とあるβテスター、奮闘する
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つぐない
とあるβテスター、少女を抱きしめる
アインクラッド第1層主街区『はじまりの街』。
先細りの構造となっている浮遊城アインクラッドの最下層に位置する町で、その総面積はアインクラッドの基部フロア、その凡そ2割にも及ぶ。
このゲームにログインしたプレイヤーが最初に訪れる街であり、同時にアインクラッドの中でも最大の規模を誇る街でもあるため、ゲーム開始から半年以上経った2023年6月現在でも、依然としてこの街を訪れるプレイヤーは多い。
商店通りに立ち並ぶ多種多様な店舗をはじめ、モンスターの特殊攻撃による呪い《カース》の解除を行う教会や、『蘇生者の間』と呼ばれる、戦闘不能となったプレイヤーの復活地点───現在、そのの機能は停止しているが───を擁する巨大な宮殿『黒鉄宮』など、SAOというゲームにおいて重要な役割を持った施設が集中した街である。
また、この街はSAO一の大所帯ギルド《アインクラッド解放同盟》の本拠地となっており、低レベルプレイヤーへの物資配給や悪質プレイヤーの取り締まりなどを行い、街の治安維持に努めている。
ギルドへの加入希望者は日を追って増加傾向にあり、彼らの指導者的立場にある騎士ディアベルは、現在、街の中央に位置する黒鉄宮を軍用施設として利用できないか検討している最中だ。
近頃は日が延びてきているとはいえ、まだ夏には程遠い。午後18時ともなれば既に日没は過ぎ去っており、広大な街を夕闇が包み込んでいた。
日中、燦然と輝いていた太陽は影を潜め、仲間達と談笑の花を咲かせていた者や、日課の狩りから帰還したパーティのメンバー達が、思い思いの帰路に就くために目抜き通りを通過していく。
───嘘だ。
そんな周囲の光景には目もくれず、少女は夕刻の街を一人、一直線に駆けていく。
───嘘だ。嘘だ。
壊れたレコードの針が飛ぶように、ただその言葉だけを、幾度も幾度も繰り返しながら。
人波を掻き分け、慣れ親しんだ街の慣れ親しんだ道を、ただひたすらに走った。
通りを横並びに歩く女性プレイヤーの一団をもどかしく思いながら、彼女達と建物との間をすり抜けるように追い越し、目的地へと疾走する。
───嘘だ、嘘だ、嘘だっ!!
この街で知り合った、自分と同い年の彼女。
自分と同じくらい怖がりで、臆病で。自分の意見を他者に伝えることすら覚束ない、か弱い彼女。
戦うことに並々ならぬ恐怖心を抱きながらも、寝食を共にする仲であり、現実世界の友人でもある仲間達のために、必死に堪えていた彼女。
歯を食いしばり、血を吐くように喘ぎながら疾駆する少女の脳裏には、出会った日から今日この時まで、共に過ごしてきた彼女との数々の思い出が、幾重にも駆け巡っていた。
まるで走馬灯のようにも思えるそれが、彼女がもういないことの証であるかのように思えて、少女は頭で、心で、懸命に否定する。
───あの子が、死ぬわけない!
