ダンジョンに復讐を求めるの間違っているだろうか
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恋慕深化
前書き
大変更新が遅れました。すいません。これでは不定期ではありませんね。ただ遅いだけですね。
ですが。分量が今まで書いた文字数を超えているので更新の遅延はできれば目を瞑ってください。
まあ、それより、今回も手にとって下さった読者には感謝が尽きません。楽しんでいってください。
五階層を難無く突破し、六階層に下りる階段でデイドラは腰を下ろすと、腰に付けているポーチから紙に包まれた干し肉を出して食べはじめた。
「で、何でまだいるんだ」
そして、デイドラの斜め後ろに座ったリズは無意識のうちに彼の干し肉を凝視していた。
その明け透けな視線に気付かないわけがなかった。
「だって危ないじゃん。それとも、冒険者に向いていない女の子を一人で帰らせるつもりなの?」
リズは視線を逸らすと自分が冒険者に向いていないことを悪びれず、答える。
「…………勝手にしろ」
そのリズの返答にばつが悪そうに答えると、言葉を続けた。
「食べないのか」
「え~っとぉ、コボルトに囲まれたときに小物入れごと落としたみたい。あっ、で、でも、大丈夫っ!伊達に冒険者してるわけじゃないんだよっ!一食ぐらい抜いても、へ、へっちゃらだよっ!!」
何がどう大丈夫なのかいまいちわからないが、リズは手の平を突き出して、左右に振る。
「そうか」
とだけ言うと、デイドラは昼食を再開した。
それを確認すると、リズは(彼女なりに)視線の気配を絶ちながらデイドラの口に運ばれる干し肉を凝視した。
「――――――やる」
リズの物欲しそうな視線を背中に感じ、デイドラは嘆息すると、口を付けたところを裂いて取り、残りの部分を振り向くことなく、背後のリズに突き出した。
「い、いいよっ。大丈夫だってばっ」
「いいから、食べろ」
「………………本当にいいの?」
恐る恐る顔色を伺いながらリズは訊いた。
「いいって言ってるだろう」
「本当に?これほとんど全部だよ?」
と、言いながらも空腹に抗えず、そっと干し肉を手に取るリズ。
「後から腹減ったと騒がれるよりましだ」
「さ、騒がないもんっ!」
「わかったから、食べろ。元々全部食べるつもりはなかったんだ」
声を荒げて抗議するリズに煩わしそうに言ってデイドラは短刀を抜いて状態を確認しはじめた。
「じゃあ、食べるね」
と、わざわざ宣言してからリズは小さな口で干し肉に、はむっとかぶりついた。
それを確認すると、デイドラは残った干し肉を口に放り込んで、短刀の状態を確かめた。
(少し荒く使い過ぎたか)
コボルトの群れを排除したときに短刀の刃毀れを顧みなかったつけが刃に現れていた。
所々に細かな刃毀れが見受けられた。
(たいしたことはないか)
が、刃毀れも細かで許容範囲に収まっているようで、デイドラはそれほど重く受け止めなかった。
「ぼうふはふけはいの?」
干し肉で小さな頬を膨らませながらその様子を眺めていたリズが不意に訊く。
「防具などつけているだけ邪魔だ」
デイドラは刃から目を離さず答える。
「だへほ、ぼうふをつへていないほあぶはいへひょ?」
「危なくなどない」
「はん――んっっっっっっっ!ごほごほっ」
『何で』と言いかけたところで、会話に気を取られて、咀嚼を疎かにして飲み込んだ大きな干し肉の欠片を喉に詰まらせたようだった。
リズは胸当ての上から胸を叩いて、悶えた。
その光景をありありと眼前に思い浮かばせながら、デイドラはポーチから携帯用の水筒を取り出すと、蓋を外してやり、先程のように背後に突き出す。
リズは飛びつくようにして、それを両手で掴むと、ラッパ呑みの如く、背中を反らし、水筒にそのまま口をつけて、大袈裟に喉を鳴らしながら水を飲み干していった。
最後には「ぷっは~~」と口元を拭うと「生き返る~」と言って一人目を細めて和んだ。
が、水筒をデイドラに返そうとして、ふと重大な事実に気付く。
(か、かかかかかかかか間接キッスーーーーーっ!?)
