緋弾のアリア-諧調の担い手-
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始まりから二番目の物語
第三話
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《???・???》
「――――」
不思議な世界にいた。真っ黒な世界。現実味を感じる、けれどもそれは夢幻であると確りと認識出来る。
全ての色が侵み込まれ、溶かされた色の無い世界。どこまで歩いても果ての無い無限回廊。
これは夢であり、現実ではない仮想の世界。
そしてそこに存在する自分も仮想の存在だ。死んだ世界に、閉じた世界に、佇立している。
それ故に、此処には自分以外には何も存在しない。
もうそれを、寂しいとすら思う事もなく、少年はただそこに佇立していた。
ただ噛み締める様に、懐かしむ様にして。“あの夢”を見た後はこうして塞ぎ込んでしまう。
数秒か、数分か、数時間か、数日か、端は数年か。
時間という感覚が停滞したその中で、懐かしくて、そして絶対に忘れてはいけない記憶を再認識していた。
瞳を閉じて、過去を、前世の柔らかな刹那を瞑想する。
―――人々の頭上に夜明けは公平に訪れる。
嘗ての、前世の母の言葉を思い出す。
前世を想起するに連れて、自分の中で“触れて”はいけない物に自ずと触れてしまう。
だけれど、本来それを否定してはいけないのだ。
未来へと向けて生きると決めた。その為には、それはどれだけ切り離しても切り離せない。
そう、幾度となく決意した。だけど、俺は弱いから…夢の残滓に、今でも打ち震えてしまう。
そうして夢を見る度に、自身という孤独な宇宙の中であの日の自らの“渇望”が回帰してしまう。
―――人々の頭上に夜明けは公平に訪れる。心を救われたその言葉が、今はとてもとても遠くに感じてしまうのだ。
「…静流、こんな時お前ならなんて言うか。迷うなって、発破をかけてくれたかな。それとも、諭してくれたのかな」
此処にはいない、少女へと問いを掛ける。
けれど、返ってくる答えは当然の様にない。それは単なる自問自答。
「お前がいたから、俺は向き合う事が出来た」
だけれども、自問自答と化した言葉は止めどなく流れ出る。
問い掛けは、またしても闇夜の中へと掻き消える。此処には存在しない少女へと向けて。
……我ながら、女々しいと思う。
だが、それもそうだろう。あの日、少年は心を支える柱の一つを失ってしまったのだから。
人間というのは、それ程に強い存在ではないのだ。
「…………」
そうして沈黙が、時間だけが無駄に過ぎて、そして世界は不意に割れて、終わりを告げた。
この世界は、閉じて壊れた世界の夢。それ故に此処での自分も、“また”夢の様に失われてしまう。
目覚めれば、それを覚えていないかの様に。
そして、少年は―――倉橋時夜は過去の念から見るその夢から“夢”へと醒めた。
1
「―――……っ…ぅ」
声にならない呻き声が、世界へと擦れて届く。
そして、それが自分の物であると、数瞬後に漸く理解した。
―――此、処…は?
心の中でそう呟く、けれどそれに答える人間は誰もいない。
瞼はまるで長年錆付いた扉の様に、強固で開かない。故に、此処が何処なのか知るよしはない。
ただ解ったのは、薄っすらと、瞼の裏に柔らかくそして冷たい光が過ぎる事。
仰向けに自身が寝かされている事。そして、己が己であると言う自己の認識であった。
意識が、記憶が朧気ではっきりとしない。
まるで途切れたカメラのフィルムの様に、一定の所から先の記憶を思い出す事が出来ない。
まるで長い事眠っていた様に、身体が動かない。
「……此処は、どこなんだろう」
目に入る事のない世界を瞼の裏より見据えて、時夜はそう口にする。
「―――お目覚めになりましたか、主様?」
遠くより声が聞こえ、それが徐々に近くへと感じられてくる。
それと同時に意識の拘束が紐解かれ、一滴の油を注したかの様に身体が熱く起動を始める。
心の中で反響するその声が、自身の相棒のものであると不意に気が付いた。
それと同時、錆びた様に開かなかった瞼がその強固な扉を開き始める。
薄く、それでいて眩くて青白い光の中を碧銀色の煌びやかな絹が流れてゆく。
まだ朧気な瞳には、見上げる形でヴィクトリアが映り、ヴィクトリアは見下ろす形で俺の姿が映る。
何故だか、頭越しに感じる柔らかい感触。そして、それとは裏腹に頭が内側からキリキリと痛む。
靄掛かった頭で思考すると、数瞬を経て漸く結論へと至る。
現在の状況から察するに、今の俺はリアに膝枕されている状態であった。
「……ごめん、リア膝枕してもらってて、今退くから―――ッ」
一体、どれだけの時間を眠っていたのだろうか。起動はしたが、身体が鈍く重い。
それだけ長い時間、リア膝枕されていたという事だろう。彼女の性格上、かなりの迷惑を掛けた事だろう。
頭痛に悩まされる頭を押さえながら、苦し気に時夜は起き上がろうとする。
そうして見据える世界は夜明け色に染まった、何処かの浜辺であった。
起き上がろうとするが、それをリアが手で制して身体の位置を元へと戻す。
「いえ、大丈夫です。それに、主様は倒れられたのですからご自愛下さいませ」
「…ッ……倒れた?」
そのリアの言葉が胸中で反芻される。
だが、その言葉に該当する記憶は脳内には存在しない。
途切れたフィルムの様に、自身の記憶を遡る事が出来ない。
……倒れた、俺が?
