Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
八月二日:『交わる道』
現在時刻、朝十一時半。現在位置、第七学区幹線道路。天候は快晴、不快指数は百パーセント。頭上からの直射日光と足下からの陽炎のダブルパンチで、茹だる暑さは青天井。
嚆矢は額の汗をタオルで拭いながら憎たらしいほどの青天を見上げ、『織姫一号』からの天気データを表示している飛行船を睨み付けた。
「暑いなぁ……」
「暑いですねぇ……」
「気の持ちようですの。暑い暑いと言うから、余計に暑くなるんですのよ」
同じく、暑さに辟易している様子の飾利と黒子の二人を連れて、『路地裏のマネーカード』の事案に対処して。今日も今日とて、外回りである。
「ホントだ、三回も言われると三倍は暑くなる気がするなぁ」
「白井さん……そんなに暑い暑い言わないでくださいよ~」
「……あなた方と会話していると、暑さ以外の熱が沸いてきますわ」
黒子に心から疲れた顔を浮かべさせて、嚆矢と飾利はペットボトルを煽る。飾利は普通の生理食塩水、嚆矢は────
「あァ~、不っ味ゥゥゥい! 不味い、不味すぎる! もうどんな意図でこれを商品化したのか分からないレベルに不味いィィィ!」
「そこまで言うなら、飲まなければいいのではありませんの?」
「いやぁ、でも何だか妙に癖になる味と喉越しでさ」
「もう勝手にしてくださいませな」
『大容量! 芋サイダー』と銘打たれた清涼(?)飲料水を、地団駄を踏みながら。突っ込んだ黒子に、更なる疲れを与えて。
結局、時間が惜しくて自室には帰らずに銭湯で済ませ、そのまま風紀委員の活動に来た嚆矢は────
「さて……んじゃ、次はこの路地裏だな。これが終われば昼休憩だ」
「ですです、パパっと終わらせちゃいましょう」
「まあ、異議はありませんの」
黄金の蜂蜜酒色の瞳で見詰めた、大通りからの小路。これで本日五つ目、午前中のノルマはここまでだ。
この後は、美少女二人と昼休憩。現金なもので、そう思うと俄然、元気とやる気が沸いてくる。るんるんと浮かれた気持ちで、スキップなどしながら路地に踏み込んだりすれば。
「………………………………」
「うぐ……あ、イテぇよぉ……」
「…………あ~あ、これだよ。本当、百分の一」
だから、心底盛り下がる。亜麻色の髪を掻き、溜め息を溢す程。路地の暗がりに無言で佇み、片腕で高校生くらいの少年を持ち上げている大柄な影と、その足元に転がり呻いている数人の少年達を目の当たりにして。
「どうしたんですか、嚆矢先輩……ひゃあ!?」
「そこまでですわ────風紀委員ですの!」
遅れて現れた二人の声により、その大柄の影────まるでゴリラのように厳つい顔の男が此方の存在に気付いたらしく、口を開く。
「……風紀委員、か。本当にお前達は……全てが終わってからでなければ来ないな」
「何ですって……!」
「そうだな。そんでテメェらは毎回迷惑を起こしてくれるよな────不良学生くん?」
重厚な、しかし抑揚の少ない、さながらコピー機のような声色で。手を離され、落ちた少年はそのまま泡を吹いて気絶する。
その男の挑発に、黒子が反応しかける。それを制するように、彼女の前に立つ。
「────此方はテメェらと違って暇じゃねェンだ、構ってちゃンは余所でやれよ」
「…………ほう」
両手で髪を掻き上げて、黒子や飾利の前では決して見せない暗部用の『悪鬼』としての表情を浮かべて、剣気を乗せた恫喝を。それを受けて、大男は初めて表情を変えた。
「……誰かと思えば、お前か。大体半年ぶりだな……対馬嚆矢」
「…………悪ィね、男に割く記憶容量は八バイト以下なンだ。初期ファミコン並みに飛ぶンで、自己紹介頼むぜ」
そのまま、腰に当てた右掌で『親指で押す』と『人差し指を回す』合図を出す。それに気付いた黒子は直ぐに辺りを目線のみで改め、飾利はスカートのポケットの中で何かを探る。その黒子と飾利は、嚆矢の影で見えはしまい。
「相変わらずだな……南蛮渡来」
「………………?」