リズは水筒の飲み口を驚愕の表情で見詰めた状態で時間が止まったように硬直した。
そんなリズは、
「おい、どうした」
と、デイドラに声をかけられるまでそうしていたのではないかと思わせるほどに不動だった。
「な、何でもないよっ!?」
「そうか――って、お前、全部飲んだのか」
我に返ってあたふたと突き出された水筒を受け取り、デイドラはその軽さに眉をひそめて訊いた。
「ほぇっ!?ホントだっ!ごめんっ!」
間接キスのことばかりで頭を埋め尽くしていたリズは思わぬ己の失態に激しく何度も頭を下げた。
「いや、一滴も飲んでいなかったが、別に構わない。置いていった短刀を回収してくれたのだ。これで貸し借り無しということだ」
「うん、ごめん――って、えっ、一度も口つけてなかったの?」
リズはキョトンとした顔で言った。
「ああ、そうだが、それがどうした?」
「い、いや、何でもないよっ!」
怪訝そうな声音にリズは慌てて答える。
(間接キスじゃなかったのかぁー。よかったぁー…………のかな?いやいや何考えてるの、私っ。ちょ、ちょっと気になってるだけだしっ!…………でも、初キスが間接キスはぁ…………って!だから、何でこんなことばっかり考えてるのっ!!)
その脳内では場違いにもほどがある乙女心百パーセントの攻防が繰り広げられていた。
「そうか。なら、早く食べろ。行くぞ」
デイドラは腰を浮かせると、待つことなく、階段を下りて行く。
「あっ、ちょっと待って!食べ終わってないよ」
そのデイドラの背中を、まだほとんど残っている干し肉を子犬のようにくわえてあたふたと追い掛けた。
◆
『ギョエッ』
巨大な単眼を持った蛙のモンスター『フロッグ・シューター』が、疾風の勢いで肉薄しようとするデイドラに長大な舌を打ち出した。
が、デイドラは地面を軽く蹴って身体を浮かせただけで、それをよけると、舌を踏み付けるようにして着地した。
『ギャァッ!』
柔らかい舌を踏み付けられた激痛に目を見開いたフロッグ・シューターは舌を引き戻そうと必死になるが、力が圧倒的に足りず、踏み付けるデイドラはびくともしなかった。
フラッグ・シューターの舌は先端のみが硬く、他の部位は至って柔らかい弱点なのだ。
そんな滑稽なフロッグ・シューターの舌に短刀を容赦なく振り下ろした。
『ギュエアアアアアアアアアアッ!!』
空を切ったように短刀は抵抗なく舌を切った。
フロッグ・シューターは必死に舌を引っ張っていたために唐突に引き裂かれたことで、勢い余ってひっくり返り、身悶えていた。
デイドラは、その間にフラッグ・シューターとの距離を一気に詰めると、真っ二つに切り裂いた――と同時に、
「横っ!!」
「わかっている」
リズよりずっと先に気付いていた一M強の猪のモンスター『リトル・ボア』の側面からの突進を転がるようによける。
そして、そのまま離脱しようとするリトル・ボアに転がりながら短刀を投げた。
短刀は直線を描いてリトル・ボアの皮を貫くと、地面に突き立ち、射止めた。
一回転して、流れるような身のこなしで立ち上がると、リトル・ボアに一瞥も与えず、通路の奥に駆け出した。
「待ってよっ。私をまた置いていくのぉ~。ていうか、武器も置いていってるよ!」
「置いていていい。後で取りに来る」
と、何度目になるかわからない短いやり取りをして、少し進んだところにいたそれに挑みかかった。
『それ』は、人影をそのまま立体にしたような人型のモンスターで、アンバランスに細長い腕の先には、ナイフのような爪が三つ並んでいる。
名は、その姿通り、『ウォーシャドウ』。
六回層トップの戦闘能力を有する。
ウォーシャドウはデイドラに長い腕をくねらせるように振るった。
それを抜刀した短刀で弾くが早いか、もう一方の爪が真横から迫る。
その攻撃を地面に張り付くように伏せてかわすと同時に、足首を刈り取るような足払いを放った。
が、既にウォーシャドウは攻撃範囲外に退いていて、回し蹴りは空を切る。
それを知覚した瞬間、デイドラは足払いの勢いのままに転がり、距離をとって立ち上がった。
立ち上がったデイドラは、何事もなかったように、それこそいっそ涼しげに佇むウォーシャドウを目にする。
内心舌打ちしたくなるのを押さえ、デイドラは出方を窺うように静かに対峙した。
双方が時が止まったように睨み合う――が、
「置いていていいとか言ってたけど、一応回収しておいたよ~」
その沈黙の間を破ったのは、雰囲気を粉砕するような、間の抜けた声とともに現れたリズだった。
