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歪んだ愛

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第3章
  ―3―

頭がこんがらがって来た、とミッドナイト キャットで一足先に待っていた課長は唸った。久し振りにワインの味が判らん程に、とも。
「だから、生きてるのはどっちだ。」
先刻の店であった女は、“まどか”だと自分を名乗った。
「一寸纏める。」
此処に来る途中、コンビニでメイク落としでも買って行こうかと思ったが、何も態々こんな醜態を万人の目に晒す事も無いだろう、其れこそ変態だ、と思い、タクシーで直行した。
ミッドナイト キャットの入るビルのエレベーター内でハーフウィッグを外し、本来の髪型で店内に入ると、あらそっちの方がホットだわ、と焼酎傾ける雪子に云われた。
「橘さんが来るなら来るって、事前報告欲しかった。」
課長の目の前、ソファに座った和臣は紫煙を吐き捨て、出されたヘネシーを一口含んだ。
実はあの後、和臣と同じに女装した橘が店に現れたのだ。

――ミユキ、待った?

誰だ?とノンアルコールビールを傾ける和臣に、俺です、橘、と耳元で囁いた。驚いた和臣は課長にメールし、何故橘が居るのか聞いた。

御前が話せる訳無いだろう、其の男声。幾らハスキーで通しても無理がある。橘さんは其の点、音域が女声に限りなく近い。御前の代わりに喋らせろ。

そう、返信が着た。

――なぁんだ、やっぱ彼女持ちか…残念…
――御免ねー、狙った?
――モロ好みだったのにー。ねね、貴女は?名前!
――うち?うちはユウナ。
――ユウナちゃんかー。あ、ユウナちゃん?年上かな…
――二十七。
――あ、一緒ー!今月誕生日なんだー。
――ほんま?おめでとう!
――あはは、有難う。あー、でも学年一個下かも…、先輩!
――あはは、ミユキはもうオバちゃんだもんねー。
――ミユキさん幾つ?
――云いたくないって。でも此処だけの話、アラサーなんだよ。あー怖、睨まれた…
――あはは、良いね!フェムカップル!私大好き!ほら…ボイフェムカップルってさー、確かに女同士ではあるんだけど、だったら男で良いじゃん!?って思っちゃうんだよねぇ。
――判る判る。あんた女好きなんだよね!?何で男の格好するボイを敢えて選ぶの!?って思っちゃう!ミユキはもう合格だよねー!
――うんうん!ミユキさん綺麗で超ホット!むっちゃ背ぇ高いよね!?其れでフェム、で、寡黙!本物の大人!もう堪らん!
――ミユキ、本当背ぇ高いんだよ!168センチ!で、ヒールとか履いちゃうから175センチ位になるの!
――来た此れ!
――ケーティーケーアール!ヘイチエスエイチエス!
――まじ!其れ!!ktkrhshs!今日来て良かったぁ!

和臣には全く判らない内容で、苦笑い乍らグラスを傾けた。
ビアン用語も判らなければ、ネット用語も判らない。口も挟めず黙ってグラスを…全く味気無いノンアルコールビールを飲む事しか出来なかった。
唯、気分は良かった。
男世界では、チビだ何だ女顔の萌やし、と嫌味と侮蔑され続けるが、一六〇センチ越えれば“背が高い”と称される女の世界では、此の低身長もハイスペックに位置付けられる。
長身痩躯のアジアンビューティー…女の世界で和臣はそう映る。
矢張り女に産まれるべきであったかな、とグラスを空にした。

――ミユキさんって、お酒飲めないの?
――そうじゃないんだけど、うちね、京都なんよ。だから、此の後ミユキをドライバーにして東京見物と行こうかなーと。
――あー、悪いんだー。…で、一寸変な事聞いて良い?
――何?
――若しかして、逆?私、ミユキさんがタチだと思ったんだけど…?まさか?まさかの…?

