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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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つぐない
  とあるβテスター、慟哭する

サチの死。
あまりにも突然に、あまりにも残酷な形で訪れたその事件は、僕たちの心に消えることのない傷を刻み付けた。

気が付いたら、僕はいつも泊まっている宿屋のベッドで横になっていた。
あの後、ルシェとどうやって別れたのか。どうやって宿まで戻ったのか。部屋に戻った僕の顔を見て驚愕の表情を浮かべたシェイリに、何をどう説明したのか―――それら全ての記憶が、曖昧なものとなっていた。
ただ一つだけ、確かなことは。あの《生命の碑》に並んでいたサチの名前と、それを掻き消すように刻まれた横線は、夢でも幻覚でもなく、紛れもない現実なのだということ、それだけだった。

翌日。僕はこのゲームが始まって以来毎日行っていた攻略を、初めて休むこととなった。
昨晩、結局一睡もできなかった僕の顔は、よほど見るに堪えないものだったのだろう。ベッドに蹲る僕の顔をシェイリが心配そうに覗きこみ、今日の攻略は中止することを提案してきたのだった。
個人的な都合で攻略を休むのは、パーティを組んでくれている二人に申し訳ないと思うけれど、正直に言って、このまま攻略に向かったところでまともに戦える気がしない。それで足を引っ張ってしまっては本末転倒なので、ここはお言葉に甘えさせてもらうことにした。

「こんなにゆっくりするの、久しぶりだよね」
「……ん、そうかも」
ベッドに座る僕の隣に腰掛け、えへへと笑うシェイリに、僕も何とか笑顔を返す。
笑顔といっても形だけで、それも傍から見ればぎこちないものだったに違いない。だけどシェイリは、そんなことはまるで気にしていないというように、いつものふにゃりとした笑顔で応えてくれた。
恐らく彼女は、こちらの心境を察してくれているのだろう。この子は空気が読めていないように見えて、物事の本質や人の感情といったことに関しては人一倍聡いところがある。
僕も下手に気を遣った態度を取られるよりは、こうして普段通りに接してくれるほうが、少しは気分が紛れる。シェイリの心遣いが、今はただ有難かった。

「迷宮区で戦うのも楽しいけど、たまにはこういうのもいいよね~」
「うん……、そうだね」
考えてみれば、こんな風に二人でゆっくりと過ごすのは随分と久しぶりだ。
元々僕は友達が少なかったし、シェイリはβテスターではなかったので、第1層が攻略されるまでの一ヶ月の間、僕たちはほとんどの時間を二人だけで過ごした。その間にしても、僕は攻略のことばかり考えていて、迷宮区に足を運ばない日はなかった。
こうやって二人で、本当の意味での休息を取ったのは、それこそゲームが始まったばかりの―――こんなことになるとは露知らず、“ゲームとして”SAOを楽しんでいた、あの頃以来じゃないだろうか。
最初は、それが当たり前だったのに。いつの間にか、僕には―――

「……、なんか、さぁ。いつの間にか、僕たち……というか僕なんだけど、結構、友達できてたんだなぁ……」
シェイリの小さな肩に寄りかかりながら、僕は自分が今まで辿って来た道のりを思い出していた。
このゲームに閉じ込められたばかりの頃の僕は、友達だの仲間だのといったことを考えている余裕もなかった。兎にも角にも強くなって、シェイリが独り立ちできるまで、彼女を守り切らなければ―――なんて、そんなことばかり考えていたっけ。
だけど、結局は僕一人で空回りしていて。彼女を守るなんて言いながら、いつかは置き去りにすることを考えていた自分に気付かされて……挙句に、勝手に一人で死にかけて。ぼろ泣きした彼女にマウントポジションを取られながら、何度も何度も殴られて。
そんなことがあって、僕は、僕のために泣いてくれた彼女を―――キバオウたちと快を分かった時、何も言わずについてきてくれた彼女を、これからずっと、何があっても守ろうと決めたんだ。