その声を合図にデイドラは地面を蹴って、ウォーシャドウを間合に捉えようとした。
そして、ウォーシャドウはそうさせまいと、自分の間合に収めながら、デイドラの間合に捉えられないような速さで後退しながら爪を一方的に振るう。
ウォーシャドウの速さは低級モンスターのゴブリンやコボルトのそれを遥かに上回っていて、それはデイドラをも越える。
だが、そのことはデイドラも承知だった。
デイドラは焦ることなく、爪をひとつひとつ危なげなくかわしていき、そして、一分もせずに、形勢はデイドラに傾く。
デイドラはゆっくりと十字路に足を止め、ウォーシャドウは彼と対面するように通路の行き止まり佇んでいた。
デイドラはウォーシャドウを脳内の地図を使って袋小路に誘導したのだ。
嵌められたことに気付いてか、ウォーシャドウは覚悟を決めたようにぴくりとも動かずに立っている。
デイドラとウォーシャドウを分かつ距離は五M。
「シッ」
と、短い息を吐き、デイドラは真っすぐに突っ込んだ。
それに応じてウォーシャドウが片腕を振り上げる。
そして、半秒もかからずに間合に飛び込んできたデイドラを斬り下げた。
その爪を紙一重で横に跳んでかわし、地面すれすれの斬り上げの第二撃を短刀二本を交差させるようにして受け止めて、横にいなし、第三撃を繰り出させるより早く、間合に入ったウォーシャドウの胴を右から左へ凪ぎ払った。
その攻撃はウォーシャドウが間一髪のところで合だに捩込んだ爪に阻まれるが、デイドラは阻まれることを予測していたように微塵も動揺を見せず、次の攻撃に移っていた。
凪ぎ払いの勢いのままに、左足を軸に、反時計回りに回り、左手の短刀で同じ場所から動いていないウォーシャドウの腕を断ち切った。
根元から断たれた腕が甲高いを立てて、地面に落ちると当時に、傷口からドロッと粘性の黒い液体が蛇口を捻ったように流れ落ちた。
『――――!!』
声帯も気管もないウォーシャドウは無音の叫びを上げるように躯を痙攣させながら、残った腕をデイドラにがむしゃらに振るった。
が、デイドラは既に止めの一撃を胴に叩き込んでいた。
挟むようにして振られた二振りの短刀に胴を両断され、バランスを崩したウォーシャドウの最後の攻撃は虚しくもデイドラの傍を掠めただけだった。
そして、ウォーシャドウの上半身は振り下ろした腕に引っ張られるように前のめりになって下半身からずり落ち、地面に当たると花瓶のように粉々砕け散った。
「もぉ~、何でそんなに私を置いて行くのぉ~。それにもう終わってるし」
息を上がらせて通路に姿を現したリズはウォーシャドウだった残骸を見てうなだれた。
「私全然役に立ってないよね」
「そんなことはない。それなりに役に立っている」
「えっ、本当に!」
うなだれていたリズはぱぁーっという効果音が聞こえて来そうなほどに弾けんばかりの満面の笑みを湛えた。
「置いてきた武器もこうして回収してくれるし、魔石も荷物も受け持ってくれているからとても身軽に感じる」
「………………それ、私がサポーターだってだけじゃん」
だが、自分の手から短刀を受け取るデイドラの悪気も嘘偽りもない言葉にリズはすぐにしゅんとなってうなだれた。
「さぽーたー?何だそれは?」
デイドラは初めて聞いた言葉に眉をひそめて訊く。
「えっ、知らないの?」
俯いていたリズがぽかんとした顔をする。
「ああ、知らない。『さぽーたー』なるものなど、寡聞にして知らない」
「ほぇ~、珍しいね」
と、本当に珍しいものを見るような目でデイドラを見て
「サポーターというのは、名前の通り、冒険者を後方支援する人達のことで、道具とかドロップアイテム、回復薬の管理だけじゃなくて魔石を回収管理するの」
「…………確かに、今のお前そのものだな」
「うっ…………まぁ、それはそれとして、サポーターなんて冒険者だったら知ってるはずだよ?」
リズは決まり悪く、視線を泳がせると、話題を切り替えた。
「俺は潜り始めてまだ間もないからな」
「そうなんだ。だけど、それでも知ってると思うんだけど。ちなみに、潜り始めてどれくらいなの?」
リズは何気なく訊いた。
「そうだな、確か……とう――」
デイドラもたいしたことでもないように平気で『十日』と言いかけたところで――
ぴきり、ぴきり。
という何かが裂けて剥がれ落ちる音に最後の文字を遮られる。
デイドラとリズが同時に十字路の方、つまり行き止まりとは逆の方に視線を走らせた。
二人は聞き覚えのある、いや、聞き慣れた音に反射的に反応したのだ――ダンジョンがモンスターを産む音に。