少女は、彼女を親友だと思っていた。
少女は、彼女を守りたいと思っていた。
少女は、彼女のことが大好きだった。
そうして、これからも、ずっと。いつか現実世界に帰る、その時が来るまで。
彼女と一緒に過ごす日々が、続いていくことを。庇護欲を掻き立てられ、女の自分ですら思わず守ってあげたくなるような、そんな親友と過ごす日々が続いていくことを。
少女は、何一つ疑っていなかった。
つい先刻、何気なく開いたフレンドリストから、彼女の位置情報が消失していることに気が付くまでは───
「──サチッ!!」
親友の名を叫び、重厚な扉を突き破らんばかりに、少女は黒鉄宮へと───かつての蘇生者の間へと雪崩れ込んだ。
クローズド・ベータの頃、戦闘不能となったプレイヤーの復活地点として用意された部屋の中心部には、《生命の碑》と呼ばれる巨大な金属碑が設置されていた。
重々しい黒鉄の碑には、SAOの正式サービス開始に伴い、ゲーム世界に囚われた10000人ものプレイヤー───その一人一人の名が、漏れなく刻み込まれている。
正式サービス開始以降、敵の攻撃によって戦闘不能となったプレイヤーは、以前のようにこの場所で復活することはない。
その代わりとでもいうかのように、戦闘中にHPを全損させたプレイヤーの名前には横線が引かれ、隣には死因と死亡時刻が刻まれる。
彼の者が、既にこの世にはいないということを示すように。
「サチ……ッ!」
ナーヴギアの開発者にして、たった一人で現在のVR技術を確立させた稀代の天才───茅場晶彦の手によってデスゲームと化した今のSAOにおいて、位置情報が消失《ロスト》するということは、それ即ち、死を意味する。
理屈では理解していた。フレンドリストから位置情報が消失した時点で、彼女の親友は───サチは、この世からいなくなってしまったのだと。
しかし───心が。親友の無事を信じたいと思う心が、それを否定する。
少女───ルシェは息を切らせながら、親友の名を捜すべく、碑に刻まれた名前へと目を走らせた。
あの子が死ぬはずがない。親友の位置情報が消失した理由は、彼女がHPを全損させたわけではなくて、何らかのバグによるものだったんだ。
散々送ったメッセージが無効となって戻ってくるのも、きっとサーバーの調子が悪かったというだけで。
明日になれば、何事もなかったかのように位置情報も戻っていて。しょうもないバグだったねって、二人で笑い合って。
そんな、いつもと変わらない日常が始まるはずだ。サチと一緒に過ごす、いつもの日常が。
そんな───微かな希望に縋り付きながら、少女は。
親友の名を、探し当てた。
「……うそ、だ」
そして、現実を、知らされる。
────────────
『サチが死にました』
迷宮区での探索を終え、宿屋の部屋で休んでいた僕に送られてきた、たった一言のメッセ―ジ。
まるでタチの悪い悪戯のようにも思えるそれの送信者は、他でもないルシェだった。
黒鉄宮の重厚な扉を押し開け、蘇生者の間へと辿り着いた僕の目に映ったのは、自分の身長の倍はあるであろう、金属製の碑───生命の碑の前に頽れる、ルシェの姿。
生命力を根こそぎ奪われたように虚ろな表情をした彼女は、僕が入ってきたことに気が付かない。───あるいは、気が付いていても反応を返すことが出来ずにいるのか。
光を失ったライトブラウンの瞳は、生命の碑に刻まれた膨大な文字列の、ただ一点だけを見つめていた。
【Sachi 6月12日 16時54分 貫通属性攻撃】
サチ。6月12日。16時54分。貫通属性攻撃。
何の感情も籠らない無機質な文字列が、たった一行にも満たない文字列が、彼女の親友を、サチという少女を、その存在を───否定していた。
つい先日まで同じ世界に生きていたはずの彼女は、今はもう、どこにもいない。
こんな横線たったひとつで、サチという一人の少女の存在は、この世界から弾き出されてしまった。
「……、どう、して……」
本当なら、こういう時こそ僕がしっかりするべきなのかもしれない。
精気を感じさせない顔で座り込むルシェに、気の利いた言葉の一つでもかけるべきなのかもしれない。
だけど、それはできなかった。自分のものとは思えない程の、掠れた声で呟くことが精一杯だった。