橘の指を掬う“ゆりか”は、橘の爪先を、アルコールに緩んだ瞳で見詰めた。

――御名答、うちがタチでーす!
――うおおお!興奮して来たぁ!年下攻めっすか!先輩凄いっす!ミレイ!お代わり!
――飲み過ぎるなよ…
――いやいや、此れは酒で一層興奮せねば…、良いね、本当!
――ミユキねぇ、見た目血統書付きのプライド高い猫に見えるけど、ほんまは違うよ、ベッドん中じゃ子猫なんよ。前も後ろも判らん子猫。其れに絆されたんはうちやけどな。うちが初めてやもんなぁ?
――やぁだぁ!興奮する…、いや冗談抜きに…
――我も興奮して来た…、“先生”ネコか…

先生、という言葉に和臣は薄い唇を舐め、マスターを見た。

――あ、ミユキな、高校で国語教師してるんよ、見た目むっちゃ理系やけど。ほんまは違うよ、休みの日は読書ばっか、ブロクは読んだ本の感想ばっか、週に十冊は読破……図書館が恋人、活字こそ我が人生、…みたいな感じなんよ。うちが連絡入れてもな?読書の邪魔するなて怒るんよ…。うちはミユキの性格知ってるし、邪魔せんよぅしてるんやけど…。久し振りに()うやん?そん時でもな?本屋あったらあかんな…、小一時間迷うのん…。あんた、うちより活字の方がええのんか!て怒りたいけど、此ればっかしは、ミユキに惚れた運命やんな、黙ってるわ、あはは。

何処で打ち合わせしたのか、或いは監視でもしてるのか?と聞きたい程、橘の話す“ミユキ像”は和臣だった。
何を隠そう和臣、本好きが祟り此れで何度も振られて居る。
貴方は本があれば良いのよね、私に触れるより紙に触れるのよね、私を見るより活字を見る方が好きなのよね、私の匂い知ってる?貴方の鼻はインクしか受け付けないでしょうけど、図書館とでも結婚したら?と去って行く。
何で知ってんの、と耳打ちすると、知識が凄いからそんなだろうと時一先生が仰った、と囁き返した。
店内に流れるポップソングに、時一の高笑いが重なった。…後ろのソファ席の馬鹿女共が笑っているだけだった。

――うざ…

ジンフィズの入るグラスを傾ける“ゆりか”は、橘にニコニコと向けて居た顔を硬め、メール受信した電話を一瞥するとそう吐き捨てた。

――彼女?
――違う違う、父親だよ。珍しく早く帰ったんだな。帰って私が居ないと、御前ストーカーかよ、って位連絡寄越す。
――うわ、手厳しぃ。
――前迄はさ、双子の姉に身代わり頼んでたんだけど、最近結婚しちゃってさー。
――嗚呼ね。で、暇で寂しいパパはもう一人の娘を監視してる、と。
――其れー。普段家に居ない癖に煩ぇんだよ。今迄散々放置しといて、盲愛の対象が無くなると俺かよ…、うぜぇんだよ…

豹変した“ゆりか”の口調と目付きに、和臣は黙ってグラスを傾け、橘も視線を何処かに飛ばした侭、あの物悲しい顔でビールを飲んだ。マスターが一人、美人見て酔いが回ったか?崩れるの早いよ、と茶化した。

――あ、御免。普段の一人称“俺”なんだ。
――見た目と間逆。お嬢さんお嬢さんしてるけど、実際かなり口悪い。
――あ、でも、女の子相手にはちゃんと話すよ!?ふわんとした感じで話すよ!?男が絡むとね…、御免。
――良いんじゃない?ミユキだって、男から話し掛けられたら、刺す気なんかな?て思うもん。ハラハラする。
――刺さないもん…
――いいえ、貴女は刺しますよ。
――あ、喋った!?

蹴るだけ、と小声で、口だけ動かしている風に和臣は云った。

――ミユキ、こんなじゃん?ストーカーとか、結構ある訳。職場の男性教諭から言い寄られた時とか傑作だったよ。ヒステリー起こして、煩い煩い煩い!男なんか大嫌い!御前はもっと嫌い!此のハゲ!蛍光灯が眩しいんだよ!て、デスクに教科書バンバン叩き付けて喚いたんよ。傑作やったぁ…

