晃とクロ 〜動物達の戦い〜
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7部分:第七章
第七章
「この壺をね」
「ああ」
「こうするんだよ!」
そう言いながら壺を放り投げた。そして住職に投げつけた。
「ヌッ!?」
住職はその壺を拳で叩き潰したがその中まではそうはいかなかった。蜂蜜を全身に浴びてしまったのだ。
「これは・・・・・・蜂蜜か」
「そうさ」
晃は住職に答えた。
「紛れもなくね」
「あ〜〜〜〜あ」
「勿体無いなあ」
狸と狐はそれを見て残念そうに言う。
「折角食べようと思ったのに」
「悪いけどそれは生き残ってから言って」
晃はそんな二匹に言葉を返した。
「生き残ってないとそもそも蜂蜜どころじゃないからね」
「それはどうだけれど」
「お楽しみが」
「フン、確かに鬱陶しいが」
住職は身体にまとわりつく蜂蜜を眺めながらも平然としていた。
「これがどうしたというのじゃ。こんなものでわしを倒せると思ったか」
「確かにそれだけじゃ倒せないだろうね」
だが晃もまた平然としていた。さっきまでとはうって変わった落ち着いた顔でこう言い返す。
「それだけじゃね」
「どういうつもりじゃ」
「それはすぐにわかるよ」
彼は言った。
「すぐにね」
「何のことかわからぬが」
住職はまた前に出て来た。
「覚悟は出来ておろうな。念仏は唱えてやるから感謝せい」
「そうだったね、ここはお寺だったんだ」
「それがどうしたのじゃ」
「だったら誰かが死んでも困らないんだ」
「今更何を言うておる」
住職は晃のその先程までとは全く違った余裕さえ見られる様子に軽い苛立ちを覚えた。
「大人しくしておれ。一瞬で済むからな」
「おい、逃げろ!」
その時だった。上空から鳥達の声がした。
「皆逃げろ!大変なことになったぞ!」
「どうしたんだよ!」
「来たな」
動物達はそれを聞いて騒ぎだす。だが晃だけは至って冷静であった。
「皆、急いで住職さんから離れるんだ!」
「何だよ、急に」
クロもそれを聞いて怪訝そうな顔になる。
「何が起こるっていうんだよ」
「すぐにわかるよ。早く逃げて」
「あ、ああ」
クロも晃の言うままに逃げた。皆住職から一斉に去る。空と陸で。そして住職と裏山までの道がまるでモーゼのエジプト脱出の時の紅海の様に二つに割れた。
「ヌウッ!?」
「よし!」
住職と晃は同時に声をあげた。だが住職のそれが呻き声に近いものであったのに対して晃のそれは会心の声であった。その声こそがそのまま二人の運命を語っていた。
黒いものが裏山から飛んで来る。それはまるで風の様に飛び住職に向かって行く。住職はそれから避ける間もなかった。そしてそのままその黒いものに覆われてしまった。
「グ、グワアアアアアアアーーーーーーーッ!」
「よし、やったぞ!」
黒い霧に囲まれてもがき苦しむ住職を見て思わずガッツポーズをした。晃は自身の考えが見事に的中したことをこの時確信していた。
「上手くいったな」
「なあ、一体何なんだよ、あれ」
傍らにいるクロが彼に問う。
「裏山からいきなり出て来たけれどよ」
「蜂だよ」
「蜂!?」
「そうさ、その証拠に羽音が聞こえるだろう?」
「ああ」
クロは頷いた。確かに蜂のあの羽音が五月蝿いまでに聞こえてきていた。
「倉庫に蜂蜜があるって聞いたのと裏山に蜂の巣があるって話でね。それで思いついたんだ」
「そうだったのか」
「上手くいけばいいなって思っていたけれど見事に上手くいったね」
「もう少し時間が遅けりゃわからなかったな」
「そうだね」
もうすぐ夜になろうとしていた。昼の虫である蜂の時間は間も無く終わろうとしているのだ。時間的にもギリギリの賭けで
あったのだ。
「本当に。イチかバチかだったんだよ」
「若し蜂が来なかったらどうするつもりだったんだよ」
クロは問う。
「都合よく蜜に誘われてわんさと来たからよかったけれどよ」
「その時はどうしようもなかっただろうね」
彼は言った。
「やられるだけだったさ」
「またえらく吹っ切れてるな」
「そうかな」
「これが成功しなかったら。マジでやばかったんだぜ」
「まあ結果オーライってことで」
晃の声は明るかった。
「それで許してよ」
「まっ、それでいいか」
クロもそれで納得することにした。
「とりあえずこれで住職さんは終わりだろうし」
「蜂の毒ってマムシの毒より怖いんだよね」
「考えようによってはな」
その言葉に当のマムシが答えた。
「俺の毒より怖いな。ショック症状があったりするから」
「そうなんだ」
「首とか頭をやられるとな。特にまずいんだ」
「あれだけの蜂にやられてたら?」
「個人差はあるだろうがかなりやばいな」
マムシは言う。
「もう助からないな、あれは」
「そうなの」
「これで街の平和は守られたってわけだな」
「そうだね」