思わず、もう一度口の中で繰り返し呟く。
「はい、現実世界で今から三日程前の事です。幼稚園への行きのバスの中で、主様は昏睡状態に陥ってしまいました。…何処か、不備はありませんか主様?」
喉に痞えていたものが取れる様に。
彼女のその言葉で、靄が掛っていた頭が透明になってゆく。
「……ああ、そうか。倒れたのか、俺は」
まるで自身の事ではない様に、自然とそう口から言葉が零れる。
漸く全てを思い出した。三日前のものだと言う記憶を忘却の彼方より引き寄せる。
文や、亮、芽衣夏ちゃんにはきっと酷く迷惑を掛けた。
倒れたという事は、きっと両親にも連絡が行っている筈だ。心配を掛けた事だろう。
「……はぁ、やってしまったなぁ」
大仰に、思わず溜息を吐く。
膝枕をされたままの、その姿は傍見れば滑稽だが、生憎とこの世界には二人しか存在しない。
遥か昔より、人に迷惑を掛けない様にずっと振る舞ってきた。
だが、今回は逆にそれが裏目へと出てしまった。
……もう少し、人を頼るべきなのかな?
一人では、何事もいつか限界というものが来てしまう。いや、もう既にその限界なのかもしれない。
だが、俺は信頼する家族も友人も騙して、今この世界に存在している。
裏返して言い換えれば、それは誰も信じていないという事になる。
そんな俺が一体、誰を頼ればいいのだろうか?否、頼る事など出来ない。
今の時夜には、本当の心の支えとなる主柱が存在しないのだ。
云わば心は孤独だ。誰しも孤独を感じる時、一番の自分の理解者を求める。
それは親なり兄弟なり、または親友、彼女が当て嵌まるだろう。
人の心の拠り所は様々だが、俺にも嘗てはそれに当て嵌まる理解者が存在した。
今は亡き一人の少女だ。俺の傍で、彼女自身の最後のその時まで一緒にいてくれた少女。
だが、今の俺にはそれが無い。
故に、本当の意味で常日頃、薄々と孤独を感じ取っていた。
「主様はもう少し、人を頼るといった事を覚えた方がいいですね」
「……心を読まないでくれよ、リア」
まるで射抜く様に、今の俺の心情を理解した様に、そうリアが口にする。
その問いに、時夜は押し黙る。それを肯定と受け取ったのか言葉を続ける。
「……やはり、前世の事があるからですか?」
「だからリア、人の心を読むなと…」
否と、リアはその碧銀色の艶やかな髪を揺らして否定する。
そして、真摯な視線で時夜を真っ直ぐに見つめる。
「私と主様は繋がっていますから、それ故に、自ずと主様の事を理解してしまいます。深い、主様自身すらも認識出来ていない根本までも」
「……………」
時夜はその口を閉ざし、押し黙る。
どうやら、隠し事は出来ないらしい。まぁ、最初からリアにはバレると思っていたけれど。
そうして、一時の静穏を経て―――
「…あの夢を見たせいか、怖くなったんだ。人を信じる事が」
気付けば、少年の口から独白が零れ出していた。女性はただ、少年のその独白に耳を傾ける。
「…また、失ってしまうんじゃないかって。……前世の両親も、静流も、俺を置いて先にいなくなってしまったから」
少年はその手をそっと、天上に飾られた真白の月へと翳す。
手でそれを捕まえるが、実際に捕まえられた訳ではない。その手より月の光は零れ落ちて行く。
もう既に割り切った過去の事だった。否、暫く悪夢に魘されない故に割り切れたと思っていた。
迷いも後悔も、前世からこの身を切り離した際に捨て来た筈だった。…だったのだ。
「…契約の時にも言っただろ?俺は強い人間じゃないって。…結局の所、弱いから未だに過去を払拭出来ずにいる。…だから過去(これまで)も現在(いま)も、そして未来(これから)も、きっと繰り返す」
きっとまた同じ事を繰り返す事だろう。
あの日の記憶が、自身の中で消えて無くなるまで。
強くあると誓った。
俺は覚悟と決意を持ってヴィクトリアと契約を交わして、永遠存在なった。
そこに偽りはない、けれど俺はあまりにも弱いから…。
あまりにも、その心が、精神が脆すぎる。だから、こんなにも迷い揺れる。
「…こんな俺を、嫌いになったか?」