壁から発せられる音は次第にその音量を大きくさせていき、ついに壁が破れたとき最大となった。
縦に裂けた裂け目からは見覚えのある黒い爪がぬっと姿を現す。
それは、一つだけではなかった。
通路を挟んで対面する壁にできた裂け目からももう一つ黒い手が生えていた。
それらの黒い手はうごめき、壁面を削ぎ落としてゆく。
そして、通るのに十分の大きさに広げて、それは壁から這い出した。
言わずもがなのことだが、それはウォーシャドウだった。
ウォーシャドウが計ったように十字路への道を塞ぐように現れたのだ。
だが、それだけでは収まらなかった。
十字路の奥や角から無尽に漆黒の顔が浮かび上がった。
裂け目からも淀みなくウォーシャドウが吐き出されている。
葬列のように並ぶ凹凸の乏しい輪郭だけの顔。
その光景はまるで怨敵を見付けた怨霊がその怨敵に群がるような言葉にならない悍ましさがあった。
いや実際、仲間を殺されたウォーシャドウがデイドラに、彼がしたように、復讐を遂げようとしているのかもしれない。
もしくは、浅慮にも行き止まりに留まった冒険者をダンジョンが喰らおうとしているのかもしれない。
ダンジョンは生き物だ。
体内にのこのこ入ってきた冒険者を油断をした者から牙を剥くのだ。
「いっ――いやあああああああああっ!!」
その夥しい数のウォーシャドウにリズが空気を裂くような悲鳴を上げた。
「うるさいっ!落ち着け!たかがウォーシャドウだろう!」
そのリズの肩を両手で揺さぶってデイドラは叫んだ。
「こんな数のウォーシャドウなんで、倒せないよ!無理だよっ!」
「お前は戦わなくていい!」
「――そ、それこそ無理だよっ!」
恐慌状態だったリズは思わずデイドラの言葉に理解が追いつかず、しばらくの思考停止から叫び返した。
その間にもウォーシャドウは鈍重な動きで距離を詰めている。
「俺がすべて片付ける」
無駄な言い合いはこれで終わりと言うかのように、リズの肩から手を離すと、ウォーシャドウの葬列に向き直った。
「ひ、一人でこんな数っ」
リズはそのデイドラを止めようと手を伸ばす。
が、それを避けるように、デイドラは一歩前に踏み出した。
「獲物があっちから来てくれたんだ。これほど楽なことはない」
そして、笑みを浮かべる。
言うに及ばないことではあるが、敢えて言わせてもらうと、それは恐怖にすくむ己をごまかすための笑みじゃない。
狂気に満ちた凄惨な笑みである。
そんなデイドラから、リズは、夥しい数のウォーシャドウを上回る恐怖から、反射的に手を引いた、いや引いてしまった。
「それが懸命だ。生き残りたいなら俺を止めるな」
と、その気配を感じ取ったのか、それだけ言い残すと、
「ふっ!」
ウォーシャドウの群れに突貫した。
「デイドラっ!!」
手を引いてしまったリズはその背中に名を叫ぶことしかできなかった。
◇
「ラァッ!!」
デイドラはウォーシャドウの胸部を一閃する。
が、苦もなく身を後ろに反らされて、かわされる。
「くっ!」
攻撃が全て空を切るようになり、狂気に委ねていた心がふと意識した死の言葉に正気に引きずり戻され、デイドラは焦燥に駆られていた。
既に息は絶え絶えで、動きも普段のものとは思えないほどに鈍重だった。
着ていた上着は無残にも引き裂かれ、生傷だらけの年齢不相応に引き締まった身体を曝していた。
今、刃を交わしているウォーシャドウが何体目なのかは定かではない。
両手で数え切れなくなったときから数えるのは止めていた。
だが、始末すべき残りの数は明白で、目の前のウォーシャドウが最後の一体だった。
「くそっ!」
とは言っても相手は無傷、デイドラは満身創痍。
いや、満身創痍で済んでいることの方が幸運だ。
戦っている場所が通路だったために各個撃破が可能だった。
もし、広間が戦場だったならば、足を止めた瞬間に囲まれて八つ裂きにされていたことは想像に難くないのだ。
だが、その幸運も尽きようとしていた。
『――――!!』
デイドラが精魂尽き果てようとしているのを目敏く見抜いたウォーシャドウの苛烈になった連撃に防戦を強いられていた。
時にはかわし、時には受けて、時にはいなし、時には弾いて致命傷を避けていたものの、ちょっとした弾みで谷底に墜ちてしまうような危なげな境界線上を揺れ動いているようなものだった。
(私の所為だ。全部私の所為だ)
リズはそんな光景が自分に己の浅はかさと無力さを見せ付けられているのだと思った。
(何でデイドラについて来てしまったの?何でデイドラの干し肉を食べてしまったの?何で私は何もできないの?)