「アルゴの頼みでラムダに行って……、僕だけガラの悪いのに囲まれたりしてさ」
「ユノくん、わたしと別れてすぐに絡まれたっていってたね~。さすがにびっくりしたよ」
「あはは。 でも、それがあったからリリアを見つけられたんだよね」
それから少し経った、春の日。アルゴから頼まれた(押し付けられた)仕事で、ラムダの裏通りにいるという女鍛冶師の正体を探ることになった僕は、シェイリと別行動になって1分も経たないうちに、そこを根城としている悪質プレイヤーの一団に絡まれた。
何とか彼らから逃げ出すことに成功し、たまたま飛び込んだ細い通路の奥で、ぶっきらぼうな態度で露店商をしていたリリアと出会ったんだ。

「その後、鉱石を取りにあの洞窟に行って、クラインに助けられて……。シェイリがいきなり僕のことバラすから、どうしようかと思ったよ」
「だって~。ああでもしないとユノくん、ずーっとひとりでうじうじしてそうだったんだもん」
「う……、ひ、否定はできないけど……」
自分の考え方がネガティブだという自覚はある。だけど、こうもはっきりと言われるのは、それはそれでショックだったりするのだけれど。
というかシェイリ、リリアと知り合いになってから、ちょっと言い方がきつくなってないか……?
少し前に二人がかりで怒られた時、僕は不覚にも泣きそうになった―――というか、実際に泣いてしまったわけで。あの男の粗暴な物言いがシェイリに悪影響を与えているのは、火を見るよりも明らかだ。
リリア……君とは少し、話し合いが必要かもしれないな……。

「ま、まあ、そのお陰でリリアやクラインと友達になれたから、僕は感謝してるよ」
「えへへ。どういたしまして~」
あの時の僕は、相手の好意を自分から拒もうとしていた。
《元オレンジ》、《投刃》、《仲間殺し》―――周囲からそう呼ばれている僕と関わったら、相手まで嫌な思いをする。関わった相手にまで、辛い思いをさせてしまう。……そんな風に、自分を誤魔化していたんだ。
だけど、結局のところ、僕は自分が傷付くのが怖かっただけで。人と関わりたいと思いながらも、相手に拒絶されることを恐れて、自分から遠ざけていただけだった。
自分が抱えた矛盾に気が付かないほどに、あの頃の僕は、誰かと関わり合いを持つことを怖がっていた。シェイリのやや強引とも取れた行動は、そんな僕を見兼ねてのことだったのだろう。
そんな彼女の後押しのお陰で、僕は自分から、リリアと友達になりたいと思うことができた。―――なってもいいのだと、思うことができた。

―――それに。

ルシェと週に一度だけ、会うようになったのも。その中で、サチと知り合えたのも。
あの時、シェイリが僕の背中を押してくれなければ、僕はこの二人と関わりを持つことはなかっただろう。ルシェからお礼をしたいと言われても、何かと理由を付けて断っていたはずだ。

正直に言えば、誰かと関わりを持つことは―――相手に拒絶される可能性があるということは、あれから数ヶ月の時が経った今でも、未だに怖いと思ってしまう。
だけど、それを言い訳にして自分から遠ざけていたのでは、今までと何も変わらない。
自分が周りからどう思われていようと、それでも構わないと言ってくれた相手の好意まで、わざわざ自分で否定することはない―――あれから僕は、ほんの少しずつではあるけれど、そう思えるようになっていた。

「はじまりの街の裏道に、さ。中はすっごく狭いんだけど、紅茶のおいしい喫茶店があって。僕、そこでルシェと……、サチも一緒に三人で、よくお喋りとか、してたんだ。たった一時間くらいの間だけだったけど、二人がお喋りしながら笑い合ってるのを見ると、何だか僕まで楽しくなってきちゃってさ。こういう時間も悪くないなぁって、思って……」
「……うん」
もう二度と戻ってこない日々を、二度と見ることのできない彼女の顔を思い出し、涙が溢れそうになる。
気を抜くとすぐにでも零れ落ちてしまいそうになる嗚咽を抑え込みながら、震える手で両膝を押さえつけた。
この涙は、この手の震えは、悲しみからくるものなのか、それとも───

