リメインズ -Remains-
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5話「始まりを知らない男」
前書き
インフラ:
数百年前から「クリスタル・インフラ」と総称されるシステムが普及している。これは神秘を蓄えやすい性質を持った石英などの結晶に神秘を溜めこんで、掘り込んだ神秘術や小機械によって光源や熱源にする技術である。
調理の火や暖炉は勿論、神秘術を変えて光源や冷蔵庫の冷気などにも変換できる技術であり、特に技術力の高い国ではこのクリスタル・インフラを一般に導入している。
ただし、便利な反面強度に難があり修理にも専門技術が必要なため何にでも普及している訳ではなく、現在では上記にあったような限定された役割しか持っていない。
ネスは一通りチェックを終えた鎧を作業台の横にどけ、漸くこちらを振り返った。
「装備のメンテだろう?そこの台座に置いて行け」
「いつも世話になる」
「はん。もう20年近い付き合いだ。慣れたよ」
鼻を鳴らして凝り固まった肩をほぐしたネスに頷き、鎧を外して台座に乗せた。一応ながら血糊は洗い流したが、全ては落ちていない。これを必ず翌日までにピカピカに磨き上げる彼の腕前は、鍛冶職人としての腕でも発揮される。この宿に住むマーセナリーにとっては心強い存在だ。
20代程度に見える俺と、40代のネス。一見すると親子ほど年が離れているように見える。
だが俺は『ネスが20代の頃に』知り合って、それ以来の付き合いだ。
俺は、記憶を失ったらしいその日から年を取っていない。
ネスはマギムという種族だ。外見的な特徴は「尻尾や角の類が一切ない」ことで、寿命は長くて100年前後。このロータ・ロバリーに住むヒト種の中ではかなり広範囲に散っている民だ。そして俺も、外見特徴はマギムと一致している。
なのに、俺は年を取らなかった。
荒野を放浪するうちにネスに拾われるように保護されたときは同年代に見えたが、今では随分年が離れたように感じる。それでもネスは何も言わずに俺を近くに置いてくれている。
この星のヒト種の寿命は短くて50年、長ければ1000年近い者もいる。俺がそう言う種族だと考えれば年を取っていないように見えるのも不可解ではないが、それでも「生きる刻が違うのだ」と否応なしに思い知らされるのはいい気分ではない。
「ところでネス。そろそろ夕食だそうだぞ」
「何?もうそんな時間だったか……」
作業台の時計はそろそろ午後七時に差し掛かろうとしていた。作業グローブを外して頭を掻いたネスが深いため息をつく。
「しまったな、こう暗い所に籠ってると時間の感覚がなくならぁ」
「そう思うなら少しは外に出ろ。またナージャに怒られるぞ?掃除の邪魔だ、ってな」
「けっ……娘くらいの歳の癖に女房面かよ」
ぶつくさと愚痴りながら作業台を離れたネスは、今度は凝り固まった腰をバキバキと鳴らす。その姿は外見も含めてオヤジ臭い。体が年を取ると仕草も年を取るものなのだろうか。
カナリアなんかは御年72歳なのに精神的には大して熟成していない。肉体が幼く見えるせいで精神にも影響が出ているのかもしれない。
共に食堂へ向かいながら、ぽつりと言う。
「お前も年を取ったな」
「そう言うお前も戸籍上は俺と同い年だろうがこの若親父!」
ムキになって怒鳴ったネスの言葉に、そう言えばそうだなと苦笑した。
「……なぁブラッド」
不意に、ネスが真顔になって足を止めた。
「どうした?」
「……もういい加減にマーセナリーなんか辞めたらどうだ?」
足がピタリと止まった。
「もうマーセナリーを始めて20年だ。来る日も来る日もあの化物の巣窟に潜り続けて早20年。今じゃお前はデルタポリスで活動するマーセナリーの中じゃ最古参になっちまった」
「………そうだな。どいつもこいつも怪我や年齢で引退し、残りは魔物に殺された。あの頃から俺は何も変わっちゃいない」
「今も昔もマーセナリーになる馬鹿野郎は後を絶たねえ。だがお前以外で生き残った連中は、リメインズの外に居場所を見出して羽ばたいたんだ」
「故郷に帰った奴、お前のように店を持った奴、後世を育てるために師範や教師になった奴……あの荒くれ者どもも変わるものだ」