うっかり喋った事を後悔し、外方を向いたのだが、“ゆりか”には、其の場を再現する様に腕を振り下ろす橘に腹立ち、醜態に外方向いたと捉えられ、無言でも問題なかった。

――うち吃驚して、いや、職員室が、しん…てしたんよ。うち、保健医なんよな、偶々職員室入ったらミユキの絶叫が聞こえて、あんた一寸落ち着きなさいよ、言うたら、私はタチバナ先生が好きなの!男に興味は無いの!勘違いのハゲなんて言語道断なの!て…。あ、うち、タチバナて言うんよ。先生達も唖然としたけど、生徒も唖然とした、一番唖然としたのはうちです…。いや、あんな、其れ迄ずっとうち…と云うか、生徒の間で、数学の先生と出来てるて噂やったんよ。席もずっと横やし、ずっと話してるし、然も笑顔!唯一話してる男やったから、嗚呼出来てんねやな、て。生徒からも、先生達出来てるんだよね?て聞かれてもミユキ笑ろて誤魔化してたし、先生も“そう見えるんだー、いやぁ嬉しいね、あんな美人と恋人同士に見られるなんて、男冥利に尽きるよ、有難う”“彼女が僕を如何思ってるかは知らないけど、僕は大好きだよ”て生徒に言うてたし…。実際、違った。其の数学の先生もゲイやったんよ…、素晴らしいカモフラージュ…
――嗚呼、意気投合しちゃってて、其れが出来てる雰囲気に見えてた、って訳か。で?其の熱烈なアウト告白の後、如何なったの?
――うちは状況判って無いし、職員室はしーんとしとるやろ?男前やった、あの数学教諭は何処迄も男前やった。ミユキ、て、静かに横から言うて、腕掴んだんよ。ほんで、御前、何考えてるんだ、て。詰まり…こんな感情的な即発的状況で、御前のセクシャルカミングアウトして立場悪くして、御前は後悔しないのか、て諭したんよな。ほんで、謝りなさい、彼に対して放った暴言を謝罪しなさい、貴女の対応は大人じゃない、て。然も其の先生も“タチバナ”て名前なんよ…。うちのタチバナは、木偏に矛て書いて…の橘で、数学の先生は立つ花、で立花先生やったんよ。
――え?じゃあ、どっちか判んないんじゃないの…?
――うちも、最初はほんまに立花先生やと思たよ。ミユキはミユキで我に返って、自分の失態に泣き出すし…。然し男前数学教諭ですよ、其処は。ミユキ、落ち着きなさい、済みません、良く言い聞かせますので、申し訳無い、て暴言吐かれたタコ入道に…あ此れ、其の言い寄ってた教諭のアダ名な、ハゲで怒ると顔が真っ赤になるから、に頭下げて保健室迄連れて来たんよ。うち如何して良いか判らんで、珈琲出したんやけど、先生、溜息吐くなり、御前何考えてんだ、頭悪いのか無鉄砲なのか、自分が何したか判ってんのか、全部崩しやがって、何の為に俺達が誤解を利用してたか、全てパァだよ、て殺気垂れ流してなぁ。で、気付いたんよ。先生、ゲイなん?て聞いたら、此のアホがさっき云った“タチバナ先生”は俺では無く貴女ですよ、て。

そして今に至ります、と橘はビールを飲み干した。
よくもまあ見事に、此処迄嘘が吐ける。作家にでなったら良いんじゃないのか、とさえ思う。
然し此れ、実際に橘の身の回りで起きた事だ。橘は残念乍ら“立花先生”の位置だったが、侭同じ台詞を巻き込んだ看護師に投げ付けた。巻き込まれた時は本気で此のレズビアン共を闇に葬ろうかと考えたが、人生何が起きるか判らない、今此処で使えたのだから良しとする。

――其の立花先生って如何なったの?
――相変わらず仮面夫婦してるよ、ねー?

橘の言葉に、和臣は訳も判らず頷いた。其れに“ゆりか”が舌を出し、嫌悪剥き出しの顔でグラスを傾けた。

――何其れ、最悪じゃん。
――でも無いんよ。ミユキ、可愛いんよ。漢字違うけど、タチバナミユキになったよ、て。身分証要らん場所やと、うちの橘の漢字使うて。ああん、もうかわええ!かわええ!!

グラスを傾ける和臣に橘は抱き着き、わしゃわしゃと頭を撫でた。
ず…ずれる…
不自然になっちゃないか、と髪を撫でる和臣に、嗚呼其れ可愛い、だった立花先生許す、とジンフィズを飲み終えた“ゆりか”は新しくビールを頼んだ。

――顔見たーい、其の偽装旦那の!
――嗚呼あるよ、一寸待って。

あるんだ、用意周到だな、と電話を出す橘の動きを横目で見た。
あれ…iPhoneだ。なんだ持ってるんじゃん。
そう思い、グラスを傾けて居たのだが、口に含んだ筈の液体は喉を通る前にカウンターテーブルに落ちた。

――な…なん…

なんで敢えて“奴”なのか。

――一寸止めてよ!秀一とか!
――宜しやぁん、見せトコ見せトコ。ええ男、見せトコ。
――一寸本当に止めて!

