歪んだ愛
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第1章
―7―
案外あっさり引きましたね、とハンドルを握る加納は呟いた。
捜査権を戻された和臣達は、東条まどかの恋人である夏樹冬馬の居場所を聞く為、ゆりかに約束を付けた。
妹の恋人を仔細知っているか微妙だったが、まどかに夏樹を紹介したのは他でも無いゆりかだった。居場所だけ聞こうと思ったのだが、夏樹の人物像を把握する為ゆりかにも話を聞く事にした。
最初は和臣、約束通り井上を東条宅に行かせ様としたのだが、木島さんじゃないんですか…、と和臣が来ない事にゆりかが電話越しでも判る落胆を見せた。然しだからと云って、そんな事で絆されも揺れ動かされもしない和臣は井上達に指示を出したのだが、美女があんたを御指名ならあんたが行けよ…、美女に御願いされちゃ黙るしかねぇ…、と和臣を行かせた。
本当に、木島は女にモテる。此れでシスコンの変態じゃないなら完璧なのにな。
課長のニヤつく顔から逃げる様に和臣は加納を連れ、東条宅に向かった。
「何が。井上が?」
「いいえ、親がですよ。」
「署長が警視正だからだろう。」
「嗚呼、成る程。」
捜査権が何処に行こうが、正直和臣は興味無い。管轄内であった事件を処理するだけ。所轄刑事だけで処理出来る事件に興味は無い。だからと云って、本庁総出で動く事件も好きでは無い。
大きな仕事は親に任せ、小さな仕事をゆっくりする、其れで手厚い保障があるのだから其れで良い。
総勢三十人の捜査一課、其の全員が其々の事件でゆっくり動いていれば良いと思う。何、此の管轄、三日に一回位しか一課が動く事件は無いのだから。盗難の三課は毎日書類整理に追われて居るらしいが。
一課の扱う、殺人、強盗、性犯罪が其々一件づつ毎日起きていたら、大変治安の悪い地域に認定される。
和臣は思う、日本最大の歓楽街を管轄に持つ署にだけは絶対に行きたくないなと。
静かに流れる景色、住人の性格が想像出来るゆったりとした空気、其の中で起きた非日常的な出来事。自分は其れを処理するだけ。
「着きました。」
戸建てが多い住宅街で困るのは一つ。自宅に広いガレージを所有する家が多い為、コインパーキングが少ない。東条宅から一番近いコインパーキングが歩いて五分の場所にある。最初来た時は其処に停めた。
先に和臣が降り、インターフォンを押す。待ち構えて居たのか直ぐにゆりかのソプラノが聞こえ、びくっと驚いた和臣に加納が運転席で笑って居た。
「おやまあ、ふふ。レイディキラーでらっしゃる。」
「喧しい。」
『え?』
「いや、何でも無い。」
『あの、御車ですか?』
「嗚呼。」
『あ、なら内の車庫開けます、其処に停めて下さい。父の分が一台空いてる筈ですから。』
ガラガラとガレージのシャッターが上がり、通り、一台のスペースがあった。車を眺めて居た和臣は、加納と一緒に振り向いた時又驚いた。
ゆりかが玄関から出て来て居た。
「家に居ろ、家に。」
「家ですよ?」
「じゃなくて…、もう良いや、行こう、加納。既に疲れた。」
加納の笑い飛ばす声に又疲れた。ゆりかだけがにこにこと小首傾げる。
「お母様は。」
「居ます、会いますか?」
「良い、疲れるだけだろう。」
母親は寝室に居るらしく、出来るだけ大人しくまどかの部屋がある二階に向かった。
5LDKの家、一階に応接室と書斎、二階にゆりか達の部屋と両親の寝室がある、庭は其れ程広くない。
まどかの部屋に入った和臣達は眺めた。
「八畳位か、此の部屋。」
「そうですね。良く判りませんけど。」
「いえ、十畳位ではないでしょうか。此れ、セミダブルですよね?」
ベッドを指した加納が聞く。
「ワタクシの家が、十二畳のワンルームなんですよ。セミダブルのベッドを置いて此の広さですから、十畳でしょう。」
「御前、悪趣味な車と株に金掛け過ぎて家が釣り合ってないぞ。」
「だってワタクシ独り身ですもん。」
「俺だって独り身だよ。」
「どれ位です?」
「4LDK。」
「お馬鹿なのですか?」