戦争終了後にマーセナリーに入った連中というのは、戦争の狂乱に酔ってしまったような戦闘狂が大半だ。戦いの後の平和になじめずにここに来た奴も多かったらしい。だがその世代も流石に10年20年とあんな魔窟に潜り続けているとネスのように戦いが厭になってくる。
俺の先輩だった連中はそうして、或いは死んで、あるいは仲間の死を目の当たりにして己を見つめ返していった。俺の同期だった連中もそうしていなくなっていった。
だが、俺はそうはならない。
振り返った時そこにあるのは、どこまでも空虚で戦いに飢えた自分だけだった。
始まりも終わりもなかった。
「いつまでそうしているつもりだ?いつまで魔物を殺し回って返り血を浴び続ける気なんだ?血みどろの鮮血騎士さんよ」
険しい顔で言い寄るその言葉にはどこか棘があった。
俺の事が気に入らないというのではない。ネスなら気に入らない客は自分で宿から叩きだすし、ネスが出て行けと言えば俺も従う。だがネスが言いたいのはそういう事ではないのだろう。
つまり、俺にもうこの仕事を辞めろと言っているのだ。
「20年前、俺はマーセナリーを辞めてこの宿、「泡沫」を建てた。戦いばかりの自分に嫌気がさしたからだ。退魔戦役に参加した時の報酬とその後に稼いだ有り金の全部を突っ込んだ。剣も鎧も売り払った。そしていよいよ開店しようって時に……ブラッドリー、お前が現れた」
戦争の余波で荒れた大地をふらふらと歩き続けていた俺は、そのとき偶然にもネスと出会った。
ネスは俺の顔を見て驚くと同時に、憐みの目で俺の手を引っ張った。宿に放り込まれ、大味な男料理を食べさせられ、湯あみ場の浴槽に叩き落とされ、そして部屋を貸し与えられた。
当時の俺は余程どうしようもない顔をしていたのだろう。そんなどうしようもない見ず知らずの男に、ネスは何かを感じ取ったのだ。
ネスは何もかも豪快な男だった。
何もする気が起きない俺にヒトらしい習慣を押し付け、何かと宿の仕事を手伝わされた。やることもなかった俺は、その男の言う事を聞いていてもいいと思えた。やがてネスは俺の事を友達だと言い、俺もそれを受け入れた。
昔、こうやって人間らしく過ごしていたという朧げな記憶を思い出させてくれた恩は今でも忘れていない。
そして――あの日、俺は唐突に思い出した。
俺が剣士で、戦いが好きであったことを。
「俺はな……今でも分からねえんだ。あの日、何でお前があんな真似をしたのかが。お前はそのまま戦いを忘れて普通に生きるものだと勝手に思い込んでたよ………」
まるで自分が見た夢を語るように儚い声が、無音の廊下に響いた。
あの日に俺がやった行動は、今も街中で恐れ交じりに語り継がれている。その日から俺は、周囲に名無しではなく鮮血騎士と揶揄されるようになった。
同じ夢をよく見るようになったのも、あの日からだったか。
俺はあの日を境に――戦闘衝動という名の渇きを癒すために魔物を殺し続けている。
魔物を殺し、その血を見ることが安らぎなどということがあるのだろうか。
きっと徳を説いた女神とやらは俺を憐れむだろう。或いは、存在すら認められないかもしれない。
肉体を限界まで酷使し、凶悪な魔物を惨殺する自分に酔い始めたのはいつからだろう。
それが道徳的に間違っているという意識を持ちながらも、剣を手放せずにずぶずぶと沼に沈んでいく哀れな男。
「もうやめないか、ブラッドリー。リメインズは後から続く連中に任せて、お前はどこぞの秘境にでも旅に出りゃいい。金なら一生遊べるくらい稼いだだろう?その金使って好きな女を見つけて、愛し合って、子を持つ……そんな幸せって奴を追いかける訳にはいかないのか?何ならその腕を活かして剣術師範にだってなれるだろう?」
ネスは諭すようにそう言った。
本当に、俺をこれ以上戦いに近づけたくないんだと痛いほどに分かる。だが、痛いほどに分かるからこそそれは駄目だ。その思いやりを無碍にしてでも戦いを続けようとしている獣の意志が、それをはっきり拒絶していた。
失われた記憶か、それとも本能か――それがけたたましく叫ぶのだ。
戦えと、血を散らせと、そこがお前の居るべき場所だと。
戦士である自分を自覚したあの日からずっとずっと、それは絶えない。
戦って殺す、それ以外に何も知らないし出来ない。
それがあって初めて、鮮血騎士は己が存在することを証明できる。
「俺はマーセナリーを続ける。それ以外に興味は持てないし……辞めればきっと、俺は抜け殻になる」
