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映画

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10部分:第十章


第十章

 次は大正の頃であった。今度は袴に振袖、黒く長い髪を後ろにした女学生だった。夕菜は上は桃色で下はえんじ色、朝香は青と紺だった。けれど夕菜は学生で朝香が女学校の先生だった。互いに立場が違いそのうえで今教室に見合っているのであった。
「先生は今度」
「結婚されるんですね?」
「ええ、そうよ」
 女学生の夕菜の言葉に静かに頷くのだった。
「もう前から決まっていたから」
「そうですか」
 夕菜はそれを聞いてまずは顔を俯けさせた。机が並んでいる教室の中央において二人は向かい合っていた。背は朝香の方が高くそれが彼女が夕菜よりも立場が上であることをさらに映し出していた。しかも彼女の後ろには教壇と黒板までありそれを背負うようにもなっていた。
「それじゃあ。もう」
「お別れね」
 朝香は寂しく笑って夕菜に告げた。
「貴女とも」
「あちらに帰られるんですね」
「そうよ。それも決まっていたから」
 朝香はまた寂しげに笑って答えた。
「このこともね」
「奈良でしたよね」
 夕菜は顔をあげて朝香に問うた。
「確か」
「そうよ。奈良の古い家の方なの」
 朝香の結婚する相手である。
「今は華族よ。事業もやっていらしてね」
「名家なんですね」
「そうなるわ。先生の家とも代々交わりがあって」
「もう東京には」
「何年かは絶対に無理ね」
 夕菜の言葉に首を横に振ってきた。
「落ち着くまではね」
「先生、私」
 顔をあげていた夕菜はここで必死の顔になって朝香に声をかけてきた。
「ずっと先生に憧れていました」
「有り難う」
「それで将来は先生みたいになろうって」
「思っていたのね」
「思っています」 
 こう返したのだった。
「今も。そしてこれからも」
「そう。私みたいに」
「先生になって。ずっと」
「ずっと?」
「一人でいたいって」
「それはできないわよ」
 夕菜の一人、という言葉は否定するのだった。
「それはね。できないわ」
「できないんですか」
「女は。何時かは誰かの妻になるものだから」
「誰かの。妻に」
「そう。誰かのね」
 このことを夕菜に告げるのだった。優しいが何処か寂しげな声で。窓からは赤い夕陽の光が差し込みそれが二人を横から照らして紅く染めている。
「なるものだから」
「私もですか」
「貴女はまだ恋を知らないから」
「恋・・・・・・」
「いえ、もうしてはいるかしら」
 朝香は不意にこんなことを言ってきた。
「もう。それはね」
「しているんですか?私は」
「そして私も」
 朝香は今度は自分についても言及した。
「そうなのかもね」
「私は。誰に」
「恋は男の人にだけ向けられるものではないから」
 朝香は言う。
「だから。私も貴女も」
「私も?」
「そう、そして私も」
 二人は何時しか見詰め合っていた。それはまるで男女のようであった。その見詰め合う姿が夕陽に照らされて紅くなっているのである。
「そうなのかもね」
「じゃあ私は今は」
「決して結ばれるものでないにしろ」
 朝香はまた言った。
「私達は今は」
「それじゃあ先生」
 夕菜はその朝香の言葉に応えて言うのだった。
「今度は」
「今度は?」
「はい、一緒に」
 こう言うのだった。
「一緒になりたいです」
「私となのね」
「今は女同士でも」
 朝香は言う。
「きっと。次では」
「次では」
「一緒になれるわ」
 じっと夕菜の目を見ながらの言葉であった。自分を見詰めているその目を。
「きっとね」
「じゃあ先生」
 夕菜はその朝香の言葉を受けて言うのだった。
「今はこれでお別れでも」
「また。会いましょう」
 濡れた、涙を感じさせる声であった。
「きっと。生まれ変わってね」
「はい」
 これがこの時の二人の終わりだった。また時代は変わった。今度は終戦直後だった。廃虚の中にバラックが点在し昨日できたようなみすぼらしい、木やブリキの破片を集めて作った店が立ち並ぶ闇市を今一人の若い男が歩いていた。見れば手に重いものを持っていて陸軍の軍服を着ている。見ればその陸軍の軍服は将校のものだ。だがその立派な格好も今では何の意味もないものだった。
 誰も彼を見ない。己のことで必死なのか周りを行き来する者は誰も彼を見ずに行きそして商いをして何かを買っている。ある店では残飯を集めたシチューやすいとんを出していてある店では何処からか持って来たのか服を売っている。素性は怪しい店ばかりだが活気があるのは間違いなかった。
 彼はその中を歩いていく。その顔は女のものだった。よく見ると朝香である。彼女は今度は軍人になりこの闇市の中を歩いているのだった。
「ねえ兵隊さん」
 その彼にはじめて声をかける者が出た。
「遊んでいかない?」
「遊ぶ?」
「安くしとくよ」
 あの女優だった。けばけばしい化粧に赤い派手なだけの服を着ている。その外見から彼女が何であるかはすぐにわかった。もう言うまでもなかった。
「だからさ。どうだい?」
「いや、いい」
 朝香は女優の言葉に対して静かに首を横に振った。
「今はな」
「あら、つれないわね」
「人を探している」
 今度は彼女から言ってきた。
「人をな」
「人って誰なのさ」
「女の子だ」
 こう女優に返した。
「まだ。女学校のな」
「女学校!?」
「この近くにあったが」
「ああ、あそこね」
 娼婦になっている女優はこの言葉を聞いてすぐに察したようであった。
「あそこに通っていた女の子ね」
「知っているのか?」
「その学校ならもうないわよ」
 娼婦はこう彼に述べた。
「もうね」
「ない!?」
「この辺りも空襲に遭ったからね」
 だからだというのである。どうして廃虚になってしまっているのか、それは空襲のせいであるのは言うまでもなかった。日本は至る所を空襲によって破壊されてしまっていたのだ。
「だからね」
「それで焼けてしまったか」
「今じゃあそこに身寄りのない子供達が集まってるわよ」
「子供達が?」
「そうさ。学生さんもね」
 親をなくした子供達もかなりいた。戦争の結果である。
「いるけれどね。そういえば一人えらく可愛い娘がいたね」
「可愛い!?」
「髪はおさげにしてね。それで顔がとても白くて」
「その娘だ」
 朝香はここまで聞いただけですぐにわかった。
 
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