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ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣

作者:星屑
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第十二話:隕鉄の鞴『原初の炎』



 兄ちゃん、と呼ぶ声が聞こえた。
 酷く懐かしい響きだ。
 この世界に来る前では毎日聞いていたこの言葉は、今ではもう聞くことはない。
 既にこの名を呼ぶ声がどんなものかは忘れてしまったし、二年もすれば女の子といえど多少は声変わりしているだろう。

 何故、今になって思い出したのだろうか。分からない。分からないが、しかし本能が告げていた。

 もうすぐ、この世界は終わりを迎える。
 それがゲームクリアによるものか、オレが息絶えることによるものなのかは分からないが、確かにそんな予感がしていた。

 もう一度。無邪気にオレを兄と呼ぶ声が聞こえた。
 深い闇の中、差し伸べられた手に、必死に腕を伸ばす。

 ああ、もうすぐ会える。
 忘れてはならない人は、なにもこの世界だけにいる訳ではない。オレはあの世界の人も忘れてはならないんだ。死んでしまった二人の家族と、オレを拾ってくれた新しい家族達。兄と慕ってくれた二人の妹。
 そうだ。オレは救われた。だから、その恩に報いるまで、オレが救われた分他人を救い切るまで、オレは死ぬ訳にはいかないんだ。


 伸ばした左手が、柔らかく暖かいものに触れた。
 闇に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上する。



† †



 左手で柔らかいものに触れながら、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

「………?」

 ああ、そうだ。
 オレは、今まで一度も成功したことのない『憑依投影』をしてグリームアイズを倒して、そして意識を失ったのだった。
 それにしても頭と左手に柔らかい感触がある。

 状況を確認するべく、潰れていた両目をきちんと開いて上を見ると、顔を真っ赤にしたユメと目が合った。

「––––––––」

 働いてなかった脳がフル回転を始め、そして悟ってしまった。やっちまった、と。

「……び、Bだな…」

「っ––––こんの、変態がぁぁぁ!!」

 ゴヅン、と鈍い音を響かせてユメの拳がオレの額を殴打した。目覚ましにしては少々乱暴すぎるが、しかし罪は此方にあるので文句は言えない。

「…すまん、A寄りのBだったな」

 二度目の拳骨が降ってくるまで、そう間はなかった。




「女の子にそういうネタはダメです!分かった!?」

「…大変申し訳ないと思っている。深く反省もしている。だから立たせてくれ、色んなとこぶっ飛ばした後に延々正座はキツすぎる」

 結局、是、射殺す百頭(ナインライブス・ブレイドワークス)によってオレが受けた被害は両目と右腕の部位欠損のみだった。体もずっと怠いままだが、両目は治ったし右腕の完治も時間の問題だ。然程気にすることではない。

「反省したならもういいです。今後、ユメちゃんに胸の話はしないこと!いい!?」

「了解であります副団長殿」

 当のユメはショックを受けたせいか先程からボス部屋の隅で正座して泣いている。まさかあそこまで傷つくとは思っていなかったから、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。

「よ、美味しいとこ取っていきやがって」

「お前も奥の手隠してたんだな。二刀流とかカッコ良いじゃないか」

「お前の投影、だっけ? あれはなんていうか凄惨だよな。主にお前がだけど」

「ほっとけ。自傷覚悟なんだから問題はない。それより––––」

 右拳をキリトへ差し出す。その意図を理解したのか、彼も笑みを浮かべた。

「–––ああ。無事、とは言えないけど第74層突破だな」

「……奴らの死を無駄にしない為にも、踏ん張らなきゃならないな」

 コツン、と拳を突き合せる。
 犠牲者が出たのは悔やまれることだが、今オレ達が生きている事の方が重要だ。
 ともかく祝杯を。作戦なんて呼べたものではないが、第74層攻略作戦は、成功に終わったのだ。



† †



「ん……」

 脳に直接響くアラームで目が覚める。今ではもうこの感覚に慣れてしまったが、この世界に閉じ込められた当初は違和感が中々拭えなくて不快感だらけだった。
 やけに言うことを聞かない目蓋を無理やり持ち上げる。

「ぁふ……」

 一番弱い照明に照らされた自分の部屋が目に映る。
 以前まで寝る時も部屋の照明は付けっ放しだったが、あの死神との戦い以来、なんとか胸の内にあるトラウマと戦うようになってからは徐々に照明の光度を下げている。

