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悪来

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6部分:第六章


第六章

「そうおいそれとは倒せん」
「それこそ数を放たなければな」
「では射ろ」
 決断はすぐであった。
「今ここにいる弓の全てを使ってな」
「全てか」
「そうでなければ駄目だ」
 とても倒せない、そう思っての言葉だった。
「あの男を倒そうと思えばだ」
「よし、では弓兵は全部出ろ」
 危機感に満ちた言葉であった。
「そしてあの男を射ろ。いいな」
「わかりました。それでは」
「矢があるだけ」
「いいな、とにかく放て」
 まだ仁王立ちしている典偉を見据えての言葉だった。
「あるだけ放てばきっと倒れる。だから」
「よし、それでは」
「今より」
 こうして弓兵達は矢をつがえ弓矢を次々と放った。弓矢は唸りをあげて典偉に対して向かった。その数は闇夜を覆わんばかりであった。典偉はその無数の弓矢を二本の戟を振り回し弾き飛ばそうとする。しかしそのあまりもの数に押され全ては適わない。やがて彼に一本、また一本と突き刺さっていきやがて彼は針鼠のようになってしまった。しかしそれでも彼はまだ立っているのだった。
「何っ、まだ立っているだと!?」
「あれだけの弓矢を受けてか」 
 二本の戟を構えたまま立っている。最早矢は尽きてしまった。しかし彼はまだ門のところに仁王立ちを続けていたのであった。
「化け物か。まだ立っているなどとは」
「生きているとは」
 彼等にとっては最早打つ手なしだった。弓矢でしか倒せないと思いありったけ放ってそれで貫いてもまだ立っているのだから。しかしここで一人が気付いたのだった。
「待て」
「どうした?」
「動かんぞ」
 彼はその仁王立ちのままの典偉を見て同僚達に言うのだった。
「動かんぞ、全く」
「動かない!?そういえば」
「ああ、そうだな」
 彼等もその言葉を聞いて典偉を見て言った。
「そうだな。動かない」
「死んだのか?」
「なら何故まだ立っている?」
 死ねば倒れる、彼等は常識からそう考えていたのだった。
「死んだのならば」
「それは」
 まさかと思った彼もこう問われると返答に窮してしまった。
「しかし動かないぞ」
「それはそうだが」
「確かに動かない」
 遠目でもわかることだった。今典偉は微動だにしない。ただそこに立っている。それだけであったのだ。それは夜の中でも見えていた。
「まさかとは思うがだ」
 また一人が言ってきた。
「立ったまま死んでいるのか?」
「そんなことがあるのか?」
「まさかとは思うがな」
 またこの言葉を出した。
「動かないところを見るとだ」
「死んだのならば倒れるだろう」
「立っていられるものか」
 ここでも常識から言い合う。
「しかし。微動だにしない」
「ひょっとして」
 次第に妙に思い典偉を凝視した。やはり動きはしない。
「どのみち弓矢も尽きた」
「攻めるにしろ近付くしかない」
 このことも確かだった。
「行くか」
「うむ」
 警戒しながら前に出る。そうして典偉煮近付くがやはり彼は動かない。戟の間合いに入ってもだ。ここで彼等はようやくわかったのだった。
「死んでいるな」
「うむ」
 最早それは否定できなかった。彼は間違いなく死んでいた。目は大きく見開き戟を構えたうえで立っていてもだ。身動き一つしない。そして息もしていない。死んでいることがやっとわかったのだった。
「立ったまま死んでいるとはな」
「まさかとは思ったが」
 今度は典偉を見てだった。やはり彼は息も全くしない。完全に死んでいた。
「曹操を守る為に死してもか」
「立ち続け我等を阻んでいたのか」
 その言葉には憎むものはなかった。むしろ感嘆のものがあった。
「見事だ、まさに豪の者だ」
「悪来の再来と言うべきか」
 その感嘆の言葉を次々と述べていく。
「その豪と忠、確かに見させてもらった」
「曹操は果報者だ」
 こう言うしなくなっていた。誰もが死して曹操の為に立つ典偉を褒め称えるのだった。
 彼のこの命を懸けた奮闘と死により曹操はかろうじて屋敷を出ることができた。その時息子である曹昴と甥の曹安民は彼を守る為に死んだ。曹操は三人の命を犠牲にして何とか助かったのだった。
 張繍はこの後曹操軍に夜襲を仕掛けその軍を散々に打ち破った。曹操にとっては実に手痛い敗北であった。 
 しかし彼は曹操軍を破ったうえで典偉の亡骸を返還してきた。立ったまま死んだ彼は棺に納められ丁重に曹操軍に送られたのであった。
 彼のその亡骸を受け取った曹操は彼を我が子と甥と共に葬った。三人の墓の中でも中央に置かれ一族と同じように丁重に葬られたのだった。
「典偉の墓が中央ですか」
「うむ」
 曹操は周りの者の言葉に頷いた。その典偉の墓を見つつ。
「わしを三度も救ってくれたからな」
「だからですか」
「そのうえで死んだ」
 彼はこのことも忘れていなかった。
「そのような者を。どうして粗末に扱えようか」
「だからですか」
「こうして一族と共に」
「その通りだ」
 また答えたのだった。
「昴達と共に葬る」
「では。そのように」
「このようにして」
「はい、それではです」
 部下達も彼の言葉に応えて言うのだった。
「我等もまた」
「悪来を」
「典偉よ、よく見ておくのだ」
 今は墓にいる彼への言葉だった。
「わしはきっとなってみせる」
 彼は言った。
「そなたが命をかけて救ってくれただけの者にな。そして天下をまとめてみせるぞ」
 今それを誓うのだった。彼の為に命をかけた彼に対して。そのことを誓うのだった。

悪来   完


                   2009・4・5
 
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