自分の周りで誰かが死んだのは、これが初めてというわけではなかった。
戦いの中に、それも最前線で戦う攻略組に身を置いている以上、目の前で人が死ぬところを見る機会は少なくない。
一ヶ月ほど前、第25層のフロアボス攻略戦に参加した時も。迷宮の守護者である双頭の巨人によって、何人ものプレイヤーが死んだ。
……だけど。その時の僕は、彼らの死を悼みながらも、心のどこかで他人事のように感じていたのかもしれない。
感覚が───麻痺していたのかもしれない。
それが自分の友人知人ではなかったことを、亡くなった人に申し訳ないと思いつつも───安堵してしまうほどに。
そんなツケが、今頃になって回ってきたのか。
僕を嘲笑うかのように。見せつけるかのように。思い知らせるかのように。
初めて身近な人を───サチを失ってしまったという現実が、重く圧し掛かる。
「ルシェ……」
「……、ユノ、さ……」
実際には5分にも満たないはずの時間が、数十分にも数時間にも思えた。
何とか声を出せるようになった僕は、床に頽れたままでいるルシェの小さな背中へと呼びかける。
ここに至って、ようやく彼女はこちらを向いた。その色を失った表情に、普段の彼女との落差を感じずにはいられなかった。
「あ、たし……、あたし、フレンドリスト…、開いて……っ。そしたら、サチが、サチがっ……!ログアウトって、なってて……!」
───ログアウト。ネットワークとの接続を切ったということを示す用語。
だけど、このゲームでのプレイヤーによる意図的なログアウトは、開発者───茅場晶彦によって封じられている。
つまり、今のSAOで、プレイヤーがログアウト状態になるということは。
ナーヴギアが発するマイクロウェーブによって脳を焼かれ、現実世界での死を迎えたということに他ならない。
「あ……、あたし絶対に、う、うそだって、思って……。でも、サチの名前に、横線っ、引いてあってっっ! な……、なんで、どうしてっ……、こんな、ぁああぁああぁあ……っ!!」
「ルシェ……ッ!」
悲しいのは僕も同じだ。サチの死をどうしても認めたくなくて、頭の中には様々な想いが駆け巡っている。
……だけど。大切な友達を失って錯乱するルシェの前で、僕まで取り乱しているわけにはいかなかった。
騒ぐ思考の一切をかなぐり捨てて、嗚咽するルシェを抱き締めた。
彼女の悲痛な慟哭を聴きながら、回した手に力を込める。小さな肩の震えを抑えるように、強く、強く。
普段は明るく振る舞っているけれど、本当はとても臆病な彼女にとって、親友の死という現実は、あまりにも残酷で───あまりにも、重すぎた。
だから今は。せめて今だけは、思う存分泣けばいい。君の気が済むまで、僕はこうしていよう。
人が死ぬところを見慣れてしまった僕なんかよりも、サチの親友だったこの子のほうが、ずっとずっと、辛いはずなのだから───
────────────
どれくらいそうしていただろうか。
泣きじゃくるルシェを宥めているうちに、少しずつではあるものの、僕は冷静さを取り戻していた。
そんな自分の薄情さに嫌気が差しつつも、しゃくり続けるルシェの背中を叩きながら、僕は彼女の頭越しに、部屋の中央に鎮座する黒鉄の碑へと───そこに刻まれたサチの名前へと目を向ける。
【Sachi 6月12日 16時54分 貫通属性攻撃】
サチ。6月12日16時54分。貫通属性攻撃。あまりにも簡潔すぎるそれは、僕がここを訪れてからそれなりに時間の経った今でも、何一つ変わることはなく刻まれている。
サチの名前を改めて見ることで、彼女が本当に死んでしまったということを否が応でも実感させられて、ずきりとした胸の痛みと───同時に、僅かな違和感を覚えた。
───なん、だ……?
黒鉄製の碑にずらりと並ぶ他のプレイヤーの名前と見比べてみても、サチの記述に特別おかしなところは見られない。
斬属性攻撃、打撃属性攻撃、貫通属性攻撃、広範囲特殊攻撃、転落死───
モンスターとの戦闘でHPを全損させたプレイヤーから、自身の境遇を嘆いて浮遊城から身投げした者まで。ありとあらゆる死因と、その起こった時刻が記載されているだけだ。
……だというのに、この違和感は何だ?何が……引っかかっている?
