あんなガサツな人の縁でヒヨリさんに逢えたなんて思いたくもないです!!」
最後に突如として腕を組んで、何処ともなくそっぽを向く。そんなティルネルを呆気にとられながら見つつ、決して無理をしての発言ではないと知ると、間もなくヒヨリは笑みを零す。彼女は既に、ありのままを受け入れているのだろうか。或いは、そういう設定なのか。ヒヨリは恐らく前者であると認識しているのだろう。
「私ね、今度はティルネルさんのお姉さんとお友達になる。そしたら、難しい事抜きでまた会えるでしょ?」
「………ヒヨリさん」
「それにお姉さんってとっても強いんでしょ?ものすごい技とか教えてもらって、燐ちゃんをビックリさせるの!」
「フフッ………そうなると、何だか楽しそうですね」
「絶対楽しいよ! 私も頑張るから、だから、絶対にお姉さんのこと諦めちゃダメだよ?」
「………はい!」
諦観による悟りではなく、目標への渇望へ。ティルネルの心持ちの変容を齎したヒヨリは満足げに笑顔を作りつつ、森を見た。約束を交わしたら、違えるという選択肢はヒヨリにはない。燐ちゃんやアルゴならば役立つ情報の十や二十は取り揃えていそうなものであるが、残念ながら、ヒヨリ自身は周囲の大多数のプレイヤーと同じく、新規のプレイヤーである。精々アルゴから貰った《攻略本》が道標になりそうなのだが、頼れる両名が頭を悩ますティルネルについての情報が得られるかと考えた時、その可能性は限りなく低い。今まさに情報収集に尽力しているであろう彼等にメールで質問するというのも考えたが、頑張っている最中に水を差すようで憚られる。やむなく、ただ漠然と《エルフがいる》と認識している森を見つめる他無い。
自分は悩んでいても答えは出せない。出せるだけの情報を持っていないし、収集するだけの手段を持ち合わせていない。手元の少ない情報をもとに捜査する2人に純粋な尊敬を覚えつつ、そういえば燐ちゃんは昔からテストのヤマ当てが上手だった事を寄り道気味に想起しながら、心の隅に湧きだした劣等感を吐き出すように大きく息を吐く。
「………あれ?」
そして、情報収集に出ている2人について、ふと疑問を抱く。
「ティルネルさん、燐ちゃんとアルゴさんって何しに外に行ったのかな?」
「え………私はてっきり《エルフの将校が音も動作も要さずに他の部隊を召集する術》について調べていたんだとばかり………」
「あれ、そうだっけ?」
悲しいかな、ヒヨリは《レアエルフ確保》の段階で話し合いからドロップアウトしていたのである。しかし、これに関してはヒヨリが邪魔だから外されたというわけではなく、複雑な話になりそうな予感がしたヒヨリ自身が無意識に思考を二人に委任した為だ。若しくは、人死にが発端である案件にヒヨリを関わらせたくないという配慮の一端を担う理由である。
ティルネルへの事情聴取はヒヨリも同席していたのだが当時はまだ未明の時分。リンちゃんサイドの死人関連の事情が隠匿されながら行われた詰問には声を張り上げるシーンも無かったために、うつらうつらと船を漕いでいた事が災いして情報は全くの皆無だ。あの状態から目を覚ました時に申し訳なさそうに謝るティルネルを見て即座に慰めるのだから、全く器用なものである。
「でも、変だよね?」
「えっと、何がですか?」
「だって、音も出ないし変な動きもしないのに、誰の所為って分かるものなの?」
――――それって、まるで誰かの所為にしてるみたいだよ?