「シェイリも一緒に行こうって、そのうち誘うつもりだったんだよ。サチを紹介してくれた時のルシェは、すごく自慢げで、すごく……嬉しそうだったから。今度は僕が二人に、シェイリのことを紹介してあげたかった。この子が僕のパートナーだよって、二人に自慢したかった。 ……会わせて、あげたかった」
二人がずっと親友同士でいて欲しいと、僕は願った。
そんな僕の願いを嘲笑うかのように、それからたった一週間後に、サチの命は奪われてしまった。
それも、他のプレイヤーに殺されるという最悪の形で。

「サチのいたギルド……月夜の黒猫団っていうんだけどさ。いつか攻略組になって、みんなを守れるようになりたかったんだって。ほんと……、僕とは大違いだよね」
誰かを守れるようになりたいと願い、そのために戦い続けてきた彼らは、最期の瞬間、何を思っただろうか。
守ろうとしてきた者に裏切られ、突然仲間を殺されて、今まさに自分も殺されようとしている時に、彼女は―――サチは、何を思ったのだろう。

自分の境遇を嘆いただろうか。
自分を殺した相手への恨みを募らせただろうか。
自分をこんな目に遭わせた運命を呪っただろうか。

いくら考えたところで、答えなんて出るわけがない。当たり前だ、僕はサチではないのだから。
日本には「死人に口なし」なんていう諺があるけれど、この場合、まさにその通りなのだろう。
そして、それは―――黒猫団の面々をPKしたプレイヤーたちも、そう思っているに違いない。

《ユニオン》が悪質プレイヤーへの取り締まりを強化している今、目を付けられるとわかっていて堂々と人を襲うプレイヤーなんていない。
一つのパーティを全滅に追いやったからには、例えPKを行っても、周りにバレることはないという自信があったのだろう。
PKが行われた第29層迷宮区は、トラップ多発地帯だということで知られているダンジョンだ。ポータルトラップを利用して分断したか、結晶無効化エリアに誘い込んだか……。いずれにせよ、目撃者が付かず、かつ自分たちが圧倒的に有利となる方法を取ったのだろう。

目撃者がいなければ、自分たちがオレンジだということを、誰かから《ユニオン》に告げ口されることもない。数日かけて悪行値《カルマ》回復クエストさえこなせば、カーソルをグリーンに戻すことすら可能だ。
自分たちが襲った相手さえ逃がさなければ、何の証拠も残らない。クエストをこなし、カーソルをグリーンに戻した後は、何食わぬ顔でどこかの街に潜伏していることだろう。
実に合理的で―――実に、悪質だ。

「……《投刃》なんて呼ばれてるけど、僕はもう二度と、PKなんてするつもりはなかった。誰かを傷付けるのも、誰かに悪意をぶつけられるのも……、もう嫌だったんだ。……でも」
でも。
それでも、僕は―――

「それでも―――許せないよ。サチを殺した奴らを、許せないよ……! っ、殺して…、やりたいよ……ッ!!」
隣に座るシェイリが、悲しそうな目で僕を見る。
だけど僕は、一たび口をついて溢れ出した感情を、自分でも制御することができなかった。

「悔しいよ……、くやしい、よぉッ……!」
血が出るほどに歯を食いしばり、爪が食い込むほどに拳を握りしめた。

―――悔しかった。
サチを失ってしまったことが。それが誰かの悪意によるものだということが。そいつらを―――この手で殺せないことが。

βテストの頃。第9層でのボス攻略戦を終え、当時のパーティメンバーとの話し合いになった時、僕は全てを諦めていた。
全てを諦めて、全てを断ち切るつもりで、仲間だったはずの彼らを殺した。
その後、どこまでも追いかけてくるプレイヤーたちに嫌気が差しながらも、どこか憂さ晴らしをするように、挑んできたもの全員を───殺し続けた。