混乱で裏返った声は自分でも驚く程高く、ええじゃないかええじゃないかと電話を遠ざける橘にしがみ付き、電話に向かって手を伸ばした。必然的に電話は“ゆりか”の方に向かい、もーらった!と“ゆりか”は橘の手から電話を抜き去った。

――うお!ホモ臭ぇ!此れはホモですわ!
――何々、我にも見せてよ!

和臣の吐き出したビールを拭いていたマスターは慌てて電話を覗き、盛大に笑った。

――ビーグル犬が似合いそうな顔だな。
――嗚呼、似合うかも。
――ううん、此れはホモですね、間違いなくホモですね。

人生で、此処迄絶望した日は、妹が強姦されたと知った日以来では無いのか。
女装だけなら未だ許そう、男子校学園祭での唯一の楽しい出し物が“女装コンテスト”だったのだから。勿論和臣、毎年強制的に参加させられた側だ。
だから未だ許せる。
が、此れだけは許せない。
何の恨みがあって、秀一と“夫婦扱い”されなければならないのか。
科捜研メンバーで選ぶなら、斎藤さんが良かった…、もっと贅沢云うなら菅原先生が良かった…。
何故に敢えての秀一か。橘に何かしただろうか、考え、若しやあの音声分析を恨まれたのか。
一刻も早く立ち去りたい。
其の思いが通じたのか、“ゆりか”の電話に父親から着信が着た。
“ゆりか”は云わなかったが、表情で父親だと判った。ビール瓶を荒く傾けた“ゆりか”は椅子から飛び降り、又来るわ、と鳴り続ける電話を保留にした。

――ラインしてる?
――してる。
――交換しない?私、すっごい二人が気に入っちゃったんだ。あ、取らないよ?大丈夫。此れ、私のアカウントだから、気が向いたらメッセージ頂戴。うるせぇな、今出るよ…。じゃあね、今日は有難う、楽しかった!

“ゆりか”は笑顔で、自分のアカウントを書いた紙を橘に渡し、店から出た。
一気に疲れ、脱力した。

――お疲れ、木島さん。…ミユキちゃん?

マスターの艶かしい真紅の唇が動く。

――日本酒出せ、一杯飲んで帰る。そして橘さん。
――はい…?
――何で秀一だ!もっと他に居るだろう!斎藤さんとか斎藤さんとか、後斎藤さんとか!
――…斎藤さん、写真嫌いなんですよ。長谷川さんは、判るよ、俺程の男前、撮って良いぞ、ってスタンスなので。使えるとは思わんかったわ。意外と役立つな、彼の人。

悪びれた様子も無く橘も日本酒の入るグラスを持ち、お疲れ様です、とグラスを寄せた。

――忘れない内に。…十万は要らん、そう、あの方に云っとけ。

和臣が来た時渡されていた小型のボイスレコーダー、しっかりと受け取り鞄に入れた。

――そういや、何で課長と知り合いなんだ?

カラーコンタクトにしては、妙に複雑な色味を帯びる紫の目。

――次会ったら、教えてやるよ。

白檀の匂い、其れに和臣は目を伏せた。
「死んだのは、ゆりかの方…間違いないな?」
課長の声に、白檀の匂いが薄れ、雪子の香水の匂いがした。
「間違いない。夏樹と付き合ってたのはゆりか。まどか、と名乗ったゆりか。俺達の知る“東条まどか”は、依存性人格障害…全ての物事を、他人に決めて貰う。最初、あの事務所で働いて居たのは、本物の東条ゆりか。入れ替わりで来たのは、勿論まどか。そして、一週間で、入れ替わった。東条ゆりかとしてまどかが引き続きあの事務所で働き、入れ替わったゆりかがまどかとして夏樹の前に現れた。此処で、今回の被害者、“依存性人格障害の東条まどか”が出来上がる。」
「面倒臭い事をする。」
グラスを揺らし、濃密なワインの芳香を堪能する課長は、嗚呼そういう事か、と大きな口を真横に裂いた。
「五年前のストーカーは、事務所の所長か。」
「そういう事。」
雪子が差し出すトリュフを、口に含んだ。苦いココアパウダーが、ブランデーと絡む。
「御前達、お似合いだぞ?」
眉を上げた侭課長はグラスを傾け、レズビアンカップルだったらな、と喉奥で笑った。 
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