リズは涙をぼろぼろと零し、歯を食いしばっていた。
デイドラに助けられて、我知らず付いて回った揚句に彼の食料を奪ってしまったにも拘わらず、彼の危機に何もできない情けない自分に尽きることなく沸き上がる自責の念に正気を失いそうになるのを必死で食い止めていた。
リズは単独で七階層に潜ったことがない。
つまりは、七階層のモンスターと戦える力量がないということ。
今、デイドラに加勢しても、足手まといになるだけだということでもある。
(私は何で強くなれないの?)
何度目になるかわからない疑問を心のうちに呟いた――その時だった。
「くっそがああああああああ!!」
焦燥に駆られて痺れを切らしたデイドラがやけくそに短刀を大きく振りかぶった。
それは相手に攻撃する隙を与えるだけでなく、太刀筋が筒抜けで、簡単によけられてしまうという百害あって一理無しの最悪手と言っていい行為だった。
案の定、その斬り下げの斬撃はいとも容易に弾かれる――と同時に彼の手からも短刀が弾かれていた。
命を賭した連戦の末にデイドラの握力は知らぬまにないと等しくなっていたのだ。
デイドラは手から短刀を弾かれたことに呆気に取られ、一瞬頭上から迫る爪の対処が遅れた。
その一瞬の遅れは、命の駆け引きの中では命取りだった。
(よけられない!防ぐしかない!)
刹那に判断を下したデイドラは短刀を弾かれた手とは逆の手に爪の迎撃命令を発した。
その命令に応じて、腕が持ち上がる――が、
(……間に…………合わない……)
と、判断したとき、既に爪は眼前、腕は今だ持ち上がっている途中。
到底間に合いそうになかった。
(…………俺は死ぬのか?…………)
突然に流れが淀んだように引き延ばされた時間の中でデイドラは自問する。
(こんなところで死ぬのか?――死ぬわけにはいかない)
(こんな奴に殺されるのか?――殺されるわけにはいかない)
(復讐を遂げずに死ぬのか?――俺は死ねない!復讐のためにっ!!)
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
リズの絶叫とともに、目に触れるか触れないかの瞬間で、ときが止まったように爪が停止した。
「おああああああああああああああああああああっ!!」
それと入れ代わるようにして、流れ出した時間の中、デイドラは体中の空気を搾り出すように裂帛の声で咆哮し、掻き集めた余力を全て腕に込めた。
防御のために持ち上げていた手を返し、瞬きする間も与えず、一条の光の尾を残して、袈裟斬りに振り下ろした。
そして、そのままの流れで、水平に薙ぎ払い、その間に背中から抜き取った短刀で腹部を刺突。さらに薙ぎ払らった短刀でも刺突し、それと同時にもう一方の短刀を捩り抜き、再び刺突するという要領で交互に突き刺した。
ただ刺した。
鞘を失った刀のように、収まることを知らない猛り立った心に支配されたデイドラは腕を動かしつづけた。
「デイドラっ!もう止めて!」
と、リズが悲鳴とともにデイドラを背後から抱きしめなければ、動けなくなるまで続けていただろうと思えるほどにデイドラは鬼気迫る気配を発していた。
腕を回されている胸や身体を密着されている背中にリズが身につけている軽装越しに人肌の温もりを感じながら、デイドラは心の猛りが醒めていくのを、鼓動が普段のそれに戻っていくのを感じた。
少しして平常心を取り戻し、デイドラは目の前のウォーシャドウに視線を向けた。
胴は穴だらけで、中には貫通して向こうが見えているものもあり、左肩から右脇腹に引かれた直線から上の部分は綺麗になくなっている。
初撃の袈裟斬りによるものだ。
身体の一部を欠損しているものはそれだけでなく、辺りの累々たる死骸は頭部や四肢、または下半身を欠損している。
それらは黒いヘドロの海に浸かっていて、まるで船が沈んだ後に残る一面水死体の地獄絵図の様相を呈していた。
「もう終わったんだよ。助かったんだよ」