その返事を聞いたネスは、深い深いため息をついた。
顔に刻まれた皺に、沈痛な影が落ちる。
「………本当にどうしようもねえ屑だな。ああいいさ、付き合ってやるよ。俺の身体が動く限りずっと付き合ってやるさ。お前が戦いを諦めるその日までな」
「……同情するよ。お前のそんな性分にな」
「うるせぇ、てめぇの所為だ」
その日とやらは、自分が生きているうちにか来ないかもしれない。
そうどこかで自覚しているような、そんな口調だった。
= =
この宿では食事は基本的に全員で取る。
この宿に部屋を借りる十数名と従業員。全員で食卓を囲む様はまるで家族のようだ。いや、むしろ家族のいないネスはそれを望んでいるのかもしれない。
「ヨーオ、ブラッドちゃんよう。新入りの子に手取り足取り指導したんだろう?どうだったんだ?揉んだか?柔らかかったか?」
「ジョッカーさんってば下品。喋んないで」
「喋る不純物ね。料理がまずくなるからちょっと死んで頂戴。もしくは私の秘薬の被験者に……」
「まぁまぁアイシャさん。彼が品のない男なのは今に始まったことではありませんし、ここは大人の対応をしましょう?」
「ヒデエ奴等だ!仮にも同じ宿で寝泊まりしてる先輩に敬意の欠片くらい抱け!」
「ふぉふぉふぉ、日ごろの行いじゃのう。……で、実際の所どうだったんじゃ?」
「魔物との戦闘経験と覚悟はふにゃふにゃだった」
「ほ、そりゃイカンな」
「アラマ、確かにそら駄目だわ」
「……死ななくて運が良かったな、その新入り志願者共。リメインズをアミューズメントと勘違いされては我らの立つ瀬がない」
「だぁーねぇー……」
食堂の大テーブルを囲っての食事はいつも騒がしく、いつでも明るい。このようにたまの休息や食事を純粋に楽しめるからこそ、彼らは強いのだ。そういう意味で、マーセナリーの強靭な精神は正規軍にも劣らない。そしてそんな連中の身体を作っているのが宿のお手製料理と言う訳だ。
今日のそれはナージャが作ったものだが、ナージャに料理を教えたネスの料理もまた美味い。この味覚と満腹感もまた、俺に小さな安らぎを齎す。
だがその一方で、素直に食事を楽しみきれていない自分がいた。
理由は言わずもがな、ネスにかけられた一言だった。
あれは昨日今日で思いついたものではない筈だ。きっと、ずっと考えていたに違いない。
当人は何食わぬ顔でいつものように食事をとっている。ナージャはそんなネスを横目で少し見ていたが、何も聞かなかった。おそらく俺とネスが何か話をしていたことを悟って、口を挟むべきではないと思ったのだろう。
ちなみに自称パートナーのカナリアはというと、そんな空気は一切察することなく幸せそうにデザートのプリンを頬張っていたが。この落差は過ごした時間の差なのか、それとも単純に気質なのか。あいつのことは分からない。
食事を終えた後も俺はネスにかけられた言葉が胸中を渦巻いていた。
ベッドに横になっても嫌に目が冴える。暗闇に差しこむ月明かりがやけに明るく感じた。
「月か……そういえば、今日は満月だな」
偶には月を見上げるのもいいかもしれない。夜空の星を数えていれば、いずれ飽きて眠くもなるだろう。
宿のバルコニーに続く戸を開ける。心地よい夜風が体を扇いだ。
風が強い日は雲も少ない。絶好の月見日和だ。
天空高くには、今日も満天の星空が相変わらず輝いている。
この時期はたしか南の空に「竜座」と呼ばれる星座が見える筈だが、数年前からその星のいくつかがブランクになっている。学者によると星が消滅したので見えなくなったのではないかという話だが、真偽のほどは定かではない。
この世界では星さえも消えることがあると言うのに、俺はいつまでこのままなのか、と自問する。
『いつまで魔物を殺し回って返り血を浴び続ける気なんだ?』
いつまでと問われれば、きっと俺はいつまでもと答えるだろう。
今の俺はそれしか望んでいない。酒も女も望まない。ただ魔物を殺せればいい。どうしようもなく心地の良い刹那的な快楽が、俺の心を掴んで離さない。
――本当に、いつまで続ければ気が済むんだろうな。
「珍しいですね、ブラッドさんが星を見るなんて」
不意に、背中に聞き覚えのある子鳥がさえずるような声がかかった。
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