銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百六十七話 傀儡師
帝国暦 489年 11月 30日 オーディン 宇宙艦隊司令部 トーマ・フォン・シュトックハウゼン
「通常航行試験、ワープ試験共に成功しました。ガイエスブルク要塞の運用試験は無事終了しました」
私が報告すると司令長官が軽く頷いた。
「御苦労でした、シュトックハウゼン提督、シャフト科学技術総監」
「はっ」
「はっ」
隣に立っているシャフト技術大将が安堵の色を見せるのが分かった。遅いと叱責されるのではないかとかなり心配していたからな。まあ私も多少はそういう心配が有ったが杞憂だったようだ。
「フェザーンの事は知っていますね?」
私が“はい”と答えるとシャフト技術大将が“混乱していると聞いています”と続けた。司令長官がまた頷く。
フェザーンは混乱している、そして混乱は少しずつ酷くなっている。当初はペイワード自治領主の能力、自治領主就任の経緯についての批判が主だったが今では反乱軍がフェザーンに駐留する事にも批判が広がっている。反乱軍の所為でフェザーンが攻略対象になる、戦争に巻き込まれるとフェザーン市民は恐れているのだ。
「反乱軍の撤兵を求めて大規模なデモが起こっているようです。しかし反乱軍は帝国との取り決めが有るために勝手に退く事は出来ない、そしてペイワードも懸命に反乱軍に退くなと説得しています。ここで退かれてはあっという間に自治領主の座を失ってしまう、いや命すら奪われかねませんからね」
司令長官が穏やかな表情で物騒な事を言う。デモが起きている? 驚いた、そこまで酷くなっているのか。シャフト技術大将の顔を見たが技術大将も驚いていた。
「出兵は何時頃になりましょうか?」
「もう十一月も終わりですからね、出兵は年明けになると思いますよ、シュトックハウゼン提督。お二人には出兵に向けて準備をお願いします」
出兵は年明けか、家族揃って新年を迎えられるのは有難い。
「シャフト技術大将」
「はっ」
「遠征には大将にも同行してもらいます」
「小官も、ですか?」
シャフト技術大将が問い返すと司令長官が頷いた。笑みを浮かべている。
「トラブルが有った時、迅速に対応出来るようにしておきたいのです。シャフト技術大将には対応チームを率いて貰います」
「承知しました」
「それに技術将校はどうしてもその功績を軽視されがちですからね。同行してもらった方が周囲に大将の功績をはっきりと示す事が出来るでしょう」
シャフト技術大将の頬が紅潮した。昇進の事を思ったのだろう。シャフト技術上級大将か、技術将校で元帥まで昇進した人物はいなかった筈だ、もう一歩だな。
「大将にはこれまでにも色々と協力してもらっています。この辺りできちんと酬いておきたいと思っているのです」
「有難うございます、閣下の御配慮に感謝いたします」
ほう、閣下とシャフト技術大将は存外に親しいらしい。
司令長官室を退出すると気になった事を問い掛けてみた。
「シャフト技術大将、卿は司令長官と随分と昵懇なのだな。少しも気付かなかった」
「いや、昵懇だなどと、そのような事は有りません」
慌てているな。目の前で頻りに手を振っている。
「しかし大分卿の事を気遣っている様だが」
「……」
シャフト技術大将が困った様な表情をした。余り楽しい話題ではないらしい、変えた方が良いか。
「念のため、もう少し通常航行試験とワープ試験を行いたいと思うが如何かな?」
「そうですな、その方が良いでしょう」
ほっとしたような表情だ。どうやら単純な関係ではないらしい、やれやれだ。
帝国暦 489年 12月 10日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
司令長官室で書類の決裁をしているとTV電話が受信音を鳴らした。番号はキスリングが相手で有る事を示している。受信ボタンを押すとキスリングの顔が映った。緊張している、何か大事が起きたな、少なくとも汚職関係じゃない事は確かだ。
「やあギュンター、何が起きた?」
『フェザーンで暴動が起きた』
ヴァレリーが息を呑んだ。彼女だけじゃない、司令長官室にいる職員皆が息を呑んでこちらを見ていた。
『反乱軍の撤退を求めるデモ隊と警察、反乱軍が三つ巴で衝突した。デモ隊、警察、反乱軍全てに死者が出ている』
「随分激しいな」
『そりゃそうだ、デモ隊には例の連中が参加していたからな』
「やれやれだな」
地球教か、連中はペイワードでは無く彼を支える同盟軍に狙いを付けた。今此処で長老委員会を使ってペイワードを自治領主の座から追うのは背後に地球教有りと同盟に判断されると考えたのだろう、それは危険だと。そうなればフェザーンでも地球教の弾圧が始まりかねない。
だからペイワードでは無く同盟軍に眼を付けた。狙いは悪くない、元々フェザーン人は独立不羈、束縛を嫌う。同盟軍への反感をフェザーン市民に植え付けるのはそれほど難しくない筈だ。そして同盟軍が居なくなればペイワードの始末は容易だ。
ペイワードもそれは理解している、だから同盟軍の撤退を認めるわけがない。しかしそれ自体が地球教の狙いだろう。そうなればペイワードはフェザーン市民の声を無視しているとして非難出来るのだ。長老委員会が動くのはそれからだろうな。
しかしフェザーンで騒乱が起きればその事自体が帝国が介入する口実になるとは考えが及ばなかったようだ。或いは地球教もフェザーンを掌握する事に焦っているのかもしれない。その辺りをルビンスキーが上手く突いて地球教団を動かしたのだろう。良い仕事をするな、ルビンスキー。なかなか派手な花火を打ち上げてくれた。殺すのは惜しいかな?
