ソードアート・オンライン~神話と勇者と聖剣と~
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ワールド・プレディート~クロスクエスト~
ワールド・プレディート
時よ止まれ、と、願ったことはないだろうか。
今自分の隣にいる人と、永劫安らかにふれあっていたいと、思ったことはないだろうか。
今ここに在る幸せに、永久に変わってほしくないと、望んだことはないだろうか。
ない、と、言い切れる人間など、多分どこにも存在しない。
だが。
もし、それが実際に叶ってしまったら――――
世界は、どうなってしまうのだろう?
『時よ止まれ、お前は美しい。』
――――ゲーテ:『ファウスト』
***
「まいったな……どうしよう」
崩壊したビル群が生み出す、瓦礫の束。それに背を預けて、ハリンは一人ごちた。
凄まじい緊迫感と疲労で、既に精神は摩耗し切っている。息が切れ、体中が悲鳴を上げている。もはや休息と言える行動ですらない。このまま倒れて、死んでしまいそうである。
だがハリンの身を包む結界がそれを許さない。この身が滅びても、この世界を救うことを『勝利条件』として、延々とハリンを突き動かすのだ。
あたりを睥睨すれば、そこに在るのは消失した大地。
純粋な【破壊】を叩き付けられた街たちが、崩壊した姿。
これをこの身に何度も受けたのだから、どうして生きていられるのかすらよくわからない状態である。
彼の存在の攻撃を受けて、この場所に墜ちてからはや数分。距離が離れた故にこちらの存在を見失ったのか、追ってはこない。
勝利のイメージがわいてこない。
だが、どうにかして勝たなければならない。
このままここに居て、戦いから逃げたいという渇望が何度も鎌首をもたげる。
――――しかしそれは許されないのだ。戦わなければ、この世界が滅びるのだ。
ハリンの脳裏に浮かぶのは、体感では一時間近く前の出来事であった――――
***
衿希頗臨は、現在自分の周囲を取り囲む異様な情景に絶句していた。
「なんだ、これは……!」
簡素だけれどどこか温かみのある、頗臨と皇季桃華の家は、桃華も含める全ての存在が停止し、己が放った叫びを除けば、一切の音すら聞こえない状態となっていた。
「桃華! 桃華!!」
最愛の伴侶の名前を彼女の耳元で叫ぶが、しかし少女は身動きの一つもしない。つい先ほど頗臨の冗談で笑った、その笑顔のままで停止していた。
「くっ……!」
物は動くようだった。家の扉を開けることに成功する。
家の中だけがこの状態なのか――――確かめるために、外にでる頗臨。
しかしそこに在ったのは、変わらず奇怪な情景だけだった。
街を歩く人々は、足を踏み出した姿勢のまま固まり、身動きを取っていない。それどころか、宙をまう落ち葉や、道端の水たまりから跳ねるクラウンの雫、そして車が噴き出すガスすらも、停止し、制止し、一切の鼓動を伴っていない。
風すらも停止し、なぜ息ができるのかすらよくわからないこの状態の空間で――――もっとも普段と異なっている異様な光景は、空を蓋う奇怪な紋章だ。
それは何か。
今まで、一度も見たことが無いマーク。
虹色の翼を、虹色のリングが囲って、その上を真っ白な鎌が通過している、異様な紋章。
その紋章から伸びる細い線が、まるで這うように空を覆い、世界を包んでいるのだ。
あれが、この空間を生み出している元凶なのだろうか。そもそも、何故今自分は動けているのだ……?
