緋弾のアリア-諧調の担い手-
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赤い夢
第三話
時深side
《自宅・時夜の部屋》
AM:10時21分
「…ごめんなさいね、時夜」
私は眠り続けている、息子の着ている衣服の上着を脱がす。
艶やかな、私譲りの色素の薄い髪。陽の光を浴びて、輝く様に髪とは対照的に。
眠っていても直、微笑んでいるかの風貌。…けれど、それは見た目だけだ。
高貴な白磁器を思わせる肌は白く透き通り、一点の染みも汚れもない。
鍛錬を欠かさずに行っているのに、その身体付きは病的なまでに線が細い。
その肌には、異常なまでの汗が浮き出ている。
身体に触れれば、常温を遥かに超える高熱が指先を襲う。
私は壊れ物を扱うかの様に、濡れたタオルで時夜の身体を、額に浮かぶ小粒の汗を拭く。
素早く、服を着替えさせた後。溶けてきた氷嚢の氷を取り変えて、再度彼の頭に当てる。
「…早く…早く、良くなってくださいね」
祈る様に言葉にして、時夜の頭を優しく抱き締める。だが当然、それに対する返答は返って来ない。
僅か数日前の事なのに、時夜の声をもう久しく聞いてない様な錯覚に陥る。
何も出来ない今の状態は、不謹慎ながらもどかしかった。
そんな中で当たり障りの事しか、して上げられない自分に嫌気が射した。
時夜が知らない所で、苦しんでいた事に気付いてあげられなかった。
その念が、更に私の心を締めつけた。それに比例して、無意識の内に握っていた手に力が入る。
―――時夜が倒れてから、既に三日が過ぎた。
最初に倒れたと、そう一報を耳にした時は気が気じゃなかった。
……倒れた?……一体、誰が…?
何が起こったのか、思考が追い付かなかった。否、思考が止まった。
思想も、そして理性すらもが停止した。そこに、現実感を見出せなかった。
幼稚園から受けた電話で時夜の容態を聴き、理解した時。
思わず、電話が手からすり抜けた。
結果論になるかも知れないが。あの日の朝。
軽く調子の悪そうであった時夜に自分が休む様に言っていれば、こうはならなかったかも知れない。
あの子の性格を配慮して、そう決めていれば、結果は変わって見えたかも知れない。
自分は未来を見通す瞳を持っている。
けれど、未来を読む事が出来ない事がここまで悔しいと思った事はない。
不透明である時夜の未来が視えてさえいれば、事前に回避出来た事かもしれないのだ。
「―――時深」
部屋の扉が開き、それと同時に掛けられた声に思考が現実に引き戻される。
私はその声を聞きながら、背後へと振り返る。
「…ナルカナ様」
「時深も休みなさい、休んでいる間は私が看ているから。確りと休息を取ってないでしょう?」
そこには現代の衣服を纏った、本来ならば出雲に居るべき人物が立っていた。
時夜が倒れたと知り、出雲を環達に任せ、駆けつけてくれたナルカナの姿があった。
「…ですがッ!」
「もし時夜が目を覚ました時、今度は時深が倒れていたら、時夜はきっと悲しむわよ?」
「…………」
「一時間でも良いから、確りと休息を取りなさい。良いわね?」
諭す様、強引にそう口にするナルカナ。
多少強引でなければ、今の時深が自ら引く事はないと思ったからだ。
「…解りました。では、ナルカナ様…後は」
「ええ、任せておきなさい。時深も確りと休息を取りなさいね」
そうして、部屋から出て行く彼女を見送る。
本当は彼女にも誰か付き添いが欲しい所。だが、この家には他に人間はいない。
彼女の夫である凍夜も、今は外へと出払っている。
私がこうして無理にでも追い出さないと、本当に倒れかねないだろう。
「……さてと」
私はそう口にして、眠っている時夜へと向き直す。
高熱、そして昏睡。
一般の医師が時夜の症状に捺したのは、過労から来るものだと言う事だ。
その診察を信じていない訳ではない。
だが、倒れる前までは話によれば、そこまで疲労が蓄積する様な事はしていないと言う。
その診察は所詮、一般的な観点のものだ。
私は指先にマナを灯し、心臓部に手を馳せる。
触れた手から、時夜の心臓の鼓動が伝わってくる。
規則正しく一定の鼓動を刻むそこには、異変の類は感じられない。確りと呼吸が出来ている。
「…身体を構成するマナに、乱れはないか」
心臓部、そして身体内外を構成するマナに乱れはない。