「…そっか……そういえば昨日、レンと飲んで寝ちゃったんだ…」

 僅かに覚醒した頭で、昨日の事が思い出される。
 そうだ、確か『祝勝会』と銘打って自分はレンをホームに連れ込んで飲んだのだ。勿論、アルコールのような酔いの状態になるような飲料ではなく、普通のジュースでだが。この世界に於いて現実世界の法はあまり適応されないため、明らかに未成年のプレイヤーもアルコール飲料を飲むことはできるが、それでも頭に刻み込まれた現実世界の法律が中々薄れることはない。

「……ん…? レンと、一緒に……?」

 しかし重要なのはそこではない。そうだ、確かに自分は昨日レンにからかわれた詫びとして一緒に飲むことに決定したのだ。そこはいい。なにしろ自分の意思で決めたことだ。後悔なんてないし、寧ろよく誘ったものだと数時間前の自分を褒めてやりたい。

 だが。だがしかし。

「……こ、これは、どういう状況なのでしょうか………!」

 どうも、悪ノリでアルゴに押し付けられたアルコール飲料の蓋を開けてからの記憶がない。
 そして目覚めてみればこれだ。

「ぅ……ん…」

 自分のシングルベッドの上。
 横向きに寝転がる自分の目の前には、妙に艶っぽい声を漏らす想い人が寝ていたのでした。

「……取り敢えず。起きよう」

 普段ならば悶絶した後、彼の寝顔を記録用結晶に収めるところだが、どうやらまだこの頭は寝惚けているようで。自分でも驚く程冷静に次の行動を開始した。
 向かい合うようになっている体の向きを変え、ゆっくりと体を起こす。彼が目覚めないように慎重に毛布をどかして––––––

「ん…………ぁ、朝か…」

 しかし奮闘虚しく、彼は細く目を開けてしまった。

「…………」

「…ん、ユメか、おはよう。よく眠れたか?」

 軽く欠伸をしつつ、レンは起き上がった。いつもは強い意志を宿して紅く輝いている両眼も、今は半分程に閉じられている。
 今更になって頭が活動を始めて、恥ずかしさが湧き上がってくる。

「う、うん……って、なんでレンが一緒のベッドに!?」

「なんでって、昨日お前が提案してきたんだろう? 夜遅いし、眠そうだからウチで寝ていけそして私と一緒に寝ろ〜って」

「な…ッ!?」

 成る程。認めたくはないが、納得はした。多分、この状況は私が酔っ払ったその結果だろう。自分の酒癖については今後改めなければならないと反省しつつ、しかし今はよくやったと褒めてやろう。

 そうだ。想い人と添い寝して嬉しくないはずがない。それが酔った勢いにしろ、これまで出会った何人かのライバル達には一歩先を行くことになったのだから。

「くぁ……ん、アルゴからメッセージ…?」

 寝ぼけ眼を擦りながら情報屋アルゴから届いたというメッセージを見るレンを眺める。
 なんか、まるで新婚みたいだなぁなんて感想を抱いた私に、しかし彼はそれどころではなかったようだ。

「…そうか。今日だったか」

 薄く開かれていた目蓋が大きく持ち上がる。気怠げな雰囲気は影を潜め、瞳は紅く輝きだした。

「すまんな、ユメ。急用ができた。昨夜は楽しかったから、また今度飲もう」

 そう言って、彼はすぐ様立ち上がってそのまま、家を出て行ってしまった。
 去っていく白コートの背中に、湧き上がる不安を抑え込む。

「……行ってらっしゃい」

 きっと彼は死なない。そう他でもない、彼自身が言ったのだ。死ぬ訳にはいかないと。
 だから、私が不安を覚える必要はない。もう彼の背中は見えないけれど、私は行ってらっしゃいと、小さく呟いた。



† †



 急ぐ。
 武装の装備は歩きながら。しかし転移結晶を使うのは勿体無いため、主街区にある転移門へ急ぐ。

「転移。セルムブルク」

 視界が光に包まれて、そしてオレは鋼鉄の街に戻ってきた。

「おっ、レンっち!待ってたゾー」

 そこにいたのは、両頬に特徴的なペイントのある小柄な女性だった。

「すまないな、アルゴ。手間を掛けさせた」

「いんや、オレっちはあんまし仕事してないヨ。礼ならディア坊に言いナ」

「…そうか。あいつも探し続けてくれていたのか。今度会いに行こう」

 鼠のアルゴ。腹黒アルゴ。通り名は幾らかあるが、彼女の本職はユメと同様、この世界の情報を集め、売り、時には無償で配布する情報屋だ。

「そーしてやれ。そんで、準備はできてるのカ?」

「とっくにできている。後は挑むのみだ」

「……やっぱしお前、ネロに似てるよなァ……いや、似たのカ」

 『ネロ』の名に、胸がチクリと痛んだ。
 今でも思い出せる。
 後ろで結わえられた鮮やかな金色の髪に、彼女の本質を表すが如き真紅のドレス。両の手には『原初の炎』の名を持つ捻れた剣。
 強い意志を宿した翡翠の瞳は、この世で見たどの宝石よりも輝いていて––––––

