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緋弾のアリア-諧調の担い手-

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赤い夢
  第二話



時夜side
《自宅・自室》
7時9分


「………」


夜の過ぎた朝明けの空が、カーテンの隙間から柔らかな陽光となって部屋の中を照らし出す。
時計を確認してはいないが、空の明るさ的に、もう普段の日常生活では起きている時間帯程だろう。

だけれど、きゅっと瞳を閉ざす。
瞳を焼く陽の光から目を遮る様に、俯瞰した現実味のない現実から逃避する様に。

まだ俺はベッドに潜っていた。眠る為ではない。
あの深夜に見た夢を頭の隅に追いやり、何時もの暖かい、倉橋時夜としての日常を送る為にだ。

暖かな平穏な世界。
まるで、春の日だまりにまどろむ様な、穏やかな日々。

夜にうなされた前世の夢とは真逆の、正反対な日常を俺は生きている。
……だけど。そう思いながら、俺は現実を確かめる様に、タオルケットを握り締める。

矛盾した感情。
現実味を感じられない現実に、俺は縋り付こうとしている。

……あんな事があった為に、少し不安に思う。

この日常が、不意に崩れ去り、失われてしまうんじゃないかと怖くなってしまう。
タオルケットを、縋り付く様に無意識に力強く胸に抱き締める。


「―――時夜、朝ですよ?」


部屋の外から微かな足音がして、それが部屋の前で止まる。
そしてそれと同時に、安堵感を覚える母親の声が優しく揺すりかける。


「…………」


俺はその安らぎを覚える声を耳にするが、瞳は閉じたままだ。
所謂狸寝入りというヤツだ。こうしていると、いつもの様にだ。


「ほら、朝ですよ時夜?」


優しく揺さぶる母の手、それが心地よくて安心する。
今日も何時もと変わらぬ、一日の始まりであると安堵する。

それだけで、夢の不安が取り払われた気がした。
救われた気がした。今を生きているという、実感を得る事が出来た。


「おはよう、お母さん」


瞳を見開き、見た世界は俯瞰したものではなく、何時もの光景となんら変わりない。
そこに、今は先程まで感じられなかった現実感を感じられる。


「はい、おはようございます時夜」


何時もの様に、起こしに来た母親と朝の挨拶を交わす。
そうして、目覚めの朝を迎える。


「朝食の用意が出来てますから、着替えて起きてきて下さいね。今日から幼稚園なのですから二度寝はダメですからね?」

「はい」


そう釘を刺して、部屋を出て行くお母さん。
それを見送り、俺もベッドから抜け出て寝巻きから園児服に着替える。

そうして、その着替えの最中。
枕元に置かれた時切が、心配げに語り掛けてきた。


『…時夜、本当に大丈夫なの?』

「んっ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとうな、時切」


そう言葉を交わし、俺も母親の後を追う様に部屋の扉を開ける。
その時の事だった。不意に、世界が“ズレた”。


「…あれっ?」


思わず、扉から手が抜けそうになった。
何となく、身体が気だるく感じた。視界が一瞬ブレる。

それも一瞬の事なので、寝不足のせいだと、俺は気には留めなかった。






1






「…ご馳走様でした」


食事も半ばの所で俺は箸を止めて、そして置いた。
出された朝食も、半分以上が手付かずの状態。出された物を残さない時夜にとって、それは珍しい事だ。

故に、それを見て両親が首を傾げた。


「どうしたんだ、時夜。食欲が無いのか?」

「…うん、なんかあんまりお腹が減ってないみたいだ」


深夜から起きている為に、胃の中は殆ど空っぽだ。空腹感すら覚えていた。
お腹は減ってはいるけれど、どうもこれ以上胃に物が入らない。受け付けない。


「心なしか、顔色も優れませんね」

「ちょっと夜中に怖い夢を見ちゃって、それで少し寝不足気味なだけだから」


心配を掛けない様にと、誤魔化す様に笑み浮かべる。
だが脳裏では、そう口にしながらも深夜に見た夢の事が想起されていた。