状況に置いてけぼりにされながらも、ヒヨリは直面した疑問で首を傾げる。対するティルネルは、その問題提起にラグでも起こしたかのように固まる。あたかも重要な何かに気付いたような表情の黒エルフは、次の瞬間には一気にテーブルに身を乗り出してヒヨリの顔に接近する。
「それですよ、ヒヨリさん!」
「ふぇ?」
「だっておかしいじゃないですか。リンさんもアルゴさんも疑っていなかったし、私も今の今までそういうものだと思っていましたが、そもそも誰も不審な動作を見せていないのに犯人を特定出来ること自体おかしいんです!」
熱の籠った弁にヒヨリは僅かに戸惑うものの、しかし、内容自体は決して難解ではない。ティルネルが何について言っているのかを察知するのに時間が掛かるようなことはなかった。自分の懸念が効果不幸か的を射ていたという事を悟ると、今度は言い知れない胸騒ぎがヒヨリを襲う。自分達が確かめ合っているのは、調査という過程に移行するより遥か前に確認されるべき点だ。よもや、あの2人がぬかるとは到底思えない。つまり、その点についての確証は為されていると考えて然るべきなのだ。だが、如何とも証明し難い禅問答じみた難問は、恐らく証明する手段などありはしないだろう。頭脳労働向きでないヒヨリでさえ指摘できる理論の上での破綻がありながらも、調査解明しようとする2人がヒヨリには酷く不可解に思えてならない。
「………ホントだ………でも、だとしたら燐ちゃん達はどうしてそんな事を調べてるんだろう………?」
「分かりません………けれど、リンさんは確かに《仲間の冒険者》の方のお話を根拠としていたようでした。現にその場でもそう仰っておりましたし………ヒヨリさんは、そのような方に心覚えはありませんか?」
「ううん、知らないよ。強いて言えばアルゴさんくらいかも?」
「アルゴさんの事でしたら、その場に居たわけですし、曖昧な呼び名は使わないかと思います………もっと別の………、………ッ、………これ、は………いぅっ!?」
「大丈夫!?」
深く思考を巡らすような台詞の直後、ティルネルは苦悶の声を上げる。頭を押さえる仕草は頭痛によるものだろうが、ヒヨリが咄嗟に立ち上がって傍に寄ろうとするのを掌で制する。肩で息をしながら、未だ表情に強張りが残るのも構わずにヒヨリに向き直る。
「ヒヨリさん………リンさん達に、連絡を取る手段は………?」
「メールで出来るけど………それより、休まないと………!?」
「そう、ですか………でしたら、今行われている調査は、無意味と………、伝えてください………、みんなを守って、………って………」
「え、守る………って、ティルネルさんは何か知ってるの!?」
あまりに唐突だった。頭痛に喘いだかと思えば、何かを瞬時に悟り、挙句には《みんな》というワードまで飛び出した。そこに至るまでのあらゆる議論や推論を排して、一足飛びに正答に至ってしまったような超然的な思考にヒヨリ自身が追いつけていない。というより、前述の護衛対象を指す呼称は他人に使うにはあまりにも親しげなものだ。これまでのティルネルの言葉遣いを考慮すれば、まず他者に使用することは在り得ないだろう。
ヒヨリは推測する。恐らくは、このエルフの女性が何らかの事情を知っていると。しかし、情報収集を続ける二人の目的を知っていれば、少なくとも情報収集が無意味であったという点だけはすぐにでも伝えられたはずだ。それをあえてその場で伝えなかったということだろうか。だとしたら何らかの思惑があるのだろうか。纏まらない思考をぐるぐると巡らせつつ、されど答えは導き出せない。
対するティルネルは、頭痛による痛覚か、まごつくヒヨリへの焦燥か、辛そうにしかめた表情をさらに強張らせて吼える。
「いいから、早くして!」
「ひぅッ!?」
穏やかな口調だったと思っていたティルネルに突如として怒鳴られ、状況を整理しようとしていた思考を放棄して、慌ててメールを外出中の両名に送信する。その一部始終を見届けたティルネルは、あたかも痛みに堪え切れなかったかのようにテーブルに上体を崩し、重力に従って滑るように床に転がった。糸が切れた人形の如く、僅かなりとも動かなくなる。
状況に追い付かず、ヒヨリの呆けたような声が漏れたのは間もなくのことである。
後書き
お留守番回。
今回も特筆する点はあまりないのですが、ヒヨリの家族構成やプログレッシブで絶賛活躍中の某ダークエルフの女騎士様なんかがチラチラ出てたりします。この作品におけるティルネルさんはお姉さんに思うことがあるんですね。
さて、作者的には2章をあと3話ほどで完結させてみたいと思っています。話も毎度お馴染みの見切り発車ですので、意味深長な流れを変えたいというのも一つの理由だったりします。
ではまたノシ
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