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IS<インフィニット・ストラトス> ―偽りの空―

作者:★和泉★
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  第四十五話 様々な想い

 時は少しだけ遡る。
 銀の福音の暴走の報せが届く少し前、IS学園にも不穏な影が忍び寄っていた。

 一般生徒どころか教師ですら、極一部を覗いて存在を知らされておらず、立ち入る者のいない空間。にも関わらず、今この場所に足音が響いている。
 コツン、コツン、と一定の間隔で聞こえるそれは、光の届かぬ暗闇の中でも迷うことなく歩んでいる証でもあった。当然、学園内にある秘匿空間である以上はセキュリティも厳しい。音の主はこの場所を熟知しているのか、甲高い音を鳴らしながらただひたすらに突き進む。

 コツン、コツ……ン。突然、常に一定だったリズムが崩れ、続いて静寂が訪れる。だが、それも長くは続かない。

「隠れていないで、出ていらっしゃい?」

 聞こえてきたのは女性の声。正規の手段でこの場にいる訳ではないにも関わらず、その声には微塵も躊躇いはなく落ち着いている。その声音は決して若い娘ではなく相応の年月を重ねた、しかしハリがありどことなく妖艶さを感じさせる妙齢の女性のものだった。

「あら、バレちゃいました?」

 一方、彼女の問いに答えたのも同じく女性、しかしこちらは若く、その声はどこか戯けて聞こえる。同時に明かりが一斉に点き、周囲の状況が露わになった。巨大な扉のある開けた広場、そこからは一本の長い通路が伸びている。周囲は金属に覆われており機械的だ。そしてその場に二人の女性が対峙している。

「何故あなたがここにいるのかしら、更識さん?」

 一人は更識楯無、言わずと知れたこの学園の生徒会長だ。

「その言葉、そっくりそのままお返しします。あなたは今、臨海学校への引率でこの学園にはいないはず」

 そして、もう一人。ふんわりとした長いブロンドの髪の、スーツ姿の女性……。

「……そうですよね、ミュラー先生?」

 IS学園の教師であり紫苑達の担任でもある、シンディー・ミュラーだった。

「いえ、むしろこう呼んだほうがいいかしら? 亡国機業幹部……スコール・ミューゼル」

 楯無は淡々と言葉を紡いでいく。当初あった、教師に対する丁寧な口調はもはや消えている。

「ふ、ふふふ。あっはははははは。そう、気付いていたのね。ねぇ教えてちょうだい、いつからかしら?」

 自身が亡国機業の人間であると決めつけられたにも関わらず、あっさりとそれを認めるような発言をするシンディ……いや、スコール。しかし彼女は悪びれることもなく、自分の正体が目の前の少女によって看破されたことが、ただただ面白いといった様子だ。

「確信したのはたった今、ね。スコール・ミューゼルだと思ったのは、近年のあなたに関する数少ない情報が、シンディ・ミュラーの特徴と合致していたから、一つの可能性として考えていたの。そして、織斑先生がいないタイミングでこの場所に現れる人間なんて、亡国機業と疑ってかかって当然でしょ?」
「ふふ、そう。まぁ、別にもうここを去るつもりだったからどうでもいいのだけれど」

 楯無の言葉に動揺することもなく、心底なんでもないようにただ頭を振るスコール。

「でも、私からも聞きたいわ。あなた……何歳なの? スコール・ミューゼルの名前は、30年以上前から記録に残っている。でも、今のあなたの姿はとてもそんな歳には見えない」

 楯無が得た情報によると、かつてスコールは米軍に所属していた時期もあり、しかしそのとき登録されている容姿とはかけ離れている。そもそも逆算すると、年齢からして既に50歳近いはずなのだが、目の前にいるスコールの容姿は30歳前後と言われてもおかしくない。別人の可能性も無くはないのだが……。

「ふふ、レディに年齢に関して聞くなんてマナーがないわね。まぁ、いいわ。それにしても、だったらなおさら私を疑う理由なんてないと思うのだけれど?」
「そうね、あなたを疑うに至ったきっかけ……それは紫音ちゃんを見るあなたの目が厭らしかったからよ! まるで興味深い研究対象を見るような目だったわ、もっとも最初はそっちの気があるかとも思ったけれど……」

 はぐらかすように、逆に質問で返したスコールに対して楯無はやや感情的に答える。
 それを聞いたスコールは、表情をわずかに崩す。まるで、何を言っているのかよくわからないといった様子でポカンとしている。しかしそれも一瞬で、理解が及んだのか額に手をあて、憚ることなく笑い出す。