「………」
おかしい。
何がどうおかしいかと問われれば、具体的な答えを返すことはできない……けれど。
僕は、碑に刻まれたサチの名前に───その隣に刻まれた“貫通属性攻撃”という死因を見た時に、確かに違和感を感じた。
同時に胸に湧いてきたのは、僕にも得体の知れない……嫌な予感。
まるでサチの死について、何か重要なことを見落としているような───
「……ルシェ。サチのギルドメンバーの名前、憶えてる?」
「っユノ、さん……?」
僕の身体から顔を離し、ルシェは泣き腫らした目でこちらを見上げた。
親友を失ったばかりの彼女にこんなことを聞くのは、些か心苦しいものがある。だけど僕は、この違和感の正体を突き止めずにはいられなかった。
サチと親しかった彼女なら、6人しかいないという《月夜の黒猫団》メンバーの名前も、話に聞いているに違いない。
「……、サチ、と……ササマルさん、と……、テツオさん」
僕の読みは当たっていたらしく、ルシェの口から黒猫団メンバーの名が読み上げられていく。
今は亡き親友の名前を口にしたことで、再び涙ぐむ彼女に罪悪感を覚えながらも。たった今告げられたばかりの名前を探し、プレイヤー名の羅列に目を走らせた。
【Sasamaru 6月12日 16時50分 打撃属性攻撃】
【Tetsuo 6月12日 16時49分 貫通属性攻撃】
それらしきプレイヤーの名前を探すのに、さほど苦労はしなかった。顔も知らない二人の死亡時刻は、サチと数分程度しか違わない。
迷宮区での彼らの狩りには、以前ルシェから聞かされた、凄腕であるという例の剣士もついていたはずだ。
にも関わらずサチが死んだということは、その剣士ありきでも対処し切れない事態が起こったということ───大量のリポップに巻き込まれたか、あるいは他の理由か。
何にせよ、サチのパーティメンバーである彼らも例外ではなかっただろう───そんな僕の嫌な予感は、見事に的中してしまったのだった。
本当に───こんな時だけ。
嫌な“当たり”を、引いてしまう───
「…、あと……、ダッカ―さん……と…、ギルド、マスターの……、ケイタさん……」
掠れた声で、途切れ途切れに質問に答えてくれるルシェの姿に、胸に内で罪悪感がみるみる膨れ上がっていくのを感じた。
無理をさせてしまったことを心の中で謝りながら、再度、視線を生命の碑へと向ける。
【Ducker 6月12日 16時45分 貫通属性攻撃】
【Keita 6月12日 16時46分 斬属性攻撃】
次の二人も、サチと同じく死亡時刻は16時50分前後。つまり、その時間帯に、パーティを壊滅に追いやった“何か”が起こったということだ。
彼らの死因と死亡時刻を頭の中で整理しながら、今日一日の黒猫団の足取りをシミュレートしていく。
パーティが壊滅した時間帯───17時頃といえば、ダンジョンでの狩りを終えて街に戻る途中だったと考えるのが妥当だろう。
個人やギルドの方針によって異なるものの、このゲームに囚われているプレイヤーたちの大半は、現実世界と同じように、昼間に狩りをして夜は休むといったサイクルで日々を過ごしている。
したがって、朝の9時から夕方17時までを目安として狩りを行うパーティが多く、効率を求めるプレイヤーはあえて深夜帯でのレベリングを選ぶといった傾向がある。
サチの所属するギルド《月夜の黒猫団》もそんな例に漏れず、午前中に狩りに出かけ、夕方には拠点としている街《タフト》に戻り、宿屋の食堂で夕食をとるのが日課だと聞かされたことがある。
午前中にサチとルシェとの間で行われていたメッセージのやり取りでは、サチを含めた黒猫団の一行は今日、第27層の迷宮区で狩りをしていたそうだ。
その迷宮区は最前線から3層下に位置するダンジョンで、フィールドに比べて稼ぎはいいものの、毒ガスや通路封鎖、アラームといったトラップが多数設置されている危険地帯でもあり、リリアの罠解除スキルがなければ僕たちも苦戦していただろう。
中でも宝箱に仕掛けられたアラームトラップの危険度は群を抜いていて、21層の時計塔を模した迷宮区で僕たちが戦ったモンスター、《ファイティング・クロックマン》───あの時計怪人が稀に行う特殊アクションと同じ効果を持っており、更に厄介なのが、自身と同族のモンスターだけを集める《ファイティング・クロックマン》とは異なり、宝箱に仕掛けられたアラームトラップの場合、周辺にいる全てのモンスターが種族を問わずに集まってきてしまう。
