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幻影想夜

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第二夜「夜想曲」


 青白い月明かりが、真夏の浜辺を照らし出している。私は毎日、この浜辺を散歩することが日課となってるのだ。
 誰もいない閑な浜辺。波の音だけがこだまする中を歩く。
 まるで自分の庭のように独り占めした気分になり、いつまでもここにいたいと思う。
「今夜もまた、いい月夜ね…。」
 夜空を見上げながら、一人呟く。
 闇を退ける満月は、小さな星を従えて一際悠々と輝いている。その柔らかな光は、浜辺から続く遥かな海上までもを映し出していた。
 真昼の熱い陽の光とは対照的な、癒してくれるような優しい輝き…。その中をゆっくりと歩いていると、昼の疲れが嘘のように引いてくようだった…。
 波間から潮風が吹き抜けて行く。
「涼しい風…。」
 私は目を閉じて、暫らくその潮風の心地よさを楽しんでいた。

 どれくらい経ったんだろう?ふと耳を澄ますと、何か音が聞こえてきた。波の音なんかじゃない…。
「何の音かしら?この音…。」
 もう一度耳を澄ましてみる。
 弦楽器のような音。あまりにも澄んだ音なので、思わず風と間違えてしまいそうな小さな音…。
「ヴァイオリン…かしら…?」
 私はその音がどこから聞こえてくるのか知りたくなった。
 この辺りは家が然程多くはなく、どこの家でも今頃は眠りに就いてる筈なんだけど…。
 暫らくその音を追い、私は浜辺を歩き続けた。
 いつもの散歩道を通り過ぎ、その先まで足を延ばしたけれど…全く音が大きくなる気配はない。まるでその音を中心に弧を描くように歩いてる…としか思えない。
 だって…その音が一定の大きさでしか聞こえてこないのだから…。
「もしかして…。」
 私は海の彼方を見つめて耳を澄ました。
 すると、止まぬ波の音を押し退けるように、“音"でしかなかったものが、今度は“音楽"としてはっきりと聞き取ることが出来た。
 優しい旋律…。まるで、この月明かりを曲にしたら、きっとこんな曲になるのだろうな…私はそう思いつつ、この美しい旋律に聞き入った。
「でも、一体誰が奏でているのかしら?」
 そう考えながらも、私はただ、この曲を聴き続けていたいとも思った。
 少なくとも、私は最後まで観客でありたかった。
「美しく澄んだ曲…でも、どことなく物悲しいわ…。」
 閑かに流れゆく音色。誰のために奏しているのかも分からない。優しさと淋しさを内包し、それでいて甘美に響き渡る。

― 誰が書いた曲なのかしら? ―

 私はこの曲をどこかで聞いた気がする…。
 でも…いつのことだったのか、なぜ知っているのかを思い出すことが出来ない。

 夜の浜辺を風に乗って響いてくる、澄んだヴァイオリンの音色。まるで甘美な夜想曲。夜のひとときに想いを寄せる音楽…。
「そうね…。この曲はきっと夜想曲。夜の優しさも淋しさも、この曲は全て表現してる…。演奏してる人はきっと、心の澄んだ人ね…。」
 私は思わず微笑んだ。その瞬間、はっきりと人の声が聞こえた。

― この曲は君に捧げる曲なんだよ。 ―

音は止むことなく響いてる。幻聴かと思ったけど、それにしてもリアリティのある声だった…。
「あなたは誰?どうして私にこの曲を…?」
私は思い切って尋ねてみた。その理由を、どうしても聞かなきゃならない気がした。
暫らく夜想曲は響いていたけど、とうとう終止符を打った。
私は一人、小さな拍手を贈った。

― この曲は君のものなんだ。僕が書いた君への想い。僕はいつも見ていたんだ。この砂浜を一人、とても幸せそうに散歩してる君を。だから、どうしても君に、この想いを伝えたかったんだ…。―

私は驚いた。私はこの人を知っている。でも、誰なのか思い出せずにいた。
「あなたは誰?私はあなたのこと、知ってるような気がするわ。でも、どうしても思い出すことが出来ない…。」
いつ出会ったんだろう?なぜか胸の奥が熱い。

― 会ったことあるよ。夢の中だけどね。―

「夢…?」

 その瞬間、私は思い出した。そう…私は以前、夢の中でこの人に会っている。でも…それは飽くまで夢の中の話…。
 なぜこの現実にいるのかしら?しかし、見えてはいないけれど、確かに感じる。
「これは夢なの…?」
もしそうだとしたら、なんてリアルな夢なんだろう。