それを確認しながら、素人目に触診を続けて見るが異変は感じられない。
まぁ、ナルカナ自体に医学の心得がない為になんとも言えないが。
所詮は見よう見真似の、漫画で得た知識程度でしかない。
医師の見落としも考えたが、それもやはりは無かった。
素人が見付けられる様なものならば、専門の人間が見落とす筈がない。
……本当に、どうしたというのだろうか。
『…ナルカナ、時夜はどう?』
不意に、時夜の枕元に置かれた小太刀型の神剣がそう口にする。
そこには、自らの主を心から心配する声音が含まれていた。
「…いえ、ダメね。私ではなんとも言えないわ。ごめんなさいね」
『……そう』
「最近だけど、時夜に変わった事は無かった?」
『…得にはないわね』
時切は、あの日の事を思い出していた。時夜が倒れた日の、その深夜の事だ。
ヴィクトリアが公言していない為に、自分が話すべき内容ではないと、心の中で断ち切る。
「…そう。そう言えば、ヴィクトリアは?姿を見ないんだけど」
『リアは、時夜の存在に同調しているわ。…内側から、問題点を探すって』
「そう、今の所は八方塞がりね。…早く、良くなりなさいね時夜」
そうして、眠る時夜の手を姉はそっと握った。
祈る様に、一刻も早い快復を願って。
1
文side
《幼稚園・教室》
AM:11時1分
陽気な日差しが入り込み、教室を暖かな空気が包み込む。
けれど、それとは裏腹に私の心内は晴れる事はなかった。
「…………」
授業の最中。
対して勉学に身が入らず、私は今日何度目かの彼の机を見つめた。
だけど、そこにいるべき机の主は存在しない。
……時夜くんが倒れてから既に、三日が経った。
今朝も、幼稚園に登校してくる事はなかった。
三日前の登校時に、突如として高熱を出して昏睡に陥った友人。
彼の身体に触れた故に、心配になってくる。
あれだけ衰弱していたのだ。何か重い病気にでも罹ったのではないかと不安になる。
今朝も他学年からライカちゃんと、芽衣夏ちゃんが自分達の教室まで様子を見に来ていた。
そんな事を思考していると、時間は優に過ぎ、昼の時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。
2
お昼の時間となり、私は亮くんとお弁当を広げていた。
本来ならばここに、彼もいる筈なのだ。いない故に、それが逆に違和感を感じる。
折角お母さんが用意してくれたお弁当なのに、それに手を付ける気になれなかった。
「……時夜くん、大丈夫かな?」
独白の様に、自然と言葉が零れた。
「…時夜くんが心配かい?」
「…うん、心配じゃない訳がないのだ。亮くんは心配じゃないの?」
「…気持ちは、僕も痛いほど分かるよ。だけれど、それで僕達まで病気になってしまっては、元も子ないよ」
「……解ってる。理屈とか、頭では解ってはいるの」
自分でも自覚する程に弱々しく、そう呟く。
でも、そうしたくても。何時もいる友人がいないと無意識の内に探してしまう。
いつも彼が座っている席を見ても、そこは空っぽで…。
思わず、彼が倒れた光景が脳裏から離れない。
「気を張れとは言わないよ。…けど、本当は我慢しているんだ。ライカちゃんも、芽衣夏ちゃんも……当然、僕もね」
「……うん」
皆、時夜くんの事を心配している。それは変わらない。
…私一人だけが、めそめそとしている訳にはいかない。
きっと、この場に時夜くんが確りしろと活を入れられる事だろう。
「……亮くんは強いね」
目の前の少年が、とても同年代に見えない程に大人びて見える。
「そんな事はないよ。僕は今、僕に出来る事をしているだけだ。今出来る事は、時夜くんが元気になった時に帰って来れる場所を守る事。……それ以外には何も出来ないから」
そう言い、亮くんは儚げな笑みを浮かべた。
その心内は痛い程に理解出来る。如何に大人びていようとも、自分達は子供なのだ。
それ故に、子供に出来る事は本当に僅かしかない。
「今日、時夜くんの家にお見舞いに行ってみない?二人も誘ってね」
「うん、そうだね。時夜くんの容体も気になるし」
もしかしたら、目を覚ましているかも知れない。
その可能性を配慮して、私はその言葉に力強く頷いた。
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