 思い出に浸りそうになるのを、首を振って拒絶する。どうせこの後嫌でも思い出すことになるのだ。

「さてな。クエストを確保しておいてくれてありがとう。行ってくる」

「あア。お前なら平気だと思うケド、用心はしとけよナ」

「肝に銘じるよ」



† †



 『赤薔薇のコロッセオ』
 それが、オレが半年間追い求めていたクエストの名である。
 第四十九層にある中世のコロッセオに連続で出現するイベントボス三体を倒すというシンプルなクエストだ。

 しかしながら、そのシンプルな仕組みだからか、出現するイベントボスの強さはかなり上層のフロアボスにも匹敵する。また、開催される期間は半年に一日きり。非常に厳しい条件のクエストだ。

 そんなクエストを追い続けて半年程。何故オレがここまで執着するのか。それは、クエスト達成報酬の武器が欲しいからに他ならない。

 その武器の銘は【隕鉄の鞴『原初の炎(アエストゥス・エウトゥス)』】。
 両手剣カテゴリーに分類される、真紅の捻れた剣だ。


「……懐かしいな」

 感慨と共に、コロッセオの内部に足を踏み入れる。ここに来る前にソロだからと他のパーティのプレイヤーには奇異の目で見られたが、問題はない。
 上層のフロアボス程度ならば、一人で相手するのは容易だ。

 まだ『神の盾(アイギス)』が発足される前。オレが、後にアイギスのリーダーとなる『ネロ』と行動を共にしていた時に踏み締めた大地に、今度は一人で立つ。

 彼女(ネロ)の象徴とも言うべき赤き剣。それが隕鉄の鞴『原初の炎』だ。
 その剣を、今度はオレが手に入れるのだ。


「久しぶりだな、牛野郎」

 コロッセオの内部に足を踏み入れて、まず最初に現れたのが浅黒い肌を持ったミノタウロスであった。

「悪いが、お前等が守護するその剣は、オレが貰い受けるぞ」

 闘牛の雄叫びがコロッセオに響き渡る。だが臆することはない。これより恐ろしいものなど、幾度となく相手取ってきたのだ。
 さて、どこから攻めていこうか。

「決めた」

 両の手に、一振りの長太刀が現れる。刀身が二メートルにも達するその太刀の銘は『物干し竿』。彼の剣豪『佐々木小次郎』が愛用していたと言われている大得物だ。

「始めよう」




 無造作に振るわれた斧を屈んで回避。頭上を薙ぐ鈍色の突風をやり過ごして、そのまま大太刀を振り抜く。
 硬い手応え。どうも、HPが残り20パーセントを切ってからミノタウロスの体表が硬くなったように思う。

「ッ!」

 カウンター。凄まじい勢いで突き出された黒色の拳を、大太刀の刀身を添えて右方向へと受け流す。泳いでいる胴へ再び斬りつける。

 ––––だが、絶対的な斬れ味を誇る大太刀は浅黒い体表に弾かれた。

 舌打ちを漏らす。
 そういえば忘れていた。ネロと初めてここへ挑んだ時もこの硬質化には苦戦したのだ。
 そう。ミノタウロスの体表がここまで硬くなった後は––––

「ブモオオオオォォォ!!」

「チィッ!」

 雄叫びに空気が震える。仮装の肌を突き刺す威圧感をなんとかして振り払う。

 それは正に鈍色の嵐。
 吹き荒れる嵐を前に、人の身では対することはできない。

 技巧もなにもない単純な暴力だが、今のミノタウロスに技巧などそんなものは必要ない。
 そもそも、技巧とは力の弱き者が自分よりも上位の者と渡り合う為に編み出した対処法だ。完全優位に立っている鈍色の闘牛に、そんなものは必要ない。

 だからこそ、弱者たるこの身は技巧を必要とする。
 全神経を目の前の敵に集中させる。筋肉の収縮、初動のスピードから斧の軌道を先読みし、大太刀で受け流す。

 焦るな、ゆっくりでいい。一つ一つの剣戟をやり過ごして、最終的にそこへ辿り着けばいい。

投影(トレース)開始(オン)––––!」

 起句を。
 全神経は変わらず目の前の敵へ。それと並行して、両手に握る大太刀から、鍵となる記憶が流れ込む。

 ただ愚直に。
 ただ一途に。
 その生涯の全てを剣に捧げた男の半生。

「–––投影装填(トリガー オフ)