知己に話すような大男のその物言いに、引っ掛かるモノがあった。半年前、こんな男に会っていたような気がして────
「────ッ!」
その思考の一瞬の隙、それを見逃されはしなかった。大男は、その巨躯からは想像も出来ない速さでもって肉薄し、もう目の前に迫っている巨大な右拳────を、“突キ小手返シ”で捉えて押さえ込む。
「────大した脚だな、武術……否、発条包帯か」
「……ああ、お前に見せるのは二度目だが……そちらも相も変わらず……大した腕だな、古流武術」
「俺も記憶してるさ、駒場 利徳……て事は、コイツらは『無能力者狩り』でもやってた訳か」
「察しが良くて助かる……そうだ……三人やられた。小遣い稼ぎ半分……遊び半分でな」
「だからやり返した、かァ? 知らなかったぜ、何時から学園都市はハンムラビ法典制度に移行したンだ?」
には至らず、見た目に違わぬ慮外の剛力を備える大男は嚆矢の『左手』による理合では押さえ込めずに、腕を伸ばして掌を絡み合わせた仁王立ちで。
背中越しに睨み合うような形で、同じ『技術』でありながらも正反対を体現する二人が鬩ぎ合う。
『……最近の風紀委員は……南蛮渡来のような金髪がいるのか』
その男……駒場利徳の姿を完璧に思い出す。今年の一月、どんな理由だったかは忘れたが────警備員の黄泉川 愛穂と共に制圧した、武装無能力者集団の三人組の事を。
「……痛みを知らぬ者に、痛め付けられる気持ちは解らん……学校では教えてくれない授業を……しているだけだ」
「ハ、御大層な御託だな。けど、『気に入らねぇからブッ飛ばした』で十分だろうに。態々、自分を『偽悪』に仮託しなきゃいけねェンなら────端っから仲良しこよしの『偽善』なンてやってンじゃねェよ」
「『偽悪』に『偽善』か……間違いはない……だがそれは貴様にも返る言葉だろう……同属よ?」
『同属』、と。その言葉に、心が凍る。有り体に言えば、つまり────
「ハ……全うに生きる機会を当たり前に持ってた癖に、社会からケツ捲って逃げ出したテメェらと一緒にしてンじゃねェよ────!」
反吐が出るくらい、ムカついて。『左手』で握り締めた『兎脚の護符』、励起するのは『灼光』と『軍神』の二文字。どちらも『身体能力強化』を持つルーンだ。
無論、その反動は『確率使い』により鋭い頭痛として顕れる。脳の一部を万力で搾ったかのような痛みが、理性を突き抜けて野性を呼び覚ます。
「……くっ……!」
「……ちィ……!」
その魔術により均衡が崩れ掛かるも、利徳は腕の『発条包帯』を起動して堪える。
図らずも、こんな場所で科学と魔術が鬩ぎ合う。片方は大兵の、科学技術による身体強化。もう片方は些か見劣りはするが大柄の、文字魔術による身体強化。
「離さなければ……圧し折るぞ……南蛮渡来!」
「此方の科白だってェンだよォ、独活の大木がァ!」
ミシリ、と軋むような嫌な音が。それは二人の肘から。どちらかが肘を曲げれば、確実に相手の肘が折れるだろう。
不利なのは、どちらか。利き腕で大反動の『発条包帯』を使う利徳か、或いは左腕で小反動の『神刻文字』を使う嚆矢か。
そんな二人を、黒子はじっと見詰め────その視界の端に、一瞬だけ煌めくものが見えた。
隣のビルの窓が、光を照り返した様子────に見せ掛けた『金属矢』が、嚆矢の首筋に向けて飛翔して。
「残念でしたわね────そうは問屋が卸しませんの」
「ッ……マジか、こんなお嬢ちゃんに俺の打ち根が……そりゃあ、伊賀滅ぶわ」
精密に空中で、空間移動した『金属矢』により撃ち落とされて。空気抵抗の乱れを受けて、矢は墜落する。
その『金属矢』を投擲した頭巾のような帽子の少年の目前に、両手に太股のホルダーから抜き取った『金属矢』を飛ばした黒子が現れた。
「指示通りに周辺の警戒をしておりましたもの、当然の結果でしてよ。そんな事より障害未遂の現行犯、貴方も捕縛させていただきますの!」
「上等だ、来いよ高位能力者。“武装無能力者集団”の力、見せてやる!」