「あはっ、あははは! そんなこと。だって仕方ないじゃない? なにせ()は……」

 スコールが全てを言い終わる前に、楯無はISをフル展開してミステリアス・レイディの武装、蒼流旋で彼女に襲いかかる。

「あなた、どこまで……!」

 しかし、そのスコールには届かない。蒼流旋の先端が彼女の胴へと到達する直前、何かにぶつかるようにして止められる。一般的なバリアや絶対防御とは違う感覚に楯無はチラリと視線をやると、そこには黄金の膜のようなものが槍先を防いでいるのが見てとれた。

「あっははは、ようやくあなたの驚いた表情が見れたわね。そうよ。世界で初めての、ISを動かした男の子。ずっと観察していたんだもの、それこそあなたよりも彼のことは知っているわ」

 癇に障る、甲高い笑い声に一層表情を歪める楯無。それが相手の思う壺だとわかっていても、情報戦において、しかも致命的な部分で自分が後れを取った事実。それがどうしても我慢ならなかった。

「なおさら、あなたをこのまま帰す訳にはいかなくなったわ」

 そう言うや、楯無は一旦距離を取り、構え直す。

「ふふ、私だって目的を果たしていないもの。あなたを倒して、その先に封印されている暮桜を確保したら、のんびり帰らせてもらうわ」

 そう、二人がいるこの場所……ここはIS学園の地下にある特別区画。ここにはかつてブリュンヒルデと呼ばれた織斑千冬の愛機、『暮桜』がとある理由により凍結封印されている。
 もちろん旧世代の機体ではあるのだが、かのブリュンヒルデの機体ということでその行方を捜す国は多い。にも関わらず全く情報は公にされていなかった。

「ずいぶんと自信がおありみたいね。私がそう簡単に通すとでも?」
「あなたのことも、入学以来見ていたわよ。だからこそ、よ。その程度なら問題ないもの」

 繰り広げられる言葉による応酬。お互いが自分の力に絶対の自信を持ち、譲らない。

「なら……試してあげる!」

 侮るようなスコールの発言も意に介さず、楯無はとある武装を展開する。

「これは……!?」

 その瞬間、何かを察したスコールがその場から飛び退こうとするが、何かに腕を掴まれてしまい体勢が崩れる。しかし腕に周りには何もない。楯無も、赤い翼のようなものを広げているだけで元の場所から動いていない。ただ自分の腕だけが切り離されたかのように動かすことができず、その場に固定されてしまっている。
 
「あら、やっぱり難しいわね。座標が少し狂っちゃったわ。でも、まぁ拘束には成功したし問題ないわね」

 その楯無の言葉から、彼女が何かしらしたのだろうことはスコールにも理解できた。しかし、それが何かまでは思考が追いつかない。

「……何をしたのかしら?」

 未だ落ち着いた様子で、そう訪ねるスコール。

「素直に教えると思っているのかしら。ま、私もいつまでも今のままではいられないってことよね……まだまだ、負けあげられないもの」

 その時に楯無の脳裏に浮かんだのは、誰なのか……。

 今、スコールを拘束しているのは言うまでもなく楯無によるものだ。その名を、沈む床(セックヴァベック)と言う。彼女がつい最近発現させたばかりの単一仕様能力(ワンオフアビリティ)だ。
 紫苑との戦いを通して、彼女もまた現状の自分に満足できずにいた。自然と、さらなる力を望む、いずれ自分に追いつくだろう紫苑を失望させないために……。
 しかしながら、未だに二次移行の兆しはなくその糸口も見つかっていない。基礎力などの向上は、こう見えて今までも相当の努力を行っているので、劇的な変化は起こせない。そこで力となったのは、タッグトーナメント以来少しずつ関係の改善されていた、妹の簪だった。ISの整備開発に関しては、姉の楯無をも上回る簪。その才能は紫苑との邂逅でさらに加速した。

 そんな簪に、楯無は相談する。今以上にISの性能を引き出す方法はないか、と。

 そして導き出された答え、それが彼女の背中に展開される赤き翼、『麗しきクリースナヤ』。専用機専用パッケージ『オートクチュール』である。簪が楯無のために作り上げたそれは、ミステリアス・レイディの出力を大幅に上げ、擬似的に二次形態に匹敵するレベルまで押し上げた。結果的に発現した楯無の単一仕様能力。

 それは、超広範囲指定方空間拘束結界。なにせ、対象を空間に飲み込むのだ、その拘束力はラウラのAICを遙かに上回る。もっとも楯無自身がまだ完全には使いこなせていないため、今回はスコールの片腕の拘束にとどまったが。