「やぁ……どうやら、効いている、ようだね……」
かすれた、苦しげな声が、後ろから聞こえた。頗臨は弾かれたように振り返り――――そこに、異常とも取れる光景を見る。
一人の、血まみれの青年が、十二歳前後の黒髪の少女の肩を借りて、こちらまで近づいてきているのだ。それは良い。いや、厳密には良くないが、今自身が受けているそれ以上の驚愕と比べれば、なんてことはない異常だ。
その、血まみれの青年と言うのが――――かのクリスマスの折、己を奇妙な異世界へと導いた超越者、アスリウ・シェイド・マイソロジーであるから、この状況が想像以上の『最悪』の事態であるのだ、と察せたが故。
「貴方は……! その身体はどうしたんです……!?」
「く、ふふ……いやぁ、少々ヘマやらかしてね……うわぁ、何千年ぶりだろうね、割と真面目に自分が勝てない存在に出会ったの」
「まさか……! 貴方が敗北する相手だって!?」
頗臨はこの青年に対して、それほど詳しいわけではない。圧倒的な力を持っていて、あのタツですら手こずるという話を聞いたことがある程度だ。
だが、そのタツが世界でもトップクラスの実力をもつ《神》の末席だというのだからたちが悪い。事実上、この男はその世界最強よりも強いという事なのだ。
それにたしか、彼にはあらゆる事象が透過するという話を聞いたことがある。事実上ダメージを受ける事の無い彼が、ここでこうして傷だらけになっている――――そのこと自体が、すでに異常事態なのである。
アスリウは、彼を知っている人が見たら驚くほどに憎々しげに顔を歪め、当り散らした。
「くそっ……まさか【法】を展開してくるとは思わなかった……ッ! やってくれたな天宮……やってくれたな『十番』……ッ! 僕が《無法》だという事を知っての行動か……!」
「シェイド様、落ち着いてください、ほら」
喚き散らすアスリウに、彼に肩を課していた黒髪の少女……アーニャが語りかけ、優しくその頬を撫でる。すると彼はまるで毒気が抜けたかのようにふっ、とおとなしくなり、その場に膝をついた。
「……単刀直入に言おう。今この世界は、在る存在の支配下に置かれている。時間停止の太極が流れだし、このままではこの世界は永劫安らかに眠るだけのモノと成り果てるだろう。
僕では《彼女》に勝てない。ハリン君。どうにかして、止めてはくれまいか」
「そ、そんな……貴方が勝てないのに、僕に勝てるわけがない!」
SAOのハリンのステータスは高かったが、リアルの衿希頗臨はただの人間でしかないのだ。アスリウのような神をも超える存在が敗北するような相手に、どうやって抗えと言う。
しかしアスリウは微笑むと、
「いや、キミにはできる。半神たるこの僕ではなく、人であるキミだからこそ、《神》である《彼女》に勝ちうる。《銀の司祭》の設定を知る一介の読者として、それを断言しよう」
逃げ場を奪ってきた。
「こちらも全力でキミを補助しよう……今キミにかけているのはアーニャの【法】……『絶勝世界』だ。今、キミはアーニャの望むままに、僕と会話を成立させるためにこの世界の【法】から逃れて動くことができている。
しかし僕のアーニャの太極は『内側に閉じている』。《彼女》のそれは『外側に開いている』故に、アーニャのそれでは支配から逃れられるだけだ。
どうにかして《彼女》の太極を『閉じる』んだ。【法】をもたず、侵蝕しかできない僕では世界を喰うことができない。あくまで僕の『ワールド・プレディート』は領地を作成して自分に有利にできるだけだからね。
だがキミは別だ」
目くるめく未知のワードたちをどうにかして頭に叩き込みながら、頗臨はアスリウの次の言葉を待つ。
「キミはこの世界の元の【法】を所持している。今や『旧世界』となってしまった元の時間軸の住人はキミだけだ。アーニャの太極は今君を包み込んでいるだけだから、根本が変わっているわけではないだろう…【法】が内部に浸透したら、君はアーニャと似たような性格になるはずだからね…ならばキミは元の太極をいまだその身に宿しているわけだ。