そう、終わっていた。
残っているのはデイドラとリズのみ。
「終わったのか。そうか」
生を感じ、膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて、
「帰るぞ」
と言い、デイドラは武器と魔石の回収に取り掛かった。
「うんっ!」
再び目に涙を溜めて笑顔で頷くと回していた腕を名残押しそうに解き、デイドラを手伝った。
「ん?」
その途中だった。
デイドラはどこか見覚えのあるナイフを足元に見付けた。
拾い上げて見ると、それは刃が黒ずみ、使い込まれているのがわかった。
「あっ、それ、私の!捜してたのだけど、見付からなくって!」
不思議そうに何かを眺めているのに気付き、背後から覗き込んだリズが声を上げる。
「そうか」
「わわぁっ!」
その声に反応して、デイドラは柄を握ったまま振り返り、背後に立っていたリズに刃を掠めさせた。
「ナイフを渡すときに切っ先を向けるのは危ないでしょっ!」
「すまない」
「……も~お、しょうがないな~」
素直に非を認めて今更の如く柄がリズに向くように持ち替えるデイドラにリズは顔を綻ばせて、デイドラの疲労困憊から来る棒読みも気にせず、世話のかかる弟に対するような口調で言う。
「あっ、デイドラ、ちょっと待って」
機械的に再び魔石の回収に取り掛かろうとしていたデイドラを呼び止めた。
「なんだ」
「少しの間じっとしてて」
振り返ろうとしたデイドラを制して、その背中に両手を当てた。
【――――――――】
そして、早口で何かを囁くと同時にデイドラとリズを淡い緑色の光が包み込んだ。
治癒魔法。
端的に言えば、仲間の傷を癒し、疲労を快復させる魔法。
そして、リズが今使っている魔法である。
そのリズの背中からは、開花を早送りにしたように二対の光を放つ羽が伸びた。
ややあって、二人を包み込んでいた光は薄れていき、リズの羽とともに霧散した。
「これでよしっ。うん、もういいよ」
「手間を掛けさせたな」
身体が軽くなったことからリズが自分に何をしたかを悟り、デイドラは礼を口にする。
「えっ?いや、いいよっ!私これぐらいのことしかできないし」
リズは赤面して目を逸らしながらも顔の前で手をぱたぱたさせて答える。
「そうか」
と、そのリズを見てデイドラは言葉少なに言った。
「…………………………」
更にそのデイドラの顔をリズはぱたぱたさせていた手を止めて、唖然と見た。
「…………………………なんだ?」
「いや、なんでもないよ。というか、早く済ませよっ」
デイドラの訝しげな声音にはっとしてリズは取り繕うようにとっさに笑みを浮かべる――が、
「ああ、そうだな」
と言って、作業に戻ったデイドラをリズは作業に戻らず、見詰めていた――つい一瞬前のデイドラの表情を思い出しながら。
(さっき…………笑っていたのかな?)
薄暗くてはっきりは見えなかったが、心なしか口元が緩んだように見えた。雰囲気も緊張の糸が張ったような刺々しいものではなく、どこか柔らかいものだった。
だが、その笑みは一瞬のことだったことに加えて、前述の通り薄暗かったために、気の所為であるという可能性も拭えない。
(うーん…………わかんないし、どっちでもいっか。こうして一緒にいれるだけで…………って、またこんなこと考えてるし…………)
無表情のデイドラの顔をしばし眺めながら考えあぐねていたが、ふと自分が惚気のようなことを考えていることに気付く。
ここまでくると、ごまかしきれないし、慌てる気力もなくなった。
(これが…………『好き』ていうことなのかな?)
頬が次第に赤みを帯びるのを感じながらリズはデイドラに目を遣った。
その先で、デイドラは淡々と作業をしていた――僅かに熱を帯びた視線を向けられていることに全く気づかずに。
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