「違う、親が残したやつだよ。後二人で住んでるんだ。じゃなかったら貸すわ、人に。馬鹿か御前。」
「おやまあ。女性でも監禁なさってるんですか?」
「御前煩いな、良いからクローゼット開けろ、写真撮るから。」
如何でも良い部屋の広さを話して居た筈なのに脱線した。こんな事なら広さ等考えなければ良かった。
カメラとして持ち歩く携帯電話を取り出した和臣は開けられたクローゼットに辟易し、何枚か写真を撮った。
少し前迄はデジカメを持ち歩いて居たのだが、携帯電話の画質とデジカメの画質がそう変わらなくなって来た頃から、より持ち歩き易い電話の方で写真を撮り始めた。
「写真で見ると一層悍ましいな。」
部屋を何枚か撮り、序でにゆりかも撮った。
「え?」
「ほらな、見ろ。綺麗なものは写真でも綺麗なんだよ。おお、見てみろ、此のクローゼット。」
三人で画面を眺めた。
其の時、ゆりかが思い出した様に顔を上げた。
「まどかの電話が未だ繋がるんです。今朝、刑事さんに夏樹の事話すけど同席する?って夏樹に電話しようとしたら間違えてまどかを押したんです、そしたら、プルルルルって…」
「え?」
東条まどかが殺されたのは一週間前、使ってないとは云え、幾ら何でも充電が持ち過ぎている。其れにあの日は豪雨だった。水没もしていない。
「怖くなって慌てて消したんですけど。其れで夏樹に電話して、まどかの電話が繋がるって云ったら、夏樹が其の時送ったメッセージに既読が付いたんです。だから夏樹が、御前が殺したの?って送ったら、まどかから着信が着たって…」
和臣の全身が粟立った。電話を持つ手が冷え、此の犯人が、意図的に東条まどかを狙ったのが判った。
「其れで…?出たのか?夏樹冬馬は…」
「ワンコールらしくて、折り返した時にはもう繋がらなかったって。」
「済まないが、夏樹冬馬を此処に呼び出せるか?」
「向かってると思いますけど。来るって云ってましたから。」
タイミング良く、ゆりかの電話が鳴った。
「あ、夏樹?着いた?開いてるから上がって来て良いよ、うん、まどかの部屋。」
犯人の意図が判った和臣達は其の気持悪さに顰めた顔を見合わせた。
夏樹は何度も来ているのか、すんなり和臣達の前に現れた。
写真で見るより爽やかな印象があった。平日の、然もこんな二時という半端な時間に来ると云ったから、どんな暇人なのかと思ったが、夏樹はグレイのスーツ姿と、至って普通だった。
「ゆりか。」
「夏樹。」
「一応全部持って来た。」
肩に掛かるバッグをゆりかに渡し、夏樹は和臣に向いた。
「夏樹冬馬です、遅くなりました。」
内ポケットから名刺を取り出した夏樹は和臣に渡し、半端な時間に出歩ける理由が判った。名前の上には法律事務所の名前が書いてある。適当に理由を付けて出て来たのだろう。名刺を加納に渡し、和臣は警察手帳を取り出した。
「世谷署の木島です。弁護士さん?」
「そうです。」
和臣達から受け取った名刺を見る目は凛とし、本郷みたいだな、と和臣は思った。
顔全体を見たら薄い顔付きだが、目元に色気があった。甘い顔、と云うのはこういう顔を指すのだなと思う。此の目で罪を聞かれたらすんなり認めてしまいそうだ。
同じに罪人を見る立場なのに、自分達とは違う。警察は狩りをする目で、弁護士は其れから守る目をする。対局に居る夏樹を和臣は見た。
「あ、そうだ刑事さん。」
「ん?」
「家の前にバイク置いてるんですが、切らないで下さいね?切符…」
夏樹の申し出に和臣は首を傾げたが、加納は理解した様に頷く。
路上駐車禁止区域なのだ、此処は。
「大丈夫です。」
「嗚呼、そういう事か。安心しろ、路上駐車の取り締まりは交通課の仕事で、あんな点数稼ぎの仕事は知らん。なんか云われたら俺が弁護してやる。あのバイクは俺のだ、って交通課に云ってやる、俺、バイクの免許無いけど。」
「頼もしいですね、有難う御座います。」
「路上駐車に無免許とは最悪ですね。」
「良いんだよ、そんな交通課の仕事なんて。何してるのか判らんのに。北欧の市長みたく戦車で破壊してる訳でも無しに。」
