雲は遠くて
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76章 モリカワのお花見の会
76章 モリカワのお花見の会
3月28日、土曜日。うららかな春の日差しが暖かい、青空の正午ころ。
下北沢駅南口から、歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、
モリカワが主催の、お花見の会が始まっている。
ライブ・レストラン・ビートの日当たりのよい南側には、雨除けの屋根のある
オープン・テラス・カフェがある。4人がけの丸いテーブルが15卓あった。
モリカワの社員や招待の客で、すべてのテーブルは満席である。
カフェの芝の庭には、ソメイヨシノ(染井吉野)や、
山桜、雛菊桜、豆桜、大島桜、河津桜などの桜が植わっている。
ほぼ満開のソメイヨシノの近くのテーブルには、
川口信也と清原美樹と小川真央と松下陽斗の4人がいる。
青空の中、淡いピンクに染まるソメイヨシノの、神秘的な美しさに、心も弾む、美樹であった。
・・・お父さんと、森川社長は、いつも仲がいい。幼なじみなんだから、自然なんだろうけど・・・
そんなことを思いながら、隣のテーブルで、愉快そうに声高らかにわらっている、
美樹の父の清原和幸と森川誠を、美樹は見る。
「美樹ちゃん、真央ちゃん、入社、おめでとうございます!
陽ちゃんは、いよいよ、大学も卒業で、
本格的にピアニストとして活動できるわけですよね。おめでとうございます!」
川口信也が、清原美樹と小川真央の二人に、目元のやさしい笑顔でそういった。
美樹と真央は、早瀬田大学を卒業して、外食産業のモリカワに就職が決まったのだった。
東京芸術大学を卒業した松下陽斗は、プロのミュージシャンとしてやってゆく。
「ありがとう、しんちゃん。わたしも、モリカワさんに就職できて、よかったわ。ねっ、真央ちゃん」
「ええ、わたしも、モリカワさんで、よかった。モリカワさんの社員本位の経営理念って、
徹底しているですもの。わたしたちみたいに、芸能活動もしながらでも、
モリカワさんでは、それを応援してくれるんですもん。最高にいい環境の会社です。ねっ、美樹ちゃん」
「うん。モリカワさんは、人間本位で、働きやすそうで、理想的な会社だと思います」
美樹もそういって、はちみつサワーに、口をつけた。
テーブルには、枝豆、焼き鳥、から揚げ、卵焼きなどのお花見料理の定番がそろっている。
「モリカワは、派遣やアルバイトの人にも、福利厚生を重視していますからね。
ぼくも、感心することばかりですよ。森川社長は、会社経営を芸術活動のように、
人に感動を与えるもんじゃないといけないと、考えていますからね。すごい人ですよ。あっはっは」
そういって、わらって、スーパードライの生ビールを飲む、信也だった。
「おれも、モリカワ・ミュージックに入れさせてもらっていて思いますけど、印税とかの面でも、
他者と比べても、よくしていただいてますよ。まったく、悪徳業者や、ブラック企業、
自分だけ良けれいいという不心得者ばかりのような世の中に、
心の洗濯をさせていただけるような、ホワイト企業ですよ、モリカワさんは!あっはは」
そういって、美樹の彼氏の陽斗がわらった。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの話で、意気投合して、話に熱くなっている、信也と陽斗であった。
「バッハの音楽は、キリスト教的でありながら、
キリスト教を越えた普遍性を持っていると、ぼくも思うんですよ。
だから、無信仰の人にでも、いまも感動を与えるんだと思うんです」
生ビールでいい気分の、陽斗が信也にそう語った。
「そんなんですよね。はる(陽)ちゃん。バッハの音楽は、崇高さというか、
壮大なスケールの美しさと同時に、
人間らしさというか親しみやすさの、聖と俗とでもいうような、両面をもっていて、
芸術性としては、最高峰なんだと思いますよね。
それは、まるで、詩人で童話作家の宮沢賢治を思わせるような、感じもするんです。
賢治も、仏教の法華経を信仰していたようですからね」
「何かを信仰するかどうかは、ともかくとして、ぼくは、愛する力とでもいうのか、
そんな、愛ということを、大切にしていく考えが、必要な気がするんです。
ねえ、美樹ちゃん」
「うん、そうよね。はる(陽)くん。ニーチェも、こんなこと言っているわ。
『人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら、
忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。こうして、人間であることを終わってしまう』とか、
『誰かを愛するようになる。すると、よい人間へと成長しようとするから、
まるで、神に似た完全性に近づくような人間へと成長していくこともできるのだ』とか・・・」
「おおお、さすが、ニーチェですね。いいことを言っているよね。美樹ちゃん。
ぼくは、最近、脳科学者の茂木健一郎さんの本を読みふけっていてね。
茂木さんは、『物質であるはずの脳が、なぜ、意識を持つのか?』
という不思議としか説明のしようのない難問を真面目に研究している人で、
そのことだけで、ぼくなんか、尊敬しているんだけど、その茂木さんは、
『意識の素と言ってもいい、クオリア(質感)と呼ばれる神経細胞による脳内現象の、
起源が、もし解明されれば、アインシュタインの相対性理論以来の、
最大の科学革命になるだろう』って言っているんだよね。
あっはは。むずかしい話をして、ごめんね。
ぼくが言いたいことを、簡単にいえば、茂木さんは、『物質である脳が、意識を持つこと自体が、
不思議な奇跡である』って言っているんですよ。
ぼくはその言葉に、素直に感動しちゃうんですよ。そして、つい、ぼくは思っちゃうんです。
愛の正体って、これなんだ!ってね。物質である脳が、意識を持つということが、
愛による奇跡であって、愛の力の偉大さの証明だってね!
でも、ぼくはホント、そう思うんですよ。これが愛の正体であり、愛の力なんだってね。
あっはは。酔っぱらいの、バカげた話っぽいかな。あっはは」
「そんなことないわ。しんちゃんの考え方、わたしも、わかる気がするもん」
と、美樹がそういって、信也に微笑む。真央も陽斗も、「わかる、わかる」といって、うなずいた。
「私たちが生きてゆけるのって、愛の力があるからだと思うわ!」
美樹がそういった。みんなは明るくわらった。
≪つづく≫ --- 76章おわり ---
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