あの頃の僕は、例え仮想世界の事といえど、人を殺すことに何の躊躇いもなかった。
攻撃を払いのけ、ナイフを抜き放ち、急所を狙い―――襲ってきたプレイヤーがポリゴン片へと変わるのを、何の感動もなく見つめていた。
そんな日々が続くうち、僕は自分でも歯止めが利かなくなっていた。返り討ちにされ、悔しそうに歯噛みしながら消えていく襲撃者の姿を見て、時には高揚感すら覚えた。

そんな―――過去の僕。
ソードアート・オンライン・クローズド・ベータテストにおける唯一のオレンジプレイヤー。
βテスター、《投刃のユノ》。

シェイリやみんなのお陰で、《投刃》という名の呪縛から抜け出すことができたと思っていた。
このゲームが始まってから、半年以上の時が経って。ようやく僕は、自分がオレンジだったという過去と決別できたような気がしていた。

していた―――けれど。

「殺してやりたいよ……!サチを奪った奴らを、ルシェを悲しませた連中を、全部、全部ぶっ壊してやりたいよ……ッ!!」
サチが誰かに殺されたと気が付いた時、僕の頭の中を真っ先に占めたのは、「復讐」の二文字だった。
黒猫団を襲ったプレイヤーを今すぐにでも捜し出して、ありったけの殺意をぶつけてやりたかった。
彼女の命を奪った連中に、あの穏やかな日々を奪った連中に、その命を以って償わせてやりたかった。

『僕の邪魔をするなら───僕の前に立ち塞がるなら、相手が何人であろうと、誰であろうと……殺す』

第1層でディアベルたちと決別した時に、僕が彼らに向けて言い放った言葉。
あの時、僕は自分で口にした言葉に震えが止まらなかった。自分で口にしておいて、本当に人を殺した時のことを思い浮かべて、身体が勝手に震えてしまった。

……だけど。こうして本当の悪意を前にした時、僕は真っ先に「復讐」のことを考えた。
人を殺すということに、恐れおののいていたはずだったのに。
サチに悪意を向けた連中をこの手で殺せないことが、今は何よりも悔しかった。

「……眠れない間、ずっとそればっかり考えてた。黒猫団を襲った奴らを、同じ目に遭わせてやりたいって。僕のこの手で、殺してやりたいって……!」
「ユノくん……」
「おかしいよね。そんなことしたら、僕も同じ人殺しになっちゃうのに。二度とPKはしないなんて言っておきながら、結局僕は、人殺しのオレンジのままなんだ……」
口で何と言おうと、いくら悪役《ヒール》を演じた道化のつもりでいようと、結局は───こんなものか。
何の感慨もなく、無感動に。ただただ人を殺す、仲間殺しの犯罪者。
邪魔だから殺す。気に食わないから殺す。目には目を、歯には歯を。殺人鬼には死の償いを。
アバターの死が現実の死とリンクした今となっても、僕の本質は、あの頃と何も変わっていないのかもしれない。
サチを殺した連中と、同類なのかもしれない───

「……ごめん、変なこと言って。ちょっと、予想以上に参ってたみたい」
「………」
「大丈夫、本当に殺したりなんてしないよ。……そんなことよりも、今はゆっくり休んで、明日からの攻略に備えないとね」
シェイリは、何も言わなかった。
何も言わずに、僕の髪をそっと撫でる。

「……ちょっと、やめてよ。そんな風にされると、僕、自分が子供になったみたいで泣けてくるからさ」
僕の抗議も無視して、シェイリは頭を撫で続ける。
そんな彼女の手を払いのけようと思う心とは裏腹に、僕の手はぴくりとも動かなかった。

「だから、やめてってば。僕は大丈夫だから」
そうだ、僕は大丈夫。こんな風に慰めてもらう必要なんてどこにもない。
だって、僕は《投刃》だから。人殺しのオレンジだから、人が死んだって悲しむことはない。