「確かに。それにしてもこれは想定外ね。でも……」

 この後に及んでもなお余裕を残すスコール。しかし、それは意外な形で崩れることになる。

『スコール、イレギュラーが発生。目標がルートを急に変えた。このままではエムと鉢合わせになる。私も追うが、間に合わないかもしれない』

 突然の通信に、ついにスコールの表情が歪む。楯無にはもちろんこの通信が聞こえていないが、スコールの様子から何かがあったことは悟っているようだ。

「はぁ、ここまでね。残念だけど、今回は暮桜を諦めるわ」
「このまま帰す訳ないでしょう!」

 その言動に不穏なものを感じた楯無は、すぐさま蒼流旋を構えて接近を試みるが、スコールはここで思いがけない行動に出る。

 拘束されている自らの腕を……ねじ切ったのだ。
 
「なっ!」

 その行為に、さしもの楯無も驚愕を隠せないがそこで止まるような真似はしない。だが、続くスコールの動きに、止まらざるを得なくなる。

「また会いましょう、生徒会長さん」

 言うや否や、スコールは自身のISで火球を生み出し、未だ宙に浮いているように拘束されている腕に向けて放つ。それが着弾すると同時に激しい爆発が起き、すぐ近くにいた楯無は大きく吹き飛ばされる。

 防御は間に合ったもののその一瞬の隙は致命的で、体勢を立て直したときには既にスコールの姿はない。

「なんてこと……。紫苑君……っ」

 学園長には既に連絡をしているのだが、この場に未だ応援がきていないということは情報の秘匿を選んだということだろう。それほどまでに、この空間の存在は一般には知られていない。つまり、スコールはこのまま逃げおおせる可能性が高いということだ。

 そしてそれは同時に、西園寺紫音が男であるということが公になる可能性が高いことを意味した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 戦闘には決着がついたものの、紫苑は困惑していた。
 ナターシャが意識を失う間際に彼に告げた『この子を助けて』という言葉。なぜ先ほどまで戦っていたはずの相手に助けを求めるのか。『この子』というのが、彼女の纏うIS……『銀の福音』であることは直前に交わされた僅かばかりの会話からも感じ取ることができた。しかし、一体何から守れというのか……それが紫苑には理解できなかった。

 しかし、その答えはすぐに齎された……彼の腕の中で活動を停止していた銀の福音そのものによって。

(これは!?)

 今まで荘厳な輝きを放っていたその機体が、突如変色したのだ。しかも、何やらドロドロとした液体のようなものが漏れ出てきている。その様子に紫苑は思わず顔を顰める。
 彼にとっても忌まわしき記憶の一つ、かつてラウラ・ボーデヴィッヒを襲ったプログラム『ヴァルキリー・トレース・システム』の発動時と酷似していたからだ。

 意識を一瞬だけ、戦闘中であろう一夏へと向ける。すると、満身創痍ながらも上空に停滞している彼と箒、そして海へと落ちていくエムの姿を捉えた。それを確認してホッとしたのも束の間、彼はすぐに行動に出る。未だ残る疑問などは頭の中から消え、ただ目の前の存在を救うことに集中し始めた。

 何故、紫苑は敵であったはずのナターシャを助ける選択肢を躊躇いなく選んだのか。彼はもともとお人好しなのかもしれないが、決して聖人君子ではない。密漁船を庇った一夏との会話からも垣間見えるが、基本的に身内には甘くそれ以外……特にその身内を害するものには容赦がない。もっとも自分に関しては無頓着なところもあるが……ともかく、これは幼少のころからの経験や、篠ノ之束との邂逅が影響していることは言うまでもない。そもそも、彼にとっての身内とは今まで束のみだった。父親や、千冬ですらその範疇にいなかったのだ、IS学園へ入学するまでは……。
 楯無やフォルテ達との出会い、そして皮肉にも紫音という偽りの姿によって生み出された平穏によって、彼の意識は少しずつ変化していった。何度も、束のためならば、例え千冬や楯無が相手だろうと、それが不可避ならば敵対もやむなしと覚悟したつもりだった。それは今でも躊躇いなく実行できるのか、もはや彼自身にもわからない……いや、紫苑はあえてその問いを思考の片隅に追いやっていたのかもしれない。