「他には?」
『現状ではそれだけだ』
「そうか、何か分かったら逐次教えてくれ。私はこれから新無憂宮に行く」
『分かった』
通信を切った。ヴァレリーにエーレンベルク、シュタインホフ、リヒテンラーデ侯に連絡を取る様に頼む。さて、忙しくなるな。
「フェザーンで暴動か。出兵の名目としては十分じゃな」
「そうですな」
「真に」
リヒテンラーデ侯の執務室で三人の老人が満足そうに話している。国家の重臣というより犯罪組織の幹部の方が似合いそうな表情だ。俺はこいつらとは違うぞ、気真面目な小市民なんだ。
「ルビンスキーが上手くやったようだの」
リヒテンラーデ侯が俺を見てニヤッと笑った。笑顔が怖いのは間違いなく悪党の証拠だ。
「こちらに寝返って丁度半年です。約束通りですね。流石にフェザーン人です、こちらの期待を裏切りません」
リヒテンラーデ侯が声を上げて笑った。
「感心するのは良いが片付けるのを忘れるでないぞ」
声を上げて笑っているが目は笑っていない。エーレンベルク、シュタインホフも俺を試すかの様に見ている。寒いわ、今年の冬は本当に冷える。
「分かっております」
俺が答えると老人達が満足そうに頷いた。
「声明を出す。同盟は帝国との約定を破りフェザーンの中立性を回復せずに混乱させている、帝国はこれに対し実力をもって対応すると」
皆が頷いた。既定方針通りだ、問題は無い。
「出兵は年が明けてから、それで良いかな」
リヒテンラーデ侯の問いにエーレンベルク、シュタインホフが俺を見た。実戦部隊を率いるのは俺だ、答えろという事か
「それで宜しいかと思います」
「うむ、では準備にかかってくれ。私は陛下にお伝えしてくる」
執務室を出ながら思った、戦争だ、艦隊司令官達を会議室に集めなければならん……。
司令長官室に戻るとキスリングが俺の帰りを待っていた。どうやらTV電話では話し辛い事が有るらしい。ヴァレリーに一時間後に司令官達を会議室に召集するように頼んだ。キスリングは無言だ、一時間で十分らしい。
「応接室に行こうか」
「ああ、そうして貰えると助かる」
二人で応接室に入りソファーに座るとキスリングは直ぐに話しかけてきた。
「かなり酷いな」
「と言うと?」
「銃火器が使われている」
「反乱軍がか?」
俺の問いにキスリングが“そうじゃない”と首を横に振った。
「先に発砲したのはデモ隊の方だ」
「まさか……」
「事実だ。ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ノルデン少将が現場に居た」
「デモに参加していたのか?」
またキスリングが首を横に振った。
「いや、少し離れたところで見ていただけだ。反乱軍の高等弁務官府を囲む形でデモが起きたらしい。警察がそれを阻む様な態勢で弁務官府を警備した。発砲が起き警備していた警察が崩れデモ隊が弁務官府に雪崩れ込もうとした。弁務官府を警備していた反乱軍がデモ隊の突入を防ぐために已むを得ず発砲した。その後はデモ隊、警察、反乱軍が三つ巴になっての戦闘になった」
「……」
「三つ巴の戦闘になって周囲にも攻撃が及んだ。シェッツラー子爵が巻き込まれて負傷したが軽傷だ、命に別状はない」
「……」
「発砲は唐突だったそうだ。三人の話によればデモ隊と警察の間でちょっと小競り合いが起きた、そう思った次の瞬間にデモ隊が発砲し恐慌状態になったらしい」
花火どころの騒ぎじゃないな、まるで戦争だ。
「デモ隊が銃火器か。……地球教かな?」
キスリングが頷いた。
「デモ隊に武器が流れていたと見るべきだろう。発砲したのもデモ隊が先だ。多分流したのも発砲したのも地球教徒だろう。シェッツラー子爵は軽傷だったが他にも捲き込まれた民間人が大勢居る。死者も居る様だ」
「……騒ぎを大きくするために故意に無関係の民間人を捲き込んだ可能性も有るな」
「ああ、俺もそう思う」
帝国が出兵するにはそれなりの理由がいる。それは分かっている。しかしそれにしても……。良い仕事をする? 殺すのは惜しい? 何を考えているのだ、この阿呆! あの瞬間だけ死んでれば良かった。阿呆な事を考えずに済んだだろう。