嚆矢の『人差し指を回す』……即ち『周辺の警戒』を促すハンドサインを受けたからこそ、彼女はこの少年の存在を察知して迎撃、捕捉が出来た。
同じ『金属矢』を獲物とし、『相手の意表を突く事』を得意とする二人が相対して。
「────シッ!」
均衡は一瞬で。再度、少年は目にも留まらぬ速さで投擲し────
「甘いですの!」
黒子は目に留まる要素すらない、十一次元を経由した投擲により『それ』を撃ち落とした。
「ああ────全くだな、駒場!」
「────なっ!?」
細長い、スプレー様の『催涙弾』を。直ぐ様破裂したそれは、小さな路地裏程度は白一色に染め上げて。
利徳は嚆矢と対峙したままで、彼の名を叫んだ少年と全く一緒に。その投げ渡した、水泳用のゴーグルと塗装用のマスクで作ったと見える手製のガスマスクを片腕で被る。
「黒子────ッ!!」
一方、白煙に呑まれた黒子に意識を逸らした嚆矢。有り得ざる隙だ、そして次の刹那にはもう────バキリと、生木を割くような不快な音が。
「油断大敵……だ」
「──────────────」
喉まで上った声を、食い縛った歯で押し留めて呑み込む。梃子の原理で関節が逆に曲がった左腕が、まるで火が着いたように熱く痛み────
「退け────邪魔してンじゃねェ、三下ァァァァッ!!!!」
「────ぐふっ!?」
その『折れた左腕』で、鳩尾の僅かに右に打ち上げる肘打ちを貰う。所謂、肝臓の位置だ。
如何な大男はだろうと、急所は急所。しかも魔術による身体強化を受けている者からの渾身の一撃。常人ならば、背中から肝臓が転がり落ちても何ら不思議ではない。
それを片膝を突いたくらいで耐え切ったのは、一重に利徳が弛まぬ努力によりアスリート並みに身体を鍛えていたからに他ならない。
追撃に備え、直ぐ様彼は腕を構えて────既に白煙の中央に走り込んでいる学ランの背中と、入れ違いに横に立った仲間の姿を見た。
「大丈夫か、駒場? あんたが膝ァ突くなんて……」
「……心配するな……一撃貰っただけだ……半蔵」
「そうか、ならいいんだけどよ。しかし相変わらず無茶な奴だな、あの“裏柳生”は」
もう、何ともなさげに立ち上がった利徳と共に路地の隙間に逃げ込みながら。服部 半蔵は、既に見えなくなっている『誰か』に対してそんな事を口走って。
走り出た通り、其処にエンジンを唸らせる一台のバンのスライドドア。まるで待ち侘びるように開かれていた其処に、走り込んだ。
「ずらかるぞ、浜面! 風紀委員に見付かった!」
「オイオイ、ヘマ打ってんなよなァお二人さん。しかも警備員ならともかく、風紀委員って……」
呼び掛けた運転席から返った軽薄な科白は、ブリーチした髪の少年のもの。ドアを閉めた二人に向けてサムズアップした浜面仕上は、間髪入れずにアクセルを目一杯に踏み込んで。
「馬鹿野郎、あの時の風紀委員なんだよ! “裏柳生”の!」
「ああ……一月の時の……南蛮渡来の風紀委員だ」
「……マジかよ、あの不良風紀委員?! え、じゃあまさかあの化け物警備員も!?」
「「アッチが居たら……今頃はここに居ないだろ」」
「ごもっとも……嫌な汗掻いたぜ……ん?」
危うくハンドル操作を誤りそうになるくらい取り乱しかけた仕上だが、ふうと溜め息を吐いて何とか気を取り直したらしい。
落ち着きを取り戻した彼はカーナビに従って高速に入ろうとハンドルを切り────行く手を遮るように目の前に停車した、助手席に花束でも積んでいるらしい軽車両を見る。両横には分離体があり、通るのは無理だ。
「チッ……何やってんだ、邪魔だな! さっさと退けよ!」
クラクションを一回、二回。更に長押ししてパッシング。それでも前の車両は動く気配はなく。
サイドミラーに見える後ろの車両、黒っぽいトラックも直ぐ其処まで迫っていて。
「……おい、半蔵……」
「ああ。な~んか……嫌な予感してきたんだが」
辺りを見回す。昼間だと言うのに、他の車がない。まるで、交通規制でもしているみたいに。
そして、カーナビの画面に────
『“You are guilty” by-Goal Keeper』