― 夢じゃないよ。これは僕の夢だから…君の夢じゃないんだ。―

私は一瞬ポカンとした。それを理解するのに、少し時間がかかった。
 でも、もしそうだとしたら…私と話しているこの人は誰?
「だったら、これは私には現実ってこと?」

― そうなるかなぁ。―

何だか間が抜けてる返事だ。
「それじゃあ、あなたにとって、私は夢の中の人ってこと?」

― そうなるね。―

やっぱり私には理解不能な状況だけど、不思議と違和感や恐れは無かった。
 それは、この青白く輝く月明かりのせいかも知れない。

― いつかきっと逢いに行くから、それまで待っていて欲しい…。―

月光の中に、輝ける青年の姿が映った…。
でもそれは、私が創りだした幻影かも知れない。在りし日に見た夢の中の記憶。自分の思い描く理想の恋人…。
「絶対来てくれるんだったら、忘れずに待っているわ。その時に今の曲を聞かせて。私のための夜想曲を…。」
 私は微笑んで、そう答えた。

― もちろんさっ!その時が来たら、今は言えない言葉も一緒に伝えるから…。―

そう言い終えると、彼の姿は月光の中へ、溶けるようにして消えていった…。

   #  #  #

あの時の体験は、三年経った今も鮮明に憶えてる。何度も“夢だったんじゃないか”って思ったけど、あの夜想曲を口遊む度、夢じゃなかったって実感する。
「その曲なんていうの?いつも口遊んでるけど。いい曲よね。」
友人達にそう言われると、何だか不思議な感じがした。だって…この曲は、まだ世界に生まれてない、それも私のための曲なんだから…。
「この曲って、題名も何もないのよ。夢の中で聞いた曲だから。」
人に言われた時は、こんな調子ではぐらかす。けど、“いい曲ね”とか“素敵なメロディね”とか言われると、なんだか嬉しくなった。

 ある初秋の夕の迫りくる時刻。私は公園のベンチに腰掛けて、またあの夜想曲を口遊んでいた。
 いつ来るか分からない人を待ち続けるのは、案外大変なことだって、今更のように思い知らされる。
時々挫けそうになって、泣きそうになる日もあった。
「あれからもう三年よね…早いものだわ…。」
私は一人、溜め息を洩らした。
風は静かにそよぎ、秋の夕焼けに染まりゆく木々の、色褪せた枯葉を揺らしている…。

 その刹那。

「あれ…この旋律…!?」
私はハッとして顔を上げた。
 人気のない公園の中央、ちょうど噴水のある一角で、背の高い男性がヴァイオリンを奏でていた。
 それも…あの聞き覚えのある曲…そう、あの夜想曲を…!

 自分の目と耳を疑った…。正直、あれはもう夢だったって、思いかけていたんだから…。
「……!」
私は口を開くけど、何も言葉にならなかった。
少しの間、あの懐かしい音色を聴いていた。そうするしか出来なかった。
 夕日の射す静かな公園の中、ヴァイオリンの音色が響き渡る。その澄んだ響きは、いつまでも続くんだって思った。が、突然その音色は中断された。彼は微笑んで、私の元へ歩み寄って来た。
「やっと見つけた。遅くなってゴメン…。」
そして、一冊の楽譜を私に渡してくれた。
 表紙を見ると…そこには…

<夜想曲―僕の大切な人へ捧ぐ―>

 そう書かれていた。
私は涙が出そうになった。
「私、もう夢だったんだって…諦めかけてたのに…」
そう言う私の隣へ彼は座り、肩を優しく抱いてくれた。
「逢えてよかった…。」
彼のその言葉に、堪えてた涙が零れてしまった。彼は何も言わずに、そのまま私を抱いていてくれた。
 その温もりは優しく…心まで包み込んでくれるようだった…。
「本当に来てくれるなんて…。あれが夢だとしても、幸せだって思う程だった…でも、あなたはこうして来てくれた…。」
私は今、心から幸せだと感じてる。実は、こっちが夢なんじゃないか?って、そう思った。
 でも…この温もりは確かに現実のものだった。
「約束通り、あの時言えなかった言葉を伝えたい。」
彼は私の瞳を見つめながらこう言った。
「僕は君が好きだ!」

これが夢ならば、どうか醒めないでほしい。

私は心から、そう願った…。



       end...


 
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