豹頭王異伝
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暗雲
鍵を握る者
「ありがとうございます、私にも論理的結論と思えますね。
イシュトの主張する様に、一気にクリスタルを夜襲する事も可能な距離ですが。
イーラ湖には藻の怪物を凌駕する魔物、本物の竜が棲むかもしれません。
黒魔道の召喚する新たな怪魔の出現も想定され、魔道力は遺憾ながら圧倒的に敵が上。
閉じた空間で我が従兄弟スカールを運び、リリア湖の小島へ到着は日没後となります。
ファーン同様1日で完治、3人が揃い大導師の仰る《力の場》が起動するかもしれません」
ナリスの珍しく簡潔な発言と推定に異論は無く、豹頭の追放者は微笑と共に首肯。
白魔道師の代表は眼を円くして驚いてみせる誘惑に耐えかね、僅かに唇を震わせる。
無邪気な幼子を髣髴とさせる屈託の無い笑顔、あどけない表情に暗雲が漂う。
拗ねた赤ん坊の様な眸に直視され、アグリッパに彼の従者と明言した勇者は狼狽。
咄嗟に謝罪の言葉を紡ぎ出す間を与えず、天衣無縫を装う策謀家は再び豹変。
会心の一撃を浴びせた無二の親友に頷き、精神の障壁《サイコ・シールド》を除去。
著しく矜持を傷付けられた表情を造り、心話で愚痴を垂れ流す魔道師軍団の統率者。
死線を超えた勇者の横顔を盗み見た猫族の貌が笑い、再び鋭い牙が顔を覗かせた。
「ヴァレリウスが大導師アグリッパに逢い、持ち帰った助言は無駄にせぬ。
キタイの竜王を異次元へ放逐する第一歩、事態打開の鍵は黒太子の御生命を救う事だろう。
クリスタル解放の後に即刻キタイへ赴き、リー・レン・レン達の救出も図りたい所だが。
何れにせよ黒魔道との戦いを避けて通る訳には行かぬ、手駒は多いに越した事は無い」
「パロの魔道師に何処まで対処できるか、迂闊に断言する事は出来ませんが。
キタイの民を襲った悲劇と恐怖は他人事ではありません、痛い程に良く分かりますよ。
白魔道師連盟と聖王家の名誉に懸け、パロの総力を挙げて黒魔道と戦う事は御約束します。
そうだね、ヴァレリウス」
無視された格好となり、些か面白くない心情の上級魔道師に抜け目無く話を振る。
序列では上位の上級魔道師ロルカは遠慮し、仏頂面の最強実力者が宣誓。
「私は魔道師の塔を代表する第1発言者、カロン大導師じゃありませんが。
僭越ながら魔道師軍団の名誉に懸けて、ケイロニアの御味方を御護り致します」
ナリスの挑発に憤激した風を装い、ヴァレリウスは顔を真っ赤に染めて見せる。
漫才が発展《エスカレート》する前に如才無く、ランドックの帝王が割り込んだ。
「礼を言うぞ、ヴァレリウス。
口幅ったい言い草だが必ず、クリタルは奪還する。
霧の魔道と竜の化物により無視出来ぬ損害が出た故、考えが変わった。
部下共に無用の犠牲は出したくない。
クリスタルを解放する為には、ケイロニア軍が進攻する必要は無い。
俺が黒魔道師を倒せば済む話だ、一気に決着を付ける方が良いかもしれぬ。
状況次第では単身、クリスタル・パレスに乗り込む事も考えている」
大真面目な貌で、とんでもない事を言い出す冒険児。
ヴァレリウスは意表を突かれ、うろたえた声を挙げた。
「そんな事、させられませんよ!
王陛下の身に万一の事があっては、我々はアキレウス大帝に何と言えば良いですか!?」
白魔道師軍団の実戦部隊を統括する最高指揮官、パロ最強の魔道師も些か修行が足りない。
ナリスは対照的に、さも当然の様に言葉を継いだ。
「貴方ならやってのけるかもしれませんね、豹頭のグイン。
中原を襲う血の濁流を払う為、私も北の王に同行させていただけますか?」
ナリスは顔色を買え、何事か絶叫しかけた上級魔道師を強い瞳の光で制止。
強い決意の籠る口調に失言を悟り、ヴァレリウスの顔から血の気が引く。
「いや、スカール殿の容態は一刻を争う様だ。
先程の予定通り、太子殿の治療を優先するべきだろう。
大導師アグリッパの言葉も有るが俺も常々、彼とは対面してみたいと思っていた。
明日夕暮れまで黒魔道の攻撃を退け、スカール殿の合流を待とう。
奇怪な黒魔道を操る魔王子アモンの力量も読めておらぬ故、無理押しの強行軍は避けたい。
3人が揃い力の場を形成した上で、クリスタル攻めに向かう方が得策だろう」
「おはよう、もう夕刻かな?