「…いいえ。そんな事はないです、主様は決して弱くなんてありません。それに私も、契約時に言いましたよ?貴方と共にあり、共に傷付く、貴方を包み込む鞘になると…」
ヴィクトリアが時夜の手を優しく自身の胸に抱き止める。
暖かな温もりが、時夜の心に広がってゆく。真摯な眼差しで、彼を彼女は見据える。
優しくも強く、意思の籠った声でその心を言葉にする。
「例え、世界の全てが主様の敵になろうとも私はずっとお傍にいます。辛い時は支えます。…喜び、悲しみも一緒に分かち合います。これまでも、そしてこれから先も、私は主様と一緒に何処までも歩んで行きます。…だから、もっと私を頼って下さい」
それはヴィクトリアにとっての、自身の主である時夜に願うただ一つの願い。
放った言葉の様に、彼女は時夜にとっての鞘になろうとしている。切実な想い。
「……ははっ」
俺は思わず彼女のその言葉に痛みなど忘れて、笑みが零れる。
―――そっか。
こんなにまで俺は、リアに信じてもらっていたんだ。
前世、過去にもその言葉を一字一句違う事なく言われた事があった。
あの日、あの時の光景が、言葉が脳裏に繰り返される。
「…前世で、静流にも同じ事を言われたよ」
ヴィクトリアの発言に、時夜は前世の事を思い出す。
こうして、弱った時に彼女はそう俺に言葉を掛けてくれた。
『私が、ずっと傍にいて貴方を抱き留めるから』
今思えば。
彼女に他意はなかったと思うが、端から見れば、それはさながらの…。
「プロポーズみたいだな」
「…ふぇっ?」
心の中で呟いたと思っていたが、声に出てたのか…。
俺の呟きにヴィクトリアは一瞬呆けた顔をする。
「いや、プロポーズみたいだなってさ」
「…な、ななっ…何を言っているのですか主様?!」
色恋沙汰に関しては、初心なのだろうか。あわあわ…と、慌てて、顔を赤くしている。
普段の大人びた様相から想像出来ない慌てっぷりだ。
一つ、彼女の意外な一面を見つけた。
その事に、彼女との間にある物がまた一つ埋まった気がする。
そして動く度に、その強調された二つの山が縦横無尽に跳ねる。
先程から顔を見上げていても、その胸によって殆ど顔が見えない。
絶景かな、絶景かな。何と言うか、福眼です。ごちそう様です。
「…ハラショー」
自然と、口からそう漏れてしまった。
幸いか、慌てているヴィクトリアの耳には入っていなかった。
「…そういや、静流に同じ事を言ったらリアと同じ反応をしたっけな」
『…時夜、初めから強い人間なんていないんだよ。皆、自分の弱さを受け入れてただひたすらに前に進んで行くの、それが生きるという事だから』
「…弱さを受け入れて前に進む、か」
自身の弱さを受け入れて、前に進む事。それも一つの強さだと彼女は言った。
俺は過去を忘れる事は出来ない。…それでいいのかもしれない。
ただ、それを受け入れて、前に進む事が出来れば。
……出来るだろうか、俺に?例え不格好でも、歩くのが遅くても…。
否、出来るかもしれない。今の俺には共に歩んでくれる相棒がいる。それだけでも、とても心強い。
ゆっくりと歩んで行こう、俺達には無限にも近い時間があるのだから。
「…考え事は終わりましたか?」
「そういうリアも落ち着いたか?」
いつの間にか、元に戻っていたリアにそう問い掛けられた。互いに、目配せをする。
彼女はゴホン…と、咳払いをして平静を装う。
「…取り乱しました、先程の事は忘れて下さい」
「無理」
「…うぅ、忘れて下さい!」
これが俗に言う、ギャップ萌えというヤツだろうか。
先程の出来事は、俺の脳内フォルダに保存しておこう。
「…即答ですか。…まぁ、問題はありますけど、それよりも答えは出ましたか?」
「…ああ、とりあえずはな。これからも改めてよろしくな、リア」
「はい、此方こそよろしくお願いします主様」
互いに、顔を見合わせて笑い合う。彼女との間に、俺は確かな絆を感じ取った。
一つ、迷いが晴れた様な気がする。
―――静流、俺はお前の言葉通りに例え無様でも、生きて行く事を決意したよ。
―――それが例え困難でも、今の俺には共に歩み支えてくれる存在がいるから。
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