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猫の憂鬱

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第4章
  ―6―

コウジが目を覚ましたのは、翌日の夕方だった。宗一から連絡受けた龍太郎は搬送された病院に向かい、包帯が巻かれる首を見た。
「抜糸は十日後で、退院は様子見て、大体そうね、メンタルケアも入れて一ヶ月後かな。もっかい自殺されたら堪まらんから、一応監視は付けてる。」
しませんよ、と笑うコウジに龍太郎も釣られて笑った。開けた窓から、秋の匂いがし、クリーム色のカーテンが揺らいだ。サイレンの音や車の音、人の笑い声も聞こえる。色々な思いがコウジの中で溢れ、其の思いを噛み締めるように雲を追った。
「空って、綺麗ですね。」
「そうですね。」
「変な情は、要りませんから。」
コウジの容疑は殺人幇助で、木島が云ったように情状酌量の余地はある、長年受けたセイジからの恐怖にコウジは動いたに過ぎない。実際取り調べの時も、涼子への殺意を否定している。然しコウジは、結果的に二人も殺害したので執行猶予は要らないと、龍太郎と宗一の目を見た。
「其方の先生が仰られたように、私は、きちんと二人に向き合わなければならないんです。十年近く逃げました、もう、逃げません。きな粉にも、申し訳無いですし。私が実刑になれば、兄の刑も重くなるでしょう。」
「其の事なんですが、タキガワさん。」
「はい。」
「きな粉は、此の後、如何したら良いでしょうか。里親は、探しますが…」
猫の事もあり、コウジを執行猶予にしたいのだが、本人が弁護士は付けない、実刑を望むと言い切っている、そうなると猫の所有者が居なくなり、里親が見付からない場合、保健所に搬送される。コウジにも其れは判っているが、雪村凛太朗の人生を奪った事を思うと、矢張り実刑にして欲しかった。
「私は何処迄も自分勝手ですね。」
最悪、猫の処分が決まったら、一課で飼おう、と課長は云っている。加納は乗り気だが、動物嫌いの井上や猫アレルギーの刑事から猛攻受けている。そんなに乗り気なら加納さんが引き取れよ、と全員に云われたが、加納には加納で事情があるらしく、引き取る事は出来ないと云った。
科捜研側にも声を掛けたが、八雲には此れ以上は無理、と云われ、時一は犬派なので、侑徒は自分の面倒で一杯一杯、秀一は何で俺が、と全員に無視された。困った課長は、結局宗一に縋ったが、宗一も宗一で過剰な拒絶をした。課長が引き取れるなら引き取るが、困った事にパートナーが重度の猫アレルギーなのである、大型犬も二頭居る。
一週間は署で管理する事にしたが、一週間で飼い主が見付かるだろうか、不安である。
又来ます、と病院から其の儘署に戻り、部屋に入った龍太郎は、アレ、と見渡した。猫が居る筈なのに井上の態度が普通なのである。加納が署に連れて来た時、関わらないように部屋の端迄、アレルギー持ちの刑事と逃げた程なのに、普通に自分の席で仕事をしていた。
「きな粉は。」
「嗚呼、あれなら木島が持って帰ったぞ。」
「え?」
猫に対し一番無関心だった木島が真っ先に動いた、其れに龍太郎は驚いた。
「そう、なんですか?」
「妹が欲しいって云ったらしいんだ。」
「嗚呼、成る程。」
木島には妹が居る、盲愛に盲愛を重ね、妹の望む事を全てする馬鹿兄貴である。猫を持ち帰ったのとて、猫に同情した訳でも、猫が好きだからでも無い、溺愛する妹が欲したから持ち帰ったに過ぎない、そんな気の持ち前で飼育出来るのか不安だが、猫も引き篭もりの人間も変わらん、と木島は言い放った。
機嫌が悪いのは加納である、そんな引き篭もりに猫の面倒なんか見られるもんか、自分の面倒を先ずに見ろ、と怒っている。加納の言う事も一理あるが、引き篭もりだからこそ猫一匹位与えた方が良いのでは、と龍太郎は思う。
私用電話が響く、見ると木島からであった。
「何か。」
「猫って、何食べるんだ。」
其処からか、と龍太郎の顔から表情が消えた。
「コンビニに御飯売ってますよ。」
「そうなの、じゃあ御前買って来てよ。」
「何で私が。貴方が行けば良いじゃないですか。」
「今忙しいんだよ。」
こら、駄目、飛ぶな、と電話から聞こえ、棚から何か落ちたのか、騒音に耳を押さえた。
「…行って来ます…」
序で本屋に寄って猫の飼い方たる本でも買おう。
うんざりした気持ちで本屋とコンビニに行き、木島のマンションに着いた龍太郎は木島の電話を鳴らした。
木島が龍太郎に頼んだのは理由がある、木島の自宅を知っているのが課長と龍太郎だけで、流石の木島も猫の食事を頼むのに課長は使えない。其れで仕方無く、渋々、嫌々、木島の自宅に来た。