《彼女》の太極を揺らがせるんだ。そうすれば、世界権限的に上位である『旧世界』の【法】が彼女をかき消す。キミの勝ちだ」
「その、『太極を揺らがす』というのはどのようにして行うのですか……?」
「単純だ……戦って、勝てばいい。あるいは、一ダメージでも与えてしまえば、《彼女》の性質上瓦解する。唯そのたった一ダメージが、全く与えられないだけであって」
――――それって『詰み』じゃないか。
頗臨が内心でそうぼやくのとほぼ同時に、心を読んだかのようにアスリウが答える。
「否、否。見た感じ、時間を掛ければ比較的普通に殴り合えるね。『短期決戦狙い初見』殺しだったわけだが……ただし僕やアーニャでは二度目の挑戦が残念ながらできない」
「どうして!」
てっきり彼らも一緒に来るのかと思っていたら、そんなことなかったらしい。愕然として頗臨が叫ぶと、
「これより僕らは『設定矛盾』に従って、SS【ロード・アルファ】の効力で《白亜宮》に帰還しなければならない。今はどーにかして時間とってるけど、多分あと一分もせずに転移だねー」
まるで昼食のメニューをいうかのような加入気楽さで、爆弾を投下した。
――――そう言うのは、もっと早く言ってくれ。
「ごめんごめん。まぁ、安心したまえ――――今、キミのステータスをアーニャレベルまで引き上げた。スキルの実装も証明済みだ……見給え」
再び心を読んだアスリウの言葉で、頗臨は我が身を見返す。
そこに在ったのは、SAOで纏っていた、《ハリン》の装備。腰には最強装備《ブラッド・シン》と……もう片方は何か。
「《超震動神格兵器:第四型一号機》。神気自動生成システムによって、超震動の発生を人間でも可能にした装備だ。それと、君の『《彼女》とのつながり』があれば、多分どうにかして討滅せしめるだろう。僕は《彼女》とは初対面だから、その分の利点が無くてねー……初見の【法】に取り込まれてるから透過も効かなかった。僕が『十番』とか主様に勝てない理由だな……あいつらぽんぽん新しいの出して来んだもん……」
うめくアスリウ。ふとそこで彼は、ああ、と呟いて、彼方の方向を指し示した。
「《彼女》はあっちだ。《領域》に入ればすぐに分かるよ……まぁ、そんなわけで」
――――よろしく頼んだよ。
そう、呟いて。
アスリウとアーニャは、ハリンの目の前から影のように消え去った。
「……」
後には、呆然とたたずむハリンが残るのみ。
「……どうにか、あがいてみよう」
それでも。
託された物を無下に廃棄するほど、ハリンは冷徹ではない。否、冷徹ではなくなった。
アスリウが指示した方角へ向かって歩いていく。ひたすら。ただひたすら、黙々と。この世界を救うことだけを、考える。
思えば、SAO時代――――アインクラッドで旅をしていたころも、同じような思いをして歩いたことがあるように思う。あの頃の自分と、今の自分は違う。誰の心も顧みず、己の利益だけを突き詰めた《神殺し》はもういない。
そうして英雄は――――今、『この世界』の新たなる《神》の前に、立った。
明らかに、空気が違う。鼓動が違う。景色が違う。何もかもが、異なっている。
そこだけが、まるで『世界が異なっている』かのように、全く違う。
歪んでいるその場所は――――扉の姿をしていた。アインクラッドの迷宮区、最上階のボスの部屋の扉にも良く似た……しかしそれでいて、完璧な別物にも見える、奇妙な扉。
万華鏡の如く七変化するその扉の印象。不気味で、壮麗で。
この先に、アスリウが倒せと言った、《彼女》なる人物がいる。
何者なのだろうか。アスリウの言い方を鑑みるに、ハリンがよく知る人物なのだろうか。