それを阻止するためには、宝箱自体を破壊してアラームを止ればいい……と、言うだけなら簡単なのだけれど、実際に発動してしまうと、トラップを引いてしまったことに動揺してしまうプレイヤーが多く、追い討ちをかけるように押し寄せるモンスターからのプレッシャーもあり、なかなか実行に移すことができないというのが、このトラップの厭らしいところだ。
こうしたトラップが多数仕掛けられているということもあって、第27層迷宮区で狩りをするプレイヤーは、宝箱を開くといった簡単な動作にも常に細心の注意を求められる。
第17層のダンジョン《荒くれ者の墓所》の最奥に位置する広間のように、《結晶無効化エリア》に設定されているゾーンも多数存在し、転移結晶による咄嗟の離脱すらままならないといった状況に陥ることもある。そんな状況下でアラームトラップを引き当ててしまった場合、そのパーティの生還は絶望的となってしまうからだ。
───シーフがトラップを引いたのか……?
僕が最後に会った時。あの段階でのサチのレベルは、確か28か29だったと記憶している。そこから今日までの間、毎日狩りを続けていたのだとしたら、多少上がって30台前半といったところだろう。
彼女はパーティ内で一番レベルが低いという話だったから、他のメンバーはサチよりもいくらか高いレベル───恐らく35前後はあったはずだ。狩りをする階層の数字に10を足したレベルが、ソロでの安全マージンの目安だと言われている。なので、6人パーティの《月夜の黒猫団》にとって、第27層は十分に安全圏内だっただろう。
そんな彼らが全滅するからには、シーフ(罠解除や開錠といった探索スキルを重点的に鍛えているプレイヤーの総称)クラスのプレイヤー───このパーティでいうなら、ダッカ―という名前の彼だったはずだ───が、誤ってアラームトラップを作動させてしまい、転移結晶で離脱する前にやられてしまったと考えるのが一般的だろう。
実際にあのダンジョンで戦ったことがある僕から見ても、その可能性が一番高いと思った。第27層の迷宮区が発見されたばかりの頃、トラップに引っ掛かって半壊するパーティが後を絶たなかったからだ。
思ったの……だけれど。
どうして、僕は───
「──ッ!!」
そこまで考えて、再びサチの名前に目を向けた───その瞬間。僕の頭の中で、不意に何かが繋がった。
バラバラになっていたパズルの、最後のピースを嵌め込んだ時のように。
手繰り寄せていた糸が、的確に目的地へと───違和感の正体へと、繋がった感覚。
───まさ、か。
黒鉄の碑に刻まれた彼女の名前を目にした時に、僕が抱いた違和感。
サチ。6月12日16時54分。貫通属性攻撃。簡潔な───あまりにも簡潔な、その死因。
その死因が───違和感の、正体。あまりにも簡潔すぎて見逃してしまった、僕が感じた違和感の根源。
ルシェから聞いた情報が、全て正しかったのだとしたら。
《月夜の黒猫団》が、本当に、第27層の迷宮区で狩りをしていたのであれば。少し前の僕たちが第27層で戦っていたモンスターが相手だったのだとしたら。
“貫通属性攻撃による死因は、有り得ない”。
“何故なら第27層に、貫通属性の攻撃をしてくるモンスターは配置されていないのだから”。
採掘用のピッケルを携えた人型モンスター《ゴブリンワーカー》。主に斬属性の攻撃を行う。
石造りの巨体を持ち、打撃以外の物理攻撃に耐性を持つモンスター《ストーンガーディアン》。このモンスターからの攻撃は、全て打撃属性を持っている。
他にも数種類ほどのモンスターが配置されているものの、それらもこのモンスターたちと同じく、貫通属性攻撃を行うものはいない。───“だったら”。
《月夜の黒猫団》は、シーフがトラップを作動させたことで全滅したのではなく。
“有り得ないはずの”貫通属性攻撃で、サチのHPを全損に追いやったのは、モンスターなどではなく。
つまり。
つまり、彼らを壊滅に追いやったものの正体は。
その、正体は───ッ!!