の一文が表示された瞬間────バンを取り囲んだ警備員の一個小隊。『親指で押す』……即ち『警備員に通報』を行った飾利が呼んだ、警備員達が。
三人は絶句していた。その状況にではない。非殺傷のゴム弾が詰まったライフルを持つ多数の男性警備員になど、目もくれず。
「さあってと────久々に暴れられるみたいじゃん?」
「「「──────────」」」
目の前の車両から降りた、たった一人の警備員。桔梗色の髪を一房に纏めた、アクリル製の『楯』のみを持つ、女性警備員に────…………。
………………
…………
……
路地裏から歩み出た二人は、近場のベンチに腰を下ろす。そして嚆矢は自販機で買ってきたペットボトルの水を、目許をハンカチで押さえた黒子に差し出す。
負傷に加えて不甲斐なさで落ち込んでいるらしく、肩を落としている黒子の隣に座って。
「けほっ、こほ……面目次第もありませんの……」
「なぁに、悪いのは俺だ。判断誤った、御免な黒子ちゃん」
催涙ガスのせいで一時的に視力を失った彼女の肩をぽんぽんと叩きながら、努めて軽い口調で。見えはしないだろうが、頭を下げる。
幸い、強いガスではない。『治癒』の力を流し込んだこの水……ケルト神話に謳われる『フィオナ騎士団』の騎士団長フィン=マックールの伝承に準えた、その水で応急処置は十分だろう。
自分の腕は取り敢えず、『直す』事にした。この程度の脱臼、別に魔術を使うまでもない。押し込めばそれで終わりだ。早速、外れている肘から先を右手で掴み────脈や摩擦感を確認した後で、一息に。
「いいえ、わたくしの失態ですの。迂闊に迎撃などせずに、ちゃんと見てから対応していれば……初春に呼ばせた警備員の手を煩わせる事も」
「否々、どうせ捕まえたら警備員に引き渡すんだし。早いか遅いかの違いだけ────さッ!!」
ゴキリ、と鈍い音を立てながら引く。意識が飛びそうな痛みが走るが、この少女の前で呻いたり喚いたり、そんな無様は働けない。
だがしかし、目を洗っていた少女は僅かに空気が変わったのを感じたらしく。
「今、何か変な音がしましたけれど……」
「気のせい気のせい。それより、早めに手当てしないとな……さて、役得タイム!」
「ふあっ?! ちょっ、嚆矢先輩────っ!?」
それを誤魔化す為に、それ以上に早く病院に連れて行きたいが為に。直したばかりの腕も使い、所謂『お姫様抱っこ』状態で。
「ひっ────ひゃ!?」
見えずともどんな状態なのかは理解して、慌てて暴れかけた黒子だが……目が見えない状態ではその程度の不安定すら、絶叫マシーン並みの恐怖をもたらして余りある。
彼女は思わず、その慎まし過ぎる胸ごと嚆矢の頭に手を回してしまった。
「イヤッホォォォウ! こいつァあ嬉しい誤算だ、元気百倍だぜェェェ!」
「こ、この変態~~っ!」
その事だけに、意識を集中する。鋭く走る痛みも、気にしなければ無いものと同じだと昔の偉い人が言ったとか言わないとか。
《いや、言わぬであろ》
(煩せェ黙ってろよ痛ェだろ)
背後に沸き立つ“悪心影”の突っ込みを切って捨てて。そんな事よりも。
兎も角、走り出す。幸いと言うか、彼が知る内で最高の名医である、あの『カエル顔の医師』の病院はこの近く。『駿馬』のルーンを起動している今、五分と掛かるまい。
「もっとしっかり掴まってな────少し急ぐからさ!」
風を斬って走る。魔術による身体強化の恩恵、余りの速度に何度か他の通行人に振り向かれたりしながら。しかし構ってなどやらずに。
途中、黒髪と茶髪、扇を持った三人組の常盤台の女学生を追い抜いて。何やら声を掛けられた気もしたが、それすら振り払って。
まるで、彼女の自虐を置き去りにするかのように。そんな男の顔を、腕の中から。まだ涙に霞んでいる瞳で見詰めながら。
「本当に…………貴男って方は」
呆れたような、諦めたような。そんな言葉を漏らしながら────微笑んだ黒子に、気付く事無く。
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