思うが木島、龍太郎に頼まずとも、自宅に出入りする恋人に頼めば良かったのでは無いか、エントランスに現れた木島にそう云うと、ビニール袋を片手に本を捲る木島は、そうだよな、と失笑した。
「そうか雪子、考え付かなかった。」
「付き合ってるんですよね?」
「そうだな、完全に忘れてた。」
だから御前は結婚出来ないんだよ、と龍太郎は無言で見返し、頭を下げ、帰ろうとしたのだが、上がる?と素っ頓狂な事を云った。上がれるのなら態々木島をエントランスに呼び出さない、其の儘自宅に行く。
木島を態々マンションエントランスに呼び出したのは、妹が理由である。木島以外の男を見るとパニック起こし、錯乱するのだ。
其れをコンビ時代から知っているので、緊急で迎えに行っても車の中で待ち、用事があっても必ず木島をエントランスに呼んだ。何を考えてるんだと無言で見返し、帰ります、と踵を返した。
自宅に戻った木島は、玄関先で猫を抱く妹の頭を撫でた。
「お兄様。」
「んー?」
キッチンで猫の食事を用意する木島は、無言で自分を見る妹には向かなかった。腕に抱かれる猫に食事の匂いを教え、妹の足元に食器を置いた。其の儘無言で自室に入り、ガチャリと鍵を閉めた。
ネェ。
猫を抱いた儘兄の後ろ姿を見ていた妹は声に顔を向け、静かに猫を下ろした。むにゃむにゃと食事をする小さな頭を撫で、膝を抱えた。
「お兄様はね。」
話す相手も居ない妹は、聞こえているか判らない猫に妹は話し始めた。
「ワタクシの事が邪魔なのよ。」
小さく笑い、食事の終わった猫を抱いた。ソファに座り、もう何度も見たアニメを視界に入れ、独り言を続けた。
頭がおかしくなりそうだ。
自室で本を読む木島は、リビングから聞こえ始めた妹の声に顔を上げた。
毎日毎日、こうして妹の独り言を聞く。内容は毎回同じで、お兄様は自分が嫌い、自分が邪魔、けれど木島の悪口は無い、只管妹自身の心の鬱積を毎日聞いた。そんな鬱積は見てもいないテレビに云うのではなく、カウンセラーにでも云って欲しかった。
「ワタクシが居なくなれば、お兄様も幸せなのに。」
「時恵(ときえ)。」
「はい?」
部屋から出た木島は妹の横に座り、テレビに向いた儘手を握った。
「御前も飽きないね、毎日同じ事云って。」
「ええ、飽きませんわ。」
「本郷に、会いたかったんだろう?」
「はい。」
唯々映像を流すだけのテレビを眺めた。
「お兄様、きちんと仰って?」
「いや、上がる?って聞いただけ。」
ぷくんと口元が膨らみ、少し機嫌を損ねたようだった。
「お兄様って、本当、役に立ちませんわね。」
「御免。」
テレビを消した妹は其の儘猫と一緒に立ち上がり、自分の部屋に入った。自分の部屋にもテレビはあるのに、妹は態々リビングでアニメを見る。其処になんの意味があるのか判らない。
ネェ。
「ん?」
妹の部屋に入った筈の猫が木島に向いていた。
「何?如何したの?」
聞いてはみたが猫は何も云わず、太い尾を揺らし妹の部屋に戻った。
妹が分裂したみたいだと木島は思い、散々散らかされた部屋に溜息を吐いた。
猫と一緒にベッドに横たわる妹は、何の役に立つのか不明だが、木島に持たされている携帯電話の画像フォルダーを開いた。カチカチと、好きな二次元のキャラクターの中に、ポツンと其の顔がある。
「本郷さん…」
兄の電話に残る写真。抑に何故、木島の携帯電話に敵視する龍太郎の写真があるのか不明だが、あったのだ。木島自身は、課長を撮るつもりでシャッターを切ったのだが、うっかり横切った龍太郎が映った。然も具合良く、井上の方…此方に顔が向いた為、正面が映ったのだ。消せば良いもの、其の時珍しく龍太郎が笑っており、脅迫に使えるかも、と其の儘にしていた。其の携帯電話を妹が今使用している。
一目惚れだった。
会った事も無い、其れも三次元の男に妹は惚れた、芸能人を好きになる感覚と同じで龍太郎に惚れた。実際本物を見たら熱が冷めるかも知れないが、初めてだった。
木島も妹の其の気持ちを知っている、嫌なのだ、盲愛する妹が龍太郎に惚れている事実が、けれど、本物を見せてあげたいな、と云う気持ちもある。其の葛藤で、曖昧なコンタクトしか送らない。
其れに龍太郎への遠慮もある。
龍太郎の女嫌いを十二分に把握するからこそ、会わせたところで龍太郎にも迷惑が掛かる、然し、見せてもやりたい、此の妹を。
そうというのも、此の妹、物凄く宮崎あおいに似ているのだ。
そして、女嫌いの龍太郎が唯一好きな女が、宮崎あおいだったりする。
此れは偶然に知った。電話を弄る龍太郎の横から、何気無く覗いたロック画面が其の女優だった、意外過ぎ、覗いていたと云う事実を教えてしまった。