蜂は何時までも住職の身体を覆っていた。それは住職が倒れても続いていた。最早動かなくなり、そこに伏していてもだ。彼等は執拗に攻撃を続けていた。そして晃達はそれを見守っていたのであった。
それから数日後蜂に刺された住職さんの遺体が発見された。それは腐敗しているうえに身体中蜂の刺し後がありかなり無残なものだったという。だが警察はそれを事故として扱った。傍目には確かに不可思議だがそうだとしか思えない状況だったからだ。住職さんは蜂蜜を頭から被ってそれに誘われた蜂によって死ぬという実に奇妙な最期を遂げたということになった。事の真相を知っているのは晃と動物達だけであった。
「事故で終わっちまったらしいな」
「まあそうだろうね」
晃は住職さんが住んでいたお寺の前でクロと話をしていた。そこではお葬式が行われていた。
「誰も。あんな話信じたりしないよ」
「それもそうか」
「住職さんが脳味噌やら内臓やら食べて力をつけていたってことも」
「そして街を自分のものにしようとしてたってこともな。誰も信じないか」
「あの最期もね。だって僕だって最初は信じられなかったんだから」
「俺が人間の言葉を話すことか?」
「そうさ。本当に耳を疑ったよ」
「まあそうだろうな」
「そうだろうな、じゃなくてさ。今でも普通にしゃべってるし」
「気にしない気にしない」
「僕はいいけれど他の皆の前では話さないようにしてね」
そう言って釘を刺す。
「さもないと大騒ぎになるよ」
「ちぇっ、面白くないなあ」
クロはそう言われて口を尖らせた。
「折角の人を驚かせる楽しみが」
「猫ってそんなことしか考えられないの?」
「悪戯をするのが猫の仕事なんだよ」
それに対するクロの返事である。
「それをわかっていないのは困りものだぜ」
「僕は別に困らないよ」
晃はこう返した。
「少なくとも人間はね」
「わかったよ。じゃあ黙っておいてやるよ」
憮然とした様子で言う。
「御主人に言われちゃ仕方ないからな」
「けれどそれは君だけじゃないよ」
「えっ!?」
「他の動物も。いいね」
「厳しいなあ、それって」
「さもないとまた騒ぎになるだろ。そうなったら君達にとってもよくないよ」
「わかったよ、じゃあ皆にも伝えておくよ」
「絶対にね。それでもうあんな事件のことは忘れよう」
彼はお葬式の黒と白の垂れ幕を見ながら言った。
「住職さんだって。最初は人間だったんだ」
「いい人だったらしいな」
「僕が小さい頃はね。真面目で優しい人だったんだよ」
「それがどうしてああなっちまったんだろうな」
「人は変わるって言われてるよね」
「ああ」
「それじゃないかな。よく変わる場合もあれば悪く変わる場合もある」
「住職さんは悪く変わっちまったってことか」
「多分ね。それじゃ家に帰ろうか」
「ああ。帰ったらどうするんだ?」
「まず君の餌からだね。何がいい?」
「脳味噌を」
「・・・・・・冗談じゃなかったら酷いよ」
「冗談だって。魚のキャットフードでいいよ」
「君あれ好きだね」
「人間には人間の、猫には猫の食べ物があるだろ」
「うん」
「そういうことさ。俺だって他の仲間達だって本当は脳味噌なんて食べたくなかったのさ」
「そうだったの」
「住職さんの実験に使われたけれどな。御主人だって普通はそんなもの食いたくはないだろ?」
「モツは好きだけれどね」
だがモツと人間の脳味噌や内臓は違う。また別のものである。
「な?あんなの食える奴なんてさ」
「奴なんてさ」
「化け物だったんだよ。住職さんも人間から化け物になっちまっていたのさ」
「そういうふうに変わっていたんだ」
「御主人のさっきの言葉の通りだったらな。結局住職さんはああなるしかなかったんだ」
「そうだったんだ」
「だから別に人を殺したとかそんなふうに考える必要はないぜ。若し思ってたら、だけれどな」
「別にそうは思ってないよ」
「それじゃあそれでいいさ。じゃあ早く帰ろうぜ」
「うん」
晃は頷いた。
「早く帰って。キャットフードくれよ」
「ミルクもつけようかい?」
「ああ、頼むぜ」
晃とクロはそんな話をしながらお寺の前から去り、自分達の家へと帰って行った。その後ろでは温厚そうな顔をしたかっての住職さんの遺影が飾られ、そこで葬式が行われていた。そこにいるのは人間としての住職さんであった。そして晃とクロはその住職さんに今別れも告げていたのであった。
それからこの街で人の言葉を話す動物達の姿も噂もなくなった。だがそのことと住職さんの死が関係あるのだと考える者は一人もいなかった。だが事実を知っている者達はいた。しかしそれは決して表には出ないものであった。事の真相は話さない筈の動物達が知っているだけであった。
晃とクロ 〜動物達の戦い〜 完
2006・3・26
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