とにかく、扉を開けてみよう、と決意して、ハリンはドアノブに手を掛ける。
――――その瞬間。
世界が弾けた。扉の内部からあふれだす極光が、ハリンの視界を埋め尽くしていく。
「うわっ!」
思わず腕を上げて顔を覆って、目をとじてしまう。荒れ狂う極光が、世界を遍く改変し――――
すべてが止まった。風も、世界も、何もかも。そんな中でハリンが動けているのは、彼だけが異なる【法】の中で生きている故か。
そして目を開けたハリンが見たのは、巨大な曼陀羅だった。
虹色に光り輝く、複雑怪奇な曼陀羅。用意されている化仏用の蓮華座の数はゼロ。なぜなら、そこに座するのは、主たる存在唯一人だけだからである。
それは、真っ白い女神であった。白い髪、白い翼。白銀のティアラに、白いマフラー。裾が七色に煌めく純白のドレスを纏ったその少女。瞳に光を宿さず、ただただ、冷たい紅蓮色でこちらを見据えるその女の名を。
ハリンは、知っていた。
「刹那さん……!?」
彼女の名は《天宮刹那》。天宮陰斗の妹にして、幾度かハリンを助けてくれた、人に在らざる少女。外見はハリンの知る彼女よりも数歳年上のように見えるが、顔立ちなどは全く同一である。
その彼女が、どうしてこんなところにいるのか。この事態を引き起こしておるのか彼女なのか。
ハリンの疑問に、しかし刹那はほんの少しだけの一文で、答えた。
「――――侵入者を確認:対処検討……ローディング完了:通常通り管理・維持を実行:これより、『ワタシノセカイ』に対する異物の抹消を開始します」
刹那の右手が上がる。
それと同時に、光があふれだし―――――
ハリンは死んだ。
同時に、どこかで何かがはじけ飛ぶ音。それを受けて、何かが壊れる音。そしてそれら全てを包み込み、『無かったこと』にする嘲笑。
「ぐっ……はっ!?」
気が付けば、ハリンはその場に投げ出されていた。死んだはずの己が意思が今だ残っていることに疑問を感じながらも、立ち上がる。喪失感。何かが、失われたという確信。だがそれが、既に修復してあるという満足感も同時に。
ハリンは与り知らぬことだが、先ほどの攻撃に対処したのはアーニャの【法】、『絶勝世界』である。ハリンは今アーニャの力を借り受けている状態であり、ハリンの受けたダメージはアーニャのレギオンが肩代わりする。そしてアーニャのレギオンが受けたダメージはアスリウが肩代わりし……アスリウにダメージは透過する。結果としてアーニャのレギオンに損失は無く、これがハリンにダメージが入らなかった種である。
「……? :対象の抹消に失敗:対処検討……ローディング完了:実力での排除に移行:SS強制発動【セフィロト・オートマチック】。術式の高速詠唱を開始します――――」
刹那の背後に浮かぶ曼陀羅が、光を放つ。それは聖なる輝き。清浄なる裁きの極光。それは何も知らない無垢な女神の、子どもの様な破壊。
あるのは、『無』。感じた怖気に従って、ハリンはとっさに横に逃げる。それと、
「――――詠唱完了:照射開始/【破」「壊】」
大地が、欠乏したのは、全く同時だった。
ハリンのすぐ隣……つい先ほどまでたっていた場所が、文字通り消失した。即座に虹色の光がそこを覆い、全てが停止する。
だが女神の攻撃は終わらない。
「【破」「壊】【破」「壊】【破」「壊】……」
冗談のように、『破壊の概念』を何度も何度も叩き付けてくる。
その度に、世界が壊れる。建造物は倒壊し、大地は崩れ、空が割れる。だがその崩壊が世界に影響を与える前に、極光が全てを塗り替え、停止する。
ハリンも幾度か攻撃を受けた。その度に遠くへと吹き飛ばされ、もはや一撃を与えるどころではない。
「……【破」「壊】」
紡がれる。しかしそれではハリンを殺せない。
故に、女神はまるで駄々をこねる赤子のように。
「【破」「滅】」
異なる言い回しを、使ってきた。
直後、ハリンは吹き飛んだ。