 そういった意識の変化とは別に、彼はもともと悪意というものに敏感だった。
 彼が純粋に紫苑として姉と共に生活していたころ、自分に向けられる視線や感情は決して好ましいものではなかった。たとえ相手が表面上は取り繕っていたとしても、その裏にある侮蔑や嫌悪、敵意といったものを感じ取ってしまう。
 だからこそ、純粋に自分だけを見てくれる束に懐き、事情を知らぬとはいえ自分を慕ってくれる学園の生徒たちにまで、戸惑いつつも愛着を持ち始めてしまっているのだ。

 ではナターシャはどうかというと、実は紫苑は戦闘中そういった感情は一切感じていなかったのだ。
 エムからは明確な敵意と殺意を感じたが、銀の福音……ナターシャからはそういったものが全く読み取れなかった。暴走している、とは聞いていたので意思に反しているのだろうかと思ってはいたが、意識が戻りながらも攻撃してきた際、やはり明確な敵意までは感じられずにいた。
 そして、最後の言葉により混乱しているところに起きた異変である。もとより敵なのか判断ができずにいる相手からの『お願い』であるが、それを無視することはできなかったようだ。

 もはや迷いが無い以上、行動も早い。紫苑はかつてヴァルキリー・トレース・システムにより暴走したラウラにそうしたように、すぐに自身のISからコード引っ張りだして直結、ハッキングを試みた。

(おかしい……確かにあの時と似ているけど、エネルギーがコアに集まっている。無理やり高めたエネルギーを全てコアに送り込んだら……まさかそれが狙い!?)

 過剰なエネルギーが限界を超えて一カ所に集中すればどうなるか。ロクなことにならないだろうことは、容易に想像できる。ましてや、ISというものは操縦者とも密接にリンクしているのだ、このままいけばナターシャ自身にも何かしらの影響が及ぶことは間違いない。

(やっぱり、VTシステムとは違う。なら、このプログラムの本来の目的は……ん?)

 コアへのエネルギーを分散させる操作を行いつつ、根本の原因を探ろうとする紫苑だったが、ようやくその糸口をつかむ。

(この部分はVTシステムとは共通しているけどベクトルが逆だ……。この数値が影響するもので、可能性があるものは……フォームシフト!)

 いくつもの可能性を考察しながら、彼はようやくその答えを導き出す。

(そうか、元々は人為的にフォームシフトを促すためのプログラムだったのか! それが原因で暴走、その上で僕らとの戦闘が引き金でセカンドシフトまで起こった……? でも僕以外からもハッキングを受けた形跡が微かにに残っている……暴走直後? 巧妙に隠されているけどこのやり口は……いや、今はそれよりこの異変の原因を止めないと!)

 次第に明らかになってくる原因や、いつぞやも感じた既視感。混乱しそうになる頭を振り払い、紫苑は必死に異変を食い止めようとする。少しずつプログラムの影響を取り除き、やがてその本体を突き止めて消し去ることに成功。
 黒ずんでいた機体も徐々にその輝きを取り戻し、異変も終息した……かと思われた。しかし、直後。

(しまった、コアネットワークを使った強制アクセス!)

 突如として別のプログラムが起動した。それは先ほどまでのような未知のものではなく、目的もはっきりしているもの……自爆プログラムだった。しかも、それはハッキングのような類ではなかった。であれば、それが可能なのはこの機体の直接の管理者のみであろう。
 その上で、紫苑のハッキングが向こうにも把握されているのか明らかにそれに対する抵抗があった。結果的に後手に回らざるを得ない紫苑は徐々に押される形となる。
 
 間に合わない可能性が脳裏に浮かぶ中、意外な形に状況は変化する。

(えっ? そんな、ISコアが……自壊していく!?)

 突然、ISコアが崩壊を始める。そして、直後に相手からの抵抗が消える。コアネットワークがISコアの崩壊により切断されたのだ。

(まさか、コアが自分で……? 君も、この人を守りたいの?)

 そのままプログラムを止めることができなければ、操縦者まで危険だったのは間違いない。しかし、コアネットワークを介した抵抗さえなくなれば、すぐに紫苑が止めることができるだろう。
 それはただの偶然なのか……しかし、紫苑はそれはコアの意思だと感じた。

 しかし……。

(でも、それじゃ駄目なんだ……!)

