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猫の憂鬱

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序章

死体を見て感心するのも我乍ら変な癖だとは思うが、本郷(ほんごう)龍太郎(りゅうたろう)は毎回感心する。焼死体だったら、ほう、ウェルダン所の騒ぎでないな、絞殺であれば、ふはは、コケシみたいだ、一番興味無いのは殺傷で、ふーん、で終わる。
被害者を、死体を冒涜している訳ではなく、人が容易く肉の塊になるのが感心の対象だった。
違う見方をすると、人は何故人で、死ねば人ではなくなるのだろう…そんな哲学心。
人に感心がある訳ではなく、無いからこそ、龍太郎に違いが判らない。
息をして居るから人で、心臓が止まれば人で無い。
人間を刺せば傷害になるのに、死体を刺せば破損……面白いでは無いか。
龍太郎は其の関心を、違いを見付ける為刑事になったと云って良い。
「どうよ、龍太郎様。」
斜め上に向く龍太郎の見上げた相棒の井上(いのうえ)拓也(たくや)は呟き、視線と顔を落とした龍太郎は電子煙草を咥えた。
「今時珍しい、丈夫な梁だな。」
昨今はマンションやアパートばかりで、梁のある家が珍しい龍太郎はそう呟いた。
故に、自宅での首吊りが減った。
あるにはある、ドアーノブにタオルを掛けたり、態々首吊りの為に用意したり…其処迄して自宅で、然も首等吊って死ななくとも良いのに、と龍太郎は思う。其処迄首吊りに拘るのなら、逸そ富士の樹海にでも行けば良いのに。
「其処かよ…」
「首吊りは嫌いだ。汚いから。」
視線を拓也から死体の足元に流した龍太郎は、な?、と息を漏らした。
「死体は美しいのが良い。」
「御前って、実はネクロフィリアだろう。」
「いや、人形が好きなんだな。」
美しい死体って人形に見えないか?
龍太郎の思考についていけなくなった拓也は離れ、鑑識員と話し込んだ。
一人になった龍太郎はじっと死体を眺め、首に深く食い込む紐を凝視した。
黄色のタイ、滲み出た体液で変色している。
「下ろして良いですか?」
「嗚呼。」
自殺者は、大体の性格が判る。
此の人物は相当な綺麗好きだろう。家の中は綺麗に整頓され、自殺するというのに態々身形を綺麗にしている。
白いブラウスに黄色のスカート、ストッキング迄きちんと履き、当然化粧も髪もセットされている。
ワックスで光るダイニングテーブルの上に結婚指輪を乗せた便箋が一枚。
済みません、と一言書かれており、たった其の一言で龍太郎には性格が判った。
かなり文字が綺麗である。
此の自殺した女は、突発的に自殺したのではなく、はっきりとした意思を持って自殺した。自殺をする為に家を掃除し、身形を綺麗にし、全て完璧な状態で終わった。
「ネェ…」
「ん?」
鈴のような鳴き声。
考えを止めた龍太郎は声のした方に視線を向けた。
毛皮を着たようなふっくらした毛並みを持つ大型に近い猫が其処には居た。小首傾げ、じっと龍太郎を見上げる。
「お嬢さん?」
其の猫に手を伸ばし、猫は伸びて来た龍太郎の指先を思慮深く嗅ぐと害が無いと判ったのか喉を鳴らし乍ら指先、手首、腕と身体を龍太郎に擦り付け、終いにはすっぽり腕に収まった。
「子供位の重さだな。可愛い。」
「うわ…、猫が居んのかよ…、然もでけぇ…」
動物が嫌いな拓也は離れ、寄るなよ、と龍太郎に威嚇した。
小さな首に回る黄色い首輪、ピンクのリボンが真ん中に付いている。
「黄色が好きなのか…?」
そう思い改めて広いリビングを見渡すと、矢鱈黄色い物が目立った。
遮光カーテンとレースカーテンも黄色、ソファも黄色に近い色合い、其の前にあるテーブルの下に敷かれるラグも薄い黄色、若しやと思い寝室を覗いたら、案の定ベッドも黄色かった。
黄色で揃えられる物なら黄色で揃えてある。
旦那の趣味、では無い。
変色した其の首に回る黄色いタイが、彼女の趣味だと判る。
此処迄趣味を通す女が最後の最後に、自分の命を終わらせる物に嫌いな色、偶々目に止まった物で片付けはしないだろう。
「御主人?」
「ええ。」
「貴方が発見、通報されたんですよね?」
「そう…、出張から帰って来たら見事に死んでた…」
目元を隠す夫の指には、テーブルに置かれた物と同じ指輪が嵌っている。
四十になるかならないか、中肉中背で灰汁も花も無い顔立ち、雰囲気も何処か大人しく、尤も此の状況で溌剌とされても困るが、比較的夫は落ち着いていた。
「驚かれました?」
「そらぁ、驚きますよね。死んでるんですから。刑事さん、面白い事聞きますね。」
普通、状況とか聞くもんでしょう?と夫は苦笑う。
状況なんて聞いて如何するんだ、見たものが状況なのに。
「此の猫は?」
「娘ですよ。」
おいで、と夫は腕を猫に伸ばし、するりと猫は移動した。
「此の子が、帰ったら矢鱈鳴いてた。私、出張が多いんですが、初めてでした、帰宅した私にこんなに鳴いて来るの。何時も妻にべったりなので。抑此の子、品種的に余り鳴かないんですよ。其れが鳴いてたのも吃驚しましたね。変わった事もあるもんだな、と思って抱っこした侭リビングに入ったら、まあ見事に死んでた。」
「一見して、変わった事とかありました?例えば、家具の位置が変わった、とか、物が増えた減った、色が違う。」
「匂い。」
夫は即答した。
「匂い?…嗚呼。」
此れか、とビニールシートの上に寝る妻を見た。
「玄関開けたら生ゴミの臭いがして、内じゃ考えられない臭いだった。内の生ゴミは全部、シンクで分解されて堆肥になるから。」
「エコですね。」
「ガーデニングが趣味だからね。此の形に変える前迄は干してやってました。失敗したら酷い臭いがするんですよ。だから、こうしたんです。」
「此処、持ち家ですか?」
「持ち家も何も、此処、私の設計、建築ですよ。」
「今更なんですが、御主人、職業は?」
「建築士。」
「やっぱり。」
夫は笑い、名刺を差し出した。
「雪村、凛太朗さん、ね。」
「時期が来れば人は必ず死ぬのに、なんで態々自分で死ぬかね。」
理解出来ない、と夫は猫の額にキスをした。 
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