物語は、こうして冒頭へと巻き戻る。
***
「……よし、行こう」
ハリンは、己の頬をたたいて立ち上がった。
状況は絶望的である。刹那には即座にこちらを吹き飛ばす、概念叩き付け攻撃がある。あれをどうにかして乗り切らなくては、ハリンの刃は届きすらしない。
だが……乗り切る術は、考え付いた。
アスリウの言った言葉を思い出したのだ。『スキルの実装も証明済みだ』という言葉を。
スキル。
この腰に差さっている二本の刀は、決して飾り物などではない。アインクラッドで苦楽を共にしたユニークスキル、《双刀》を発動するための切り札だ。
世界を救うという願いを此処に込めて、刹那を切り裂けば、きっと勝てる。
スキル、《疾風斬撃》を発動。高速で移動し、先ほどの場所まで到達する。
白き極光の女神は、まだそこにいた。ハリンの到来を感知したのか、閉じたその瞳をゆっくりと開く。その仕草は、普段の刹那と違って幼さの抜けたその壮絶な美貌は、見る物を虜にしてしまうだろう。
だがハリンには通用するまい。彼には、世界を救うという意思があるのだから。
「……異物を再確認:ローディング完了:抹消を継続:データ取得完了/反逆者№821番と判定。前回の戦闘データを閲覧……ローディング完了:詠唱ショートカット起動:【破」「滅】」
先ほどと同一の術を行使してくる刹那。神の差配がハリンを滅ぼさんと迫る。
しかし、それに《神殺し》は反逆した。
「……疾ッ!」
《双刀》ソードスキル、《崩旋風》。旋回範囲攻撃が、願いを纏って『破滅の概念』を両断した。
そのままの勢いを保つ。《疾風斬撃》が発動し、ハリンを高速で動かす。次に繰り出すソードスキルは、十連撃《ブラッディ・ストレイト》。
「対象の反撃を確認:術式展開:【防」「御】」
しかし十の斬撃は、その悉くが不可視の壁に阻まれる。届かない。刃が、刹那に。
だが諦めない。届かせて見せると、願う。
「【届け】ぇぇぇぇぇッ!!」
その一撃は、壁を超える。防御を透過し、白き女神へと至り――――弾かれた。
「なっ」
――――そんな。
――――結局、効かないだって!?
ハリンは愕然とした思いで引き返す。これでは打つ手なしではないか。どのようにして倒せと言うのだ――――
「……『悪意』」
だが、戦況が動かなかったわけではなかった。
「『悪意』『悪意』『悪意』『悪意』『悪意』『あ……ああああああああああッ!!!!!」
突然、刹那が苦しげに叫び始めたのだ。
軋む世界。
揺らぐ境界。
「あ、ああ、あ……お願い……いやぁ……やめてください……私を……嫌いに、ならないで……!!」
そして少女の声で。
その細い手を伸ばして、嘆願するのだ。
「――――ああ、そうか」
そこでやっと、ハリンは先ほどの攻撃が通用しなかった理由を悟った。
「なんだ、簡単じゃないか」
どうして、誰も気が付かなかったのか。
実に単純な……そう、本当に単純な対処方法だったのだ。なるほど、これはアスリウにはできまい。あらゆる事象を透過してしまう彼と、他人に興味を示せないその契約者では、絶対に不可能な芸当だ。
ある意味では――――ハリンにだからこそ、できたことだともいえる。
「刹那さん」
近づく。曼陀羅を上る。ゆっくり、ゆっくり。そこに害意は、全くない。
「だれも、あなたの事が嫌いだなんて言っていませんよ。僕たちは、貴方を傷つけない――――」
そうして、彼女を。
静かに、抱きしめた。
たったそれだけで、曼陀羅が崩れ去った。世界から虹色が掻き消えていく。空が晴れる。文様が消える。
曙光が差し込んだ。あたたかなその光は、刹那とハリンを包み込む。
「……本当、ですか?」
人間味の戻った声で、天宮刹那の名の少女が、問うた。
「本当ですよ。あなたのお兄さんがいい例です」
そう、くせ毛の狂乱者を頭にうかべて、ハリンが微笑むと。
「よかった……」
刹那もまた、瞳を閉じて、微笑んだ。