顔も知らない誰かが、黒猫団のみんなを───サチを殺したように。僕はあの頃、自分を追ってくるプレイヤーたちを殺し続けてきた。
無感動に、無感情に。殺し、殺して、殺し尽くしてきた。
そんな僕だから、サチが死んでしまったことを悲しむよりも先に、復讐のことばかり考えてしまうんだ。
サチのためなんかじゃなくて、僕自身が、復讐にかこつけて殺してやりたかっただけなんだ。

「やめてって……言ってんじゃん、ばかシェイリ……」
シェイリは何も言わない。その小さくやわらかな手が、僕の髪を撫で続ける。

もういいじゃないか。
もうやめてよ。
僕は、サチが死んでしまったことを悲しむよりも、相手への復讐のことしか考えられない、そんな薄情な奴なんだよ。
ただ、自分が殺してやりたかっただけなんだよ。
全部全部───自分のためなんだよ。

だから、そんな目で見ないでよ。そんな風に頭を撫でないでよ。
僕は悲しんでなんかない。
悲しんでなんか、ないのに───

「う、あ……、ああぁぁあ……っ!」
───限界だった。
どんなに忘れようとしても。所詮は僕も同類の人殺しなのだと、自分で自分を貶めてみても。
この胸の疼きは、殺戮への渇望は、少しも消えることはなかった。

「ああぁぁあぁああああっ!!」
恥も外聞もなく、優しく髪を撫で続けてくれるシェイリの身体にしがみつき、声を上げて泣き叫んだ。
叫び声《シャウト》は部屋の外にまで聞こえてしまうけれど、そんなことを気にしている余裕もないほどに、僕はただただ慟哭した。

いっそ涙と一緒に、この胸の疼きも、身を焦がすような殺意も、全部全部、流れ出てしまえばいい。
そうすれば、すぐにいつも通りの自分に戻れるのに。
そうすれば───僕は楽になれるのに。


────────────


「だいじょうぶ、ユノくん?」
散々泣いて、叫び続けて───声も出せなくなった頃。錯乱する僕を黙って受け止めてくれていたシェイリが、おずおずといった様子で声をかけてきた。
僕はシェイリの肩にうずめていた顔を上げ、彼女に頷いてみせる。
まだ上手く頭が回らないものの、胸中に渦巻いていたものを全て吐き出したお陰で、気分はほんの少しだけ楽になっていた。

「……ん、今度は本当に大丈夫。……その、ごめん、なんていうか」
そのまま少し待ってから、ようやく僕は彼女に密着させていた身体を離した。
さっきまで僕を支配していた感情は徐々に収まり、少しずつ冷静になってくるにつれて、かわりに今度は、醜態を晒してしまったことへの羞恥心が沸々と湧いてくる。
年下にしか見えないシェイリに頭を撫でながら慰められてしまった気恥ずかしさもあって、彼女とまともに目を合わせることができなかった。

なんというか、最近の僕は、こんな風に慰めてもらってばかりな気がする。
それが嫌というわけではないし、むしろ心遣いがありがたくて涙が出てきそうになるくらいなのだけれど、他の何を切り捨ててでも守ると言った手前、その守るべき相手から何度も慰められて(しかも頭まで撫でられて)しまうというのは、どうにも格好が付かないところだ。
別に普段の自分が格好いいと思うほど自惚れているわけではないけれど、こうも毎回泣いてばかりいるのは、いくらなんでも格好悪すぎるというか、なんというか……。

「ユノくんは~、かっこいいようでかっこ悪いよね。よく泣いちゃうし」
「んなっ……!?」
なんてことを考えていたら、当のシェイリからばっさりと一刀両断されてしまった。
まるで僕の心を見透かしてるかのようなタイミングでのこの一言に、違う意味で涙が出てきそうだった。

「あとユノくん、さっきわたしのことばかっていった。わたしばかじゃないもん」
「……え」
いかにも「わたし怒ってます!」といったオーラを放ちながら、ぷくーっと頬を膨らませるシェイリ。
ただでさえ年齢詐称疑惑が浮かぶほどの幼い顔をしているというのに、そうやって子供じみた仕草をされると、本当に小学生なんじゃないだろうかと思ってしまう……って、そうじゃなくて。
確かに僕はそんなことを言ったかもしれないけれど、あれは色々な感情がごちゃ混ぜになって錯乱していたからであって、もちろん本気で言ったわけではない。
というか、わざわざ蒸し返してまで怒るようなことじゃないだろ……!?