「……、プレイヤー、キル……?」
自分の口から思わず零れてしまった呟き───その言葉の意味するところを、僕は。
嫌というほど───知っていた。
プレイヤーキル。通称PK。
フィールドに存在するモンスターを相手にするのではなく、プレイヤーがプレイヤーを攻撃し、戦闘不能に追い込むことを指す用語。
MMORPGの世界ではこのPKを行う者を、《Player Killer》から取って『PKer』、あるいは《Player killing》の文字を取って『PKing』といった呼び方をしている。
一見すると卑劣にも思える行為ではあるものの、フィールドでのPKが可能な仕様のMMOでは立派なプレイスタイルの一つであり、運営会社がPKを推奨しているゲームすらある。
対人戦闘の好きなゲーマーにとって、PKは切っても切り離せない存在だと言っても過言ではなく、あえてPKerとして演じることを楽しむプレイヤーも少なくない。
フィールドに出れば、いつ襲われるかわからない───そんなスリルを味わうための、一種のスパイスとも呼べる仕様だろう。
ただし。PKを至高のものとするプレイヤーがいるのと同じように、PKの存在そのものを快く思わないプレイヤーもいる。
仕様として認められていることはわかってはいても、フィールドで突然襲われた側としては、そういった感情を抱いてしまうのも無理はないだろう。
画面越しにしか他者とコミュニケーションを取れなかった従来のMMORPGならともかく、自分を攻撃してきた相手と直接顔を合わせることになるSAOでは、その傾向は尚さら顕著であると言っていい。
βテストの頃にパーティメンバーをPKし、オレンジ《犯罪者》プレイヤーとなった僕は、投剣を主体に扱うことから《投刃》と呼ばれ、他プレイヤーから追い回される羽目になった。
ここ蘇生者の間で復活が可能だったあの頃ですら、オレンジに対する扱いはそんなものだった。
ましてや現在のSAOでは、他PCを攻撃してHPを全損に追い込むということは、そのアバターを繰るプレイヤーを殺害したことを意味する。
ネームカーソルがグリーンであったにも関わらず、ディアベルやキバオウといった攻略組プレイヤーたちが僕を警戒していた理由は、例え復活可能なβの頃だったとはいえ、一度でも他PCを殺害した前科があるということからだった。
もちろん僕は誰かをPKするつもりなんてなかったし、また、他の誰かがそうした行為を行うといったことも、今のSAOではまずないだろうと思っていた。
そう───思っていたのに。
サチを含めた《月夜の黒猫団》メンバーたちの死因は、打撃属性が一人、斬属性が一人。そして───貫通属性が、三人。
ケイタとササマルの死因は打撃と斬撃によるものであるため、単に迷宮区のモンスターにやられただけという可能性もある。
だけど、他の三人───ダッカー、テツオ、……そして、サチの死因は。迷宮区のモンスターからでは有り得ない、貫通属性攻撃によるものだった。
それが意味するところは、つまり。スピアやレイピアなどの刺突武器───あるいは、僕と同じ投剣使いか。
そのいずれかを得物とするプレイヤーによる、PK行為を受けたということに他ならない───
「なに……それ」
あまりにも信じがたい───信じたくない結論に、到達してしまった、僕の目の前で。
ルシェの瞳が、光を失ったライトブラウンが、大きく見開かれる。
信じられないものでも見るかのような。
この世の全てに絶望したような。
そんな、表情で。
「プレイヤーキル、って……、人が人を、殺すこと……ですよね」
「ル、シェ……」
なんて───迂闊。
例え無意識によるものだったとしても、よりにもよって彼女の前では、決して口に出すべきではなかった。
サチの死因がPKによるものだったということばかりに気を取られて、目の前にいるルシェへの……サチの親友である彼女への配慮が、あまりにも疎かになっていた───!!