虹色となって消えていく少女。世界を修復しながら、女神は去っていった。
「……帰ろう」
大地に帰還したハリンは、喧騒が戻ってきた街へと向けて、その足を進めたのだった。
その変えるべき場所に、愛する人が待っている幸せを、かみしめて。
人は誰しも、愛し合って生きている。願わくば、その事実が、どこまでも続きますように。
時よ止まれ――――君は誰よりも美しい。
***
そこに立っているのは、一人の人物だった。光の当たり具合では金色に見えなくもない銀髪をなびかせた、軽装の拳士。
彼は今しがた、この世界の法則の交代劇をその眼に写した直後であった。結果は新法則の敗北。前法則が再びこの世界を支配した。
それは人々が守られたという喜ばしきことであると同時に、歴史が停滞しているという忌むべきことでもある。だが今は、この世界が巡っている、その幸せに歓喜するべきなのだろう。
そう、その存在――――ミオン/カノン・ナナノミヤは。仮想世界において『ゲイザー』の名を関する人物は、《白亜宮》のどの存在よりも慈悲深く、そして人々の幸せを願っている。
「……相変わらずだね、《観測者》」
その言葉と共に、何者かが姿を現した。
もしここに《神話の勇者》がいたならば、彼はその人物を見て「シャノン」と呼んだであろう。そう、その男はかの《太陽の帝王》と……ひいてはそのプレイヤーである天宮陰斗と同一の外見をしていた。異なるところは一つ、紅蓮色の瞳と、その表情であろうか。
「……貴方か、《破壊者》」
「はっはっは、あの忌むべき『三番』じゃないよ」
「そうですか……ならば紛らわしい様相をなされないでください、『五番』。今回の騒動、引き起こしたのは貴方だろう」
《観測者》はそう、『五番』と呼ばれた少年……《天宮》に語りかける。
「悪かったね。少し試したかったんだよ……僕以外の人物ならば、僕が『二番』に勝てるのか。ふふ、実験は成功だ。これで僕たちの戦績は13890勝13899敗……ってやっぱり負けてるじゃん!! くっそ、勝つためにはあと10勝もしなくちゃいけないのか!?」
突然喚きだした少年。
この人物は――――世界の命運すら、己の遊びにしか考えていない。《白亜宮》の王たる《主》が司る《惟神》、《背徳》の第五位、《残虐》のアマミヤカガトとはそう言う様に『創られた』存在である。
「……まぁいいや。引き続き仕事頼んだよ」
「御意に」
片手を上げるアマミヤに、《観測者》もまた答える。分身であるとはいえ、彼も《主》の一部なのだから。
「行こうか、久雅さん」
「はい」
金色の瞳の黒髪の少女に告げ、彼女の力でこの地を去る『五番』。それを見送って、《観測者》はため息をついた。
「はぁ……」
ああ、彼の手によってこの世界が滅ぼされるようなことなど、在ってはなるまい。この世界に住むすべての人々の幸福を願ってやまない《観測者》は、一つ呟くのだ。
「時よ、止まれ……お前達は、美しい」
後書き
というワケで『神話剣』(多分)最後のコラボ編、『ワールド・プレディート』でした! 黒翼さん、ありがとうございました!!
当選されなかった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。また皆様とコラボできる日を心待ちにしております……『神話剣』で、ではないですが←
刹「数々のご応募、ありがとうございました」
さて、いよいよ次回から『神話剣』も大詰め、ラストを飾る『エピローグ編』となります。次回の話を挟んで、そしてその次で最終回です。
刹「ここまで続けてこられたのは、ひとえに皆様のおかげです。どうか最後まで、嫌いにならないでおつきあいください。
それでは、次回もお楽しみに!」
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