――え?御前、宮崎あおい好きなの?
――一寸、何で覗くんですか。
――好きで覗いたんじゃない、見えたんだ。え?好きなの?
――はい。好きな顔ではあります。
――御前、ホモじゃなかったのか。

そりゃあんただろう、と云う目付きは放置した。
井上に聞くと、そうねぇ、好きなんじゃね?可愛いとは云ってた。
そんな龍太郎に、此の妹を見せたら如何なるのか、見てみたかった。

――女嫌いの男と、男性恐怖症の女、か。小説にありそうだな。閣下に執筆して頂いたら如何だろう。
――其れ、平安時代の小説っぽいよ。
――簾越しに愛を囁き合うんだな。
――そして和歌と云うメールを送り合うんですね。

相談した課長に笑いながら云われた。因みに木島の父親は小説家で、閣下、というのは愛称である。
妹は、男性恐怖症になる前から課長を知っていたので、連絡を取り合う事が出来る。其の時課長は、文面を女っぽくし、龍太郎の写真を勝手に送っているのだ、平然堂々と龍太郎を盗撮をする。何で龍太ばっか撮るの?と井上に聞かれても無視である。井上と一緒に映った写真を一度送った事あるのだが、横の方、綾野剛に似てらっしゃいますわね、と妹が珍しく返事をした、何時も一方的に写真を受け取るだけに意外な反応だった。

――綾野剛好きなの?
――いいえ。ワタクシは玉木宏が好きですわ。ああ云うパーツパーツが大きい御顔が好きなんですの。

玉木宏とは又高レベルである。
聞いた木島は、パーツ一つ一つが主張する顔が好きなら、課長の顔は儘では無いか、思い、妹に確認すると、流石木島の妹と云おうか、我が妹と云おうか、大好きですわよ、とあっさり答えた。其れで何故龍太郎に向いたのか、答えは簡単だった、課長が既婚者だからだ。
そして龍太郎の声が、此の妹を暴走させる原因でもある。ストーカー気質なのだ、此の兄妹は、血の繋がりは無いが。
妹は、二次元が大好きである、其の中で、声優の緑川光というのが一番好きなのだが、龍太郎の声がそっくりなのだ、其の声優に。笑った声等、本人か!?と聞きたい程似ている。御前の声、其の声優なんだろう?録音だろう?そうだろう!?何処から出てる、其の声は何処から出してる、と納得させたい程似ている。本郷龍太郎かっこCV緑川光かっこ閉じる、を素でやっていた。二次元やアニメに全く興味無い龍太郎は、其の声優が誰なのか判らず、井上が、スラダンの流川、と云ったので漸く把握した。
此の妹に声を聞かせたら、一番似ている声優を教えてくれる、という有り難いのか良く判らない特典が来る、誰も実験しないが。
何時の間にか眠ったのか、目覚めると、妹の部屋に居た猫が木島のベッドに居た。起きた気配を察した猫は喉を鳴らし、其の豊満な毛皮を指先で堪能した。
ゆっくりで良い、俺を認識して。
そう願い、木島は猫の高い体温を腕にしっかりと抱き締めた。 
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