「わたしばかじゃないもん」
「………」
大事なことでもないのに二回言われてしまった。
結構根に持っていたらしい。

「もうっ、ユノくんだって泣き虫のくせに。わたしのこといえないでしょー」
「うっ……!?」
ざっくり。拗ねたように言い放ったシェイリの一言が、僕の心に突き刺さった。
いや、確かにここのところの僕は、みんなの前で泣いてばかりいるような気がするけれど。
そういう時、決まってシェイリが慰めてくれて、余計に涙が止まらなくなってしまったりするのだけれど。
実は気にしてるんだぞ、これでも……!

「それにいっつもひとりでかっこつけて、いっつもひとりでうじうじして、いっつも損してばっかりで。いっつも無理して、結局さいごは泣いちゃって。そういうのをへたれっていうんだよー?」
「あぐ……」
「りっちゃんも言ってたよ、あいつはほんとばかだな~って。なんでもかんでも自分が悪いって思いこんで、被害者意識のかたまりじゃねえかって」
「も、もういいよ!やめようよそういうの!いくら僕でも傷付くよ!」
「あ、あと、この前ユノくんがキリトくんのことで悩んでたとき───」
「やめて!聞きたくない!」
ざくざくざく。自慢の両手斧で僕の心を一刀両断するかのごとく、シェイリの言葉による暴力が次々と僕を襲う。
お、おかしい。僕の知っているシェイリは、ここまで容赦なく心を抉ってくるような女の子ではないはずなのに。
というか僕、そんな風に思われてたのかよ。リリアのことを散々言っておきながら、よりにもよって自分もヘタレだったなんて、格好悪い以前の問題じゃないか……。

あ、やばい、なんか憂鬱になりそう───と思った、そんな時。

「──でもね、ユノくん。わたしはそんなユノくんが好きだよ」
───不意打ち。
あんまりな言われように本気で凹みかけていた僕に、彼女からかけられた言葉は、まったくもって唐突極まりない───完璧な不意打ちだった。

「しぇ、しぇいりさん……?」
完全に虚を突いたシェイリの言葉に、僕の頬がカッと熱を帯びる。
せっかく少しはまともになってきた頭の回転が、今の一言で再び鈍くなるのを感じた。
そんな僕の様子を見てクスリと笑い、シェイリは続ける。

「いっつもかっこつけてばっかりで、だけどすぐに泣いちゃうユノくんが好き。へたれだけど、すごく優しいユノくんが好き。誰かのために真剣に怒ることのできるユノくんが、大好き」
うぐあ。
あまりにもストレートな物言いに、顔面の筋肉が変な痙攣を起こしそうになった。
な……、なんだこれ。新手の精神攻撃か何かなんだろうか。
だとしたら、悔しいけれど効果は抜群だと言わざるを得ないだろう。
突然の展開についていけずにあたふたするだけの僕に向けて、好き、大好きと連呼するシェイリの顔は、その幼い顔立ちや、ほんのりと赤く染まった頬も相まって、今までに見た中で一番可愛らしくて───ち、違う、誤解するんじゃない!僕はロリコンなんかじゃないぞ!