「どういう……こと、なんですか? ねぇ、ユノさん……、教えて、くださいよ。あの子は……、サチは、誰かに殺されたっていうんですか……!?」
「それ、は……」
親友を失ったというだけでも、こんなに悲しんでいるというのに。
その親友が、悪意を持った誰かの手によって、意図して殺害されたのだとしたら。
それを知った時、この子は───ルシェは。
サチを奪ったこの世界に、サチを奪った人間に、彼女を守れなかった自分に絶望して。
絶望して、絶望して、絶望して───最後には、壊れてしまうかもしれない。
サチの命を奪ったのが、同じ人間だったという現実は。この親友想いの少女には、あまりにも───残酷すぎる。
「ねぇ、ユノさんっ!答えてっっ!!」
なのに、僕は。
こうして何も言い出せずにいること、それ自体が、彼女の疑惑を肯定することになっていると、わかっていながら。
わかっていながら───何も、答えられなかった。
あまりにも残酷で、あまりにも重い、そんな現実を……否定することが出来ずにいた。
「月夜の黒猫団は……、サチのギルドは、いつか攻略組に追い付いて、他の人を守れるようになりたいって。それを目指して、みんな頑張ってるんだって……、サチはそう言ってたのに! なのにみんなは、サチはっ!守ろうとしてた人たちに、殺されたっていうんですかっ!?」
喉が裂けるのではないかというほどの悲痛な声で、ルシェが僕を問いただす。
最悪だ。彼女の悲しみに追い討ちをかけるような真似を、彼女を慰める側の立場であるはずの僕がしてしまうなんて───
「なんで……、なんでよぉ……!サチぃぃぃ……!」
「………」
あるいは、違和感なんて放っておけばよかったのか。
サチや黒猫団のメンバーたちは、不運にもアラームトラップを引いたせいで壊滅してしまった……そう、思い込んでいたほうが。真相なんて、知らなかったほうが。
僕の腕の中でボロボロになって泣き叫んでいる、彼女にとっても。
そんな彼女を抱きしめながら、迂闊に真相を暴いてしまったことを後悔している、僕にとっても。
少しは───慰めになっていただろうか。
───ちくしょう……。
普段リリアがついているような悪態を、胸の内で呟いた。
畜生、畜生、畜生と。何度も、何度も何度も、繰り返す。
全てが始まったあの日に、赤く染まった空を見上げながら感じた、“嫌な予感”が。
初めてのボス攻略戦に挑む時に感じていた、“嫌な予感”が。
最近ではあまり感じることのなくなっていた、“嫌な予感”が。
今頃になって、こんな形で、的中してしまうなんて。
本当に……最悪だ。
────────────
この時、僕はまだ知らなかった。
例えどんなに凶事が重なって、自分がどん底にいるように思えても。
それを「最悪だ」と思えるうちは───そんなことを考えている余裕があるうちは、まだいいほうなのだということを。
日本人にありがちな無神論者である僕は、世の中で言われている神様なんていうものは、そのほとんどが眉唾に過ぎないものだと思っていた。
だけど、もし本当に、この世に神様なんてものがいるのだとしたら。
「運命」なんていう安っぽい言葉で、これから僕たちに降りかかる出来事を、人の手の届かない領域から高みに見物しているのだとしたら。
そんな神様に、一言だけ言ってやりたいことがある。
例えそれが、以前あれだけ感謝しておいて、今更掌を返すことになるのだとしても。
逆恨みだろうが何だろうが、誰に何と言われようとも、これだけは言っておきたかった。
───あんたなんて、くそくらえだ。
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