イシュトのお蔭で、快適に睡眠を取らせて貰った。
寝る子は育つ、と云うが本当だな。
使い物にならなかった身体も、徐々に動かせる様になって来た。
マルガ離宮に居れば私を慕う者達が訪れ、充分な睡眠を摂れなかっただろう。
申し訳無いが、パロの民を遮断してくれたのは貴方だからね。
ゴーラ軍の人質を装う事で、雑務も総て他の者に押し付ける事が出来た。
心の底から感謝しているよ、イシュトヴァーン。
昨日は、ゾンビーの対応で一睡もしていないのだろう?
今日も黒魔道の濃霧、巨大な竜の出現で緊張し続けている。
ゴーラ軍の最高指揮官には負担が集中し重大な誤判断を犯す危険があった。
夜の間は私が見張っているから、充分な睡眠を取った方が良い。
そなたと私は互いに背中を預け、敵の集団と戦う2人の戦士の様なものだ。
互いを信頼し合っていればこそ、安心して背中を預けて目の前の敵に集中できる。
我々は、運命共同体だからね。
イシュトが太陽《ルアー》で、私が月《イリス》だ。
昼はそなたが指揮を執り、私の拙い頭脳が必要になれば私を起こす。
夜は私が眼を光らせて、何らかの突発事態が発生すれば即座にそなたを目覚めさせる。
イシュトの背後を守る者として、一昨日も不寝番を務めたがね。
寝顔を拝見させて貰ったが、全然、飽きなかったよ」
運命共同体、背後を守る者と言われて喜ぶかと思っていたが。
イシュトヴァーンの浅黒い顔には何故か、不安と猜疑の色が見える。
「何だよ、ずっと俺の寝顔を見てたのかよ?
趣味、悪いぜ」
暫く逡巡してから冷酷王の雷名に全く似合わぬ、躊躇する内心を繕う余裕も無く口を開いた。
ゴーラの僭王が見せるとは誰にも想像し得ぬであろう、頼り無い幼子の表情《かお》。
「俺、寝ている間に何か言ってなかったか?
別に隠し事なんか無ぇんだが、夢の中で大法螺を吹いた気がしてな!」
腹心のマルコにも見せぬ率直な問いに、ナリスが微笑む。
ヴァレリウスを苛める時、頻繁に顔を出す悪戯っ子の表情が露出。
聞かれもしないのに、自分から隠し事は無いと言い出す理由は只一つ。
人に聞かれたくない秘密、隠し事がある事を隠そうとしているに違いない。
「何か心配事が有るのだね、顔に書いてあるよ?
悪い夢でも見て魘され、寝言で何か口走ったのではないかと不安なのかな。
重大な機密事項を洩らしてしまった、と危惧しているのだね?
我々の様に壮大な野望を抱く冒険児、小暗い野望に胸を焦がす野心家には良く有る事だよ」
初歩的な推理を働かせ親友の言動を分析、精神誘導の術を選択する魔道大公。
アルド・ナリスは精神を対象とする魔道学に精通、初級魔道師の免状を持つ。
「こん畜生め、図星だぜ!
子供じゃねぇんだからさ、そんな事言ってからかうなよ!!」
イシュトヴァーンは思わず噴き出し、多少は吹っ切れたらしい。
霧が晴れる様に逡巡を拭い去り、表情が一気に明るくなった。
憮然とした表情で魔性の主と魔戦士を見守り、無言の行を貫く魔道師の守護者。
心話で余計な口を挟めば後で数倍の返礼、性悪な仕返しをされる事請け合いである。
「俺さ、良く、うなされるんだよ。
夢ん中で、しょっちゅう嫌な場面が出てくるんだ。
その度に、大声を出して飛び起きるんだよ。
冷や汗、びっしょりでさ。
身体中、震えが止まらねえんだ。
脂汗、なのかな。
何が何だか全然、分からないけど凄く怖い。
俺が悪いんじゃねえのに何もかもが皆、俺の責任にされちまってる。
亡者共が俺に群がってくるんだけど、誰も助けてくれない。
そんな夢なんだ」
イシュトヴァーンの表情が曇り、痛々しい幼子の顔に変わる。
魔戦士に批判的な魔道師、ヴァレリウスも思わず同情の念を覚えた。
「大丈夫だよ、イシュト。
そなたの側には常に魂の似姿、運命共同体の私が居る。
一時は私も似た様な思いを繰り返し味わい、眠れぬ夜を過ごして来た。
他の者には分かるまいが心配は無用だ、私は何を聞いても動じないからね」
「ナリス様でも、そんな事があるのか?
不思議だな、何だか分かんないけど呼吸が楽になった気がする」
嘗ての紅の傭兵の瞳が強い驚きの色を湛え、良く似た双子を思わせる黒い瞳を凝視する。
イシュトヴァーンの貌が安心した幼子の笑顔に変貌を遂げ、ナリスの胸が痛んだ。
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