鏡に映るもの
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5部分:第五章
第五章
「よく。宜しいですね」
「何だかよくわからないけれど」
「それでもです」
あくまで念を押すフリッツだった。
「よくです。宜しいですね」
「わかったよ。鏡だね」
「はい、そうです」
また答えるフリッツだった。
「それではそういうことで」
「うん。それじゃあ」
「私はこの部屋でお待ちしています」
考え深い目で主に述べた。
「その時には」
「わかったよ。じゃあ今はとりあえず」
「はい」
「休むか」
とりあえずはそれであった。
「よくね」
「ええ。そうしましょう」
とりあえず夕食まで小休止に入る二人だった。やがて奥方の声がノックする音と共に扉の向こうから聞こえてきた。それで目を覚ました二人はすぐに何で呼ばれているかわかった。
「夕食だね」
「そうですね」
二人は顔を見合わせて頷き合った。
「それじゃあ僕は行くけれど」
「鏡です」
念を押してきた。
「くれぐれも。いいですね」
「わかったよ。それじゃあ」
「後。若しもですが」
フリッツはさらに慎重を期すようにしてまた言うのだった。
「これはないと思いますが」
「毒かい?」
「そうです。ですから」
そっと差し出してきたものがある。それは。
「これを持っていって下さい」
「それは確か」
「はい。実は先の街の市で拾ったものでして」
「銀のスプーンじゃないか」
「まさかこんなものが落ちているとは思いませんでした」
フリッツは真顔で語る。言うまでもなく銀は高価なものである。この銀の食器を使えるということは貴族の証であるとされた時代もある程なのだから。
「ですから。これを」
「わかったよ。じゃあ持って行くね」
「はい。どうぞ」
その偶然拾った銀のスプーンを手渡す。そのうえでフリッツは主にそっと囁くのだった。
「このスプーンが曇ればです」
「食べ物には毒があるのかい」
「その通りです。そして若し」
「若し?」
「鏡がなければ」
その危険も既に察知しているのであった。
「これを鏡にお使い下さい。宜しいですね」
「わかったよ。じゃあそうしてね」
「はい。それでは」
「言って来るよ」
「ハインリヒ様」
ここで彼を呼ぶ声がまた聞こえてきた。
「起きておられますか?」
「はい」
ハインリヒはその呼び掛けに応じて声をあげた。
「起きています」
「では。おいで下さいませ」
こう彼を呼ぶのであった。
「夕食の用意ができております」
「わかりました。それでは」
「従者のものは既にこちらに置いていますので」
既にそれは持って来ているというのだ。
「部屋で食べるようにと」
「わかりました。ではフリッツ」
「ええ」
顔を見合わせながら言葉を交えさせる。
「行って来るよ」
「どうぞ」
まるで末期の別れのように真剣な面持ちでお互いに別れを告げて部屋を出る。そうして奥方の夕食に向かう。奥方はしずしずと廊下を進みそうして食堂に入った。彼女について行くと初老の男の使用人が一人、若い女の使用人が二人控えていた。そして木製でその上の白いテーブルかけがかけられたテーブルの上にはもう料理が置かれていた。奥方の話通り鴨を焼いたものであった。それとスープもあった。
「さあ」
奥方は彼もその食堂に入るとあらためて彼に顔を向けて声をかけてきた。
「どうぞ」
「わかりました。それでは」
「食事はたんとありますので」
見ればその通りだった。パンもかなりの量があり鴨の他にも河魚や果物等がたんと積まれていた。林檎や杏がこれでもかという程あった。
「どうぞ。召し上がって下さい」
「はい」
頷きながら奥方の動きに合わせてテーブルに座る。その時胸にペンダントに似せてかけてあったあの銀のスプーンを見る。するとそこに映ったものは。
「!?」
何もなかった。映っていなかった。それを見て内心飛び上がらんばかりに驚いたハインリヒは一旦目をきつく閉じてもう一度スプーンに映る奥方を見た。すると今度映ったのは。
「!?」
今度はやたらとすらりとして色の白い、尚且つ青い髪の美女だった。とりあえず奥方とは似ても似つかない姿形をしているのはわかった。
(これは・・・・・・」
とりあえずフリッツの言った通りおかしなことなのはわかった。だがこの奥方なのかはまだわからない。警戒しながら切られた肉を受け取る。その時そっとスプーンにその肉を近づけたがスプーンは曇らなかった。どうやら毒はないようである。
(それはないか)
「さて」
彼がスプーンを見ているとここで奥方が声をあげてきた。
「宜しいでしょうか」
「はい」
「今夜のことです」
奥方は厳かな声で彼に声をかけてきた。手で肉を食べるその様子は実に貴族的で優雅なものである。この時代欧州では手で食べていたのである。
「今夜ですが」
「何かあるのですか?」
「このままお泊り下さい」
「左様ですか」
「その為にお招きしたのですから」
それは確かに彼に告げるのであった、
「それは」
「有り難き御言葉」
「お酒もありますので」
「これですね」
見れば杯には葡萄酒がある。赤い見事な葡萄酒だ。そこに生姜も少し混ぜて入れられているのがわかる。
「これを頂いて」
「どうぞお召し上がり下さい」
「わかりました」
その言葉に頷く今度は杯を手に取る。木の簡素な杯だがそれは気にならなかった。それよりもこの酒に何かされているかの方がずっと不安だったからだ。
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