だが直に頭を振って、そうして脳内から夢の内容を追放する。

その夢は時夜にとっての、霧嗣にとっての一種のトラウマだ。
故に、思い返すだけでも身が竦みそうになる。夢の不安がまた蘇ってくる。

暗い暗雲に独りで閉ざされた様な、そんな錯覚を覚える。また、現実感を喪失しそうになる。

テーブルの下に隠した手。
それが恐怖で震えそうになるのを、バレない様にひた隠す。

―――嘘を吐いた。

その事実に、胸が刺される様に痛んだ。
そして、本当の事を話す事が出来なかった。

嘘を吐いた事。それよりも、その方が俺にとって罪悪感を与えた。
信頼している両親に、本当の事を告げる事が出来なかった。話す事が出来なかった。

それは、裏を返せば信頼していないという事とも言える。
俺は内心で、否定する様に首を振る。そんな事はないと。

……ただ、俺は怖いのだ。

本当の事を話して、今のこの日常が、両親の俺に向ける顔が豹変するのではないかと。
見た悪夢の様に、今の俺の世界が幻の様に消えて無くなってしまうのではないかと思ってしまう。


「大丈夫ですか、時夜?」

「うん、リアや時切がいてくれたから。とりあえず、ごちそうさまでした。…ごめんなさいお母さん、残しちゃって」

「いえ、気にしなくても大丈夫ですよ。誰にだってそういう時はありますから」

「…ありがとう、今日は文と一緒に行く約束してるからもう出るね。お弁当、用意して貰っていい?」

「はい、じゃあちょっと待っていて下さいね?」


そう言って、お弁当を取りにキッチンに戻っていくお母さん。
それに伴い、朝食を終えたお父さんが椅子から立ち上がる。


「さて、じゃあ行くか時夜」

「うん」

「はい時夜、お弁当です。無理そうでしたら残しても構いませんからね」

「うん、なるべくちゃんと食べるから」


椅子から立ち上がり、立て掛けてあった幼稚園指定の鞄を肩から掛ける。
そうして、お母さんが手渡してくれた弁当を、鞄にしまい込む。

そうして、両親と一緒に玄関まで向かう。
靴を履き、お父さんと手を繋ぐ。


「じゃあ、ちょっと送ってくる」

「行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃい。…時夜、本当に無理はしてませんよね?」

「大丈夫だよ、お母さん。改めて行ってきます」


そうして、終始心配そうな面持ちをしていた見送るお母さんから別れる。
そして俺とお父さんは住宅街に出た。暖かい陽気が朝空より差し込む。

今日の天気は快晴だ。
不意に、俺は違和感を覚えた。


「……あれっ…なんだ?」


そう口の中で呟いた。

一瞬視界がブレる。まるで自身が別世界にいる様な、それを第三者視点で見ている様な感覚。
浮遊感とも言える感覚、感触。

頭を左右に振り、振り払おうとする。
それも刹那の事であったので、また寝不足のせいだと、気には留めなかった。

そして、この頭を過る、微かな痛みにも。






2







「…………」


父親に手を引かれて閑散とした住宅街を二人で共に歩く。
他愛ない会話をしながら、悟られないように虚勢を張る。

時夜は苦悶の声が零れない様に、その歯を食いしばった。


……一体、どうしたんだろう?


バレない様に、日光を遮る様に、涙を隠す様にして額に手を翳して目元を隠す。
苦痛に歪む顔をそうして隠す。その手の隙間から見える、顔色は蒼白だ。


……頭が、割れる様に痛む。


力ない足取りで曲がり角を右に曲がって、いつもの通い慣れた通学路に出る。
もう少しで、もう少しで、文との待ち合わせ場所だ。

たった十数分の事なのに、遥かに時間が経っている様な錯覚に陥る。

今日の朝起きた時には、本当に微かな痛みであった。
会話したりする間はそれを忘れていられる程の、日常生活に支障を来たす事のない小さな痛み。

なのに、それが時間を追う事に徐々に強くなってきた。
目眩がして、気を抜くと倒れかねない程に。


「―――時夜くん…時夜くん?」

「……ああ、文か。おはよう」


痛みに気を取られて、一つテンポが遅れた。
気付けば、目の前に文の顔があった。すぐ前にいるのに、意識の外側から声が聞こえた気がした。
俺はそんな彼女に、バレない様に装い笑う。