 このままでは銀の福音のコアは跡形もなくなってしまう。再生は可能だろうが、それはもはや別のものであり、操縦者……ナターシャが守りたかったソレではなくなる。
 だからこそ、紫苑はこのまま終わることを良しとしなかった。

 銀の福音が稼いだ僅かな時間。その隙に、すぐさまプログラムを停止させ、排除することに成功。すぐさま自壊が進むコアの修復に取り掛かる。
 もちろん、設備も道具もない海上でできることはたかが知れている。それでも完全に消え去ることを食い止めることができれば、あとは学園でも対処は可能だった。
 そして、それができるだけの技術を紫苑は束から受け継いでいた。

 とはいえ、それでも簡単なことではない。コアの修復に集中するあまり、次第に彼の意識は天照のコアを通して銀の福音のコアへと溶けこんでいく。それはさながら、『相互意識干渉』のようであった。
 本来では操縦者同士で起こる現象、それに近いものがコアとの間で起こったのだ。まるでISコアに意思があるかのように。

(……!? 僕の中に……何かが流れこんでくる。これはコアの……記憶?)

 自壊時の影響か、それは断片的なものだったが、この事件の裏を知るに十分なものだった。
 操縦者であるナターシャのこと、彼女の上司との通信記録、そして……束によるハッキングの形跡。

 彼でなければ見過ごしていたであろう、ほんの僅かな痕跡。それが示したものは、束によって銀の福音がこの場に誘導させられたという事実だった。

「束さん……、僕にはわからないよ。別れ際に言った、『やりたいようにやればいい』というのはこのことだったの?」

 思わず漏れ出した彼の思い、しかしそれに答えてくれる者は今はいない……。

 そして……、考える時間すらも彼には与えられなかった。

「なっ!?」

 突如として、光の雨が降り注いだ。それは自分のところだけではないようで、ナターシャを抱えたまま回避行動をとりながらも周囲に視線を向けると、一夏や箒もこの謎の攻撃に晒されていた。

「織斑君、箒さん!」

 紫苑と違って、大きく疲弊していた二人は完全に避けきれていない。このままでは致命的なことになるのは目に見えていた……だが、幸いにもこの光の雨はすぐに止んだ。

 二人が無事なのを確認した紫苑は、すぐに周囲を探る。すると、一つ反応が増えていることに気付く。そこに視線をやると、見えたのはエムを抱える黒いISの姿だった。

「あなたは……!」

 それは、かつてオータムとともに学園に現れた……リラと呼ばれていた者。

『まったく、私の仕事はお守りではない』

 それはきっと、同じように以前オータムを連れ出すことになった時のことも含むのだろう。

「リラ……ですか?」

 このタイミングで新たな敵。紫苑はただ、そう問いただすのがやっとだった。

『その問いに答える必要性を感じない。ここは見逃してあげるから、そこの二人を連れて帰るといい』

 そう言いながら、一夏と箒を指さす。満身創痍とはいえ、気絶しているエムとは違い動くことができる。リラは、謂わば三対一の状況であるにも関わらず、見逃す、とそう言い放ったのだ。

『理解できない? あなたも荷物を抱えているし、交戦すれば、自分も無傷とは言わないまでも、瀕死の二人にトドメを刺しつつ逃げるくらいはできる。でも、それは面倒だし、私の仕事ではない。だから、見逃すと言っている』

 ただ、単に事実を述べているだけ、といった様子で無機質に語るリラ。一夏が何か叫ぼうとしているが、箒に止められている。彼女は、状況がわかっているのだろう。一方の紫苑も悔しさに顔を歪めながらも、言葉を発することができない。

『理解できたなら重畳、それじゃ』

 そう言い残し、あっさりと背を向けてその場を去って行く。

 その際、リラのフルフェイスタイプのヘルムから髪が靡いた。全身黒ずくめの中で、膝裏近くまで伸びる美しい銀髪が、紫苑の脳裏に焼き付く。

 紫苑達は、様々な感情を抑えながらも、彼女らが立ち去るのをただ見送ることしかできなかった……。


 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 エムを救い出し戦闘空域を離脱したリラは某所において、同じく楯無との戦闘を逃れてきたスコールと合流する。

「手ひどくやられたみたいね」

 スコールはエムの様子を見ながら肩を竦める。

「きさ……まに、言わ……れたくは、ない!」

 いつの間にか意識を取り戻していたらしいエムも、片腕を失っているスコールを見て言い返すが、やはり傷が深いのか声に力はない。

「五十歩百歩」

 一方のリラは、感情が込められている様子もない声で一言漏らす。

 と、そのとき……。

「やぁやぁ、こんにちは」
『!?』

 この場にいるはずのない四人目の声が響き渡る。ここは、亡国機業の拠点の一つである。そこに予期せぬ来訪者、三人は一気に警戒を高める。

 そして、三人が目にしたのは……。

「今日は君たちにいいお話を持ってきたよ」

 篠ノ之束の姿だった。


 
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