夏樹は其れに笑い、さて、と息を吐いた。ベッドに座り、開いた侭のクローゼットを指す。
「嗚呼、写真撮ったんだ。」
「こんな汚いクローゼットを?」
「東条まどかはずぼらなのか?」
「まあねぇ、綺麗好きとは云えないかな…」
此の呆れ顔を見る限り、夏樹の家でも散らかし放題なのだろう。夏樹の心中を嫌という程察した和臣は肩を叩き、泣きそうな顔で頷いてみせた。
「判るぞ、判る。御前、見るからに綺麗好きそうだもん。」
「掃除した時、ソファの下からストッキングが出て来たのは驚いた…。何であんな所から出て来るんだよ…」
目元を押さえ、其の光景を思い出した夏樹は嘆いた。まどか本人に聞いてもなんでかなとしか云われなかったらしい。脱いだストッキングの所在も判らず平気とは、まどかは相当暢気な性格を持つ。
綺麗好き二人の話を聞き乍ら加納は手帳にペンを走らせた。
ソファの下からストッキングが出て来た、等、菅原も要らない情報だろうが一応書いた。心理担当の時一の役に立つかも知れない。
抑が、夏樹を調べろと云ったのが時一なのだから。
響く電話の呼び出す音。自分の着信音で無いと判る三人は電話を取り出す仕草をしなかったが、夏樹一人が青い顔で発信源に視線を落とした。
「嘘だろう…」
「呼び出しだよ、先生。」
「違う…」
取り出した電話。画面を見た夏樹の顔色は一層悪くなり、鳴り続ける電話をベッドに捨てた。
「此の着信音は、一人しか居ない…」
東条まどか。
ディスプレイにははっきり浮かんでいた。
「……随分だな。」
夏樹の代わりに和臣が出た。つ、と電話は切れ、掛け直したが繋がらず、今度はゆりかが怯えた。
響く着信音。
手の平に収まるたった其れだけの存在が、四人には途轍もなく恐怖を与える魔物に見えた。
東条まどかという、魔物に。
「いい加減にしろよ…」
余りの恐怖にゆりかは泣き出し、怒りに潰される和臣の低い声だけが響いた。
「御前は、誰だ。」
声は無い。音の無い時間が過ぎた。
「何で殺した。」
瞬間、和臣の背は凍り付いた。人間と思えない金属の擦り切れた様な笑い声がし、其の大きさに和臣は電話を耳から離した。小さな箱から出る金属系統の音、人間が笑って居るとは思えない。恐怖でしかなかった。
和臣の手の中で流れ続ける笑い声に加納も引き攣った。声が出なかった。座り込み泣くゆりかを見た和臣は肩を抱き、電話を床に置いた。夏樹は頭を抱え、荒い呼吸を繰り返していた。
正気じゃ無い。
そう思い、和臣はカメラとして使う電話を取り出し、床に置いた電話を動画で映した。音が小さいかと思いスピーカーにしたが、笑い声とゆりかの恐怖が強くなるだけで、然し和臣はカメラを向け続けた。和臣のジャケットを握り締めるゆりかの耳を、此の不愉快な犯人の笑い声から逃す様に片手で押さえ、胸に付けた。
大丈夫だ。
電話に届かない程の小さな声で和臣が囁いた瞬間、電話は静かになった。
「……気が済んだか…?」
和臣は電話に向かって云った。
「…か…りか………」
金属系統の音の正体はボイスチェンジャーだった。
ゆりか……愛してる……
「嫌ぁあああああああああ!」
電話から出た言葉に全員凍り付いた。ジャケットから離した手で自分の耳を塞いだゆりかは叫び、加納が直ぐ様電話に耳を付けたが電話は切れており、慌てて電話を掛け直したが、無機質なアナウンスが繰り返されるだけだった。
*****
黒い画面、電話が床に落ちたのだろう、然も音声はしっかり撮れて居た。
――ゆりか、ゆりか落ち着け!
――嫌、嫌ぁあ!
――加納!
――駄目です、繋がりません!
――助けて、誰か助けて……
か細いゆりかの声を最後に画像は切れた。立った侭聞いて居た五人は無言で電話を見詰め、データを映したSDカードを秀一はパソコンに読み込ませた。
「機転が良いね、和臣。しっかり分析しちゃうよ。」
パソコンに浮かび上がった声紋分析ツールに秀一は口角を上げた。
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