文が語り掛けてくるそれに、ただただ相槌を返す。
だけど、それももう、俺の耳には入らない。頭の中で唸る鈍痛に発狂しそうになる。

…………ほん…と、に…どうしちゃったんだろう…。

意識を必死に保とうとする。
だが、精神がガリガリ…と、死神のその鎌によって摩耗させられて行くのを俺は感じた。

気が付けば、既に俺と文はバスの停留所まで来ていた。
既に、バスは停まっていて、文が乗り口から此方を見据えている。

お父さんとは、文と合流した時に別れていた。

俺はちゃんと、文の親に挨拶を。自身の親に別れの挨拶をする事が出来ただろうか?
僅か数分、十数分の事すらもう頭の中には留まらない程に俺は弱りきっていた。

もう歩くのすら辛い。今すぐ横になりたい。
……今すぐ、倒れたい。

何時もの癖で、誰も居ぬ背後に向かってそう告げる。
文の後を追って、足を地面に這う様に鉛の様に重たくなった足取りで階段の段差をゆっくりと登る。

顔を、下に伏せる。きっと今の俺の顔を見せれば、きっと無理をしている事がバレてしまう。
何かを言われる前に、俺はバスに乗り込んだ。

バスに乗り込んだ後に、右手に仄かな温もりを感じた。

手に振れる少女の手。
俺の手は気付けば、まるで冷たい雪の様に低い体温をしていた。


「………?」


歪む視界で俺は彼女を見た。
文が、手を取って俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。
顔を下げていて、髪が長かったのが幸いか表情までは読み取られていない。

だが、それが文にとって不安を駆り立てた。


「―――…あ、や?」


擦れた、低い声でそう彼女に尋ねた。


「……時夜くん、大丈夫?行きも辛そうにしてたし…」


彼女がそう訪ねてくる。
その声音から、こちらを酷く気遣っているのを感じ取る。

触れた手と手。文は思った、なんて冷たい手なのだろうと。
今朝から体調が軽く悪いのは、時夜くんのお父さんから聞いていた話だ。

だが、行きも具合悪そうにしていたが、ここまでではなかった。
時夜くんの性格だ。きっと、あまり心配を掛けたくなかったのだろう。


「…ああ、大丈夫だよ。少し頭が痛いだけだから」


いつもと同じ口調、いつもと変わらない笑顔。
だが、とてもそうは見えない。その薄く見える顔と首筋は、見るだけでも冷たさを感じる程に淡白い。

―――平気な筈がない。

気丈に振る舞うその仕草が見ていて痛々しくて、余計にその苦しさを伝えてくる。
私は、強引に時夜くんの顔を上げさせる。

荒く不規則な吐息。身体は雪の様に冷たく。顔面は蒼白。おそらくは熱も相当あるのだろう。
熱を帯びたせいで、その瞳からは頬を伝う様に一筋の涙が流れている。


「…時夜くん、どうしたんだい!?」

「…お兄ちゃん、泣いているの?」


此方の異常な様子を窺っていたのか、席を立って亮くんとライカちゃんが現れる。
文は振り向き、亮に告げる。


「…亮くん。時夜くん具合が悪いみたいだから席に運ぶの手伝って貰ってもいい?」

「…ああ、もちろんだよ」


事態を理解したのか、時夜くんを見てそう私に告げる。二人で、時夜くんを席まで運ぶ。
本当に、その身体は酷く冷たい。死人と言っても、過言ではない程にだ。

「…ほら、そのバカこっちに座らせて!」


見ていたのか、芽衣夏ちゃんが自身の隣の席を叩く。
そこに座らせて、芽衣夏は時夜の頭を自身の膝の上に乗せる。


「……あれっ…めい、か…ちゃん?」

「いいから、具合悪いんでしょ?だったら寝てなさい」


意識が朧気ながらも、起き上がろうとする時夜を芽衣夏は手で身体を制する。
そうして、再び膝の上に寝かせる。

落ち着きを得たのか。
時夜は、安静の地を見つけた様に泥沼の様に意識を手放した。


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