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戦場の蛍

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1部分:第一章


第一章

                   戦場の蛍
 その戦争はあまりにも激しかった。お互いに何百万もの兵を繰り出し合い何もかも破壊し合う戦争であった。そこには何の仁義もルールもなかった。
 東部戦線。ナチスとソ連の戦いはただ破壊と殺戮があり何もかも残さない。それは陸だけでなく空でも同じであった。
 今ロシアの凍て付いた空に数機の戦闘機が飛んでいる。そのスマートなシルエットからドイツ軍の戦闘機であることがわかる。メッサーシュミット一〇九である。
 今空に飛んでいるのは彼等だけだ。その彼等が通信で話をしていた。
「おいヴォルフ」
 先頭の一機が上を飛ぶ同僚に声をかけてきた。
「何だ?」
「イワンの奴等の姿は見えるか?」
「いや」
 ヴォルフと呼ばれた同僚は主に上を見てから彼に答えた。上にあるのは青い空だけである。
「何も見えないな」
「そうか。こっちもだ」
 先頭の男は下を見ていた。そこにあるのは暗く重い雲だけである。
「何も見えないな」
「流石に雲の上にはイワンもいないか」
「いや、それはわからないな」
 後ろの一機が二人に言ってきた。
「カール」
「イワンの奴等は無鉄砲だからな」
 カールと呼ばれた男は笑って二人に言うのであった。
「何時下から来るかわからねえぜ」
「まさか。レーダーもろくにないのにかよ」
「自殺行為だぜ」
「自殺行為がイワンのお家芸だろうが」
 実際にソ連軍において兵士の命は最も軽いものであった。戦車の盾にしたり地雷原をそのまま歩かせたりといったやり方がそれを何よりも雄弁に物語っている。
「何を今更言ってんだよ」
「何時来るかわからないか」
「昼も夜もな」
 それがここでの戦いでもあるのだ。
「あいつ等は休ませてはもらえないみたいだからな」
「まあそれは俺達も同じだな」
 最後尾の一機が話に加わるのであった。
「最近。総統も人使いが荒いぜ」
「それは御前の名前のせいだろ」
 先頭の男が笑って彼に言ってきた。
「名前でかよ」
「御前の名前がヨゼフだからな」
 言うまでもなくナチスの宣伝省ゲッペルスのことである。ヒトラーの懐刀として辣腕を振るい続けていることであまりにも有名な男である。
「そのせいさ」
「俺は士官学校出身で博士じゃないんだがな」
 ヨゼフと呼ばれた彼はそう言葉を返して笑うのだった。ゲッペルスは博士号を持っていることを誇りにしており常に自分を博士と呼ばせていたのである。
「そっちになるのかよ」
「そうだよ。まあ俺もな」
 先頭の男はここで自嘲めいた笑いになるのであった。
「それを言えば人のことは言えないか」
「そうだな、リヒャルト」
 それが先頭の彼の名前であった。カールが呼んだ。
「あの総統閣下の大のお気に入りの作曲家の名前だからな」
「そうだな」
 リヒャルト=ワーグナーのことである。ドイツの楽聖とまで言われているがヒトラーは彼の音楽を十一歳の時にはじめて聴いてから終生愛し続けていたのである。
「それを言えばな」
「御前の親父さんはあれか?音楽家にしたくてその名前にしたのかい?」
 ヴォルフが彼に問うてきた。
「やっぱりそれで」
「さあな。そこまでは知らないさ」
 リヒャルトはコクピットの中で首を捻ってヴォルフのその問いに答える。彼もそれはよく知らないのだ。
「実際のところはな」
「そうなのか」
「まあ。名前なんて今はどうでもいいさ」
 リヒャルトは前に見て真剣な顔で言ってみせた。
「とにかく。今は生き残らないといけないからな」
「そうだな」
「全くだ」
 他の三人も彼のその言葉に頷いた。やはり真剣な顔になっていてそれまでの和気藹々としたいささか戦場には似合わないものは消えてしまっていた。
「何か。どんどん激しくなってきているしな」
「特にここはずっとだな」
 彼等はそう話をしだした。
「あの禿のおっさんの街は」
「ああ」
 ソ連の国父レーニンのことである。今彼等はレニングラード上空にいるのだ。この街を巡ってドイツ軍とソ連軍は激しい攻防を繰り広げてきているのである。
「陸軍も随分攻めあぐねているみたいだな」
「何でも守りがやけに堅いらしいぜ」
 カールがヨゼフに言った。
「建物に立て篭もっていてな。女も子供もガリガリになって武器を持ってな」
「おいおい、女も子供もかよ」
 ヴォルフはそれを聞いて思わず声をあげた。
「男だけで戦えばいいだろうに」
「そうも言っていられないんだろう」
 カールは今度はヴォルフに答えた。
「何せ今イワンは崖っぷちだからな」
「さっさと落ちれば楽になるんだがな」
 リヒャルトは半ば無意識のうちにこう突っ込みを入れた。
「あいつ等も俺達もな」
「向こうにも向こうの意地があるんだろ」
 ヨゼフが言葉を返した。
「そこんところがどうしようもないから戦争になってるんだしな」
「それもそうか。しかし本当に敵がいないな」
「ああ」
「今日はもういないな」
 仲間達はリヒャルトのその言葉に応えた。
「じゃあ帰るか」
「そうだな。燃料も少ないしな」
「しかし。ここの寒さは本当に酷いな」
 リヒャルトはまた言葉を出してきた。今度の言葉は苦笑いを含んでいた。
「話には聞いていたが燃料まで凍るなんてな」
「まあロシアだからな」
「それも普通だろ」
「ドイツでもかなり寒いんだがな」
 そのドイツから来ている彼等だ。しかしそれでもこの寒さには参っていた。ロシアの冬はそこまで桁外れのものであるのだ。
「それ以上なんてな」
「それでもちゃんと夏があるだろ」
「まあな」
 彼等は六月に攻め込んだ。だから一応夏があることも知っているのだ。もっとも肝心な時にやって来た冬将軍のせいで今戦線は膠着してしまっているのだが。ヒトラーもドイツ軍の首脳も冬将軍のことはわかっていたがその予想を越えたものであったのだ。それがロシアの冬なのだ。
「まあ夏まで待とうぜ。最悪春までな」
「そうするか。夏にはイワンは降伏だ」
 この時はまだこう思えた。
 
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