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珈琲

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4部分:第四章


第四章

「あれだな。醤油だ」
「これは醤油かい」
「おうよ」
 磯八に対しても答える。
「間違いねえ。これは醤油だ」
「成程、醤油を湯に溶かして飲むってのかい」
「そうに違いねえ」
 腕を組んで強い表情で頷いての言葉であった。
「こりゃあよ。それに違いねえぜはっつあんよお」
「西洋でも醤油を使うってのかい?」
「そうだよ?あんな美味いもんはねえよ」
 自分達の舌で述べた留吉であった。
「刺身も豆腐も。醤油がねえとまあ食えたもんじゃねえ」
「そうだな。じゃあこれは醤油か」
「だろうな。醤油を湯に入れたもの」
 留吉は言う。
「それがこの珈琲ってわけだよ」
「それとも違いますよ」
 しかし娘はそれとも違うと言うのであった。
「お醤油でもありません」
「上方の薄口醤油かい!?それじゃあ」
「醤油じゃねえってんなら」
「それとも違います」
 娘は当然ながらそちらも否定したのだった。少し考えてみればどちらも同じものであるがいささか混乱している二人はそうは思えなかったのである。
「それとも」
「じゃあ何だい、こりゃ」
「だしかい?うどんか蕎麦の」
「珈琲です」
 あくまでこう言う娘であった。
「これが珈琲です」
「だしをそのまま珈琲って言うんじゃなくてかい」
「これが珈琲かい」
「はい、香りは違いますよね」
「ああ、確かにな」
「この前の直侍のあれの香りじゃねえ」
 歌舞伎の直侍のことである。舞台で実際に蕎麦を食べるのだ。その蕎麦の食べっぷりの威勢のよさもまたこの演目の人気の理由になっているのだ。
「全く別もんだな」
「それじゃあ。全く違うものなのかい」
「ですから珈琲なんですよ」
 娘は結構辛抱強いのか穏やかなままで二人に述べるのであった。顔もにこにことしたままである。気の短い江戸の娘にしては大人しい程だ。
「これが」
「そうか。まあやっと飲み込めてきたぜ」
「とにかく。珈琲なんだな」
「はい」
「西洋の連中が飲むっていう」
「これが」
 娘の言葉を聞きながら落ち着いてきてそのうえで少しずつその珈琲を見たそれは相変わらず黒く湯気を立てているのであった。
「それじゃあよ、はっつあん」
「おうよ、留さん」
 二人は顔を見合わせて言い合った。
「飲むかい、これを」
「珈琲をな」
「どうぞです」
 二人を前にして娘がまた勧めてきた。
「御飲み下さい」
「よし、じゃあよ」
「行くぜ」
 声を掛け合って飲むのだった。まずは一口ごくりとやる。すると。
「な、何じゃあこれは!?」
「泥かい、これは!?」
 二人は珈琲を吹き出しつつ大声で叫ぶのだった。
「泥を煮詰めたものかい、こりゃあよ」
「何て味だよ」
「最後まで御飲み下さいね」
「最後までっておい」
「こんなの飲めるかってんだ」
 怒った顔で娘に対して言うのであった。顔も真っ赤にさせている。
「泥水じゃねえか、こりゃ」
「苦くて飲めたもんじゃねえ」
「ではこちらを」
 娘は二人の言葉を聞いてあるものを出してきた。それは。
「んっ!?こりゃ」
「砂糖かい」
「はい、砂糖です」
 見れば確かにそれであった。少なくとも塩でないのはわかった。娘が差し出したそれを見て二人はとりあえず落ち着くのであった。
「これを珈琲の中に入れて飲まれてはどうでしょうか」
「珈琲の中に砂糖を!?」
「何でえ、そりゃ」
 この話を聞き終えた二人はまたしても顔を顰めさせるのであった。そうしてその顰めさせた顔でまた言うのであった。
「随分珍妙な飲み方じゃねえか」
「これも西洋の飲み方かい?」
「はい、そうです」
 こう答える娘であった。
「これもまた。そうなのです」
「砂糖をねえ」
「変な飲み方するな、西洋の連中も」
 彼等はまだ茶に砂糖を入れるといったことは知らなかったのである。砂糖水もあることにはあったが少なくとも茶そういった類に入れたりはしない。だからこの珈琲というものを茶のようなものと考えている二人にはこの飲み方が奇妙なものに思えたのである。
「まあいいや。こんなの苦くて飲めねえからな」
「全くだ」
「他にはこれもあります」
「ああ、それはな」
「わかるぜ」
 今度出してきたのはミルクだった。これについては二人も聞いてはいるのだった。
「牛の乳だよな」
「それも入れるのか」
「はい。苦さがましになりますよ」
 二人に教えるのだった。
「如何でしょうか」
「それを早く言えってんだ」
「全くだ」
 ミルクのことを聞いた二人は声を怒らせて言うのであった。
 
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