「あ、あのさ、シェイリ───」
自分自身に対して湧き出たロリコン疑惑を払拭するべく、何とか話題を逸らそうと口を開いた僕は、

「だからね、ユノくん。オレンジとか、人殺しとか、そうやって自分を悪くいうのは……やめてよ」
「っ!!」
言われて、はっと息を呑んだ。
さっきまで好きと連呼していたシェイリが、今度は打って変わって、寂しそうな目で僕を見据えていた。

「ユノくんは自分が人殺しだからっていうけど、こんなの誰だって怒るよ。復讐したくなるよ。そんなの……当たり前だよ」
「………」
そう、なんだろうか。
サチを傷付けた奴らを、僕が殺してやりたいと思うのは。壊してやりたいと思うのは。それは、当たり前───なのか?
そう思ってしまうのは、あのもう一つのSAOの世界で、僕がオレンジだったから───人殺しだったからじゃ、ないのか。
あの時の感覚が───人を殺した時の高揚感が忘れられなくて、サチの復讐にかこつけて、自分が人を殺したいだけなんじゃないのか。
殺し合いに───飢えていただけなんじゃないのか。

「───だってユノくんは、さっちゃんのことが好きだったんでしょ?」
そんな僕の、浅はかな考えを打ち砕くように、シェイリは言う。

「わたし、わかるよ。ユノくんが本気で怒るのは、いっつも他の誰かのためだもん。ボスのことでディアベルくんたちと相談してたときも、ボスをやっつけた後、キバオウくんたちと喧嘩したときも。いつだって、ユノくんが怒るのは他の人のためだった」
「……そんな、ことは」
「そんなユノくんだから、さっちゃんを傷付けられたことがゆるせないんだよ。さっちゃんのことが、るしぇちゃんのことが、大事だったから」
「──!!」

───大事だったから。

その言葉を聞いた瞬間、僕の中で複雑に絡み合っていた感情の糸が、するりとほどけた気がした。
心の奥底で燻っていた何かが、みるみる霧散していくような気がした。

「……ああ、そうか」
なんだ───簡単な、ことだったんだ。

サチが死んでしまって。ルシェがぼろぼろになって悲しんでいて。
それで、僕が悲しくないわけがない。
だって。僕が守りたいと思うものの中には、とっくにあの二人も含まれていたのだから。

ルシェが冗談交じりにサチをからかい、白い頬を真っ赤にした彼女が否定する。
たまに怒ったような表情を見せることもあるけれど、本気で怒っているわけではなくて。結局、最後は二人して笑い合って。
二人を見ていると、僕もなんだか楽しくなってきて。こんな風に笑い合える仲が、すごく……羨ましくて。
そんな親友同士の二人だから、僕は───力になってあげたいと、思ったんだ。
そんな二人のことが、僕は───

「……僕は、サチのことが好きだった」
「うん」
「サチと、ルシェと一緒に、三人で過ごしたあの時間が───好きだったんだ」

最初は、シェイリと二人きりなのが当たり前だった。
かつて仲間を裏切った僕が、《投刃》と呼ばれた僕が、誰かと親しくなるなんて、そんなのはおこがましいことだと思っていた。

だけど。いつの間にか、僕の周りには大切な人たちが増えていた。
他の全てを切り捨ててでもシェイリだけを守ると、そう決めていたはずなのに。
あの小さな喫茶店で、ルシェやサチと一緒に過ごした時間が―――彼女たちの笑顔が、僕にとってもかけがえのないものとなっていた。
“切り捨てる”という選択肢が、僕の中から消えてしまうほどに。
湧き上がる殺意に身を委ねてでも、二人を引き裂いた者に復讐してやりたいと思ってしまうほどに。

この胸の疼きは、殺戮への渇望でも、復讐への憤怒でもなくて。
サチを失ってしまったことへの、あの温かい時間が永久に失われてしまったことへの、どうしようもない悲しみだったんだ───


「ユノくんは自分勝手な理由で人を傷付けたりしないって、わたしは信じてるよ。だってユノくん、こんなに優しいもん」
だから、とシェイリは続ける。

「ユノくんは、もう《投刃》なんかじゃないよ」
慈しむような、温かな声で───シェイリは言う。

「人殺しなんかじゃ───ないよ」

彼女の小さな唇から紡がれたのは、僕が欲してやまなかった言葉だった。
 
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