「ルビンスキーの振付だろうな。効果的である事は認めるが吐き気がする。仕事抜きにして奴を殺したくなったよ」
吐き捨てるようなキスリングの口調だった。目の前にルビンスキーが居たら即座に撃ち殺しているに違いない。
「落ち着けよ、ギュンター。失敗は許されないんだ。確実に殺せる、その時を待て」
「ああ、分かっている」
そう、落ち着くんだ。奴を殺したいと思っているのはお前だけじゃない、俺もなんだからな。
帝国暦 489年 12月 10日 オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン
「義父上、お話したい事が有ります。ユスティーナも聞いて欲しい」
夫がそう言ったのは夕食が済みリビングで寛いでいる時だった。私と養父はコーヒー、夫はココアを飲んでいた。何時もと変わらない光景、そして何時もと変わらない穏やかな夫の口調だったけど嫌な予感がした。
「フェザーンで混乱が起きています」
「そのようだな」
養父がコーヒーを一口飲んだ。嫌な予感はますます膨らんだ。フェザーンが混乱している事は皆が知っている。
「近日中に反乱軍を非難する政府発表が有るでしょう。それに応じて軍を起こす事になります。年が明けたら出兵です」
「そうか、御苦労だな」
二人とも淡々としている。どうしてそんな風に話せるのだろう。私は胸が潰れそうだ。夫が私を見た、少し話し辛そうな顔をしている。
「出兵は長ければ一年に及ぶと思います」
「一年」
思わず声が出た。夫が“済まない”と謝ったので慌てて“いえ、私こそ済みません”と謝った。夫は宇宙艦隊司令長官なのだから出兵が有るのは当たり前の事だ、それが長期になる事も……。今更何を驚いているのか。夫の足手纏いになってはいけない、それにしても一年……。溜息が出そうになって慌てて堪えた。
「決戦だな」
「はい、今回の遠征で反乱軍と決着を付けようと思います」
夫の言葉に養父が頷いた。
「軍務尚書、統帥本部総長から話は聞いている。ユスティーナの事は心配はいらん、私が居るからな、存分に働くと良い」
「有難うございます、義父上」
夫が頭を下げた。
決戦、反乱軍との決戦。大丈夫なのだろうか? 反乱軍にはイゼルローン要塞が有る。あの要塞を簡単に攻略出来るのだろうか? 要塞には反乱軍の名将、ヤン・ウェンリー提督が居る。損害が大きければ遠征は失敗に終わるのでは……。夫も養父もその事には何も言わない。私だけが不安に思っている様だ。そんな疑問に夫が答えてくれたのは夜、床に就いてからだった。
「心配は要らない。帝国軍と反乱軍の戦力比は圧倒的に帝国が優位だ。勝てるだけの準備もしている。百の内九十九まで勝てる、心配はいらない」
「……」
百の内九十九? 残りの一は? 私は不安そうな顔をしていたのかもしれない。夫は軽く微笑むと私を軽く抱き寄せた。
「大丈夫だよ、ユスティーナ。私は反乱軍を過小評価しているつもりは無い。連中は有能で危険だ。だがそれでも私は勝てるだろう」
「……信じても宜しいの?」
「ああ、もちろんだ」
信じて良いのだろう。養父は夫の事を出世欲や野心とは無縁の男だと言っていた。夫の手が私の背中を優しく撫でている。心配する事は無いのだと言っている様だ。温かい手、この手を失いたくない……。
「この戦いが終れば宇宙から戦争が無くなる、平和が来る。そうなったらもっと君と一緒に居る時間が取れると思う」
「そうなれば嬉しいですけど無理はしないでくださいね」
「分かっている。私は無理は嫌いだからね、心配しないで良い」
夫が優しい笑みを浮かべながら頷いた。本当にそうなら良いのだけれど……。出世のためには無茶はしないかもしれない、でも戦争を無くすために無茶はするかもしれない。戦争を無くすための戦争、何て皮肉なのか……。心配している顔を見せたくないと思った。甘える振りをして夫の胸に顔を埋めると夫が優しく抱きしめてきた……。
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