 飛翔する燕を絶ち切ろうと刀を振り続けていたが為に身に付けた対人魔剣。

全工程投影完了(セット)––––」

 

 その名は––––



 秘剣––––『燕返し』



 刀が振るわれる。
 自分ですら、なにが起こったのか分からなかった。
 ただ、気づいた時にはミノタウロスの鋼の如き体表には、三つの斬撃痕が全くの同時に刻み込まれていた。

 これこそが、剣豪・佐々木小次郎が至った剣戟の極致。
 是、射殺す百頭のような神速によって斬撃が重なるように見えるのではなく、正真正銘の、全く同時の円弧を描く三つの斬撃。
 
 正に不可避。正に魔剣。
 この剣技に断てぬものはない。

「……一匹目」

 崩れ落ちた闘牛を横目に、霞む目を擦る。やはり憑依投影は負担が大きい。読み込む記憶量によってその負担は異なるが、日に何度も放てるものではないようだ。

「さあ、ここからだ」



† †



「フルルルルゥゥゥヴ!?」

 鍛え上げられた鋼の刃が、柔らかな肉質を容易く斬り裂く。悲鳴を上げて仰け反ったドラゴンを見て、終わりが近いことを悟った。

「チッ!」

 されど侮っていい相手ではない。地を砕く腕の一振りを余裕をもって躱し、息をつく。
 戦い続けて早二時間。HPはそれ程減っていないが、目に見えない疲労があった。

「終わらせる」

 攻撃の反動から立ち直っていないドラゴンから更に距離を離す。最早足止めなど必要もないくらいに弱っている巨体を睨みつけ、腰を落とした。

「ハァァッ!」

 十分な助走をとって繰り出されたのは刀専用最上位ソードスキル『散華』。
 紅い光が尾を引き、繰り出された高速の斬撃がドラゴンの全てを刈り取った。

「…ハァ……ふぅぅ…」

 断末魔を上げて消え去る巨体を一瞥して、すぐに視線を目前の玉座へと向けた。




 照り輝く日の光を吸収するか如き紅。古の炎、この世の炎という存在を象徴する最高芸術。

 玉座に突き刺さった捻れた真紅の大剣。

「–––––待たせたな」

 熱すらも感じるその大剣の柄を握り締める。その途端、胸の内に閉じ込めていた記憶が、溢れ出した。

 ネロと出会った時。
 パーティを組んだ時。
 仲間が増えた時。
 アイギスを結成した時。
 初めて攻略作戦にアイギスとして参加した時。
 仲間を一人喪った時。
 全員の、最期の時。


「……あの時お前は、オレになら殺されてもいいと言っていたな。
 その言葉のせいで、今やオレは一人ぼっちだ」

 ポツリと。
 瞳から流れた一滴の雫が、紅の大剣に落ちた。

「別に、恨んでなんかいないさ。
 ああけど、少し狡いよな。この世界を終わらせる誓いも、護る為に戦い続ける約束も、全部破って先に逝ったんだから」

 流れた雫は一滴に留まらず。懐かしい記憶が蘇る度に視界がぼやける。

「お前と抱いた願いは、一人で背負って行くには重すぎる」

 オレは、お前のように生きることはできない。
 己の全てを犠牲にしてまで、他者を救おうなどという意思は持てない。

 お前の願いを継ぐには、勇気が足りないのだ。

「だから、いいよな。オレだけじゃあ無理なんだ」

 瞼を閉じて雫を振り払う。これより先に涙など無粋。
 一人の剣士としての誓いは、涙ではなく溢れ出る闘志を以って成さなくてはならない。

「お前の力。この世界を終わらせるその時まで–––––、借り受ける」

 右手に力を込め、古の炎を玉座から抜き放つ。柄を握り締めた右手から、熱が伝わってくる。
 止め処なき力の奔流。それは所詮、錯覚に過ぎないのだろう。それでも。この胸に伝わった熱いモノは、偽物ではないと信じる。

 だから見ていてくれ、ネロ。
 お前が果たせなかった願いは、オレがきっちりと叶える。





to be continued 
 

 
後書き
今回は導入話なので少し短めでした。
さて、ここで一つ宣伝を。

『超越回帰のフォルトゥーナ
 作者:八代明日華/Aska先生』
ウチのレンも参加させて頂いている様々な作者の方のキャラクターで作られたオリジナル小説です。
まだ更新が始まったばかりですが、作り込まれた設定や世界観がとてもおもしろい作品です。参加キャラクターの各原作は読まなくても話は理解できると思いますが、原作を知っていればより楽しめると思いますので、時間があれば是非。

という訳で、超越回帰のフォルトゥーナ、是非是非読んでみてください! 
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